2016年11月18日
スマホの在る世界と無い世界。
スマホを考える
2008年 iPhone 3GSが発売してから、スマートフォンのちからでこの10年大きく世界は変わりました。
それまでは、電話やメールで[個人]-[個人]を繋いでいたものが[個人]-[世界]を繋ぐツールになったからです。
それは、多くの情報と利便性を手にした事と一緒なのですが、変わりに多くの物を失ったり抱え込んだりする事になりました。
たとえば、
昔は、電車乗るにも[どこ経由][何駅には何線]を考え、時間は[実際に足を運び時刻表]で確認していた。
今は、その場でスマホを見れば[どこのドアから降りる]ことまで教えてくれる。
昔は、家の電話番号や住所、恋人の電話番号や住所は記憶して覚えていた。
今は、電話帳に記載しておけばスマホに話しかけて電話をしてくれ、勝手に行き方さえ教えてくれる。
昔は、何かを学ぶ際、本を読んで調べ先生、先輩に教えを乞うて頭にたたきこんでいた。
今は、特に覚えておかなくても、思い出したい時にスマホが要点をまとめて教えてくれる。
昔は、電車乗るにも[どこ経由][何駅には何線]を考え、時間は[実際に足を運び時刻表]で確認していた。
今は、その場でスマホを見れば[どこのドアから降りる]ことまで教えてくれる。
昔は、家の電話番号や住所、恋人の電話番号や住所は記憶して覚えていた。
今は、電話帳に記載しておけばスマホに話しかけて電話をしてくれ、勝手に行き方さえ教えてくれる。
昔は、何かを学ぶ際、本を読んで調べ先生、先輩に教えを乞うて頭にたたきこんでいた。
今は、特に覚えておかなくても、思い出したい時にスマホが要点をまとめて教えてくれる。
これは多くの情報を得る機会を手にしたかわりに、脳を使うことを失ってしまったのです。
これは、人間の生き方に機械が入りきった事になります。
何ごとも世の中に無かったものが世に出回り[流行り]始めるとバッシングはあるものです。
最近では[ポケモンGO]はそれにあたいします。
どこの自動車事故も何かとタイトルに[ポケモンユーザー]や[ポケモン使用中]と載るようになりましたし[歩きスマホ]も前から言われていたのにもかかわらず。[あるきながらのスマホゲームは・・・]などとスーパーでアナウンスされるようになりました。
これは一種の吊るし上げであり。。。。あ・・・話がそれましたね。
そういった類の批判を申し上げるつもりはありません。
旧態依然の世の中に繁栄は無いと思うからです。
ですが、ひとりひとりの生活の一部となっているスマホがもし無くなってしまったらこの先、生きていけるのでしょうか?
わたくしの世代はポケベル→PHS→ガラケー→スマホと時代を生きてきているので、少なからず、不便な時代を生きてきています。
わたくしよりも上の世代は駅の黒板に時間と待ち合わせ場所に名前を書いていたのです。
(有名?なのはマンガ:シティーハンターより[XYZと駅の黒板に書くと主人公が助けに来てくれる])
今考えると個人情報も何もあったものではありませんが、そこには風情があったのだと思います。
恋人に電話をかけるにも相手の親が出ないか気になり、二人の時間を決めたり、何コールで一回切るみたいな暗号を決めたり、なかなかかけられないもどかしさがありました。そこに人間の知恵がありました。
個人情報に関しては。昔は、卒業文集に各個人の住所が載せていた学校もありましたし、誰かと話す時も自身の[生年月日・住所・電話番号・出身校・職場]などの話題も出していたことでしょう。
今では、一瞬自分から出た情報はもう守り様もありません。それは同時に他人を疑う事でもあり疑心暗鬼を常に抱え込む事でもあります。
知らない番号からかかってきたらその番号が信用できるかできないかをまず考えるのです。
恋人とのメールの1文でさえ、【別れたときに残ったら・・・】と考える様になってしまいます。
相手への純粋な気持ちを綴り、自身の言葉の代わりをしてくれるものでさえ、その後残って消えない可能性を秘めている。だから文章をあたりさわりの無いものにしよう思うと情緒も風情もあったもんじゃありません。
多くの情報と利便性を手にした今、そろそろ失っている物の多さも数えなくてはならない時期なのかも知れません。
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