2021年03月11日
仏教信仰入門 C 真言を何度も唱える時の数珠の使い方1 効用 図解付き
仏教について知りたい学びたいという欲求
(グーグルで検索しても出てこない情報を得ること)
(グーグルで検索しても出てこない情報を得ること)
初めに、仏教のお祈りをして一年も経たないものが何故こんな記事を書いているのか?
@今まで宗教をしたことがない。宗教に否定的で懐疑的な家庭にうまれた。
Aオウム事件などで、宗教を信じることに否定的な社会のムードもある。
B知りたいが、お寺の知り合いはいない。
C御坊様は、私のような愚かな人間を相手にしてくれるのだろうか?なんか怒られそうで怖い。
となる。少し仏教を勉強すれば、一切衆生の救済が仏教の目的であり諸仏の誓願であり、今正に積極的に勉強したいと思うものをお坊さんが否定するわけもないのだが、何から学ぼうと思うと、本かインターネットからとなる。
インターネットでお坊さんに相談するサイトで質問をしたところ、インターネットに書いてあることは嘘だらけなどと言われる始末である。インターネット上で、そう言われているのだ。お坊さんにしても色々と宗派があるのでインターネットに軽々しく載せられない情報もあろう。
数珠のことを調べると、数珠の使い方はほとんどでてこない。出てくるのは葬式の時の作法とか、数珠のならしかたとか、(数珠の作り方まであるのに)なので、自分の施行錯誤をここに記し、最後に住職様に確認できたところまでを記録します。
参考にした書籍
大栗道栄著 図説「理趣経入門」 すずき出版
印と真言の本 学研
お経の本 学研
真言 陀羅尼 梵字 その基礎と実践 大法輪閣
何度も同じことをするということへの苦手意識
数を数えるということは結構難しい。自分は多分3から怪しくなっている。真言を何度も唱えるのは何故か?そもそもそれがわからない。これは勉強を進めていって以後の話として、何よりも仏教では特に真言や念仏を何度も唱えなくてはならない。同じことを何度もすると、人は、不幸せになる。人が切れる時は、大概同じことが繰り返した時が多い。或はこれから先も、同じことが何度も起こるのか?俺は一生現場か?俺は一生球拾いか?俺は一生貧乏人か?等、枚挙にいとまがない。同じことを何度もすると不幸せになるのであるし、不幸を感じるのである。しかし、真言はこれを何度も唱えることによって、仏様に救われ幸せになるという。そもそもこの時我々はすでに以前に話した天魔に付け入られる可能性を秘めている。
数珠なしで数えることの限界
自分で数珠なしで数えられる限界は何回であろうか?私は精神統一されていない状況では三回も怪しい。真言では3回、7回、21回、54回?、108回という単位の回数が良く出てくるが、7回の場合4回目くらいから怪しくなる。真言が長ければ長いほど、どこが真言の最初と最後のつなぎ目か曖昧になり、怪しくなってくる。皆さんはどうですか?
指で数える。頭の中で数えてみる
指で数える場合は、これはかなり確実であるが、回数に制限がある。お祈りをしているので手を合わせている。指を思うように使えない。以前インド人が関節線を使って100くらいは指だけで数えることが出来ると聞いたことがあるが、この場合、両手を使わなくてはならない。指で数えられるのは10以下ではないか?手を合わせているので、そのひとつひとつの指に意識を持っていき、力をいれる。無理。
壁に貼り付けた数字を目で追う
次に、壁に写真のように数字を貼り付け、それを目で追いながら数える方法である。一時はこれがベストであると思い、数珠など使わなくてもいいのではと思ったが、唱える回数(以後遍数という)を重ねるごとにしんどい。辛い。嫌になる。これでは100遍唱えても疲れてしまう。目を使うからだろうか?仮想のテロップを流す
目の前に仮想のテロップを流すのは少ない遍数では、意外に効果的だ。集中もできる。少ない遍数ではこれがベストかと思う。数珠を買うことにした
そしていよいよ数珠を購入し、数珠によって遍数を数えてみた。購入した数珠はこちら
数珠は宗派によって違う。勿論お葬式で買う数珠ではありません。真言宗の正式な数珠で、ただお金がないので最も安い(それでも3000円チョットしました)数珠です。以下にこの数珠の説明図を載せます。
数珠の玉にこれだけの仏様がいらっしゃることは、凄いことだ。どんな本を読んでもまず数珠を買うようにとある。念珠が以下に仏教において大事かということ、数珠を使うことは、お釈迦様の予言なのである。
間違った方法で数珠を使う
ここまで、指導して頂けるお坊様もなく、インターネットと本の知識で毎日お祈りをしていたのである。聖天様の真言、オン キリク ギャクウンソワカを最初は300遍くらいから唱えて、数珠を使う前は300遍が一時間くらいかかって、上述の壁に張った数の表で唱えていた。
それを片手の親指で繰る方法(自分で考えた方法)でお唱えしたところ、なんと、三分の一くらいの時間に短縮したのである。最初から言われたとおりに数珠を使わなかった故に、数珠、しいては仏教の凄さを味わった次第である。
しかし、これを始めたのは冬の寒い時期。左の指だけで繰っていると、指に傷ができ、最後には皮がめくれてきたのである。しかし、これも修行と思い、痛みに耐えやっていると、その時々によって玉の流れが良かったり悪かったりすることに気が付いた。恐らく、汗を書いたり、脂がついたり、真言を唱えている時にこの玉の流れが悪くなると、まともに真言を唱える障害になり、真言を唱えることと、数珠を繰るメカニズムが密接に関わっていることを知るのであった。しかし、暑い季節には大変だなと思っいながら、間違った方法で数珠を繰りながら、数か月を過ごしたのである。
真言を唱える時の数珠の繰り方
そうして、その後、雨宝院の住職様についに正しい使い方を教えて頂くに至って、(と言え電話なので未だ間違っている部分もあるかもしれず、いずれアップデートするが)やっと数々の疑問が解けたので以下に記載します。しかし、本当にこれをグーグルで検索しても出てこなかった。合掌の状態で写真のように、念珠をセットします。
左の親指が球を一つ一つ触れながら、或は玉と玉の間に割り込みながら、左に向かって移動していきます。
どんどん行くと両手の合唱が離れ、まるでのび太があやとりをしているようになります。
ここに作法があるかはいずれまた確認してアップデートしますが、ある程度離れたら右の手を左に追いつかせ合掌を戻します。これを繰り返します。
これにより、片手の時のようなストレスはなくなります。数珠の停滞がなくなり、念珠に専念することが出来、300遍であれば10分も掛からなく(その人の唱える速度にもよる。)なりました。
住職様、ありがとうございました。
念珠の作法@
ここで@とつけたのは、今後未だ分かっていないことが分かりこの記事をアップデートする可能性があるからです。住職様に更に教えて頂いたことは数珠をどこまで繰るのかということです。母玉から開始して、赤い矢印にそって玉を繰るが、母玉の対極にある緒玉まで来たら、また母玉に戻る。 これを今まで通り越して一周して母玉に戻っていた。 |
というわけで、何事にも先達欲しきことであるが、こうして何とかまともに数珠が繰れる様になりました。グーグルでどう検索しても出てこなかったことなので、本当に困りました。しかし、この紆余曲折の中で、仏教のもつ、魅力と合理性を感じ取ったのです。またスムーズに繰ることが出来るようになれば、色々な雑念のなかで、数を数えることに関する’雑念は不思議と発生しなくなった。
次回は別の魔について記事を続けます。
おわり
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