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2021年06月01日

真言を唱える時の入我我入とは? 感謝の気持ちとは? 仏教信仰入門FAQ

真言をとなえる時の入我我入とは?
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まずは、豊島泰国氏の「日本呪術全書」にある入我我入観について、図案化しましたのでご覧ください。
なおスマホの場合、縮小されますので、画像をクリックすると丁度良い大きさになる筈です。

nyuugaganyuukan.png


何か、プーリーとタイミングベルトみたいにして、梵字が仏様と行者の間を往復することで、仏様
と一体化し、望みが叶うとの説明でした。屁理屈ですが、仏様によっては臍の見えない仏様もおられます。大日如来とか、観世音菩薩とか。

真言を唱える時の感謝の気持ちとは?

10.png


我々、普通の人が、祈ることと、お寺でお坊さんが人の為に祈祷することの違いは何でしょうか?
どう見ても、どう格好つけても、我々は、自分の願いをかなえるために、祈っているのであり、お坊さんは、人の願いが叶うように、仏様にお願いをしていられるのです。

自分のことなので、お坊さんよりも切実さが無いわけも無く、当然念も強い筈なのですが、一般にも祈祷をして頂いた方が、願いが叶いやすくなると言います。

念を強くするために、仏様にお祈り中、ずっと感謝の気持ち送り続けるとか、全ての願いが叶うイメージをお祈り中ずっと持ち続けると書いてある本もありましたのでやってみました。

結果として、この方法は疲れるだけであり、雑念を毎日の勤行では長続きしません。

願い事を仏様に伝えるということは、決してそのことをずっと思い続け、(当然意識の根底には常にあっても)お祈り中もそのことだけを思うのではないようなのです。

感謝の気持ちは、必要ですが、勤行の中にちゃんと、感謝を伝える儀式が入っていますし、、願文を読むタイミングも設定されています。

どうも、頂戴、頂戴、頂戴???、ありがと、ありがと、ありがとは、何か違うような気がします。

今後の課題。

合掌


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