2021年04月04日
仏教信仰入門 J-2 苦諦とは? (図解)
苦諦は我々を病気にたとえ、その苦しみの病状であると説明しました。
一体、我々人間はどんな病気を持っているのでしょう。私は思うのですが、ここまで具体的で、それでいてどんな状態にも当てはまる象徴による対象化、それこそがお釈迦様のすごさなのでしょう。
人間は生きているその状態で肉体的に四苦、精神的に更に四苦、合わせて八苦の苦しみを抱えています。まずは肉体的には、
この4つの分類では、生まれることが入っています。ということは、生まれる前があって、生まれた時の苦しみを数えているものと思います。輪廻の死生観のたまものでしょう。
そして、精神的には、更に四苦があげられます。
この4つは、一つ一つ見ていきましょう。
それが誰であれ、愛する者と別れることは辛いもので、愛していなくても好感を持っていたり、仲良くしている人とは、とかく別れなければならないことがあります。それが死を持っての別れである場合もある。転勤、単身赴任、早逝、難病、徴兵、その喪失感は何を持っても抗えるものではありません。
ところが、憎い相手、不俱戴天の仇は、何故か自分の元から去りません。むしろ自分の傍にいて、こちらの背中をつついたりするものです。もう顔も見たくないのに、何故か携帯電話を何気なく見ると、その者の写真が保存されていたりするものです。全くもって、こういう時には自分の身の置きどころが無く、内心では怒りに燃えているが、それをまともにぶつけることも出来ず、これを持って精神の苦しみとしています。
RCサクセションの「雨上がりの夜空」にという歌があります。この歌は、よく読むとこの求不得苦と五蘊盛苦を聞いた時、真っ先に思い浮かんだ歌です。著作権のこともあるので、ここに歌詞は載せませんが、(ちなみにさっき検索したら歌詞が変えられていました。)私は男性なので、男性的な苦しみしか想像できませんが、求める情熱は強大で、その対象である女性は常にか弱いのです。疲れていたり、病気だったり、そういう理由で。しかしその断固とした拒絶は、求める情熱より更に強大で、何も寄せ付けません。体調が悪いといいながら.... 勿論、男女間のことだけではないでしょう。求めよ、さらば与えられんではないのです。
そして、その求めるエネルギーは、健康であればあるほど五蘊が欲望をたぎらせ、求める相手の断固たる拒絶とは全く相反する形で増大します。そして更に求めるものを得ることが出来なくなるのです。
以下に辞書に書いてあるお釈迦様の言葉を引用します。
" (前略) 次に比丘らよ、輪廻転生に導き、喜びと貪りを伴い、いたるところで喜び楽しもうとする熱愛欲求(渇愛)-欲愛、有愛、無有愛ーなるものは「苦の集(原因)」であるというのが、苦の生起の原因に関する神聖なる真理(苦集聖諦)である。”
私は熱愛を善とする世界に生きています。そして自らに照らし合わせれば、そう思っていたけれども熱愛などではなかったという証拠がいくつも思い当たる。ところがそうと思っていたので、浦島太郎になってしまいました。
以上でこの身につまされることだらけの苦諦の説明は終わります。次回は集諦です。
ただ、上記「渇愛」も興味深く、これもまた別の機会に勉強します。
合掌
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