2021年02月27日
仏教信仰入門 B お祈りの時(真言を何度も唱える)の眠気を克服する。
仏様にお祈りする際に何が問題になるのかを最初に列挙した。
お祈りする理由も前回のAで述べた。
4つの魔、四魔 (五蘊魔、煩悩魔、天魔、死魔)というこれらの魔が、祈る者と、仏様の間の感応道交を
邪魔するものである。
これらの魔が明確に分かれず微妙に絡み合っていく場合もあるのかなと思うのである。
どんなに長く寝ても、眠気が残っている時もあれば、どう考えても短い睡眠時間の後でも全く眠気のない時がある。眠気があると、お祈りに身が入らなくなる。眠気がないと体はほぼ無の状態(立っている、或は座って不動の状態)唱えているのは口で、気持ちは祈りに集中しなくてはならないが、眠気があると体の不動を維持できなくなるのである。眠気は大別して
祈りの気持ちはむしろ、眠気をその場で解消することに集中し、こうしてお祈りの身口意の三位一体がおおいに乱れる。身口意の全てがお祈りの為には機能しない。
あるいは居眠りなどすれば、もはや功徳どころの話ではない。
@について言えば、何はともあれ生活を改め早寝早起きをすることしかない。酒を飲めば眠れないときは眠くなり、酔いがさめれば、その時目が覚めたり、毎日の生活のリズムが乱れる。まず我ら凡夫はここから仏教を信仰する最初の功徳に気付くのである。ただお祈りすればよいのではない。生コーヒーや、眠くならないツボ押しは、所謂付け焼き刃である。一日を仏様に合わせて行動することによって、仏道を成ずる道を歩くのである。
Aは、これが悩ましいことであるが、勤行の中で懴悔文、三帰三竟などを唱える時はなんでもないのに、実際に真言を100遍、200遍、1000遍と唱えるうちに発生する眠気である。これを五蘊から解説すると、
色 > まずは体が最初に眠気のきっかけを作る。それはちょっとしたこと。瞼を触ったり、目がいつもより細めにあいていたり、心の中に何とも言えない眠気の雲が湧き出す。
受 > これらを感覚が認識し、経験的に眠気であると判断する。
想 > 嫌だな、辛い、結構寝たのにな これでこの先真言を全て唱えられるのかな?などと思う。
行 > 体が不安定になる。身口意が乱れお祈りに支障をきたす。
色 に戻った時、現状の眠気と乱れた身口意と、心の愚痴、不安などが負荷され、更に悪い状態に
陥り悪循環におちいる。ただ、身に覚えのある眠気、体調の状態ではまず”想”がきっかけを作ることもあるかもしれない。
例えば風邪をひいたり、口の中に変なデキモノが出来たり、それに気付いた時の葛藤が、徐々に膨らむことがあるので、これも五蘊魔が人に及ぼす独特の業障といえよう。
以下に現在自分で分かった範囲での2つの調伏法(克服法)を紹介する。
@は、まとめサイトなどにも書いてあったことで、やはり眠いのであれば少しでも寝てみれば良いということだと思う。ただ自分で試したが30分も寝てはいけないし、横になってもいけない。座って前かがみの状態で瞑想をしているように眠るのだ。ただここで厄介なのが、眠気がすぐ反応せず、逆に眠れない時もあるということである。あれだけ眠かったのに、眠れない。この場合10分目を閉じても眠れないのであれば、そこで見切りをつけることだ。
A人は興奮状態にあると同じ言葉を繰り返し、更に興奮状態を高める。卑近な例はここでは書かないが、同じ真言を何度も唱えると眠くなるが、逆に興奮状態を作ることもある二面性をもつ。繰り返しのスピードを速めればいらないことを考えなくなる。
以下にアマゾン配信の映画のショートカットを添付するが、お祈りを繰り返すことによる興奮状態、或は、何人もで合唱することの興奮状態を確認して頂き、自分をその状態に持っていくことである。
勿論、一回やってみてすぐ効果がないかもしれない。しかし何度もやると少しづつ出来るようになってくる。
同じことを繰り返すことに心の平和をもたらす。何故、何度も真言を唱えるのか?それは色々な本に書いてありますので、それをいずれ引用紹介させて頂きます。
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@まず眠気が真言を唱える前からあり、単なる寝不足によるものか、そうではなく五蘊魔によるものかを判定する。
A単なる寝不足であれば、早寝早起きを心がけ、酒を断ち、仏教的日常に自分の生活を変える。
B五蘊魔による眠気であれば、それが瞑想15分で断てるものか判断する。或は実際に瞑想15分を行う。
C行を重ねるにつけ、宗教的興奮状態を自らの脳から生み出す方法を見つける。具体的には
4-1 真言の唱える速度や音量をあげる。
4-2 座っていれば立ち上がる。
4-3 仏教の映画を見てイメージを作る。
などです。次回は真言を数えることの障害(数珠の効用)を考えてみます。
願以此功徳 普及於一切我等與衆生 皆共成佛道
下記のリンクも見てください。
" alt="" border="0" />お祈りする理由も前回のAで述べた。
4つの魔、四魔 (五蘊魔、煩悩魔、天魔、死魔)というこれらの魔が、祈る者と、仏様の間の感応道交を
邪魔するものである。
これらの魔が明確に分かれず微妙に絡み合っていく場合もあるのかなと思うのである。
眠気の種類
どんなに長く寝ても、眠気が残っている時もあれば、どう考えても短い睡眠時間の後でも全く眠気のない時がある。眠気があると、お祈りに身が入らなくなる。眠気がないと体はほぼ無の状態(立っている、或は座って不動の状態)唱えているのは口で、気持ちは祈りに集中しなくてはならないが、眠気があると体の不動を維持できなくなるのである。眠気は大別して
- @明らかに寝不足で真言を唱える前から認識
- A真言を何度も唱えている間に認識される眠気
祈りの気持ちはむしろ、眠気をその場で解消することに集中し、こうしてお祈りの身口意の三位一体がおおいに乱れる。身口意の全てがお祈りの為には機能しない。
あるいは居眠りなどすれば、もはや功徳どころの話ではない。
@について言えば、何はともあれ生活を改め早寝早起きをすることしかない。酒を飲めば眠れないときは眠くなり、酔いがさめれば、その時目が覚めたり、毎日の生活のリズムが乱れる。まず我ら凡夫はここから仏教を信仰する最初の功徳に気付くのである。ただお祈りすればよいのではない。生コーヒーや、眠くならないツボ押しは、所謂付け焼き刃である。一日を仏様に合わせて行動することによって、仏道を成ずる道を歩くのである。
Aは、これが悩ましいことであるが、勤行の中で懴悔文、三帰三竟などを唱える時はなんでもないのに、実際に真言を100遍、200遍、1000遍と唱えるうちに発生する眠気である。これを五蘊から解説すると、
色 > まずは体が最初に眠気のきっかけを作る。それはちょっとしたこと。瞼を触ったり、目がいつもより細めにあいていたり、心の中に何とも言えない眠気の雲が湧き出す。
受 > これらを感覚が認識し、経験的に眠気であると判断する。
想 > 嫌だな、辛い、結構寝たのにな これでこの先真言を全て唱えられるのかな?などと思う。
行 > 体が不安定になる。身口意が乱れお祈りに支障をきたす。
色 に戻った時、現状の眠気と乱れた身口意と、心の愚痴、不安などが負荷され、更に悪い状態に
陥り悪循環におちいる。ただ、身に覚えのある眠気、体調の状態ではまず”想”がきっかけを作ることもあるかもしれない。
例えば風邪をひいたり、口の中に変なデキモノが出来たり、それに気付いた時の葛藤が、徐々に膨らむことがあるので、これも五蘊魔が人に及ぼす独特の業障といえよう。
五蘊魔による眠気の調伏法(克服法)
以下に現在自分で分かった範囲での2つの調伏法(克服法)を紹介する。
- @瞑想と称して15分座って目をつぶる。
- A連続で一心不乱に唱えることで宗教的興奮状態を呼び込んで眠気を断つ
@は、まとめサイトなどにも書いてあったことで、やはり眠いのであれば少しでも寝てみれば良いということだと思う。ただ自分で試したが30分も寝てはいけないし、横になってもいけない。座って前かがみの状態で瞑想をしているように眠るのだ。ただここで厄介なのが、眠気がすぐ反応せず、逆に眠れない時もあるということである。あれだけ眠かったのに、眠れない。この場合10分目を閉じても眠れないのであれば、そこで見切りをつけることだ。
A人は興奮状態にあると同じ言葉を繰り返し、更に興奮状態を高める。卑近な例はここでは書かないが、同じ真言を何度も唱えると眠くなるが、逆に興奮状態を作ることもある二面性をもつ。繰り返しのスピードを速めればいらないことを考えなくなる。
以下にアマゾン配信の映画のショートカットを添付するが、お祈りを繰り返すことによる興奮状態、或は、何人もで合唱することの興奮状態を確認して頂き、自分をその状態に持っていくことである。
勿論、一回やってみてすぐ効果がないかもしれない。しかし何度もやると少しづつ出来るようになってくる。
同じことを繰り返すことに心の平和をもたらす。何故、何度も真言を唱えるのか?それは色々な本に書いてありますので、それをいずれ引用紹介させて頂きます。
(空海) アマゾン配信のショートカット
(日蓮と蒙古大襲来)アマゾン配信のショートカット
真言を唱える時の五蘊魔による眠気を調伏する方法まとめ。
@まず眠気が真言を唱える前からあり、単なる寝不足によるものか、そうではなく五蘊魔によるものかを判定する。
A単なる寝不足であれば、早寝早起きを心がけ、酒を断ち、仏教的日常に自分の生活を変える。
B五蘊魔による眠気であれば、それが瞑想15分で断てるものか判断する。或は実際に瞑想15分を行う。
C行を重ねるにつけ、宗教的興奮状態を自らの脳から生み出す方法を見つける。具体的には
4-1 真言の唱える速度や音量をあげる。
4-2 座っていれば立ち上がる。
4-3 仏教の映画を見てイメージを作る。
などです。次回は真言を数えることの障害(数珠の効用)を考えてみます。
願以此功徳 普及於一切我等與衆生 皆共成佛道
下記のリンクも見てください。