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2021年04月28日
2021年04月27日
イジメを撃退する念彼観音力 D 能滅諸有苦
通常の解釈
我汝が為に、略して説かん。名を聞き及び身を見、
心に念じて空しく過ぎざればよく、諸有の苦を滅す。
私はあなたのためにその概略を語ります。
観世音菩薩の名を聞きその姿を見て心に念じて過ごすならば
どんな苦しみでも菩薩が消滅させます 。
参考文献のリンク
イジメられっこのあなたへ
さて今回はいじめの話を忘れ観音経(かんのんきょう)の話をしましょう。
観音経は妙法蓮華経と言う大乗仏教のお経の一節です。25番目のエピソードとでも言うのでしょうか?
妙法蓮華経は大変有名なお経で南無妙法蓮華経と言う日蓮宗の念仏を聞いたことがあると思います。このお経全体では25まで観世音菩薩はほとんど(全く?)でてきません。 そしてここでいきなり観世音菩薩の話になるのです。
無尽意(むじんに)という菩薩がいきなりお釈迦様に観世音菩薩の事を聞くのです
そしてお釈迦様が観世音菩薩の名を唱えればどんな苦しみでも作ってくれるだろうと答え、その説明に色々な例をあげます。そうした説明の後にこの普門品偈(フモンポンゲ)あるいは世尊偈(セソンゲ)と言われる詩に入ってきます 。
つまり観音経とは妙法蓮華経の一話でありながら、全く独立して観世音菩薩の働きをたたえているので、観音経とも呼ばれるわけなのです 人々の願いに応じて観世音菩薩は33の変化身になり人の苦しみを救うのです。
観世音菩薩は観自在菩薩ととも言います そして最も有名なお経「般若心経」にもその名が出てきます いわゆる仏教界のスーパースターなのですね
だから私が言いたいのはあなたがいじめられている時に「ねえもうやめなよ」と言っているクラスメイトがいたら、それは観世音菩薩の変化身であるかもしれません。
観世音菩薩は見た目にもどう考えても女性です。例えば、阿弥陀如来の脇侍(ワキジ)として観世音菩薩は女性の姿で大勢至菩薩観音と一緒に阿弥陀如来の左右に控えています。
あなたがこの先日本のいろいろなところに旅をすれば観世音菩薩つまり観音様があちらこちらの街で大仏となって衆生を見下ろしていることでしょう。
さあそして次回からは、いよいよ観世音菩薩の働きを実際に見ていきます。
その働きは全部で 漢字20文字×26節から説明されています。
どうか、心して観世音菩薩の慈悲の力を感じてください。
合掌
雷震
2021年04月26日
真言
ハンカチ
今年の誕生日はハンカチを貰いました。
青くて少しツヤのかかったハンカチです。
ハンカチといえば、野田さんを思い浮かべます。
野田さんは私の上司だった人です。 私より20才も年上で私の人生で初めての上司でした。
野田さんは厳しい人でした。
赴任の当初、野田さんの乗る運転手付きの灰色がかったギャランの中で、渋滞の中で何時間も何を話していたのか思い出せません。
私はスポーツもやらず、スポーツも観戦せず、野球やら相撲やらに疎い人間でしたので、さぞかし話題を探すのに苦労したかと思います。そもそも、あの年代と話が通じる言語をもっておりませんでした。
あの橋が完成したとか
あそこに信号ができたとか
こんなところに新しいレストランができたじゃないかとか
そんな風に話しかけられなければ、私はただただ黙っているしかありませんでした。
その後何とか一人前に仕事ができそうだという状態になり、別々に会社に行くようになり、
一緒に車に乗る時間は、朝、ゴルフに行くときか、飲み屋に行く時だけになりました。
人は野田さんをダンディズムの持ち主と呼んでいただけあって、人に弱みを見せることはなく、何かいつも、 部下たちに甲羅を向けていました。
多分このような人でなければ一緒に17年も働くことは出来ませんでした
彼のおかげでゴルフを覚え 、ワープロやコンピューターをいじれるようになり、広島で研修を過ごし、アメリカで 夢のモータウンのスタジオで歌を歌いました。
感謝していましたし、彼のおかげで私の人生も開けたなどと、美しく彼を信じておりました。
ところが12年前私は転勤を命じられ、それは明らかに私に対する嫌がらせのような転勤でございましたので、私は彼に大いに反発いたしました。
そうして辞めた後も、こんな風にブログを書き、そこにも散々悪口を書きました。
というのは私は彼に感謝する反面、随分と彼に利用されていたと思っていたのです
しかしそんなことはおくびにも出さず、ただただイケイケドンドンで仕事をしておりました。そんな時にこの転勤の話がありましたので、どうにもやるせなく、初めての人生の転換を迎え 、野田さんが私を貶める悪の権化に見えたのです。
とはいえその後、10年間私は心のどこかで彼に感謝し、自分があるのも彼のあの時の厳しい躾のおかげだと思い、それで何とか社会を渡ってくることが出来たと思っておりました。
そして今回の事になりました。この30年間は全て虚構だったのです。
あの亀の甲羅のような男は、やはり私が悪く思っていた通りの男であったのです。
17年間一緒に働いて、その時にはおくびにも出さないで完璧に私を育てようという実直な上司を演じました。 悲しいもので直感というものは、本当の答えが出た後でそれが正しいと気づくのです。できれば本当の答えが出る前にそれが正しいと気付けば良かったのですが。
彼はいつもハンカチを持っていました。そのハンカチで大体決まった時間に洗面所に行き、それを少し濡らしてを顔、額を拭いてそれから工場の責任者の大きな椅子に座り、扇子を開きハタハタと湿った顔を 扇ぎました。そして一言、
「手で顔を拭いて、あちこちさわったら穢いやろ」と言いました。
本人は自分はただの百姓の息子だと言っていましたが、こうして上品に振るまい尊大な態度をとるのを得意としておりました。
亀の甲羅のような顔で、工場を見下ろす部屋で、不機嫌そうに扇子を扇ぐその姿は、何者も彼を屈服させることはできない、そう思わせる独特の迫力がありました。
全てが嘘と分かった今、何一つ真実はなかったと分かった今、 そして今日こうしてハンカチをお誕生日にもらったことで、私はあることを思い出しました。
それはあの甲羅のような表情に、ただ一点の小さな綻びを見つけたことでした。そしてそれは今思えば、私にとってこの野田さんが垣間見せた唯一の真実でした。
それは野田さんの 御母堂が亡くなられた時のことでした。
昼食の時、会社の食堂で国際電話で訃報を聞いた野田さんは、その後すぐ誰の顔も見ずにあの例の工場長の椅子の所へ戻って行きました。
別に私はその彼の不幸な姿を見ようと思って後を追ってオフィスに上がったのではありません。しかしそこにはあのいつもならば綺麗にハンカチを折りたたみ、自分の額の脂を拭きとる姿はなく、珍しく皺くちゃになったハンカチで、額の下二点の窪みを拭う姿がありました。
後で私は野田さんもさすがに母上がなくなれば、悲しむ姿は見せるものなのだと妙に哀れみを覚えたものでした。
しかし今思えば、あの野田さんの亡くなられた御母堂こそ、唯一虚構ではない出来事であったのではないか?つまりその真実の一瞬を見せたくないがために彼は皆より早く工場の上に上がり一人、泣いていたのです。
たくさんの人が死んだと嘘をつき、葬式ごっこをし、難病になり、人に看病をさせ、そしてある日、私にあかんべーをしていたことを気付かせる、そんなことに人生の血道をあげてきました。ただしあの野田さんのお母さんが死んだそのことだけはどうやら本当であったようなのです。
合掌