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2021年04月26日

ハンカチ

ハンカチ.png


今年の誕生日はハンカチを貰いました。
青くて少しツヤのかかったハンカチです。

ハンカチといえば、野田さんを思い浮かべます。
野田さんは私の上司だった人です。 私より20才も年上で私の人生で初めての上司でした。
野田さんは厳しい人でした。
赴任の当初、野田さんの乗る運転手付きの灰色がかったギャランの中で、渋滞の中で何時間も何を話していたのか思い出せません。
私はスポーツもやらず、スポーツも観戦せず、野球やら相撲やらに疎い人間でしたので、さぞかし話題を探すのに苦労したかと思います。そもそも、あの年代と話が通じる言語をもっておりませんでした。
あの橋が完成したとか
あそこに信号ができたとか
こんなところに新しいレストランができたじゃないかとか
そんな風に話しかけられなければ、私はただただ黙っているしかありませんでした。

その後何とか一人前に仕事ができそうだという状態になり、別々に会社に行くようになり、
一緒に車に乗る時間は、朝、ゴルフに行くときか、飲み屋に行く時だけになりました。
人は野田さんをダンディズムの持ち主と呼んでいただけあって、人に弱みを見せることはなく、何かいつも、 部下たちに甲羅を向けていました。
多分このような人でなければ一緒に17年も働くことは出来ませんでした
彼のおかげでゴルフを覚え 、ワープロやコンピューターをいじれるようになり、広島で研修を過ごし、アメリカで 夢のモータウンのスタジオで歌を歌いました。

感謝していましたし、彼のおかげで私の人生も開けたなどと、美しく彼を信じておりました。

ところが12年前私は転勤を命じられ、それは明らかに私に対する嫌がらせのような転勤でございましたので、私は彼に大いに反発いたしました。
そうして辞めた後も、こんな風にブログを書き、そこにも散々悪口を書きました。

というのは私は彼に感謝する反面、随分と彼に利用されていたと思っていたのです
しかしそんなことはおくびにも出さず、ただただイケイケドンドンで仕事をしておりました。そんな時にこの転勤の話がありましたので、どうにもやるせなく、初めての人生の転換を迎え 、野田さんが私を貶める悪の権化に見えたのです。

とはいえその後、10年間私は心のどこかで彼に感謝し、自分があるのも彼のあの時の厳しい躾のおかげだと思い、それで何とか社会を渡ってくることが出来たと思っておりました。

そして今回の事になりました。この30年間は全て虚構だったのです。

あの亀の甲羅のような男は、やはり私が悪く思っていた通りの男であったのです。
17年間一緒に働いて、その時にはおくびにも出さないで完璧に私を育てようという実直な上司を演じました。 悲しいもので直感というものは、本当の答えが出た後でそれが正しいと気づくのです。できれば本当の答えが出る前にそれが正しいと気付けば良かったのですが。

彼はいつもハンカチを持っていました。そのハンカチで大体決まった時間に洗面所に行き、それを少し濡らしてを顔、額を拭いてそれから工場の責任者の大きな椅子に座り、扇子を開きハタハタと湿った顔を 扇ぎました。そして一言、

「手で顔を拭いて、あちこちさわったら穢いやろ」と言いました。

本人は自分はただの百姓の息子だと言っていましたが、こうして上品に振るまい尊大な態度をとるのを得意としておりました。

亀の甲羅のような顔で、工場を見下ろす部屋で、不機嫌そうに扇子を扇ぐその姿は、何者も彼を屈服させることはできない、そう思わせる独特の迫力がありました。

全てが嘘と分かった今、何一つ真実はなかったと分かった今、 そして今日こうしてハンカチをお誕生日にもらったことで、私はあることを思い出しました。

それはあの甲羅のような表情に、ただ一点の小さな綻びを見つけたことでした。そしてそれは今思えば、私にとってこの野田さんが垣間見せた唯一の真実でした。

それは野田さんの 御母堂が亡くなられた時のことでした。
昼食の時、会社の食堂で国際電話で訃報を聞いた野田さんは、その後すぐ誰の顔も見ずにあの例の工場長の椅子の所へ戻って行きました。

別に私はその彼の不幸な姿を見ようと思って後を追ってオフィスに上がったのではありません。しかしそこにはあのいつもならば綺麗にハンカチを折りたたみ、自分の額の脂を拭きとる姿はなく、珍しく皺くちゃになったハンカチで、額の下二点の窪みを拭う姿がありました。

後で私は野田さんもさすがに母上がなくなれば、悲しむ姿は見せるものなのだと妙に哀れみを覚えたものでした。

しかし今思えば、あの野田さんの亡くなられた御母堂こそ、唯一虚構ではない出来事であったのではないか?つまりその真実の一瞬を見せたくないがために彼は皆より早く工場の上に上がり一人、泣いていたのです。

たくさんの人が死んだと嘘をつき、葬式ごっこをし、難病になり、人に看病をさせ、そしてある日、私にあかんべーをしていたことを気付かせる、そんなことに人生の血道をあげてきました。ただしあの野田さんのお母さんが死んだそのことだけはどうやら本当であったようなのです。


合掌






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