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2015年02月20日

インドの旅28

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カルカッタの安宿「パラゴン」にチェックインをして、部屋へと入ってみた。ドミトリー(大部屋)の6人部屋で、3人の日本人バックパッカーがベッドに座りながら話をしていた。部屋を共にするので挨拶をしてバックパックから必要な物を取り出しながら5人で話をする事になった。旅慣れた人から、まだ旅をして間もない人までいたが、自分が一番長く旅をしている事が分かった。中国に行った経験のないバックパッカーが部屋にはいなかったので、自分が回った中国の話で盛り上がった。中国に行くバックパッカーが比較的少ないのは汚い、人が冷たいと良い所がないので敬遠されているのだ。これから経済発展するであろう中国に行ってみるのも面白いと話をして、機会があれば中国も悪い所ではないと説明をした。自分のベッドにベトナムで買った大きい生地をシーツ変わりに敷いたのを他の人達が見て、手慣れたもんですね!と感心された。安宿のシーツの上で寝ると、ダニにやられそうなのでシーツを敷く事にしてますよ。と答えた。他の人達も、それには同感らしく、みんなで生地を買いに行く事にした。こんな短時間で仲良くなれるとは思っても見なかったが、自己防衛の為なら仕方ないと言う感じだった。自分のバックが色んな所で買い物をしたせいか重たくなってきていたので整理をしていたら、一番下に冬用のダウンジャケットが入っていたので、この先の旅では使わないだろうと買い物ついでに郵便局で日本に送ってしまおうと冬服を取り出した。そして、5人の日本人バックパッカーで繁華街へと繰り出したのであった。


2015年02月19日

インドの旅27

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電車に揺られる事、半日近くでカルカッタに到着した。駅は、どこかイギリス風に造られておりインドと言う感じがしなかった。駅を出るとタクシーの運転手に声を掛けられて、早速交渉。サダルストリートが駅から、どれだけ遠いのか知らなかったが、言われるままの金額ではボラレている感じがしたので、その半値で交渉したが、あっさりとOKと言われた。まだボラレテいるのかな?と感じたが、かなり安いので交渉金額で向かう事にした。カルカッタの市内まで行く時に立派な橋を渡り、大きい幹線道路を走ったが、かなり街が整備されているのにビックリした。イメージとしては、地理的にダッカに近いので似ているのかな?と思っていたが、どこか欧米の街に近い感じに受止められた。幹線道路の脇道に入って、いきなり街が変わった。それはダッカみたいに汚く、やはり道端にはゴミが散乱していた。やはりダッカと同じ雰囲気だった。サダルストリートまで駅から渋滞もあったので30分は走っただろうか。これで、安価な金額で交渉したドライバーには悪いかな。と思った。サダルストリートでタクシーを降りて、安宿のパラゴンを目指した。何軒か安宿はあったのだが、パラゴンは一緒にいる日本人男性が調べてくれた宿だったので、そこに決めていた。さすがバックパッカーの多いサダルストリートである。欧米人や日本人バックパッカーが沢山いるではないか。パラゴンの場所が分からないので、バックパッカーに道を聞きながら、やっと見つける事が出来た。早速、フロントに行ってチェックインをした。ブッタガヤも暑かったが、カルカッタも暑さには負けていなかった。だがブッタガヤよりは、まだマシであった。


2015年02月18日

インドの旅26

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次の日の早朝にブッタガヤを出発してガヤ駅に向かった。相変わらず朝から暑いが、ピックアップトラックの荷台に乗っていたせいか生温い風が当たって心地良かった。広大な草原地帯を抜けて、ガヤ駅に着いた。早速、チケット売り場へ向かい、カルカッタ行のチケットを購入したのだが自由席しかなかった。経費削減で一番安いチケットを買えたのだが、一番ツライ自由席に愕然したのも正直あった。電車は2時間ほど待っていたらきた。中に入って見ると日本の朝の電車ラッシュと同じほど混雑していた。とにかく場所を確保しなくてはいけないので、彼とトイレ近くにある通路付近を確保してバックパックを椅子にして座りこんだ。もちろんエアコンなどあるわけがなく外気と人の暑さで倒れそうだった。そろそろ出発かなと思っていた所で警官が数名乗込んできた。チケットの確認で回っているらしく、自分達もチケットの提示を求められたが難なくパスした。片っ端からチケットの提示を求められているので、無銭乗車しているインド人が降ろされ始めた。結果は、ほとんどのインド人が不正に乗っていて、車内はガラッと空いてしまったのである。空いた席を自分達が押さえて、座る事が出来た。インドの警察もやるもんだな。と感心した所で出発した。大変な思いをして乗り込んだのだが、無銭乗車のインド人が追い出されたので、結構快適な移動となった。外に見えるのは広大な自然とレール上には所々に捨てられたゴミが見える。スピードが増すにつれて、外気が入りこんできて暑い空気だが、無風よりは快適なので暫く彼と話ながら電車の旅を楽しんだ。


2015年02月17日

インドの旅25

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日本人男性からガイドブックを見させてもらい、インドの地図を見て調べてみた。バラナシ→ブッタガヤの次に行く所になると、もう決まったも同然の「カルカッタ」しかなかった。ついでにカルカッタの安宿街も調べて「サダルストリート」を目指せばいいのかと、すべてが決まった。行き当たりばったりのインドの旅になってしまっていたが、これはガイドブックをカルカッタで購入しないといけないな。と思った。次の所が決まった途端、なぜか清々しい感じになり、この極限の暑さから脱出出来る事に嬉しくなった。ガイドブックを男性に返して、一緒にジュースを飲みに行ったら、昨夜お世話になったインド人と遭遇した。インド人男性は、今夜も一緒に飲むか?と聞いてきたが、明日の朝にカルカッタに向けて出発するので、丁重に断った。ブッタガヤで一番良かった所は、インド人の人の良さだったのかもしれない。ジュースを飲み終わると暑いので、また宿へと戻り、日本人男性の彼と自分の旅の話や彼の旅の話で盛り上がった。彼もブッタガヤにいる意味がないと言いだして、一緒にカルカッタに行ってもいいか?と聞いてきたので、もちろん!と答え、明日一緒にカルカッタへ向かう事となった。夕方に名所の大菩提寺を見て、ブッタガヤの最後を締めくくった。


2015年02月16日

インドの旅24

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昨夜、インド人と一緒に飲んだ酒が朝になっても残っていたが、暑さで起きてしまった。まだ、夜明けだと言うのに35℃近くはあっただろうか。気分が悪いがシャワーに入って身体の汗を取る事にしたが、宿に泊まっている人達は、まだ寝ているようで誰にもシャワー室、廊下で会う事はなかった。シャワーを浴びて部屋へと戻り、天井のファンを「強」にしてベッドに横たわった。ファンは凄まじい回転と共に回っていたが、上を見ているとファンが自分の所へ落ちてきそうな感じで怖くなった。昼前に、お腹が空いてきたので日本食のGinzaへ行く事にした。が、相変わらず客は誰もいなくて注文したら、すぐに出てきた。決して安い訳ではないが、インドのカレーに馴染む事も出来なかったので消去法で日本食になってしまうのであった。食事を食べ終えて、日本寺を見に行ってみたが、日本で良く見る寺そのものであり、なんとも新鮮味に欠けてしまう。この時点で40℃は軽く超えていただろう。吸う空気と吐く息が暑くて、その上に何もする事がないのでブッタガヤを明日に出る事に決めた。日本寺から自分の宿へ帰り、何をしようか考えていた所で、どこからかギターを弾いている音が聞こえてきたので、その客の部屋の前で足が止まった。なんと日本人男性が弾いていて、良ければ中に入らないか?と言ってきてくれた。その男性は、ブッタガヤに昨日着いて、やはり暑くてする事もないので暇潰しにギターを弾いていたとの事。時がゆっくり流れていく場所としてはブッタガヤはいいのだが、自分には合わないみたいで2時間ほどギターを弾いていた男性と話込んで、フロントに行き明日チェックアウトする手続きを取った。この先からは、どこへ行くのか全く考えていなかったので、男性の持っているガイドブックを見て決める事にした。


2015年02月13日

インドの旅23

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夜になるにつれて人通りは多くなってきた。バラナシと違って治安はよさそうだ。この暑さにやられて、夜ご飯を食べたいと思わなくて飲み物だけが必要不可欠だった。宿の近くで売っているジュースを1日に何回買う事になるのだろうか。土産屋さんから出て、またジュースを店先で飲んでいると、インド人の中年男性に声を掛けられた。見た目で自分が日本人と分かるのも嬉しいが、知っている日本語で挨拶され一緒に酒を飲まないか?と言われたので、暇潰しに中年インド人と飲む事にした。あとから金払えとか言われないように、いくらで酒を買うのか聞いてみたが、酒はあるので金は要らないと返答してきた。そのオジサンの家はなんと宿の真裏にあり、家の中には2人のインド人男性がいた。なんか怪しいな〜と思って警戒は怠らない事にして、とりあえず焼酎みたいな物で乾杯!家にいた2人は、すでに酔っ払っていてテンションが高かった。マンションの3階のバルコニーで酒を飲みながら日本語と英語を混ぜて話し合った。アルコールの度数が高かったのか分からないが、少しの時間で自分も酔ってきた。酔いが回ってくると、暑さなんか忘れてしまいテンションが上がってきた。何を話したかも忘れてしまい、とにかく楽しく酒を飲む事が出来た。気付けば、自分は宿のベッドで朝を迎えていた。


2015年02月12日

インドの旅22

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夕方になって、この極度の暑さも収まってきたが、夕方がバラナシの一番暑い時間くらいになる程度だった。宿の中にいても暇なので外に出てみたら、日中の静けさとは違い観光客や地元のインド人が沢山行き交っていた。でも暑いのには変わらないので、またジュースを買って一気に飲み干した。土産屋が近くにあったので覗いてみる事にして店内に入ってみた。店内はクーラーがガンガンに効いており、生き返った気分になった。そんなに広くない店に自分1人しかいない客なので、店主は声を掛けてきた。この店はブッタガヤにある寺院の絵画を売っており、自分には興味がなかったので、説明を聞いたフリをして、ただ涼んでいるだけであった。店主も、それとなく気づいたのか話が日本に切り替わった。バナラシだと、ただ単に涼みに来ているだけの客なら追い返すのが当たり前だが、ここにいるインド人は少し違う。ヒンズー教ではない、仏教徒のインド人であったからかもしれない。店主は、外は暑いから店内で涼んでいくと良い。と話してくれて椅子まで出してくれた。なんと人の良い店主なんだと感激していたら、外で売っているチャイまで買ってきてくれて、こんなに親切なインド人に会ったのは初めてだった。熱いチャイを飲みながら、店内で涼んでいるのは、まさに天国で店主と1時間近くも話こんでしまったが、その間に来た客は1人もいなかった。店も暇だから、話相手が来た自分と時間潰しが出来るのが良かったのかな?とも思いこんだが、お礼を言って店をあとにした。外に出てみたら太陽が沈む所まで来ていたが、気温は35℃近くあるので、また身体から汗が大量に出てきた。


2015年02月10日

インドの旅21

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暑くてたまらないが、バナラシから出発してブッタガヤに着くまでロクな食べ物を口にしていないのでお腹が空いてきた。ブッタガヤの地理も分からないので適当な店を探そうとしていた所、自転車に乗ったインド人少年が話掛けてきた。昼間から外を歩く外人が少ないのか、少年が何か探しているのかと聞いてきたので、レストランを探していると質問してみた。それなら「Ginza」がいいんじゃないか?と言って来たので、銀座?と不思議に思ったが、自転車の後ろに乗るように言われたので素直に乗って連れて行ってもらう事にした。自転車で3分ほど走ったら「Ginza」と書かれた日本食レストランに到着。日本食レストランの事だったのか・・・。と分かった所で、少年にお礼を言って中に入ってみた。昼時なのに、店の中は客がいない。インド人の店主らしき人がメニューを持ってきてくれて、メニューを見た瞬間に、かつ丼に目が止まり「かつ丼」を注文。店自体は決して綺麗とは言えないが、バラナシでも日本食レストランが多くあったので、味にも期待していた。客がいないので、すぐに「かつ丼」が出てきた。見た目は、ん〜!かつ丼!だが、一口食べて見ると、ちょっとかつ丼の味ではなかったが、お腹が限界に近いほど空いていたせいもあったのか一気に完食!一緒に頼んだコーラも飲み干して、満足感に浸っていると、日本人バックパッカーらしき男性が店に入ってきた。店主と仲良く話始めたので、ここに長くいる人かな?と思いつつ、お金を払い店を後にした。店内も暑かったが外は地獄のような暑さであった。店から宿に戻ろうとしたら、また自転車に乗った少年に出くわした。猛スピードで「Ginza!」と叫びながら走り去っていってしまった。あの自転車少年は、自転車に乗る事が楽しいのか良く分からなかったが、自分は宿へと戻った。部屋の中は天井にファンがあるのだが回しても熱風が舞っているだけで暑さしのぎにはならなく、この暑さには我慢出来ずに1日目にしてブッタガヤに飽きてしまっていた。


2015年02月09日

インドの旅20

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早朝5時に、白人女性が起きたので自分も一緒に起きてしまった。外は明るくなっていたが、ちょっと寝不足気味で一緒にチェックアウトをして、ブッタガヤ行きの小さいバスに乗込んだ。明るくなってガヤ駅周辺を見る事が出来たが、そんなに大きい街ではなかった。日が昇るにつれて暑さが増してきた。バスは出発したが、この暑さはバナラシよりも酷くて体感的には5℃以上は違うと確信出来る程の暑さであった。ガヤ駅からブッタガヤまでは、そんなに遠くないと思っていたのだが、ガヤ駅を出発してから、かなりの時間が過ぎていき、しかも未舗装道路に入っていった。本当にブッタガヤに向かっているのか疑問に思っていた時にバスは仏教の聖地ブッタガヤに到着した。白人女性とも仲良くなり、一緒にバスを降りて宿を探す事にした。この時点で外は40℃近くあり、街中には人の姿が少なくてバラナシの喧騒とは全く違った。寺院が何個か見えてきたが、近くのミャンマー寺のフロントに入る事にした。そこでは、袈裟を着たお坊さんがミャンマー寺の宿のチェックインの対応をしてくれた。女性とは別々の部屋に入る事にして、1泊30ルピーを前払いして部屋に入った。部屋の中は綺麗とは言えないほど、くたびれたベッドと汚いトイレが付いていた。薄暗くて、部屋に閉じこもっていたら気分が落ち込みそうだったので、とりあえずシャワーを浴びて外に出る事にした。シャワー室は別にあり、水しか出ないが出てくる水も暑さにやられて温い水だった。さっぱりして外に出たのはいいが、直射日光に当たると気分が悪くなるほど暑い。近くで冷えたコーラを買って飲んでいたら、店の人が45℃あるから外に出るのは夕方にした方が良いと教えてくれた。なるほど、この暑さで誰も外に出ないから閑散とした街になっていたのが分かった。


2015年02月06日

インドの旅19

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猛烈に混んでいる電車の中でも、人を掻き分けてチャイ売りのオジサンがひっきりなしに行き来している。ベッドを半分で分けていたオジサンが自分にチャイを買ってくれた。1杯3ルピーと約10円ほどの値段であった。土を固めて乾燥させた器になっており、チャイは熱くて紅茶に牛乳を入れて甘くしており生姜の味がして、かなり美味しい。あまりの熱さに一気に飲む事は出来ないのでチビチビと飲んで喉を潤す。全部飲み終わると窓から器を投げ捨てて土に返すのである。何ともエコな商品なんだと感心したが、インド人は食べ終わったプラスチックも窓から外に容器を捨てるので、どこでもゴミ箱なのである。電車に揺られる事、数時間が経っていたがバナラシで電車を待っていた疲れもあり知らない内に寝てしまっていた。同席のオジサンが、もうすぐでガヤに着くと教えてくれて起きた。深夜1時にガヤの駅に着き、オジサンに別れを告げて降りた。ガヤの駅は深夜にも関わらず人でいっぱいであった。途方に暮れて、朝までどうするか迷っているとフランス系白人の若い女性が話掛けてきた。女性もガヤからブッタガヤまで行くのだが、こんな時間ではバスも走っていないので一緒に駅に隣接しているホテルに泊まらないかと尋ねてきた。多少困惑したが、断る理由がないので一緒にフロントへ行ってみた所、部屋があると言うのでチェックインをした。部屋に通されるとビックリしたのがダブルベッドが1つしかない部屋であった。自分は部屋の椅子で寝るのでベッドを譲る事にしたが、女性が一緒に寝ましょうと言うので、これまた断る理由もなく一緒にベッドで寝る事にしたが、女性はいきなり着ていた服を脱いでパンツ1枚の姿になってしまったのだった。身体は細くて豊満な胸であり、モデルみたいな体系だった。目のやり場に困ったが、女性は裸でも気にしない感じで自分と暫く話こんだ。女性が寝ようとベッドに入ったので電気を消して、自分も寝る事にしたが裸を見て興奮してしまった自分は中々寝る事は出来なかった。横には綺麗な白人女性が横になっていて、我慢出来ない男ならしたくなるのが当たり前だろうが、自分には出来なかった。暫くして、自分も柔らかいベッドで知らないうちに深い眠りに入っていった。


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