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2015年02月05日

インドの旅18

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やっとブッタガヤに行く電車が来て乗り込んだら、寝台車とは言え通路には自由席の人達が座っており人混みを掻き分けて自分のベッドを探した。自分のチケットを何回も確認したが、初老のインド人が自分のベッドで寝ているではないか!ふざけるな!と思い、男性を起こして自分のチケットを見せて、ここから離れるように注意したのだが、男性もチケットを見せてきた。自分のチケットと見比べてみたが、なんと同じチケットでベッドの番号まで一緒なのにはビックリした。男性はベッドの半分を自分のスペースにしてくれたが、どうも納得いかないので聞いてみた。インドでは良くある事みたいでチケットがダブって発券されているのだ。と説明してくれた。1年近く中国から旅をして電車は移動手段で使っていたが、まさか同じチケットが発券される事は初めてであった。男性は慣れているらしく、しょうがない程度で我慢するしかないと話してくれた。これもインドなのかと割り切るしかなかったが、これから電車に乗る事が何回もあるので、その度にベッドをシェアしなくてはいけないのかと思うと先が思いやられた。バックパックも置く場所がなくてベッドの半分の自分のスペースでなんとかバックパックと一緒に座り、電車の中は暑く走る電車の熱風を受けながらブッタガヤまで我慢するしかなかった。(泣)


2015年02月04日

インドの旅17

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日中の暑さは35℃近くまで上がり、駅でひたすら8時間遅れの電車を待つしかなかった。線路には牛が何頭もいて、喉かな風景に見えるが電車が来るたびに汽笛を鳴らされて、仕方なく牛達は動き出すと言った感じだった。地面に座ったり、横になって寝たりしていたが、あまりにも暑いのでジュースを買いに行ったりして時間を潰していた時に、日本人の大学生っぱい2人組が自分の所へ近づいてきた。彼らも、自分と同じ電車みたいでチケットを見せてもらった。やっぱり一緒であったので、「あと8時間以内に来ると言われましたよ。」と教えてあげると、「え!?」みたいな顔で口を開けた。「どこに聞いていいのか分からずに、とりあえず日本人を探していました。」と言われて、よくぞ自分を探してくれました。と言う感じになり、デリー方面からの出発便で遅れが出ていると駅員に聞いた事を話し、彼らは落ち込んでしまった。まだ、服装も綺麗な格好だったので、旅は短いのか聞いた所、大学の卒業旅行でインドだけを旅行する為にきて、最初にバナラシを選んだらしく、これからカルカッタに行き、南周りで最終地点がデリーだと話してくれた。とにかく電車は来ないので待つしかないけど、夕方まで来ないからバナラシ観光するなら、たっぷりと時間がある事を勧めてみた。彼らは夕方までボーっと待ちたくないみたいで、再度観光してから戻ってくると言い、その場で別れた。なんとも初々しい感じの大学生であったが、やはり学生は金を持っているんだな。と感じた。チケットを見せてもらった時に、1等寝台車でエアコン付と書いてあったのだ。自分は2等のエアコンなし寝台車で取ってあり、移動の際に一番上のクラスでお金を払う事は勿体ないと感じていたからだ。とにかく何もしないで待つのは、時間が経つのが遅い。夕方5時にやっとバナラシに自分が乗る電車が着いた。


2015年02月03日

インドの旅16

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バラナシでダラダラ過ごしていたら、明日に次の街「ブッタガヤ」に移動する日になっていた。早目にバックパックを整頓して、最後の日を楽しむ事にしたが、やる事は全くない。暑いので外を出歩くのは飯かバングラッシーを飲みに行くくらいであった。明日の電車のチケットを確認して、朝の8時出発となっているので6時半には駅に向かう事にした。ブッタガヤの情報は全くなかったので、ちょっと不安になったが行き当たりバッタリで行くしかなかった。ここで知り合いになった日本人バックパッカーに最後の別れを告げて、最後のバングラッシーを飲む事にして、4人で昼から楽しんだ。結局、同じ部屋でガンジス川で沐浴をして倒れていた日本人男性が動いているのを見る事も出来なかった。本当に生きているのか心配であったが、バングラッシーが効いてきたら、彼の心配もどこかへ消えてしまっていた。夕方にもバングラッシーを飲んで、これがバラナシで最後になるのかと思うと、もっとバナラシにいたい気分になってしまった。そして、夜遅くまで盛り上がって就寝。朝一に起きて、チェックアウトをしてリキシャに乗り駅に向かった。バラナシ駅は朝から人で大混雑しており、駅員にチケットを見せて何番線か尋ねてみた。なんと、遅延で8時間は待たないと来ないと言われてしまった。結局、朝の電車が夕方に着くみたいで何もする事がないので、バックパックを降ろして枕代わりにして横になり待つ事にした。この先が思いやられるな。と思いながらも、これがインドだと割り切るしかなかった。


2015年02月02日

インドの旅15

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バラナシの見る所は、おおよそ見たので、毎日の始まりが日本食レストランで朝食を済ませて、ダシャシュワメードガートに行きインド人の沐浴を見て、バングラッシーを飲みに行くのが日課となってしまった。宿にいる日本人に話を聞いてみるとバナラシに長い人は3ヶ月もいるみたいで完全に沈没してしまっている感じが受け取られた。確かに自分も次の街への電車のチケットを持っていなければ沈没するのは必然的だと感じた。日本人バックパッカーが、デリーから南周りでバナラシに入ってきた話を聞いて、綺麗な海でノンビリ過ごすにはプリと言う所がお勧めだと聞いたので自分も行く事に決めてみた。バナラシで毎日同じ行動をしている自分に飽きが来ていたのを感じていたが、まだ3日も残っているので、これからのインドの旅で必要な情報は、ここで調べておくのが最適だと思ったので終始、インドの旅が長いバックパッカーから情報収集する事に努めた。バングラッシーが効いている時に情報を聞いても、次の日になったら忘れている事が多かったので曖昧な情報で、この先の旅を続ける事になってしまった。まだインドの旅は始まったばかりなのに、次の国のパキスタンの事には、いつになったら着くのかと不安になる事もあった。日本に帰って定職に就いて仕事をしないといけない焦りも出てきていた。


2015年01月30日

インドの旅14

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いつも通りの暑い朝を迎えた。今日は、そろそろバナラシの観光でもしようかと人間の死体を焼いているマニカルニカーガートへ向かう事にした。朝食は、毎日同じ所の日本食レストランで取り、友人とマニカルニカーガートへ向かおうとした所、また関西弁を話すインド少年に出会った。少年にマニカルニカーガートへ行く事を教えたら、連れて行ってあげる。と言うので連れて行ってもらう事に決めた。道は細く、自分達では地図を持っていても辿り着かないと感じるほど迷路になっている。途中、あまりの暑さにジュースを飲む事にして、少年に飲むか?と聞いた所、要らないと断られてしまった。土産を買って欲しいのか、それとも炭酸が飲めないのか分からないが、一気に飲み干して少年に再度ついて行く事にした。宿から20分以上歩いた所でマニカルニカーガートに着いた。死体は白い布で覆われているが、火の中に焼いている死体が見えて複数人の身体が見えた。思わず写真を撮ろうとしたら少年に止められた。インドでは死体の写真を撮ってはいけないみたいで、撮っている所が見つかったら、かなり面倒な事になる。と言われた。死体を焼いているのを見ているインド人は100人ほどいたであろうか。死体は焼き終わったら、ガンジス川に流すと少年が教えてくれたが、やはり人間を焼いている臭いがキツイので長く居られずにマニカルニカーガートをあとにした。その後、ダシャシュワメードガートに戻り、少年が必至に売っている商品のラインナップを見せてもらったが、旅では不要でゴミになるような物しかなかったので購入に関しては、気が引けたが断った。でも、少年はくじけずに、バナラシを出る時は買ってね!と言って、他の客を探しに去ってしまった。


2015年01月29日

インドの旅13

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テラスには相変わらず、バングラッシーでぶっ飛んでいる日本人バックパッカーの集まっていた。ようやく夜のテラスにも馴染んできたのか、夜の話す相手の顔ぶれが分かってきた。自分の部屋で倒れている日本人男性の話をした所、女性バックパッカーが「あの人、ガンジス川で沐浴してから下痢が止まらなくて体調が悪いみたいだよ。」と教えてくれた。自分はピクリとも動かないので死んでいるのかと思ったと話したら、みんな笑い出した。どうやらラッシーのせいかもしれないがブラックジョークにもならなかったようだ。でも、病院とかに行かないといけないのでは?と思ったが、ここに来ているバックパッカーは自己責任で沐浴をしたり、ラッシーを飲んだりしているので、あんまり他人に関与しないのが決まりみたいになっていた。宿の掲示板には、尋ね人のビラが何十枚にも重なるように貼ってあり、相当の人数が行方不明になっている事が分かった。インドに旅に出た息子が帰って来ないので、親が捜索して貼ってあるビラも何枚もあった。明日にでも、親に手紙を送ろうと思いつつも、バングラッシーの効果で解放感に満足して明け方まで話こんだ。女性バックパッカーが多いにも関わらず、恋愛感情が全く沸かなかったのは不思議であり、日本に置いてきた彼女の事が本当に好きであった証でもあった。随分と連絡を取っていないが、日本に帰ったら一緒に住んで結婚すると決めていたが、それは自分だけの思い込みになっていたとは知るよしもなく旅を続けた。


2015年01月28日

インドの旅12

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夜になる前に、もう一発バングラッシーを飲みに行こうと3人で、同じ店に行く事にした。3日もいるとバナラシにも慣れてきて、インドに入る前の不安はどこかにすっ飛んでしまっていた。バングラッシーの店に辿り着いた時には、店は大繁盛しており待ち時間が10分ほどあった。違う隣の店も繁盛しており、やはり欧米人がかなりの人数で来ていた。待っている間は、ミディアムにするか、ストロングにするか、それともスーパーストロングにするか迷っているのも楽しかった。みんな、ストロングで決めて注文し、空いた席に座って出来上がるのを待つ事にした。アルコールを買った彼に、アルコールは何時飲むのか聞いた所、アルコールよりバングラッシーの方が楽しいのでバナラシを出た後の街で飲むと言っていた。バングラッシーが出来上がったと同時に一気に飲みほぐして、彼は自分の宿へと帰って行った。自分達も宿に帰り、シャワーを浴びる事にした。部屋に戻り、シャワーを浴びる準備をしていたら、チェックインをした時から気になっていた事があったのだが、友人が先に口を開いた。部屋に入って3番目のベッドに寝ている日本人はピクリとも動かないが生きているのか?と言ってきたので、自分も不思議に思っていた。と返答。実は、体調が悪いなら少しは動くはずだが、うつ伏せになったまま動いている姿を見た事がないのだ。見た感じは、まだ旅慣れていないような真新しいTシャツとチノパン姿でバックパックも新しく綺麗な状態で置いてある。とにかくシャワーを浴びて、その話はあとにしようとシャワー室へ入った。シャワー室は薄暗くて水しか出ないので、最初に浴びた瞬間がヒヤリとする。一日の汗を洗い流して部屋に戻ったらバングラッシーが効いてきた。シャワーから友人も戻ってきたのでテラスへと向かった。外は暗くなっており、満月の夜だった。


2015年01月27日

インドの旅11

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夕方になったので、早めの夕食を取る事にした。宿を出てベンガリートラの小道に出れば点々とバックパッカーが通う日本食レストランがある。遠くまで歩くのが面倒だったので、近くの日本食レストランに入る事にした。レストランに入り、各々注文をして、喉が乾いたのでコーラも注文。ミャンマーやインドではコカコーラがなくて、スターコーラと言うまがい物のコーラやスプライトがある。いわいる偽物である。日本ではジュースはバラエティーにとんでいて色んな物があるが、東南アジアの日常は、ミネラルウォーター・炭酸・コーヒー・お茶くらいしか飲む事が出来ない。こんなに暑いとポカリスウェットみたいな物が欲しくなるのだが、直近で飲む事が出来たのはタイくらいしかなかった。さすがに炭酸ばかりでは飽きて来るが、それしか安く飲めないとなると我慢するしかないのだ。注文した、からあげ定食やかつ丼が出てきた。意外と安いので味には期待しないが、これが意外と美味しいのでビックリするほどだ。食事を楽しんでいると、今日見かけた学校に行けない日本語使いのインド少年がお土産を買わないか?と関西弁で話掛けてきた。少年は自分を見て思い出したのか、バナラシを出る時に買って欲しいと言ってきたが、自分に売っても買わないよ。と返答した。ここで普通は帰るのだが、さすがインド人なのか、レストランの店主から追い出されても、道の向こう側で待っていて食べ終わって店を出ると、また話掛けてきて、しつこく付きまとう。最初は無視していたが、少年の必至さに負けそうになりそうだった。この少年には、毎日会うのが日課になるとは思わなかった。


2015年01月26日

インドの旅10

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ダシャシュワメードガートを見てから、バングラッシーを飲みに大きい交差点まで歩いていた所、日本人の男性に話掛けられた。どうやら、政府公認のアルコールを売っている店があるらしいのだが、この辺りはゴチャゴチャしており道に迷っているとの事であった。自分達もアルコールを売っている店は知らないが、その男性が地図を持っていたので一緒に探す事になった。地図を見てみると、確かに店は近い。人混みの中を一軒一軒探す事にした。探す事、約10分でそれらしき店を見つけた。店の中に入ると確かにアルコール(ウイスキーなど)が置いてあり、看板に「政府公認」と英語で書いてあった。その男性はウォッカみたいな透明なアルコールを購入。その男性に自分達はバングラッシーを飲みに行く所と告げると一緒に飲みに行きたいとの事だったので、3人で行く事に決まった。バングラッシーの飲める所まで歩いて行き、友人と自分はストロングを注文し、その男性はミディアムを注文した。昨日と同じ所で飲んだせいか店主が自分達を覚えていてくれて、英語で「君たちはバングラッシーが好きだな!」と笑っていた。店の中は、10名少々入れば満員なのだが店に来るのは欧米人や日本人ばかりみたいである。店主が言うには、夕方にバングラッシーを飲みに来る人が多いと言う。3人で自分達の宿に戻る事にした。アルコールを購入した男性は、自分達の宿を見てビックリしていた。彼は安宿ではなくて、中級クラスの宿に泊まっていて安宿が嫌いで、自分達の宿の汚さにビックリしたのである。でも、テラスから見るガンジス川には感動したらしく、ジーっとガンジス川を見ていた。長い時間見ているなーと思ったら、バングラッシーが効いてきたらしく、インドに来ている実感がなぜか嬉しいと笑い出した。自分達もバングラッシーが効いてきて話が盛り上がった。他の日本人バックパッカーも話に入ってきて、色んな話題で盛り上がり、あっと言う間に夕方になっていた。


2015年01月23日

インドの旅9

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食事も終わり、彼と出掛ける事にしたが、自分の宿に誰かチェックアウトする人がいないか確かめに宿へと戻ってフロントに聞いてみた。そしたら、ちょうどドミトリー(大部屋)でチェックアウトした人がいたとの事でチェックインを済ませて、彼の宿へ行きチェックアウトして自分の宿へと来た。なんと、通された部屋は自分と同じ部屋でビックリした。ベッドは3つ隣だったが、バナラシにいる時は親友になった彼と一緒に遊べるようになって安心した。自分の宿にチェックインをして荷物を出したりしていたせいか、昼前に出掛ける事になってしまい外は35℃に達していた。こんなに暑いと何にもする気がなくなると一緒に街をブラブラしてバングラッシーを飲みに出かけようと言う事になった。出掛ける前に自分は軽くシャワーを浴びたが、外に出た瞬間に汗が出てきて、シャワーを浴びた意味が全くなかった。ダシャシュワメードガートに行き、インド人が沐浴をしている所を眺めていて、自分達は川の水を手ですくってみた。ガンジス川は糞尿や死体や生活用水が流されているので、神聖な川と言われても手ですくう事くらいしか出来ない。到底、猿岩石みたいにガンジス川で体を洗う事なんて出来なかった。ダシャシュワメードガートに1時間くらいいて喉が乾いたので、早速バングラッシーを飲みに行く事にした。


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