アフィリエイト広告を利用しています

2015年01月22日

インドの旅8

images.jpg
朝起きたら、清々しい気分だった。よっぽどバングラッシー効果に疲れて深い眠りについてのだろう。睡眠薬や安定剤として使えば病院でも使えるのでは?と思ったが、マリファナ自体、病院で使われているとアメリカ留学時代に聞いた事があった。宿では朝食が付いていないので、細い路地のベンガリートラに出て朝食を取る事にした。この細い路地には、色んなレストランや汚いコンビニが点在している。日本食もあり、店の前には「かつ丼」なんて表記している所も少なくはなかった。ふらっと近くの日本食レストランに入って、かつ丼を注文。店内は汚いが、一体どんなエグイかつ丼が出てくるんだろうと待っていた。待っている間は、ベンガリートラを行きかう人達を見ていたが、日本人バックパッカーや欧米人のバックパッカー、そして地元のインド人が狭い通りを行き来している。日本人は自分が入った店にも入って注文したりしていて、かなり人気なレストランなのかなと思っていた所、昨日に友達になった彼が目の前を通ったので声を掛けた。どうやら、彼も朝食を食べに歩いていたみたいなので、一緒に朝食を取る事にした。彼は、自分の宿が空くか確認してチェックインするとの事だった。今日も一緒に行動しようと話していると、かつ丼が出てきた。見た感じは、日本のかつ丼と全く一緒だが、レストランには日本人従業員がいない。どうやって日本食を学んだのか不思議だったが、一口食べてみた。ん!美味しい!味付けも良くて、ここまでの味を出せるなんて凄いと思い一気に食べてしまった。彼も同じくかつ丼を食べてみたが、美味しいと絶賛だった。ベンガリートラを歩いている少年が声を掛けてきた。なんと、完璧な日本語で、しかも関西弁!これにはビックリしたが、学校には行かないのか?と聞いてみると、カーストの低い身分では学校に通えないので、土産を売って商売して家計を助けているとの事だった。何とも可哀想な話ではあるが、ここまで旅をしてきた自分は、どの国でも見てきた事で不要な土産を買う気にはならなかった。少年は、土産の品を見せて来たが要らないと断ると、あっさりどこかへ消えてしまった。彼が、こんな可哀想な子がいるなんて・・・と話していたが、まだ旅が浅いせいなのか、あんまり同情しない方がよいとアドバイスをしておいた。この先、嫌でも同じ事を見るので感情が入ってしまうとバックに土産だらけになり、後で後悔するよと話しておいた。食事も終わり、出掛ける事にした。朝の時点で30℃を超える暑さだった。


2015年01月21日

インドの旅7

SnapCrab_No-0000.jpg
ついつい話こんでしまったせいか、外が暗くなってきたので、自分の宿に帰る事にした。友達になった彼が自分の宿まで同行してくれる事になった。近いので、自分で帰れると思ったが彼が自分の宿も見たいとの事だったので、一緒に行く事にしたが、まだバングラッシーが効いていたので外に出た瞬間方向が分からなくなってしまっていた。正気に戻って記憶の中で帰り道を考えたが、全く分からなくなってしまった。道を歩いているインド人に聞きながら歩く事10分、やっと宿に戻ったと思ったが、なんと宿の名前が一緒の別の宿に着いてしまった。これはマズイと思い、ガートの川を歩きながら自分の宿へと戻る事にした。外は真っ暗になっており、不慣れな場所で迷って歩いていたが、ようやく自分の宿を見つける事が出来た。扉を手で叩いて開けてもらったが、夜は治安が悪いので早く帰って来るように宿の人に言われて、何とか自分の部屋まで辿り着く事が出来た。一緒に同行してくれた彼に感謝をして、部屋を見せて屋上のテラスに行ってみた。欧米人や日本人のバックパッカーが集まって話をしている。この宿のいい所は、このテラスが最高に気持ち良くて知らないバックパッカー達の集いの場所となっている所であった。これ以上遅くなると彼が事件に巻き込まれる可能性が高くなるので、フロントで別れを告げた。自分は再度、テラスに戻り日本人バックパッカーと話す事にした。この宿には女性のバックパッカーが多いみたいで良くインドに1人で来るなー。と感心した。話込んでいる内に、何か波長が合うなと思っていたが、みんなバングラッシーを飲んでいる事に気付いた。ここでは当たり前みたいで、女性が多いのもバングラッシーを飲みに来ている人がほとんどであった。話は夜中まで続いたが、眠たくなった人は自分の部屋に戻り、残っている人で話を続け夜明けまで話をしている人も多いとの事だった。自分も途中で眠たくなってきて、深夜にベッドに入り寝る事にした。今日一日を振り返ってみると、バングラッシーの面白さと怖さを知った1日となった。


2015年01月20日

インドの旅6

SnapCrab_No-0000.jpg
勢いでバングラッシーを飲んでしまった為に、早く宿へ帰ろうと人混みの中を歩いている時に、日本人男性から声を掛けられた。「すいませんが、日本人ですか?唐突に申し訳ないですが知っていたらバングラッシーの飲める店を教えて欲しいのですが・・・」と言われた。即答で、自分は今そこで飲んできたばかりですよ!と答えて、もし良かったら店まで同行しますよ。と、ほぼ同じ年の彼を店まで案内をした。自分は、どこで記憶がなくなったりするのか不安だったが、とりあえず日本人のバックパッカーといれば何とかなるだろうと考えたのだった。店は4軒横並びにあり、自分が行った店を案内して中に入ったが店主が、また来たのか!と言うので自分は飲まない。と答えたのだが、友達を連れてきてくれたので、自分の分は無料との事で、またミディアムを飲む羽目になってしまった。彼もミディアムを一気に飲んで、一緒に宿に帰る事にしたのだが、彼は昨日にバナラシに着いたばかりで日本人の話相手を探しているので宿に来ないか?と誘われた。断る理由もないので、彼の宿に遊びに行く事にした。彼の宿は自分の宿から近いのを確認して、部屋へと入った。個室のワンベッド、テーブルと椅子があり、自分は椅子に座った。彼は日本からバンコク経由でバナラシに来て、旅を初めてまだ1ヶ月経ってない人であり、自分がどこを旅してきたのか話をしていると、なんか急に体と頭がリラックスしてきて、何を話しても面白くて仕方なくなってしまった。その5分後、彼も突然笑いだした。意識はハッキリしているのだが、なぜか可笑しくて笑いが止まらない。バングラッシーを飲んだあとの帰り道でジュースを買ってきたのだが、これが美味しくて癖になりそうだった。聴覚、味覚が敏感になっているのだろうと感じた。彼との話は盛り上がり、部屋のファンでは暑くてたまらなかったのだが、そんな事も忘れて話こんでしまった。


2015年01月16日

インドの旅5

ダウンロード.jpg
ダシャーシュワメード・ガート近くまでリキシャに乗ってきた。ダシャーシュワメード・ガートまでは乗り物が入れなく手前で降ろされ宿を探す事になった。ガートまで行って、そこにある階段を川沿いに歩いてすぐの所にビシュヌ・ゲストハウスと言う所を発見。以前、バナラシを旅した日本人からの情報もあり、そこの宿の名前を思い出したのだった。ちょうどよく、1名分空いているとの事だったのでドミトリー(大部屋)に入る事になった。かなり汚い宿だが、部屋は横に長くて10個ほどのベッドが並んでいて、ベッドの頭の所に窓がありガンジス川を見る事が出来る。ベッドのマットを上げると貴重品入れになっており、鍵を貸与してくれた。これで1泊30ルピー(約90円)は、かなり安いが汚さから言って妥当かなと思った。さて、チェックインも済ませた事だし、街に繰り出すか!と意気揚々と宿から出たのはいいが、川沿いを歩いてきて分からなかったが道に出たら、かなり狭い。と言うか無茶苦茶せまい!ベンガリートラと言われる、この道は狭くて、牛に遭遇したら周り道をしないといけない位、臭くて細い通りであった。所々に店があるのだが、とりあえず大通りに出たくてガートを目指した。ガートの付近まで出て、さきほどリキシャで降ろされた所まで出てくる事が出来た。しかし、どこを見ても人・人・人である。ガンジス川から逆の方向に歩く事10分で大きい交差点に出た。交差点には警察官が数名いて、ここまで来れれば大体の街の構成が分かったのでガートに戻ろうとした所で、店の人に呼び止められた。何の話をしているのか分からなかったが、ここに来る目的の日本人が多いので自分が道に迷ってるのかと思われたみたいだった。よく見たらラッシーの店であり、暑くて喉も渇いていたので1杯注文してみた。店頭でラッシーを作るので中に入るように言われ、ミディアム・ストロング・スーパーストロング?と聞かれたので意味が分からず、ミディアムと返答。出てきたのは、ラッシーに何やら緑の色が混ざった飲み物であった。店の人にガンジャと言われて、あっ!!!と思った。これは有名な「バング・ラッシー」なのであった。まさか、話で聞いていた物を間違えて頼んでしまったのか!と後悔も出来ないので、一気に飲み干した。人によっては、かなり効くらしく路頭に迷ったら怖かったので、店主に別れを告げて宿に帰る事にした。


2015年01月15日

インドの旅4

IMG_4903-426x284.jpg
エアコンの効いた宿で、ぐっすり寝て起きたら7時になっていた。カーテンを開けて外を見ると、インドに来たのだと改めて思った。朝食を取らずにチェックアウトをして、友達と別れる場面になったのだが、今後は自分もバナラシの駅を使うのだから駅まで送って行く事にした。リキシャを使うかタクシーを使うか迷ったが、宿の店主が言うには駅までは遠くないとの事だったのでリキシャを使う事にして1台のリキシャを止めて、値段交渉をした。やはりインドである、いきなり500円と高額な料金をふっかけてきた。自分達は相場が分からなかったので100円で交渉したが、それでOKだと言う。もっと値切れたかなと思いつつ、駅まで向かった。リキシャに乗る事、20分も経っていたが駅らしい所は見えて来ない。こんなんで100円位で行ってくれるリキシャの安さにビックリした。おおよそ30分で駅が見えてきた。100円を支払い、駅構内へと進んだが、物凄い人の数であった。友人がアグラ行きのチケットを購入するべく、案内所へ行ったが、なんと10時間待ちだと言う。仕方なく彼はチケットを購入して夕方まで待つしかない。とうなだれてしまった。自分もバナラシに長いする事もないだろうと、1週間後のカルカッタ行のチケットを購入した。そして本当の別れの時が来てしまった。短かった彼との旅も終焉であり、彼は自分がリキシャに乗ってダシャーシュワメード・ガートに向かう所まで付いてきてくれた。お互いの旅にエールを送ってリキシャは走り出した。どこもかしこも人とゴミだらけであり、ここからまた1人旅が始まるのであった。


2015年01月14日

インドの旅3

SnapCrab_No-0000.jpg
宿探しをしていると賑やかな通りに出た。凄い数の人間だが、どうやら祭りの日に遭遇したみたいで、どこも大渋滞になっている。これでバスが渋滞に巻き込まれたのが分かった。夜8時頃になり、やっと今夜の宿を見つけたが1泊千円の所だったが、仕方なく宿泊する事にした。さすがに部屋は綺麗でエアコン付のツインでトイレ・バス付。部屋に荷物を置いて、宿のレストランに入ったら途中で同じバスに乗っていた欧米人が同じ宿にチェックインしていた。向こうも分かったみたいで挨拶をしてきた。メニューを見てみると、なんとアルコールが置いてあるではないか!ヒンズー教ではアルコールは禁止されているのだが、外人が泊まるホテルでは提供出来るみたいなのでビールとカレーを注文した。ビールは冷たくて、暑い外から入ってきた自分達には美味しかった。カレーも美味しく、ちょっと高くなってしまったがインド初日と言う事で奮発して夕食を過ごした。部屋に戻ると疲れた身体をシャワーで洗い流して、2人で外に出掛けてみた。先ほどの祭りが、更に大きくなっていて人も増えている。あまりにも人が多いので20分ほどで宿に戻った。部屋で、明日の行動を2人で話をしたのだが、彼の方は旅を急いでいるらしく、インド滞在の時間も少なく明日にバナラシ駅に行って北ルートでデリーに向かうと言うのだが、自分は時間しかないので、ゆっくりとインドを周るので、明日のチェックアウト後に離れる事になった。折角、親友が出来たと思っていたのだが残念だった。彼とは短い時間だったけど、日本の住所を交換した後に知らない間に疲れて寝てしまった。自分は明日、ガンジス川畔の宿を目指す事にした。


2015年01月13日

インドの旅2

SnapCrab_No-0000.jpg
インド入国から、いきなりのトラブルだったがバスは順調に走り出した。見る景色もネパールとは違い、とにかく汚いとしか思えない。ネパールの盆地から下がって来たので、インドは暑くて汗が止まらない。途中、休憩所に着いてトイレに入ったが汚物が散乱していて、かなりの悪臭を放っていた。ミネラルウォーターが一回封が開けられているような物もあり、ちゃんと確認してからではないとインドの汚い水道水を入れたペットボトルを買わされてしまう事もあるようで商品を手に取ってからお金を支払う。お金に関しても、札はボロボロになったのもあり、それを釣りとして渡されると、その札で次の買い物をしようとする時に拒否されてしまう事もしばしば起きるので釣銭にも注意しないといけない。ちょっとした物を買うのも面倒な国だが、そこはもう慣れてしまっているので「郷に入っては郷に従え」と割り切るしかない。何でもないような田舎の街でも渋滞が多くて、それはインドでは神様と言われている牛が道を占拠してしまう事があるので前に進めない。バスに乗ってから数時間が経つが外は段々と暗くなってきていて、本当にバナラシに着くのか不安になってきた。夜7時頃に大きな街に入ったが、そこからは酷い渋滞になり、全く前に進めない。ドライバーの話だとバナラシに着いたみたいだが、バス停までには、かなり時間が掛かりそうとの事。イライラがマックスになった欧米人達は途中で降り始めた。自分達も目的地に近いならと途中で降りる事にした。街に着いているのだが街灯は暗くて、早く宿を見つけないと知らない街でトラブルに巻き込まれる可能性も高くなるので、地元住民に聞きながら宿を探し始めた。夜になっても気温は下がらずに、35℃近くの状況でバックパックを背負って、宿探しを始めた。


2015年01月09日

インドの旅1〜来たぜ!神秘の国へ〜

2014042002-332x205.jpg
インドの入国審査も終わり、スノウリに到着。しかし、ネパールから数十メートル歩いただけで、こんなにも変わるもんだろうか。道端にはゴミばかりで、痩せこけた牛が、そこらじゅうにいて異様な臭気をはなっていて臭い。インド側では、すでにバスが待っていて、カトマンズで購入したチケットを見せるとバスに乗る事が出来たが、バスの周りには4人ほどのインド人がバスのトランクにバックパックを入れてくれたのだがチップを払えと言ってきた。おまけに、額の真ん中に赤い物を付けられた。ヒンズー教の「ビンディ」と呼ばれている物で女性が付けるのに、なぜかビンディを男性の自分達にまで、、、。とにかくチップを払わないとバスに乗込んでしまったら自分のバックパックを盗まれてしまうかもと思いつつ、10ルピー(30円)を支払ってバスに乗込んだ。バスの中には観光客が数名乗っていたが、みんなビンディを付けられていた。自分と旅を一緒にする事になった日本人の男性と共に席に座り込み出発を待った。バスから外を見ると欧米人の男性バックパッカーが何やら揉めているのが見えた。その男性はバックパックを持ってバスに乗込んで来たのだが、英語で「金なんか払えるか!バックを入れてもらうだけにチップは払えない!」と口論になって座り込んだ。外にいるインド人も金を払えとバスの中に入ってきた。自分達も納得いかないチップだったが、さずが欧米人である口論のすえ、最後にはバックをトランクに自分で入れてインド人に金を払う事なく勝利となった。インド入国からトラブルばかりで、この先のインドの旅に輪をかけて不安になってきた。


2015年01月08日

ネパールの旅12〜あまり思い出にならなかったがサヨナラ〜

SnapCrab_No-0001.jpg
カトマンズで知り合った同じ年の日本人男性バックパッカーと最後のネパールを楽しんでいたが、妙に気が合うのでカトマンズの滞在が楽しかった。最初は、彼がカレーとモモ(餃子)を食べたいと言うので渋々と案内をしたが、彼も味の薄いカレーと皮の厚い餃子に慣れる事が出来ずに、その後は日本食へと通う事になった。彼が食事をおごってくれたので、日本食でも安いのを注文したが、彼の気前の良さには感動した。まだ、海外の旅の時間が短いせいか日本のニュースなどを聞いていると、まだ1年も経っていないのに自分は浦島太郎になってしまっていた。アメリカに留学していた頃も浦島太郎になっていたが、新鮮な日本のニュースを聞くと日本に帰りたくなる。やっぱり日本に生まれた人間としては日本に戻りたくなるのは必然だった。2人で暇をしていても何だったのでモンキーテンプルに行く事にした。かなり急な階段を登ったりするのだが、モンキーテンプルの丘から見るカトマンズの街と、その後ろにそびえ立つヒマラヤは絶景であった。特にヒマラヤがくっきりと見えたのも嬉しかった。これでカトマンズも終わりになる。明日は、いよいよインドに入るんだと思うと嬉しさと不安が交錯したが、前進あるのみだった。
 次の日、宿をチェックアウトしてバスターミナルに向かった。チケットを片手にターミナルの従業員に自分達のバスを聞いてみた。指示されるままにバスに乗込むと、かなり混んでいたが2人横並びに座る事が出来た。チケットはインドのガンジス川で有名な街の「バナラシ」までであり、インドに入った際に再度バスチケットを買わされるのではないかと不安であったがバスは定刻に出発した。未舗装の道路を走り、昼間にはバイラワ(ネパール国境の街)に到着して、インド側の国境の街「スノウリ」で入国審査となった。ネパールの出国審査は簡素だったが、インドの入国審査で思わぬ所で引っ掛かってしまった。入国カードに記入漏れがあったので、自分のボールペンを出して書き込んでいたら、「そのペンを見せてくれ!」と言われたので見せたら、「このペン、日本製だね。くれ!」と始まった。ここで拒否していたら、審査官も引き下がらずにペンを貰うまではスタンプを押さないと入国を認めようとしない。こんな事で、10分ほど言い争いをしてペンを返してもらい、入国審査を終えた。入国審査からインドの洗礼を受けてしまった感じがした。とにかく、インドへ入国!インドへ入った瞬間から道にはゴミが散乱していて汚く、臭いがきつかった。インドの第一印象は、かなり悪く始まったのだ。


2015年01月07日

ネパールの旅11

lrg_10399409.jpg
沈没生活から脱出するために、インド行のバスチケットを購入した。ビザの残りが、あと1週間あったのでリハビリを兼ねてレンタルの本を借りるのをやめて、朝早く起きてカトマンズの街を散策するようにした。とは言っても見る所は、ほとんど見たので旧王宮の周りに行って、1日ボーっとしていたりして過ごしていた。時には、歩いている日本人バックパッカーが話しかけてきたりしたので時間潰しにもなった。その話相手になってくれた、1人のバックパッカーと親しくなり、共に食事に行ったりしたのだが、彼は自分と同じ年で、自分と同じくインドを目指しているとの事で同じバスでインド国境に向かう事にした。自分はバスチケットをすでに購入済だったので、彼も同じバスチケットを購入。インドへ行く不安が、ちょっとは緩和された。インドからカトマンズに移動してきた日本人の話を聞いていたが、インドでの良い話が聞かされていなかったので相当の覚悟が必要かなと思い不安になっていた。インド人は、とにかくしつこくて話にならなくネパールに入ってホッとしたと言う話ばかりであった。親友になった彼は、なんと日本からバンコクへ飛んでカトマンズに来たので、ネパールが最初の旅の国であり、ネパールとインドを旅する目的で来たと明かしてくれた。彼の方がインドに入るのが不安だったようで、自分と行動出来る事が嬉しかったのか、食事などは割り勘ではなくて、宿代以外は全部支払ってくれた。最初は割り勘にしようと言っていたのだが、どうしても払いたいとの事だったので、無理に断る事も出来ずに甘える事になった。彼の宿は、旧王宮の近くにあったが、一緒の宿に泊まりたいと話だしたので断る理由も特にないので、自分の宿にチェックインをした。まだ、旅慣れていないせいか、1泊10ドルの宿に泊まっていて自分の宿に来たのも正解かなと思った。残りのカトマンズ滞在は、彼と一緒に過ごす事になり、沈没生活から抜け出して楽しい旅の再スタートが出来る嬉しさが出てきた。


ファン
検索
<< 2024年12月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
最新コメント
ミャンマーの旅6 by mari (11/22)
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
旅行(1)
プロフィール
メディアネットトラベルさんの画像
メディアネットトラベル
15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
プロフィール