ヤンゴンから飛行機でバングラデシュの空港に着いた。ダッカで1泊して、明日カトマンズへと再度飛び立つ。とりあえず、荷物が出てくるレーンで待っていると、バックパックが引裂かれてレーンの上を回っているのが何個かあった。衣類などが散乱していて初めて見る光景だったが、自分のがきちんと出てくるのか心配で仕方なかった。被害を受けた欧米人の女性が泣きながらバックパックを取り、散乱した衣類を集めていた。飛行機から荷物を出してレーンに乗せる際に現地のバングラデシュ人が物取りをして切り裂いたのだろうがダッカに着いて、いきなりのショックだった。結局、4人のバックパッカーが犠牲になり、3人の女性・1人の男性のバックパックがレーンを酷い姿で流れていた。もう使い物にならなくなっているので、どうやって、この場を凌ぐのか不思議だったが自分のバックパックは何にもされずに出てきたのでバックパックを取り出口へと向かった。空港を出る時に、鉄の柵で空港に一般人を入れないようにされていて、鉄の柵の外には凄い人達が空港の出入り口を見ていた。まるで暴動が起きているかのようだったが、案内されたバスに乗込み出発を待っていると、バックパックを引裂かれた4人も同じバスに乗ってきた。1人の女性は泣き崩れてしまいバスの中で顔を上げる事はなかった。確かにバングラデシュの最初が、こんな事件で始まるとは誰も予想してなかったのでショックを受けるのは当たり前だが、そんな重い空気の中、バスは出発した。エアコンの付いてないバスで、熱風が中に入ってきて汗だくになる。バス内ではダッカでの行動について話が現地担当者が話し出した。あくまでもトランジットなので、ダッカ市内に行ってもいいのだが、外泊は出来ない事。明日の早朝に出発するので、その時に居なかったら待たずにバスは空港へ行ってしまうと2点説明があった。夜飯はホテルで出るので、特にダッカへ行こうとは思わないが、どんな町か見てみたかったので、ちょっと出掛けてみようと思っていた。ホテルの到着すると、すぐに部屋を割当られた。自分の部屋は3人部屋で日本人2人と欧米人1人になった。バックパックを置いて、外でタクシーを拾いダッカ市内へと入って行った。町中は人・人・人でリキシャーと歩行者と車両で大渋滞。とりあえず適当な所で降りて、現地通貨を持っていなかったのでアメリカドルで前もって話していたので支払った。2時間ほど適当に歩いてみたが面白くもないので帰る事にして、ホテルの住所をタクシーに伝えて帰った。ダッカのインフラの悪さにビックリしたが、アジアの中でも最低ランクの貧困国であるので仕方ないのかな?と感じながらホテルに着いた。ホテルの中はエアコンが効いていて飲み物はフリー。ホテルのランクは中級くらいだが、ホットシャワーが出るので自分にしてみれば一流ホテルだった。夜飯もビュッフェスタイルで好きなだけ食べれたし、味も悪くなかった。部屋のエアコンは調子が悪いのか効いたり効かなかったりして温度調整が手動になってしまっていて、面倒なので一番冷える温度にしておいた。部屋の日本人と話をしたりして夜は過ごしていたが白人が先に寝てしまい、迷惑も掛けれないので寝る事にした。夜中にエアコンの効きが良くなり、部屋の中は冷凍庫状態に感じて布団に包まって寝た。リモコンは白人の所にあるのだが、全く動じずに寝ていたので寒くないのかな?と思ったが、そのまま寝てしまった。朝になると一番早く起きたのが、友達になった日本人だった。昨夜、寒すぎて寝れなくなり、朝まで起きていたそうだ。白人も起きてきて寒くなかったか聞いたら、分からなかった。と言っていた。結局、日本人の彼は朝食を食べた後にバスの中で寝てしまった。ホテルをチェックアウトする前に全員揃っているか確認されたのだが、バックパックを引裂かれた人達は、どこで買ったのか分からないが糸でバックを繋いで直していた。全員、盗まれた物はなかったと聞いて安心した。泣いていた女性も何事もなかったかのようにバスに乗っていた。たった1泊のダッカの旅であったが中々濃い1日を過ごした感じがした。飛行機はネパールのカトマンズへと向かった。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image