2018年08月23日
2007年浜松講演会3「蓮の花の修行」
今から蓮の花の修行のお話をします。
こういう人います。
「私、ひとりさんさんの本なんか読んで 天国言葉を言うようになったんです。
ところが、会社に行くと周りが否定的な地獄言葉ばっかり話してて、嫌になっちゃうんです」
ていう人がいるんですけど、人間って魂のレベルが上がると、あなたに与えられる、修行があるんです。
それは、あなたに与えられた修行が、蓮の花の修行なんです。
蓮の花って何ですか?っていうと、泥だらけの中から出てきて、泥がついていないんです。
それで、見事にキレイに咲きますよね。
で、泥から、みんなが汚いといっている泥から栄養をとってる。
それで、見事に咲いているんです。
いいですか?
会社の人間がどんなに否定的なことを言おうがなにしようが、あなただけは汚れることなく、穢れることなく、天国言葉を言い続ければいいんです。
修行の行は、「行く」と書くんです。
ただただ、行けばいいんです。
行って、言い続けてればいいの。
蓮というのは、根が蓮根(れんこん)っていうの。
連なる根っこ。
食べたことあんでしょ、蓮の天ぷらとか。
蓮根って、連なってるよ、って意味なの。
てことは、根は連なってるから、魂はみんなつながってるの。
だから、あなたが天国言葉を言い続けていたら、1人、2人、3人ってつながっていくの。
そういう修行にもう既に入っているのに、「あの人がああだ」とか、「この人がこうだ」とか言ってないの。
ともかく、自分だけでも天国言葉を言い続ける。
これが蓮の花の修行なんだ。
あなたは蓮の花の修行に入ったんだから、言い続けるしかないよ。
蓮の花の修行は観音さまの修行なんです。
どういうことかというと、観音さまって、手に蓮の花を持ってるよね。
どんな人の気持ちの中にも分け御霊(わけみたま)っていう、つまり真我という汚れのない、穢れのないものがありますよ。
ってのが、蓮の花を持ってるってことなのね。
で、あなたにはもう蓮の花の修行が来たんだから、自分は花として生きればいいんです。
その花として一所懸命生きていると、根がつながっているから、ちゃんと次々って出てくるよ。
今世、一所懸命やっても、誰も出てこないこともある。
そしたら、また来世やればいい。
そんなに急ぐことはないの。
世の中は無限に続いてますから。
ただ、自分に修行が来たんだな、ということで。
こういう人います。
「私、ひとりさんさんの本なんか読んで 天国言葉を言うようになったんです。
ところが、会社に行くと周りが否定的な地獄言葉ばっかり話してて、嫌になっちゃうんです」
ていう人がいるんですけど、人間って魂のレベルが上がると、あなたに与えられる、修行があるんです。
それは、あなたに与えられた修行が、蓮の花の修行なんです。
蓮の花って何ですか?っていうと、泥だらけの中から出てきて、泥がついていないんです。
それで、見事にキレイに咲きますよね。
で、泥から、みんなが汚いといっている泥から栄養をとってる。
それで、見事に咲いているんです。
いいですか?
会社の人間がどんなに否定的なことを言おうがなにしようが、あなただけは汚れることなく、穢れることなく、天国言葉を言い続ければいいんです。
修行の行は、「行く」と書くんです。
ただただ、行けばいいんです。
行って、言い続けてればいいの。
蓮というのは、根が蓮根(れんこん)っていうの。
連なる根っこ。
食べたことあんでしょ、蓮の天ぷらとか。
蓮根って、連なってるよ、って意味なの。
てことは、根は連なってるから、魂はみんなつながってるの。
だから、あなたが天国言葉を言い続けていたら、1人、2人、3人ってつながっていくの。
そういう修行にもう既に入っているのに、「あの人がああだ」とか、「この人がこうだ」とか言ってないの。
ともかく、自分だけでも天国言葉を言い続ける。
これが蓮の花の修行なんだ。
あなたは蓮の花の修行に入ったんだから、言い続けるしかないよ。
蓮の花の修行は観音さまの修行なんです。
どういうことかというと、観音さまって、手に蓮の花を持ってるよね。
どんな人の気持ちの中にも分け御霊(わけみたま)っていう、つまり真我という汚れのない、穢れのないものがありますよ。
ってのが、蓮の花を持ってるってことなのね。
で、あなたにはもう蓮の花の修行が来たんだから、自分は花として生きればいいんです。
その花として一所懸命生きていると、根がつながっているから、ちゃんと次々って出てくるよ。
今世、一所懸命やっても、誰も出てこないこともある。
そしたら、また来世やればいい。
そんなに急ぐことはないの。
世の中は無限に続いてますから。
ただ、自分に修行が来たんだな、ということで。
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posted by 斎藤一人さんの言葉 at 21:03| 2007年浜松講演会