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posted by fanblog

2020年02月28日

自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)

以前何度かA8.NETファンブログのブログテーマに参加させていただき
トラックバックというものをやってみました。


↓トラックバックしたブログ

トラックバックやってみました

冬といえば……

☆ブログテーマ:自分の趣味について


おかげでトラックバックが何なのか、感覚的に少し分かった気がします。
説明はまだできないのですが……。(汗

このトラックバック、A8.NETファンブログなら
どなたのブログでもできるみたいですね。
相手の方のブログに、関連記事として
自分の記事をリンクさせていただくような形になるようです。

しかし他の方のブログに勝手にリンクするのはいけない気がするし
「リンクしてもいいですか」と聞くのも勇気がいるので
とりあえず、自分で自分のブログに
トラックバックできるのかどうか試してみることにしました。

もしうまくできていれば、今後トラックバックを
うまく利用する方法も考えてみようかと思います。












posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(5) | 雑記

2020年02月25日

もう思い出の中にしかない場所

最近、野草に少し興味がわき始めた。

赤い花を咲かせる蔓草のマルバルコウ。
在来種だと思ったら外来種だったオオオナモミ。
根からアレロパシー物質を分泌するセイタカアワダチソウ。
三角形ではなく丸い実を付ける、可愛い名前のマメグンバイナズナ。


そういえば昔、一面に草が生える空き地があった。
そこに生えていた草の種類は覚えていないが、
目を閉じて思い返してみると
一面茶色い枯れ草のイメージが浮かび上がった。

中学校に徒歩通学していた頃、
私はその空き地を通って近道をしていた。
冬は草が枯れていて通りやすいが、夏は立派な茂みとなる。

冬が終わると徐々に通りづらくなるため、
通っていたのは主に冬の間だったと思う。
だから私のイメージの中であの空き地は茶色なのだ。
しかし通れる間は春でも通っていたはずだ。


その空き地は今では公園になった。
休日にはけっこう子ども達が来るようで、にぎやかな声が聞こえる。
私が近道していた場所は閉ざされ、もう通れなくなった。

今でも思い返してみるとうっすらとあの道の様子が浮かんでくる。

獣道のような鬱蒼とした入り口。生い茂る草。
入り口を通ると見える風景。多分、私しか見ていない風景。
道を抜けるときの景色。


あそこにはどんな植物が生えていたんだろう。
調べて見分けられるようにはなっていなかったから
すべてで一つの緑のかたまりにしか見えなかったけれど
いろんな植物が生えていたんだろうな。

頭の中にはまだあの場所があるのに
実際の景色はもう変わっているのが不思議だ。


変わったといえば隣町のスーパーは
リニューアル前はもっと薄暗かった。
スーパーに限らず昔の建物の中は
今よりもっと薄暗く感じた。

ぼんやりとした白。その奥に広がる淡い闇。
あまりぱっとしない色合い。
ちょっと怖かったけれどあの薄暗さが懐かしい。


消えたものは他にもいろいろある。
川が工事されてホタルが消えた。
ソーラーパネルを敷き詰められて雑木林が消えた。

あの日見つけた白い花のカラスノエンドウ……
白い花のノゲシ…… シロバナタンポポ…… シロバナマンジュシャゲ……
来年も咲いているだろうか。

生き物のいる光景はすぐ消えるからなあ……。


雑木林を切ってソーラーパネルを敷き詰めるのが
エコってことなのだろうか。
雑草の茂る草むらを切り開いて外国の美しい花を植えることが
ガーデニングなのだろうか。

いつか「思い出」になる場所に
生えていた野草の名前、住んでいた生き物たちの種類を思い出せるように
これから覚えていきたいと思う。



posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(4) | 雑記

2020年02月14日

ベジタリアンになれば解決するのか…… 自然や生き物と共生できる理想のライフスタイルって?

最近いろいろな生き物たちの可愛い動画が
ネット上にアップロードされていますね。
生き物たちの意外な姿を動画サイトで見る度に、目からウロコが落ちます。

生き物たちは本当にすごい!
そして可愛い!

ないがしろにしていい命などないのだなぁと日々再確認しています。
知能が高いとか低いとか人はよく言うけれど、
生き物たちの姿形もライフスタイルも、表現方法は様々なのだから
知能が高いとか低いとかいう認識も改めた方がいいのかもしれませんね。


さて、生き物たちの愛情深さを知り、
「まさかこの生物と人間が信頼関係を結べるとは思わなかった……」
という動画を目にする度に
嬉しいようなモヤモヤするような気持ちになりますね。
「私たち人間は、最大限生き物を大切にしているのだろうか?」と。

犬や猫の殺処分、環境破壊、動物実験、毛皮の売買……
気になることは数あれど、やはり一番身近で気になるのは
「日々、生き物を食べていること」ですね。

これは動物界でも同じですが、
みんな意識を持って存在している命ある者なのだから
何かを食べたりせずともエネルギーを得られるシステムに
変わればいいんですけどね〜。






まぁそれはいつか神様に出会ったときに尋ねるとして
何か生きる罪悪感が減るような、
素晴らしいスタイルは存在しないのでしょうか?
……と考えたとき、まず思いつくのは
「ベジタリアンになること」ですね。

私は高校生の頃くらいにそれをやろうとして挫折しました。
あの時は成長期だったからエネルギー的に無理かなぁ……
しかし残念ながら今でも食欲と煩悩が止まらず
相変わらず肉と生魚(刺身・寿司)が大好物です。

……ちなみに魚ってなつくそうです……
「魚 なつく」で検索したら文章や動画が出てきます。


なんとかしたい。だけど食べたい。
始まるのは本能との戦い。
けれど結局、動物食をやめられず、毎日無駄に心を痛めて疲れるだけ……

と負のループに突入したところでふと思ったのですが
そもそも「……ベジタリアンになったら何か解決するんでしたっけ?」


「人はベジタリアンになるべきだ」という声に対する
「植物も生き物じゃないか」という意見は定番のようで
それは確かにごもっともなのですが

もしベジタリアンになりたい理由が植物以外の生き物のためだった場合……
植物を食べることで、生き物を追い詰めずに済むようになるのでしょうか?


よく考えたら農家さんは日々、電気柵で畑を囲ったり
農薬をまいたりして野生動物や昆虫と戦いつつ
野菜を作ってくださっているはずです。

野菜や果物を作るには土地が必要なので
どこかの国では森林を破壊して畑に変えているとも聞きました。

……その野菜や果物を食べて生きようとすることはもしや
生き物との共存共栄的なスタイルとは呼べないのでは……。
野菜を食べることで動物が救われると思いきや
また別の問題が出てきそうです。


そんなこと考えるのはただの
ベジタリアンになれないひがみなんですが、その上で……。

なんか、ベジタリアンになったら
すべてが解決しそうに思っていたのですが
結局「ベジタリアンになれば万事OK」ということでもないような……?

そんなこと言っていないで一回ベジタリアンになってみないと
見えないこともあるはずですけどね。






もし自然との共存共栄を目指すなら
つまるところ、人間の目指すべき理想のスタイルってのは
何なんですかね……。

山奥で、自分で畑を作って自給自足?
でもそれだと虫や動物と戦うことになるのかなぁ……。


山に入って木の実や野草やキノコを取って食べる?
それだと山買わなきゃいけないんですかね……。
そのへんの草を取って食べるとなると、まず排気ガスとか心配……。

それに野草を食べるなら相当植物に詳しくなって
毒草や毒キノコの見分け方、野草の食べ方を知らないとダメだし、
ハチやヘビから身を守る方法も知らなきゃいけないですね。
ニホンザルのとこにホームステイでもして修行しないと無理なのでは……。


うーん、いくら考えてみても
「スーパーハッピーな最高のライフスタイル」が思い浮かばないし
思い浮かばないものをどうやって実現すべきかも分かりません。
しょせん絵空事か、偽善者のたわごとか……。

しかし世の夢を叶えた人は、
道をすべてあらかじめ知っていたわけではないですよね。
見える道、こうかもしれないと思うところを進んだ結果、
そこにたどり着いたのかも。


すると私がまず目指すべきなのは……
振り出しに戻って「ベジタリアン」ですね。
もちろん植物も虫も微生物もみんな生きているけれど、
まずはやっぱりベジタリアンから。

でもお肉もお魚も美味しいんだよなぁ……


そして結局今日も食べる。明日も食べる。
……大口叩いといてなんてザマでしょう。

分かっていても、なかなか、なかなか……。
命は尊いと分かっているつもりなのに……。
まだ理解が足りないのかな?
素晴らしい動画をもっとたくさん探すか……。

「命を大切にする」
思考上ではこんな簡単なことが、
なかなかどうしてできないものですね。









posted by 四月一日 at 12:34| Comment(0) | TrackBack(3) | 雑記

2020年02月05日

新型コロナウイルスでマスクの値段が大変なことに……(Amazonのマスクが数千〜数万円!?)

新型コロナウイルス、新型肺炎のニュースが続いていますね。
そのうち落ち着くのでしょうか……。
マスクも足りていないみたいですね。

マスクが品切れ続出中と話には聞いていましたが
私の住んでいる場所は田舎町のため
マスクが売り切れるほど人が殺到するイメージがなく、
「この街のマスクはなくならないのでは?」と思っていました。

しかし売り場を見てみると本当にマスクが品切れ中で
残っているお店でも購入数制限中でした。


これは……地元の人が大量に買っていったのでしょうか?
それともよそから誰かが買いに?
いや、マスクをより必要としている地域に送られたとか?

商品の流通についてはまったく詳しくないので分かりませんが
「これほどまでに影響を受けているなんて……」と
改めてコロナウイルスの影響力を感じました。


そんなマスク、Amazonでも売られているのですが
値段を見てみるととんでもないことになっていました。
下に、マスクの商品情報を並べて貼ってみます。

























どれも数千円。
いくら何でも……すごすぎる値段ですね。

私が確認した時点では比較的安い商品もあったのですが
それも今後どうなるか……。


そういえばポテトチップスやペヤング焼きそばが売り場から消えたときも
インターネット上で高値で売っている方がおられたような。
何かが品薄になると、急に値段が跳ね上がりますね。

私も成果を得ようとしてインターネット上で
アフィリエイトをしている身なので人のことは言えないのですが
やっぱりお金の流れってなんだか妙なものですね……。

ちなみに上にリンクを貼ったマスクについてですが
Amazonでの評価を見ると一見大量にレビューがあり
高評価だったりするのですが、
レビューをよく見ると質が悪いという情報があったりします。
マスクに限ったことではないですがご注意ください。


このマスクパニック(?)を見ていると、
なんとなく学校で習ったオイルショックを思い出します。
実際オイルショックが何だったのかはよく知らないのですが……
いつもはたくさんあるものが何かのきっかけでなくなったりするんですね。

早くマスクが元通り売られるようになって
新型肺炎もなくなることを願っています。

posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年01月30日

節分の思い出……

もうすぐ節分ですね〜。

今年は豆をまいたり恵方巻を食べたりする予定はないのですが、
節分と聞くと、豆まきをしたことが懐かしく思い出されます。
思いっきり何かを投げるような行事って、他にはないですよね!

豆まきをするとき、何も考えずにまいたら、
豆が家具の下などに入っていった…… ということもありました。
あのあと豆はどうなったのでしょう。
庭にまいた豆はいつの間にかなくなっていました。

豆まき後は豆をひろって食べていましたが、あの味もまだ覚えています。
鬼のお面をスーパーで見かけると懐かしい気持ちになりますね。
鬼と言えば、幼稚園の節分のときに来た鬼さんたちが
やたらとリアルで怖かった記憶もありますが……。

さて、今年の節分には特に何かする予定はないと書きましたが
美味しそうな節分のデザートを見つけたら買ってしまうかもしれないです!
甘党なもので……。

季節ごとに様々な食べ物が並ぶのは楽しいですね。
そしてスーパーの飾り付けなども見ていると楽しいです!

ということで、今回は節分の思い出についての投稿でした。


posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年01月27日

生き物の名前って便利


生き物はみんな、「◯◯科」とか「◯◯類」とか分類されていますね。

この、全部分類するというやり方、
何か見つける度に「あっ生き物だ! ところでこれは何類?」と
生き物をデータのように見がちなことに
最初は違和感を持っていたのですが

たくさんの生き物たちに会いに行って、調べてみて、
今更ながら「名前って良いものだな」と再確認しました(*゚ロ゚)



まず、名前があることで、
名前を呼ぶことができるんですね。
当たり前ですが(*´▽`*)

名前を呼ぶことができるから、
カメムシはカメムシ、バッタはバッタと
認識を共有できます。



また、今はインターネットで調べられるのが良いですね!
アブを調べたければ検索することで情報が出るし、
一種類の生き物の世界にどっぷり浸かることもできます。



紙の図鑑しかない頃だと、図鑑に載っていない虫は
いくらページをめくってももちろん情報は出てきませんでしたが

インターネットだとなんでも出てきて、
虫たちがどういう場所で何をしているとか知れて
虫好きな人がたくさんいるんだということも知れて
ついでに別の生き物の情報も、知ることができたりします。
また、勝手にどんどん更新されていきます。

これは生き物に名前があって、
インターネットが発達したからこそできるようになった楽しみ方ですね。
ありがたいです!



ちょっと話がそれますが、
虫好きの人のブログって面白いのが多いんですね。
なぜだか分かりませんが……。

ただ生き物の名前を調べようとしただけなのに
文章の面白さに笑い転げてしまうことが多いです(°ー°;)

多様性を認める大らかな心を持っているからとか、
人間以外の多くの生き物たちに目を向けて人生を楽しむ
余裕を持っているから、とかでしょうか……?

自分は陰気でつまらない人間ですが、
少しは見習いたいものです(`・ω・´;)



というわけで(?)生き物に名前があるおかげで、
情報を共有しやすく、
世界がグッと広がるということを知りました。

これはきっと生き物以外のことでも同じですね!

現代になって
自分の好きなことの仲間を見つけたり、
情報を得たり、発信したりできて、
自信を持てるようになった人はたくさんいると思います。



前は、
「生き物は生き物、命は命で良いじゃないか」と思っていました。

自分が契約やらルールやら書類やら一般論やらで
存在を縛られているように感じるから、

生き物たちは自由であってほしい、
生き物たちまで細かな概念で縛ってほしくない、というふうに
感じていたように思います。



でも生き物を分類することは束縛じゃなく、
理解なのだと知りました。

「全部同じ生き物で、同じ命」と言ったって
湿度を好む生き物を乾燥した場所に放り出したら死んでしまいます。

どの生き物が何の仲間で、
だから同じ特徴を持っているとか
違う部分もあるとか
どう進化してきたとか

名前を付けることは、
個性を知ることなんですね。



生き物はみんな平等だけれど、
みんなに同じ接し方をすることが平等なのではないんですね。
犬は犬、猫は猫としての特徴があって、それを理解していくべきです。

それは人間でも同じですよね〜。

静かなのが好きな子、
賑やかなのが好きな子、
いろんな人がいます。



だから、「全員同じにすればいい」ってもんじゃないですね。

集団行動が苦手な人もいる。
独りぼっちが苦手な人もいる。
それぞれのタイプに合ったケアが必要です。



生き物に名前を付けるのも、
誰がどういう環境に住むか、
何を好むのかを理解するためのものだったんですね。

名前があるおかげで情報が集まって、
情報が集まっているおかげで、そこにアクセスすることで、
初対面の生き物たちの情報まで引き出せるようになりました。



分類するなんて人間的であって
自然に反する人間の勝手な行為だと思っていましたが
ホント、変な思い込みを持つのはやめた方が良いですね(>_<*)

なぜそうするのか、
なぜそういうことになっているのか

知らないままに違和感があるだとか、
苦手だとか決め付けない方が良いです。



で、ここまで語ったんだから
たくさんの生き物の名前を調べて理解するつもりがあるのかというと……

無理です( ̄▽ ̄;)

何か大きな活動をする気もなければ
自分で生き物たちのルーツや行動を観察し尽くす気も
カメラについて調べて昆虫写真を極める気力も
今のところありません。

手元にある道具と
身近な生き物たちと
多くの方が積み上げた情報の力をお借りして
ちょこっと世界を覗き見る程度です。

……思い込みも良くないけれど、
大口叩いてできもしない持論を展開するのも災難の元ですね〜。



今のところ、調べてみて、名前を知って、
興味のある話が聞ければラッキーくらいに思っています(*^-^*)

そんな気分次第の娯楽を、理解とは呼ばないですね(ノ∀`;)

でも興味のあるところから
興味のあるものをそれぞれ探求していけば、
人間の世界が面白いことで満たされていって、
多くのものが大切にされるようになる気がします。

まずは面白いことから。



面白くなければ辛くなるし、
辛くなれば何かに興味を示す気力もなくなるし、
興味がなくなれば重要性も分からなくなり
理解も繋がりも失っていく気がします。

なんとなくご縁を感じた。
なんとなく触れ合えた気がした。
ただただ楽しかった。

そんなことにも大事な意味があってほしいな〜と思います。






posted by 四月一日 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(3) | 雑記

2020年01月26日

共感のしかたって……。理想の受け答えって……。

人が、楽しい話ではなく
困った話や体調が悪い話をしているとき
なんて答えたらいいか分からなくて困ったことがあります。

そして今では大抵、
「こんなことがあって……」という話には
「分かります。私もこんなことがあったから」と返すようにしています。
(多分そのはず……。)

理由は、「そうなんだ。大変だったね」だけだと
突き放したような言い方に感じるし、
本当に共感しているのかどうか分からない気がするからです。


しかし、こういう意見もよく聞きますね!?

「勝手に話をすり替えないでほしい。
 自分の話を始めないでほしい。私が話しているんだから」と。


つまり、余計なことは言わずに
「そうですか……それは大変でしたね」と言うのが正解ですかね……。
いや、「大変でしたね」はなんか嫌味っぽいから
ひたすら相槌打つのがいいんですかね。

うん、今度からそうしようかな……。


しかし話し方って無意識に癖になっているから難しいですよね〜。
以前に何らかの理由があって自分の話し方を変えていても、
その理由はもうとっくに忘れて、形だけが残っていたりします。
話し方に限ったことではないですけどね。

あと、自分はナチュラルに話しているつもりなのに
「なんでそんな言い方するの!」とか言われることも多くて困ります。
でもどうせそこで態度を変えたって、またいつか別の人に
「あなたはどうしてそうなの!」って言われるでしょうね〜。


AじゃなくB、CじゃなくD。
人は際限なく好き勝手言います……

……おっと、話がそれました。


とにかく受け答えって難しいですよね〜。
自分の気持ちも分からないし、人の心も難しいのです。

みんななんて言ってほしいんでしょうね。

もし一言一句はずされたくないような
「こう言ってほしい」という理想の受け答えが存在するなら
それはもう、人に言うんじゃなく
自分自身と交換ノートとかメール交換とかして、
お好みのセリフを自分に言わせた方が早いですね。


また少し話が変わりますが
ストーカーとかネットの荒らしって、無視してもなお荒らすイメージで
それはもう、相手がどう反応しているかなんか目にも入らず
自分の妄想ワールドに浸っているのだと思いますが
相手がどう反応しようが関係なく自分の世界のみに浸れるなら、
相手は必要ないですよね。

人を巻き込まずに自分一人で妄想しといてください、
あなたにはその力があるのだから、って感じです。

で、そういう妄想ワールドの人も、
「こういう反応してくれないと許さない!」って思う人も
目の前の相手の受け答えより自分の気持ちの方が大事なら
それはもう、「相手」いらないですよね。


人の話し相手になるってどういうことでしょうねー……。
で、私はこんな話をブログに書いて何がしたいんでしょうね。

とにかく愚痴れてスッキリしました。
やっぱり自分だけだと悶々とする一方で、
こうやって書くことでスッキリするので……。
……あ、話すのも書くのもつまり一緒か。

言わなきゃ気が済まないってやつですね。
ではこれで終わります。
今回は愚痴ですみませんでした。






posted by 四月一日 at 21:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記

2020年01月25日

*恋愛や結婚や子育てを、してもしなくてもいい世界であってほしい

私はなぜか、人から恋愛や結婚を薦められることを恐れています。

……恋愛しなさいとか結婚しなさいとか、
そんなにキツく踏み込んでくる人いないと思うんですけどね!?

いたとしても「したくないんです〜」って言っときゃいいんだし
人はどんな考えを持つのも自由なはずだし、
自由であることに自信持っていればいいのに……。

なぜだか恐いんです。
あと、後ろめたいというか、申し訳ないのかもしれません。


恋愛できる人はすごいです。

誰かを愛したいと思えるなんて。
そのことについて、いっぱい考えられるなんて。
きっと恋愛の世界はすごく深くて広くて、
恋愛をしたからこそ分かることもたくさんあるんでしょうね。

私は映画とか音楽とか漫画とか好きですが、
恋愛をしていない私が見たって、
そこから受け取れるものはごくわずかだと思います。

恋をして誰かを愛した人には、
歌も映画もすべて違って見えるんでしょうね。


結婚をする人もすごいです。
結婚することで、恋から愛へ、より世界が大きくなるんですね。
それが恋や愛じゃないとおっしゃったとしても、
人間として一つ大きな経験を得て、世界が広がることには違いありません。
ある意味二人で一つになる。人生を共有する。
まわりの人からも「夫婦」という存在になりますね。


そして子育てをしている人もえらいです。
本当にすごいです。心底尊敬します。
自分以外の誰かを育てられるなんて。
人間を一人増やすって、それが使命感であれワクワクであれ、
とにかくものすごいことです。
当たり前のことなんかじゃありません。

子育てをすれば、親子の概念や世界の見方が変わってくるでしょう。
小さい頃に見た本の印象も変わってくるでしょう。
しんどいこともあるでしょうが、素晴らしい体験ですね。


子どもを育ててこそ、
人間という「生き物」として存在しているって気がします。
テレビで見る動物たちでも、子孫を残そうとか、
子どもを育てることに命を懸けていますもんね。
未来へ命を残す。
それが生き物としての本来のあり方なんだと思います。


そして、人間のみで見ても。

今、少子高齢化で人手不足と言われているんだから
人間を育てることは社会への貢献です。
その意図や自覚があろうとなかろうと、
子どもを育てるのは素晴らしいことだし、
わざわざそのシステムに逆らう理由がありません。

「愛情」「人としての成長」という面で見ても、
子育てをするというのは人間的に
受け取る側から与える側になっていくことですよね。
それでこそ一人前の大人というか。






……それに比べて私は……

痛いのや苦しいのや、我慢することや努力が大っ嫌いです。
そんなもの、それ自体を「好きだ」と言う人は少数派でしょうが、
「結果的にそうなる」ことをみんな
当然のようにできるのだからすごいと思います……。

私には絶対無理です。

何も背負っていない今でさえ不自由だと感じているし、
もっともっと何にも縛られず自由になりたいです。
毎日好きなだけ寝たいし、誰の目も気にせずに遊びたいし、
いつか自分の時間を100%自分のために使いたいです。


体の調子がほんのちょっとおかしいとかでも耐えられません。
個体としての、自分という存在のみを守りたいので
そこにそれ以外の誰かが入ってくることが許せそうにありません。

だから、子どもを生むのは無理そうだと、
小学生の頃くらいから多分感じていました。
そのうち変わるかと思っていましたが、
感覚的に変わることはなく、それどころか「絶対無理」になりました。

手術も恐いです。
まだやったことありませんが、
できれば死ぬまで、あんまり病院のお世話にはなりたくないです。


あと、忙しくなるとか、人のために時間を裂くとか、
想像しただけでイライラするほど心が狭いです。

ただでさえ人間は自分を生かすために働かなきゃいけない。
それすらおかしいと思っているのに、人のためになんて到底無理です。
家族のためであっても。


多分私には「愛情」ってものがないんだと思います。

ただ、理屈でなら「子どもを生むべき」というのが分かります。
一人っ子政策しなきゃならないような事態なら別ですが、
少子高齢化で人手不足ですもんね。
子どもを生み育てることは若い世代の使命なんじゃないか、
とすら思います。

だから、万が一結婚や子育てを薦められたら、
それにもっともらしい理由で
「やりたくない理由」を返すことができないのです。

それが異常に恐いです。
自分が、自分でも説明のつかないことをやっているようで。


なので、もしいつか誰かと論争になったときに
何と言うべきか、ずっと考えています。
おかしいくらい同じことばかり考えています。

私は何が何でも恋愛と結婚と子育てをしたくないのですが、
それを説明する決定的な「理由」がまだ見つかっていないのです。

政治家の人が、女は子どもを生むべきだとか失言したり、
ちょっと過激な創作物で
「子どもを生むことだけが女の価値」という言葉が出てきたり、
そういうのを見る度に不安と怒りと焦りで頭の中がいっぱいになります。


正直私はまだ、生きていて楽しいとか、
生まれてきて良かったとか思いません。
どちらかといえば消えたいけれど、
前述の通り痛みや苦しみが大嫌いなので、自分を消す勇気がないだけです。

いや、楽しいことがあるにはあるんですが、
それは苦し紛れというか気分転換というか、
「本質・問題点から目をそらしているだけ」のような気がするんです。
痛みの原因を取り除けずに、痛み止めだけを延々と使っているような。


でも自分がそう感じているのに、
次の世代に生きる喜びや生きる意味を伝えられるわけないですよね。
私が分からないんだから。

そしてもし「次の世代の担い手を増やす」という使命感だけで
愛情もなく生み出されたら、自分だったらたまったもんじゃないです。
「歯車として私を生んだの? 愛してはくれないの?」って。
役割を与えることを愛と呼ぶとしたら、私だったら絶対嫌です。






自分はなんで生まれてきたんだろう? って今もずっと思っています。

人は何のために生きるんでしょうか。
誰のために子孫を残すんでしょうか。

人間だけでなく、生き物たちも。

この弱肉強食の世界で、新たな命を生み増やして、
食べたり食べられたりして、続いていく……


憂鬱になります。
弱肉強食のシステムも、繁殖のシステムもいらない。

弱肉強食だから、苦しみがあるから、命や資源が減っていくから、
消えていくから、なくなっていくから、劣化していくから、
衰えていくから、だから「増やさなきゃいけない」。

納得いきません、絶対。


もし恋愛や結婚や子育てが趣味みたいなもので、やるもやらぬも自由で、
遊びみたいに楽しいことだったら何とも思いません。

でも強制もされていないのに、強制されているような不安に苛まれます。


私は学生の頃、運動神経が悪いのでスポーツをしたくないのに
体育の授業で強制的にやらされたことが嫌でした。
ことあるごとに思い出し、文句を言いたくなるくらい、
今でも心に残っています。


選択肢の一つであって、
やるもやらぬも自由であれば良いんですよね、全部。

そして本当はそうなのに、
何かに怯えてしまうと「やらされている」気持ちになってくるんですよね。


だから私は「恋愛も結婚も子育てもしたくないんだよね〜」だけ、
自信を持ってハッキリと、言えるようになりたいです。
本当はそれで良いはずなんですよね。


確かに少子高齢化で人手不足で、
私は非国民的考えをしているかもしれない。
でも、未来なんて「ああ言ったかと思えばこう変わる」ものです。

ゆとり世代でも失敗とかなんとか言われていますが、
やり始めた頃には誰も何も言っていないでしょう。
言葉も浸透していません。

批判は常に後出しです。
現状は勝手に変わるんです。
勝手に良いものになったり、悪者扱いされたり。
外来種だって、外来種と呼ばれて騒がれるまでは
存在していたって特に何とも思われていなかったでしょう。


そしてすべて、次はどうなるか分からない。

ああしろこうしろ、失敗だ成功だと、みんな無責任に言う。

ならそんな不安定な現状のために自分を犠牲にすることない。


だって、未来はロボットに仕事を奪われるかもしれないなんて
言っている人もいるのに。
そうなったら、若者の行き先がなくなるかもしれないのに。
生まれた若い世代だって、いつかは年をとるのに。

右か左か、いやいや上か……
どんな道具が生まれて、どんなルールができて、
どんな予期せぬ時代になって、そしてどこまでハッピーになるか、
それともアンハッピーになるかは現時点では分からないです。


だから私は今、これで良いと思いたいです。

人間の数は生き物から見りゃ十分多いです。
ここは田舎だというのに、街は建物だらけ。
人間はもう少し数を減らして、街を森に返したっていいはずです。
生態系や環境がどうとかいうなら、ただの草地を増やしましょう。
そうすりゃそこに生態系とやらが戻ってくるかもしれません。

空飛ぶ乗り物を作って、道路を少しずつ森に返していただきたいです。
機械やロボットに手伝ってもらって、
機械が一人で人間百人分の働きをしてくれたら嬉しいです。

書類とかルールとか国境とか軍事的なこととか
ちょっとずつ少なくしていって、
盗みをする必要も意味もないような社会になれば
セキュリティー的な作業も道具もぜーんぶいらないようになって、
そうしたらあれもこれも連鎖的に必要なくなって……


減らしていきましょう。
花いっぱい、虫いっぱいになるように。

自然ともっと繋がれば、
アレルギーや病気や花粉症もなくなるかもしれません。

動物も病気にはなると思いますが……。
自然はまだ成長途中だと思います。
自然が回復して、進化してくれたら嬉しいです。


だから私は、恋愛や結婚や子育てをする必要がない!


やりたい人が、やりたいことだけをやる。
「やりたいとか好きとか楽しいってわけじゃないけどさぁ……」
「好きでやってるわけじゃない」
という気持ちが、もうどこからも出てこないくらい自由な社会になる。
不幸自慢、がんばり自慢、我慢自慢がなくなる。

もっと自由自慢をするようになっていく。
そして自由自慢を見た人は、自由を得られるようになっていく。
自慢というより紹介かな。

そしてもっとみんなの寿命がのびる。

弱肉強食や繁殖のシステムがなくなる。

医学だの科学だのが「神の領域」に踏み込めるなら……
弱肉強食と繁殖もなくせるはずです!
人類が納得した頃に、是非そうなってほしい(他力本願)。

別に人間の技術じゃなくて
地球の力、星の進化、ワンステージアップでもいいです。
アセンションでも次元上昇でもなんでもいいです。


弱肉強食とか繁殖とかおかしいって思ってた。
一方で相手を食べ、一方で命を懸けて子を守る。
大事にする命と、犠牲にする命がそれぞれにある。
減るから増やさなきゃいけない。

世界はそれだけじゃないはず。
弱肉強食と繁殖が世界のシステムのベースなわけがない。
まだ何かあるんだ。隠された道が。
忘れ去られた世界の真実が。

私は私だけで、あなたはあなただけで、十分価値があるはず。

物を作らないと価値がないとか、命を生み育てないと価値がないとか、
生産性がなきゃいけないとか、そんなはずない。

これからはもっと
「今存在する、あなたという人間一人で、すでに完璧」なはず。

肉体より精神性!
以上です。


posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(4) | 雑記

2020年01月24日

☆ブログテーマ:自分の趣味について

今日もファンブログのテーマに参加してみます!
ブログテーマは趣味についてですね。
私の趣味はゲーム、マンガ、写真、そして文章を書くことです。


ゲームは最近あまりゆっくりできていませんが、
一ヶ月に一回はやっています。
ちなみにどうぶつの森が好きです!
こちらはどうぶつの森について書いたブログです。

 ↓ ↓ ↓

けけトロニカ・こわいうた・ミニマルおんがく・うたたねのゆめ・けけララバイ【どうぶつの森の怖いBGM】


3DSの「とびだせどうぶつの森」で遊んでいます。
夏の釣りや虫とりが特に好きで、
部屋や家のレイアウト、ミュージック集めも楽しいです。

もう家や街のレイアウトは一応完成したので
お花の交配やマイデザイン作り、公共事業、
家具集めなどには力を入れていないのですが
また一気に模様替えしてみるのも楽しそうです。

カブの売り買いも面白くてよくやっていたのですが
一回大失敗して以降、怖くて手を出せなくなりました……。
(カブをやるにはスペースも必要ですね)
最近はパネポンや釣りや利息でお金を増やしています。
貯めたお金を使う予定は特にありません。


あとマンガを読むのも趣味の一つです。
好きなジャンルのものを集めています!
お気に入りの本を枕元に置いて、寝る前にめくるのが好きです。

 ↓ ↓ ↓

ほのぼの系たぬきマンガ【一冊完結】

化けアニマルいっぱいの学園まんが【全7巻完結】

【マンガ版】狸と天狗と人間の物語【全4巻完結】

徳島が舞台のたぬき漫画【全9巻完結】

うどんの国、香川が舞台のたぬき漫画【全12巻完結】

四国の伝説の狸と、狐たちの嫁盗り合戦漫画【全3巻完結】

狼、狐、狸…… アニマル系の少女漫画【全4巻完結】

狐狗狸さんとの同居コメディ漫画【全12巻完結】

妖怪(狐)× 警察 なマンガ【全3巻完結】


それから、写真を撮るのも好きです。
と言っても一眼レフとかレンズとか難しいことは分からず、
コンデジで撮っているだけなのですが……。

そのコンデジも、わりと最近買ったばかりです。
それまではタブレット端末のカメラのみ使っていました。
そしてそのタブレットを使い始めたのもわりと最近で……。
つまり私は写真初心者です。

タブレット端末以前は、3DSのカメラ機能を使っていました。
3DSカメラで撮れる写真は味があって今でも好きです。
以前はいろんなところに3DSを持って行って写真を撮りました。
今度はデジカメを持って遠くまで行って
デジカメでも写真を撮ってみたいです。

こんな初心者ですが、実はこの間ピクスタで写真を売り始めました。
売れるかどうかは分かりませんが、審査に通ったので嬉しかったです!
(下のバナーを押すとピクスタの私のページに飛びます)

 ↓ ↓ ↓

ストックフォト「ピクスタ」で写真を販売開始するまで

写真素材 PIXTA


あと他に好きなことは、文章を書くことです。
小学生の頃から好きでした。
以前は読書感想文が苦手だったのですが
今は好きな本についてブログを書いたりもしています。
課題図書とか、制限があるわけではないので楽しいのかもしれません。

あと、このブログには雑記もたくさん投稿しています。
ブログ自体趣味っぽいですね。

 ↓ ↓ ↓

雑記のページ


それから、最近、小説投稿サイト「カクヨム」での活動も始めました!
今までこのブログでは好きな商品のことや雑記を書いてきたのですが
カクヨムではストーリーをメインにしていくつもりです。
小説投稿サイトでも雑記的なエッセイを投稿できるはずですが
それはブログで書いているので分けようかと思います。

でも最初にカクヨムに掲載したのは詩集で、
このブログに投稿している雑記の内容とあまり変わらないのですが……。

 ↓ ↓ ↓

詩集「良くも悪くも、星の回転は止まらない」をカクヨムに投稿しました


今はストーリー的な文章もカクヨムに投稿しているのですが、
よく見るとそれも、普段ブログで書いている内容と大差ありません(汗
もっと物語は物語、紹介文は紹介文らしくしていきたいです。

ではこれで終わります。
趣味満載の話にお付き合いいただきありがとうございました!






ツギクルバナー
posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年01月23日

宇宙人って本当に人型なの?

宇宙人、宇宙人ってよく言うけれど
宇宙人が人型である保証はないですよね〜(o□o;)

足が50本、羽が6枚、目が6つだったり……

いや、足や羽や目のようなものはなくて
呼吸もしていなくて、ぜんっぜん違う形態の存在かもしれませんね!?


しかし、地球内生命体ともうまくやっていけていないし
同種である人間の気持ちすら汲めていないし(>_<;)
地球外生命体と仲良くできる気がしません……。

こちらの文化や生き物たちへの接し方や
思想や生活スタイルを見て注意されるかも……。
いや、注意どころか幻滅して帰ってしまうかも(ー_ー;)


というかその前に私は、相手の方がどんな容姿でもどんな思想でも
どんなに耳の痛いことを言われても受け入れられるんでしょうか(°▽°;)

こちらが受け入れてもらいたければ、
向こうのことも受け入れるのが礼儀ですよね〜。


うーん、無理な気がする……。
今のままじゃ、宇宙人とも生き物とも人間とも、
うまく交流できない気がする……。

ということで、まずは
今より一ミリ器の大きい人間を目指そうと思います。

大事なのは交流力アップすること! ですね!







posted by 四月一日 at 20:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記
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