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2020年03月14日
冬になると歯が痛くなる
ここ数年、冬になると歯が痛くなります。
数年前の冬、歯が痛くなり
「虫歯かな……やだな」と思いつつ様子を見ていました。
しかしあんまり放置して悪化しても嫌なので歯医者さんに行きました。
すると、自分が痛いと思っていたところは何ともなく
他の歯が軽く虫歯になっているからと、まわりの歯を治療されたのです。
別の歯が痛いのに、痛い場所を誤解していたのでしょうか?
とりあえず痛いと思った場所がひどい虫歯とかじゃなくて良かったです。
通院が終わった頃には痛みも消えていたので、これで一安心です。
そして一年が過ぎた頃……。
再び元の場所が痛くなりました。
しばらく様子を見ましたが悪化しても嫌なので歯医者に行き、
痛いところとは別の場所を治療され…… あれっ、デジャヴ?
治療は早く済みました。何度も通わず1〜2回だったかも?
そして今年の冬。
やはり治療されていないあの歯が痛くなりました。
なんだろう、もしかしていつの間にか歯ぎしりしてすり減っているとか?
虫歯以外のことが原因で痛いとか?
今年は歯医者に行くのが億劫だったので我慢しました。
すると春が近づいてきた頃に痛みがだいぶマシになりました。
たしか去年・一昨年と歯医者に行ったのは2月頃でした。
毎年2月前後に痛くなり、3月にはマシになる……と
そういうサイクルなのでしょうか。
虫歯じゃなくてもなんらかの原因で歯が痛くなることはありそうですね。
歯のみがきすぎで痛くなったという人もいました。
しかし、私が痛いと思っているのとは違うところを治療されるにしても
毎年診てもらえるのは安心でした。
ほったらかして歯を削るのでは済まなくなったら怖いもので……。
なのでまた来年、歯が痛くなる頃に歯医者に行けたらなと思います。
数年前の冬、歯が痛くなり
「虫歯かな……やだな」と思いつつ様子を見ていました。
しかしあんまり放置して悪化しても嫌なので歯医者さんに行きました。
すると、自分が痛いと思っていたところは何ともなく
他の歯が軽く虫歯になっているからと、まわりの歯を治療されたのです。
別の歯が痛いのに、痛い場所を誤解していたのでしょうか?
とりあえず痛いと思った場所がひどい虫歯とかじゃなくて良かったです。
通院が終わった頃には痛みも消えていたので、これで一安心です。
そして一年が過ぎた頃……。
再び元の場所が痛くなりました。
しばらく様子を見ましたが悪化しても嫌なので歯医者に行き、
痛いところとは別の場所を治療され…… あれっ、デジャヴ?
治療は早く済みました。何度も通わず1〜2回だったかも?
そして今年の冬。
やはり治療されていないあの歯が痛くなりました。
なんだろう、もしかしていつの間にか歯ぎしりしてすり減っているとか?
虫歯以外のことが原因で痛いとか?
今年は歯医者に行くのが億劫だったので我慢しました。
すると春が近づいてきた頃に痛みがだいぶマシになりました。
たしか去年・一昨年と歯医者に行ったのは2月頃でした。
毎年2月前後に痛くなり、3月にはマシになる……と
そういうサイクルなのでしょうか。
虫歯じゃなくてもなんらかの原因で歯が痛くなることはありそうですね。
歯のみがきすぎで痛くなったという人もいました。
しかし、私が痛いと思っているのとは違うところを治療されるにしても
毎年診てもらえるのは安心でした。
ほったらかして歯を削るのでは済まなくなったら怖いもので……。
なのでまた来年、歯が痛くなる頃に歯医者に行けたらなと思います。
2020年03月13日
最近の自宅での過ごし方
今日はファンブログのブログテーマに参加します。
テーマは自宅での過ごし方ですね。
私が今家で力を入れていることはブログを書くことです!
……いつもと同じですね。
私は元々インドア派で、たまにお出かけするときも
友達とワイワイ過ごすのではなく一人で人気の少ないところを探して
虫や植物や鳥を眺めて過ごしたりしているので、あんまり変わらないです。
最近お散歩がマイブームですが、
お店や建物の中にはできるだけ入らないようにしているし
(外食をしたりマスクを買ったりはします)
対人恐怖症で人に近づくこともないし、大丈夫かと思っています。
散歩して気になったことを書き留め、調べ、
新たな発見があればブログに書く……。
その繰り返しが楽しいです。
今困っていることは、私が使っているタブレット端末の容量が
写真や動画でいっぱいになってしまったことです。
私は絵を描くのが好きなため、資料として
気になる生き物をいろんなアングルから撮って
その画像を溜めこんでいたりします。
それですぐにいっぱいになってしまいました。
以前は調子に乗って動画を撮りまくっていたものの、
最近は容量がピンチだから写真を撮るのみにしていたのですが……。
容量がいっぱいになるのを防げませんでした。
まだまだ撮りたいし、今後うまい整理法について考えたいです。
あともう一つ困ったというかショックだったのは、
視力が下がっているのに気づいたことです。
少し離れたところからテレビを見たとき、
以前は見えたはずの字幕が読めなくなっていました。
ネットの見過ぎかな……。
慌ててタブレット端末の画面の明るさを下げ、
ブルーライトフィルターをかけました。
これで視力が元に戻ってくれればなと思います。
(下がることはあっても上がることはないでしょうが、
あえて自然に治ると信じておきます。)
画面ばっかり見てちゃいけないなと分かったところで
遠くを見ようと散歩に繰り出し、写真をたくさん撮って
せっかく空けた容量がまたいっぱいになる……。
そして画面を見つつ画像を整理し、気になることを調べ、
ブログを書くのに夢中になる……。
そんなことを繰り返している今日この頃です。
2020年03月12日
自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(4)
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(3)」
の続きです。
トラックバックのやり方が分かってから、続けてやってみています。
トラックバックしても別ページの宣伝としては
あまり目立たないように感じたのですが
やってみるとアクセス数が上がったようなので
SEO対策的な効果があるのかなと思っています。
それで一つのページからいくつもトラックバックを送信してみたのですが
どうも一つのページからはいっぺんに5つ、
合計で10までしか送れないらしいと分かりました。
それ以上送っても送信失敗となっています。
しばらくはそれに気づきませんでした。
また、一番最初に試したときは
トラックバックURLを入力したまま下書き保存したら
トラックバック送信失敗になっていました。
下書きの段階でトラックバックを入力しておくことは
できないみたいですね。
なので記事の中にトラックバックURLを並べて保存しておいて、
投稿直前にそこから切り取り・貼り付けをして送信するようにしています。
まだトラックバックについてはよく分からないのですが
今後もいろいろ試してみようと思います。
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(3)」
の続きです。
トラックバックのやり方が分かってから、続けてやってみています。
トラックバックしても別ページの宣伝としては
あまり目立たないように感じたのですが
やってみるとアクセス数が上がったようなので
SEO対策的な効果があるのかなと思っています。
それで一つのページからいくつもトラックバックを送信してみたのですが
どうも一つのページからはいっぺんに5つ、
合計で10までしか送れないらしいと分かりました。
それ以上送っても送信失敗となっています。
しばらくはそれに気づきませんでした。
また、一番最初に試したときは
トラックバックURLを入力したまま下書き保存したら
トラックバック送信失敗になっていました。
下書きの段階でトラックバックを入力しておくことは
できないみたいですね。
なので記事の中にトラックバックURLを並べて保存しておいて、
投稿直前にそこから切り取り・貼り付けをして送信するようにしています。
まだトラックバックについてはよく分からないのですが
今後もいろいろ試してみようと思います。
2020年03月10日
命の価値って?/情報本編よりコメント欄を見て人間が怖くなる
以前からYouTubeの評価とコメント欄が気になっています。
私は動画投稿はやっていないのですが、
いつも他の方の動画に一定数低評価がついていたり
荒れているコメント欄があったりします。
最近こちらのブログ↓で書いたことを知ってショックを受けています。
フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想
何がそんなにショックだったのだろうと考えてみると
情報本編よりコメントに打ちのめされたような気もします。
今、動物の命について考えさせてくれるような
動画がたくさん投稿されているのですが
必ずといっていいほどそれらのコメント欄が荒れています。
動物を殺すことについて「いいじゃん動物なんだから」
という意見をふざけた調子で書いているコメントが多くあり、さらに
「バーカww」「そっちこそアホ」みたいな進展のない応酬、
真面目にコメントしている人に食ってかかる人がいたりなど
低レベルなやりとりがたくさんあります。
それを見て、命の価値って何だろうなと思いました。
別に現時点では、真面目に考えようがふざけたことを言おうが
事態が大きく動くわけじゃないんだから
肉を食べつつ「あの態度はちょっと……」と言うのも
ただの偽善かもしれないですが……。
カワウは漁業に被害を与えるから駆除されます。
でも「被害」とか「迷惑」とかは人間目線で言っているものです。
私も人間なんだし、お店にお世話になっているし
一連の流れがあって人間界が成り立っているのだから
社会にお世話になっておきながらそこだけ切り取って書くのは変だけど
地球から見たらどの生物も地球のバランスをとっているのだろうし
地球にとって必要な生物を多く発生させているのかもしれません。
……それを言うなら人間という生き物もそのはず、ですね。
私は人類や生き物にとって有益な何かを生み出せるかというと、
そんなことありません。
昔から落ちこぼれで、何をやってもだめな奴で、
怒られてばかりなので人が怖いです。
なんで生まれたんだろう、どうやって生きていけばいいんだろうと
常々思っています。
しかしこんな人間が地球に必要でしょうか。
私は正直、誰かの役に立ちたいと微塵も思えないし
子どもを授かるつもりもありません。
ただズルズルと生きることにしがみついているだけです。
こんな状態で生きていくことが、
死んだ動物たちの生命より尊いと言えるでしょうか……。
でも人間であるというだけでとりあえず
「めったに殺されない」権利を得られます。
「動物なんて人間のために利用して当然www」といった
コメントをしている人も、今日も明日も普通に生きているのでしょう。
ああいうコメントをしている人を見ると、私がいじめられていた頃の
いじめっ子の態度を思い出します。
ニヤニヤ笑っていました。
で、ある時はいじめっ子同士で普通に勉強とか進路の話をしていました。
よくこっちの気持ちも知らずにのうのうと
進路の話なんかできるなと思っていたのですが
きっと脳内で切り替えているんでしょうね。
あれとこれとは別、みたいな。
私がいじめられていると思っていただけで
そいつらにとっては大したことではなかったのかもしれませんね。
ふざけたコメントする人も、軽い気持ちでいるのでしょう。
「いじめはダメ!」って言う人だって大半は
頭の中で動物と人間を振り分けているはずです。
動物なら感謝して食べるのが礼儀でも
人間相手だといくら感謝しても食べちゃいけません。
今の時代「人種差別はダメ」となっているけれど
時代が時代なら私は「◯◯人だし、この扱いでもしょうがないよね」と
頷いているんでしょう。
逆にもし動物を殺さないのが当たり前の星に生まれていたら
そっちの感覚になびいて地球人を批判していたかもしれません。
犬を食べる国を批判するとか……イルカを食べる文化を批判するとか……
お国柄とかまわりの感覚とかには染まるものですから……。
SNS等見ていると、
牛や豚や鶏や野菜の命について投稿している人はそんなにいなくても
食べ物をアップしている人はたくさんいます。
私は牛や豚や鶏の生態を知らないけれど、美味しい味だけは知っています。
私たちは動物の魂、命、存在そのものより
動物が持っている肉体に価値があると思っています。
動物の命より、命と引き換えに得られる肉の方が大事です。
人間による、人間社会への生け贄みたいですね。
けどそれ、動物だけに当てはまることでしょうか。
我々人間は「魂」や「命」を尊ばれ求められているのでしょうか。
そうでもない気がします。
私が何が好きとか、どういう生き方をしたいとか、
思っていてもなかなか叶いません。
誰かが無条件で叶えさせようとしてくれる生易しいものではありません。
「それでも夢を叶えるために努力するのが人生だ」
なんて人は言うかもしれないけれど
結局人間社会にとって必要なのは優秀な労働力、
歯車、国に税金を納める人間です。
下手に夢見て中途半端な物を生み出すくらいなら
普通に歯車でいてくれた方がいい
人間も多少、命より肉を求められる動物たちと一緒です。
そうでないなら、本当に人間の個性や命が尊いなら
無条件で好きなことを好きなだけできるシステムになっているはずです。
そんなので社会が成り立つビジョンが思い浮かびませんけど
万が一そうなった頃にはもう動物の肉も必要ないかもしれませんね。
私が昔持っていた「ブレーメンの音楽隊」の絵本ではたしか
年老いて捨てられたロバを若いロバが馬鹿にするシーンがあったのですが
それもいじめっ子のイメージと被ります。
YouTubeのコメント欄に「我々人間様の方が動物より偉いから」と
コメントしている人も
私なんかをいじめるしか娯楽のなかったしょうもないいじめっ子も
表向きは綺麗に整って、ある程度納得できて少し不満なこの世界も
食べられてゆく動物たちも
みんな多かれ少なかれ、誰かの手のひらの上で
コロコロ転がされているのかもしれませんね。
命じゃなく、中身の肉目当て。
命じゃなく、中身の労働力目当て。
人間が動物にしていることを、
人間相手にもしているのでしょう。
動物相手にその関わり方しかできないなら、
人間にも同じことしかできないはずだから。
私は動画投稿はやっていないのですが、
いつも他の方の動画に一定数低評価がついていたり
荒れているコメント欄があったりします。
最近こちらのブログ↓で書いたことを知ってショックを受けています。
フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想
何がそんなにショックだったのだろうと考えてみると
情報本編よりコメントに打ちのめされたような気もします。
今、動物の命について考えさせてくれるような
動画がたくさん投稿されているのですが
必ずといっていいほどそれらのコメント欄が荒れています。
動物を殺すことについて「いいじゃん動物なんだから」
という意見をふざけた調子で書いているコメントが多くあり、さらに
「バーカww」「そっちこそアホ」みたいな進展のない応酬、
真面目にコメントしている人に食ってかかる人がいたりなど
低レベルなやりとりがたくさんあります。
それを見て、命の価値って何だろうなと思いました。
別に現時点では、真面目に考えようがふざけたことを言おうが
事態が大きく動くわけじゃないんだから
肉を食べつつ「あの態度はちょっと……」と言うのも
ただの偽善かもしれないですが……。
カワウは漁業に被害を与えるから駆除されます。
でも「被害」とか「迷惑」とかは人間目線で言っているものです。
私も人間なんだし、お店にお世話になっているし
一連の流れがあって人間界が成り立っているのだから
社会にお世話になっておきながらそこだけ切り取って書くのは変だけど
地球から見たらどの生物も地球のバランスをとっているのだろうし
地球にとって必要な生物を多く発生させているのかもしれません。
……それを言うなら人間という生き物もそのはず、ですね。
私は人類や生き物にとって有益な何かを生み出せるかというと、
そんなことありません。
昔から落ちこぼれで、何をやってもだめな奴で、
怒られてばかりなので人が怖いです。
なんで生まれたんだろう、どうやって生きていけばいいんだろうと
常々思っています。
しかしこんな人間が地球に必要でしょうか。
私は正直、誰かの役に立ちたいと微塵も思えないし
子どもを授かるつもりもありません。
ただズルズルと生きることにしがみついているだけです。
こんな状態で生きていくことが、
死んだ動物たちの生命より尊いと言えるでしょうか……。
でも人間であるというだけでとりあえず
「めったに殺されない」権利を得られます。
「動物なんて人間のために利用して当然www」といった
コメントをしている人も、今日も明日も普通に生きているのでしょう。
ああいうコメントをしている人を見ると、私がいじめられていた頃の
いじめっ子の態度を思い出します。
ニヤニヤ笑っていました。
で、ある時はいじめっ子同士で普通に勉強とか進路の話をしていました。
よくこっちの気持ちも知らずにのうのうと
進路の話なんかできるなと思っていたのですが
きっと脳内で切り替えているんでしょうね。
あれとこれとは別、みたいな。
私がいじめられていると思っていただけで
そいつらにとっては大したことではなかったのかもしれませんね。
ふざけたコメントする人も、軽い気持ちでいるのでしょう。
「いじめはダメ!」って言う人だって大半は
頭の中で動物と人間を振り分けているはずです。
動物なら感謝して食べるのが礼儀でも
人間相手だといくら感謝しても食べちゃいけません。
今の時代「人種差別はダメ」となっているけれど
時代が時代なら私は「◯◯人だし、この扱いでもしょうがないよね」と
頷いているんでしょう。
逆にもし動物を殺さないのが当たり前の星に生まれていたら
そっちの感覚になびいて地球人を批判していたかもしれません。
犬を食べる国を批判するとか……イルカを食べる文化を批判するとか……
お国柄とかまわりの感覚とかには染まるものですから……。
SNS等見ていると、
牛や豚や鶏や野菜の命について投稿している人はそんなにいなくても
食べ物をアップしている人はたくさんいます。
私は牛や豚や鶏の生態を知らないけれど、美味しい味だけは知っています。
私たちは動物の魂、命、存在そのものより
動物が持っている肉体に価値があると思っています。
動物の命より、命と引き換えに得られる肉の方が大事です。
人間による、人間社会への生け贄みたいですね。
けどそれ、動物だけに当てはまることでしょうか。
我々人間は「魂」や「命」を尊ばれ求められているのでしょうか。
そうでもない気がします。
私が何が好きとか、どういう生き方をしたいとか、
思っていてもなかなか叶いません。
誰かが無条件で叶えさせようとしてくれる生易しいものではありません。
「それでも夢を叶えるために努力するのが人生だ」
なんて人は言うかもしれないけれど
結局人間社会にとって必要なのは優秀な労働力、
歯車、国に税金を納める人間です。
下手に夢見て中途半端な物を生み出すくらいなら
普通に歯車でいてくれた方がいい
人間も多少、命より肉を求められる動物たちと一緒です。
そうでないなら、本当に人間の個性や命が尊いなら
無条件で好きなことを好きなだけできるシステムになっているはずです。
そんなので社会が成り立つビジョンが思い浮かびませんけど
万が一そうなった頃にはもう動物の肉も必要ないかもしれませんね。
私が昔持っていた「ブレーメンの音楽隊」の絵本ではたしか
年老いて捨てられたロバを若いロバが馬鹿にするシーンがあったのですが
それもいじめっ子のイメージと被ります。
YouTubeのコメント欄に「我々人間様の方が動物より偉いから」と
コメントしている人も
私なんかをいじめるしか娯楽のなかったしょうもないいじめっ子も
表向きは綺麗に整って、ある程度納得できて少し不満なこの世界も
食べられてゆく動物たちも
みんな多かれ少なかれ、誰かの手のひらの上で
コロコロ転がされているのかもしれませんね。
命じゃなく、中身の肉目当て。
命じゃなく、中身の労働力目当て。
人間が動物にしていることを、
人間相手にもしているのでしょう。
動物相手にその関わり方しかできないなら、
人間にも同じことしかできないはずだから。
2020年03月09日
フォアグラだけがどうこうという問題じゃないと思っていたけれど/その他・妄想
最近、カワウという水鳥について調べてショックを受けました。
カワウは昔日本にたくさんいたけれど、
一時期環境破壊によって極端に数が減り絶滅が心配されました。
しかし今は環境が良くなったのか逆に増えすぎ、
駆除されたりしたそうです。
それを聞いて私は「自然を大事に」とか「命は尊い」とか
そういう言葉って一体なんなのだろうと考えてしまいました。
多いものは価値がない、迷惑。
少ないものは貴重、大事。
数が変われば命の重みも変わるのでしょうか。
また、外来種の植物の情報を見ていると、
かつて観賞用として持ち込まれたという記述も目につきます。
偶然見かけたオオキンケイギクという花に興味を持ったのですが、この花は
以前人の手で植えられたけれど今は駆除の対象だと書かれています。
そういう場合でも、外来種は外から勝手にやってきた侵略者のように
描かれていることが多い……ように思います。
そりゃ、悪者にしないと
「人間の都合でコロコロ対応を変えて駆除するなんておかしい」
「命をなんだと思っているんだ」という話になってしまうのだから
「この生物はこんな被害をもたらします!」とのみ
書かないといけないのでしょうが……。
なんか、人々や「世間」が真っ当だと思うことも理不尽だと思うことも
全部有力な誰かの情報発信に操作され・煽動され
どこかに火の手が及ばないようにコントロールされていそうですね。
話は変わりますが最近水鳥について調べていて
偶然目にしたフォアグラに関するウェブページを覗いてしまいました。
フォアグラがどのように作られているか、
今までも話には聞いていましたが
「フォアグラだけがどうこうという問題じゃないよな」と思っていました。
人も生き物も何かを食べて生きている……そのサイクルは延々と続くのだし
それが残酷だと言い始めたらどうしようもないからです。
しかし写真つきのページと文章を見てみると、なるほど確かに……
フォアグラが残酷だと問題にされる意味が分かりました。
私は今までにも毛皮に関することや、と殺、動物虐待、
犬猫の殺処分に関する文章・動画・本を覗いてきました。
今もたまにそのような情報を見ています。
しかしベジタリアンになろうとしても
肉の魅力に取り付かれているためにどうしても食べたくなって
いつもそこ止まりです。
私はそこまで食いしん坊ではないと思っていました。
しかしそれは毎日おなかいっぱい食べているから
飢えた本能が露呈することがあまりないだけで
ちょっとおなかがすけばすぐ、頭の中は肉でいっぱいになってしまいます。
食欲というものを自分は、自分が思うより強く持っていました。
肉が食べられなくなることを思うとそれは無理だとなります。
なかなか恐ろしい本能……いや煩悩ですね。
栄養云々よりまず、肉が食べられなくなることに耐えられそうにないです。
できる限りいい人ぶろうとしても……
知的で冷静で温厚なフリをしようとしても……
心の奥底に隠しきれない本性が揺らめいている気がします。
……常に。
今日もテレビや新聞は人間の話ばかりです。
外へ出ても、人間が生き物を殺している様子は目に見えません。
店には食べるための整ったお肉やお魚。
公園には可愛いお花と身近な野鳥たち。
整ったお肉やお魚と、外で暮らしている「生き物」は別物のようです。
……殺戮は綺麗に隠されているんですね。
そして、食べるためのものと食べ物ではないものを頭の中で分けています。
ショックな話を聞く度に、日常がどんどん嘘臭く見えてきます。
ありふれた、平凡な、なんとなく永遠に続くであろう毎日。
「明日は何しようかな」「来年は」と未来について考え、
手帳に数ヶ月先まで計画を書き込む自由がある「人間」の生活。
私は普通に善人で、嫌なことはやめたり理不尽なことには怒ったりできる。
そんな前提を暗黙の了解で持ち続け、人のことを批判したり、
「今日やなことあったー」なんて愚痴ったりできる毎日。
「私は幸せになりたい」とか「こう考えたら幸せになれるかもよ」
とか人間同士で「ステキな考え方」をシェアしあう日々。
他の生き物たちはきっと、
いつ殺されるかか分からない、そんな今一瞬を
文句も言わず生き抜いているのに。
生き物たちにとっての幸せってなんだろう。
多分私たちが思っている「何事もない平穏な毎日」というのは望めない。
そして過酷な一生を生き抜く権利を与えられることや
死によって肉体から解き放たれることすらも「神様からの愛」であり
お肉になる生き物たちもフォアグラになる鳥も
駆除される外来種もすべて平等に神様に愛されているとするならば
我々が神に平穏無事やその他いろいろを願うことは、
自然の摂理や命を何か誤解しているのかもしれません。
私に「私、善人だから幸せになりたいです〜」って言いながら
笑う権利なんてあるんでしょうか。
神様に私の思う「幸せ」を願う権利なんてあるでしょうか。
……もっと自由になりたいです。
「どうやったらお金を得られるか」「一生食べていけるか」
「病気にならず、災害が起こらず、健康で過ごせますように」
「おなかがすいた、あれが食べたい」
そんな、自分を構成する、ありふれた唯一の思考から抜け出して……。
嫌なことを嫌と言う権利は人間だけのもの。
幸せを追い求め、幸せを語る権利は人間だけのもの。
本に書いてある「幸せな考え方」を
他の生き物に当てはめて考えてみるとつじつまが合わない。
もし自分が、お肉にされる動物に生まれたら
誰に「助けて」と言えばいい?
身動きとれない状態で有害物質を投与される実験動物だったら?
そこから考え方や行動次第で幸せになれるものでしょうか。
万が一、自分だけなんらかのアクションで注目されて
「食べられる運命から逃れた奇跡のアニマル!」と
もてはやされ助かったとしても
他の仲間たちはあいかわらず人間に食べられる状況の中で
「私幸せになりました」って心の底から言えるでしょうか……。
今だってそうです。
こんなに食べているのに、人間だけ特別で
「幸せ〜♪」って考えるべきなのでしょうか。
そして別に人間だけ自然のサイクルから外れておかしいわけでもなく
動物の世界も弱肉強食で……。
目指すべき場所がどこか、守るべき命が誰かは結局分かりません。
だから自由になりたいです。
こんなくだらない文句を言う自由さえ
死んでいった動物たちにはなかった。
そう思うとこんなこと言うのおこがましいけれど、
人間も生き物も不自由に感じます。
いつだって、生きるためのシステムに縛られて。
だから自由になりたいです。
カワウは昔日本にたくさんいたけれど、
一時期環境破壊によって極端に数が減り絶滅が心配されました。
しかし今は環境が良くなったのか逆に増えすぎ、
駆除されたりしたそうです。
それを聞いて私は「自然を大事に」とか「命は尊い」とか
そういう言葉って一体なんなのだろうと考えてしまいました。
多いものは価値がない、迷惑。
少ないものは貴重、大事。
数が変われば命の重みも変わるのでしょうか。
また、外来種の植物の情報を見ていると、
かつて観賞用として持ち込まれたという記述も目につきます。
偶然見かけたオオキンケイギクという花に興味を持ったのですが、この花は
以前人の手で植えられたけれど今は駆除の対象だと書かれています。
そういう場合でも、外来種は外から勝手にやってきた侵略者のように
描かれていることが多い……ように思います。
そりゃ、悪者にしないと
「人間の都合でコロコロ対応を変えて駆除するなんておかしい」
「命をなんだと思っているんだ」という話になってしまうのだから
「この生物はこんな被害をもたらします!」とのみ
書かないといけないのでしょうが……。
なんか、人々や「世間」が真っ当だと思うことも理不尽だと思うことも
全部有力な誰かの情報発信に操作され・煽動され
どこかに火の手が及ばないようにコントロールされていそうですね。
話は変わりますが最近水鳥について調べていて
偶然目にしたフォアグラに関するウェブページを覗いてしまいました。
フォアグラがどのように作られているか、
今までも話には聞いていましたが
「フォアグラだけがどうこうという問題じゃないよな」と思っていました。
人も生き物も何かを食べて生きている……そのサイクルは延々と続くのだし
それが残酷だと言い始めたらどうしようもないからです。
しかし写真つきのページと文章を見てみると、なるほど確かに……
フォアグラが残酷だと問題にされる意味が分かりました。
私は今までにも毛皮に関することや、と殺、動物虐待、
犬猫の殺処分に関する文章・動画・本を覗いてきました。
今もたまにそのような情報を見ています。
しかしベジタリアンになろうとしても
肉の魅力に取り付かれているためにどうしても食べたくなって
いつもそこ止まりです。
私はそこまで食いしん坊ではないと思っていました。
しかしそれは毎日おなかいっぱい食べているから
飢えた本能が露呈することがあまりないだけで
ちょっとおなかがすけばすぐ、頭の中は肉でいっぱいになってしまいます。
食欲というものを自分は、自分が思うより強く持っていました。
肉が食べられなくなることを思うとそれは無理だとなります。
なかなか恐ろしい本能……いや煩悩ですね。
栄養云々よりまず、肉が食べられなくなることに耐えられそうにないです。
できる限りいい人ぶろうとしても……
知的で冷静で温厚なフリをしようとしても……
心の奥底に隠しきれない本性が揺らめいている気がします。
……常に。
今日もテレビや新聞は人間の話ばかりです。
外へ出ても、人間が生き物を殺している様子は目に見えません。
店には食べるための整ったお肉やお魚。
公園には可愛いお花と身近な野鳥たち。
整ったお肉やお魚と、外で暮らしている「生き物」は別物のようです。
……殺戮は綺麗に隠されているんですね。
そして、食べるためのものと食べ物ではないものを頭の中で分けています。
ショックな話を聞く度に、日常がどんどん嘘臭く見えてきます。
ありふれた、平凡な、なんとなく永遠に続くであろう毎日。
「明日は何しようかな」「来年は」と未来について考え、
手帳に数ヶ月先まで計画を書き込む自由がある「人間」の生活。
私は普通に善人で、嫌なことはやめたり理不尽なことには怒ったりできる。
そんな前提を暗黙の了解で持ち続け、人のことを批判したり、
「今日やなことあったー」なんて愚痴ったりできる毎日。
「私は幸せになりたい」とか「こう考えたら幸せになれるかもよ」
とか人間同士で「ステキな考え方」をシェアしあう日々。
他の生き物たちはきっと、
いつ殺されるかか分からない、そんな今一瞬を
文句も言わず生き抜いているのに。
生き物たちにとっての幸せってなんだろう。
多分私たちが思っている「何事もない平穏な毎日」というのは望めない。
そして過酷な一生を生き抜く権利を与えられることや
死によって肉体から解き放たれることすらも「神様からの愛」であり
お肉になる生き物たちもフォアグラになる鳥も
駆除される外来種もすべて平等に神様に愛されているとするならば
我々が神に平穏無事やその他いろいろを願うことは、
自然の摂理や命を何か誤解しているのかもしれません。
私に「私、善人だから幸せになりたいです〜」って言いながら
笑う権利なんてあるんでしょうか。
神様に私の思う「幸せ」を願う権利なんてあるでしょうか。
……もっと自由になりたいです。
「どうやったらお金を得られるか」「一生食べていけるか」
「病気にならず、災害が起こらず、健康で過ごせますように」
「おなかがすいた、あれが食べたい」
そんな、自分を構成する、ありふれた唯一の思考から抜け出して……。
嫌なことを嫌と言う権利は人間だけのもの。
幸せを追い求め、幸せを語る権利は人間だけのもの。
本に書いてある「幸せな考え方」を
他の生き物に当てはめて考えてみるとつじつまが合わない。
もし自分が、お肉にされる動物に生まれたら
誰に「助けて」と言えばいい?
身動きとれない状態で有害物質を投与される実験動物だったら?
そこから考え方や行動次第で幸せになれるものでしょうか。
万が一、自分だけなんらかのアクションで注目されて
「食べられる運命から逃れた奇跡のアニマル!」と
もてはやされ助かったとしても
他の仲間たちはあいかわらず人間に食べられる状況の中で
「私幸せになりました」って心の底から言えるでしょうか……。
今だってそうです。
こんなに食べているのに、人間だけ特別で
「幸せ〜♪」って考えるべきなのでしょうか。
そして別に人間だけ自然のサイクルから外れておかしいわけでもなく
動物の世界も弱肉強食で……。
目指すべき場所がどこか、守るべき命が誰かは結局分かりません。
だから自由になりたいです。
こんなくだらない文句を言う自由さえ
死んでいった動物たちにはなかった。
そう思うとこんなこと言うのおこがましいけれど、
人間も生き物も不自由に感じます。
いつだって、生きるためのシステムに縛られて。
だから自由になりたいです。
2020年03月04日
ヘリウム風船の自動販売機
私が小さい頃、となり町のスーパーに
ヘリウム風船の自動販売機がありました。
何度かそこで風船を買ってもらったと思います。
どんなふうに風船が出てきたかはもうあまり覚えていないのですが、
たしか風船が膨らんでいく様子が見えて、
大きめの取り出し口から風船を取り出していたように思います。
風船の自動販売機の近くには
本屋さんの絵本コーナーと、屋上への階段がありました。
階段には子ども向けの可愛らしいイラストが描かれており、
屋上は、屋上遊園地というほどではないかもしれませんが
小さい子向けの乗り物がある遊び場になっていました。
さらにゲームコーナーも近くにあった気がします。
子どもの時、遊べそうなものがいっぱいのそのエリアは
ワクワクする場所でした。
また、少し離れたところにあるおもちゃ売り場では
おもちゃで遊べるコーナーがあり、
ロボットペットと遊んだりゲームをしたりできました。
しかしそのうち屋上の遊具にはブルーシートがかぶせられて
動くことがなくなり、その後いつの間にか消えてしまいました。
今では屋上は駐車場になっています。
おもちゃで遊べるコーナーもたしかもうなかったのではないでしょうか。
子ども心がくすぐられるエリアが少なくなっていくように思います。
この間ヘリウム風船の話を聞いて、
ふっと、風船の自動販売機と
そのまわりのエリアの光景を思い出しました。
子ども向けエリアに限らずですが、物は放っておけば壊れてゆくし
維持費とか需要とか色々と事情があるんですよね。
身近だった物たちも採算がとれなくなれば消えてゆく。
旧式の物は新型に変わる。
そう思うと、今ある景色も儚いものですね。
以前上ることができた時のスーパーの屋上は、
たしか小さい子向けに高い柵で囲われていて
まわりの景色は見えませんでした。
でも駐車場になった今、ちらっと見てみると
見晴らしがよくて素敵な眺めの場所でした。
あの景色を見ながら食事なんかできないかなぁ……。
もう遊び場は戻ってこないだろうけれど、
遊び場が消えたあと、あのスーパーの屋上で
パンを食べたひとときの思い出も蘇ります。
次にまたあの屋上に変化があるとしたら、
今度はほっこり休憩できる場所になっていてほしいです。
以前はそのスーパーの近くに観覧車もありました。
そこから見た景色の記憶はもうないけれど、
たしか何度か乗せてもらっていたはずです。
その時はあそこから町を見渡せたんだなぁ……。
もう、身近にとなり町を見渡せるスポットはないかもしれません。
あれからもう、風船の自動販売機を見かけません。
このあたりではどこへ行ってもありません。
他の場所に行ったときにまた見られるでしょうか。
もう戻れない、小さい頃に見た光景と
あの時のワクワク感が懐かしいです。
小さい頃の思い出も……変わりゆく町も……
儚い今のこの瞬間も、
手を離したら飛んでいってしまうヘリウム風船のようですね。
頭の中のいらないものから手を離せば
心はヘリウム風船のように空高く飛んでいけるでしょうか。
目を閉じて小さな頃の気持ちに思いを馳せれば、
観覧車よりも高く飛んで、町を見渡せそうな気がします。
2020年03月03日
A8.NETファンブログの追記機能 試してみました(2)
前回のブログで追記機能を試してみました。
「追記」を使うと記事にリンクが貼られるのかと思ったのですが
追記して投稿してみると、
普通にブログの続きを書いて投稿するのと同じように表示されました。
これだと記事編集と別に変わらないような……。
しかもスマートフォン版ファンブログの記事編集のページを開いてみると
追記部分が見あたらない!
ちょっと分かりにくい機能ですね……。
あとで「おー、こういうことか!」と何か発見があるのでしょうか。
そうなればまた追記機能を使ってみようと思いますが、
そうでもないなら、普通に記事を編集・再投稿するので
いいかな〜と思います。
数日前にトラックバックに関する記事を書いてから
トラックバックは続けてやってみています。
普通にリンクを貼るのと何が違うのか実験中です。
「追記」を使うと記事にリンクが貼られるのかと思ったのですが
追記して投稿してみると、
普通にブログの続きを書いて投稿するのと同じように表示されました。
これだと記事編集と別に変わらないような……。
しかもスマートフォン版ファンブログの記事編集のページを開いてみると
追記部分が見あたらない!
ちょっと分かりにくい機能ですね……。
あとで「おー、こういうことか!」と何か発見があるのでしょうか。
そうなればまた追記機能を使ってみようと思いますが、
そうでもないなら、普通に記事を編集・再投稿するので
いいかな〜と思います。
数日前にトラックバックに関する記事を書いてから
トラックバックは続けてやってみています。
普通にリンクを貼るのと何が違うのか実験中です。
2020年03月02日
A8.NETファンブログの追記機能 試してみました(1)
A8.NETファンブログには「追記」という機能があるみたいですね。
前回まではトラックバックを試していたのですが
今度は追記を試してみたいと思います。
追記って説明を読んでもなんなのかよく分からないので
やったことがありませんでした。
書き終わった記事に付け足し投稿できるのでしょうか?
それとも二つの記事をリンクで結びつけたりできるのでしょうか。
普通に記事を編集・再投稿するのと何が違うのか気になります。
とりあえず一旦このまま投稿し、あとで追記をやってみます。
続きを読む...
前回まではトラックバックを試していたのですが
今度は追記を試してみたいと思います。
追記って説明を読んでもなんなのかよく分からないので
やったことがありませんでした。
書き終わった記事に付け足し投稿できるのでしょうか?
それとも二つの記事をリンクで結びつけたりできるのでしょうか。
普通に記事を編集・再投稿するのと何が違うのか気になります。
とりあえず一旦このまま投稿し、あとで追記をやってみます。
続きを読む...
2020年03月01日
自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(3)
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
の続きです。
前回、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」を
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」に
トラックバックさせる(?)ことに成功し、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
の記事の下の方に
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
へのリンクが表示されました。
しかし……
思ったより地道!
リンクがまったく目立ちません。
注意深く見ようとしなければ目に入らない感じです。
トラックバックが目立つようなら
自分の記事をトラックバックしまくって
別の記事を宣伝し、目立たせようかと思ったのですが……。
この感じだとちょっとあんまり……。
ファンブログのブログテーマに参加したときの
表示の仕方とはまた違うんですね。
ブログテーマ参加だとけっこうリンク先のブログが目立つので、
あんな感じが良かったなぁ……。
ところでトラックバックをしたとき、承認制にしているため
自動的に記事が表示されなかったのですが
どうすれば承認できるのか分からずしばし迷いました。
そしてPC版サイトに切り替えることでようやく
トラックバック承認の項目が見つかりました。
スマートフォン版からは操作できないのかな?
さて、自分で自分の記事にトラックバックしたら
どうなるかが大体分かったのですが
そういえばまだ他にも使っていない機能があります。
他のも試してみようかな……。
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
の続きです。
前回、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」を
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」に
トラックバックさせる(?)ことに成功し、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
の記事の下の方に
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
へのリンクが表示されました。
しかし……
思ったより地道!
リンクがまったく目立ちません。
注意深く見ようとしなければ目に入らない感じです。
トラックバックが目立つようなら
自分の記事をトラックバックしまくって
別の記事を宣伝し、目立たせようかと思ったのですが……。
この感じだとちょっとあんまり……。
ファンブログのブログテーマに参加したときの
表示の仕方とはまた違うんですね。
ブログテーマ参加だとけっこうリンク先のブログが目立つので、
あんな感じが良かったなぁ……。
ところでトラックバックをしたとき、承認制にしているため
自動的に記事が表示されなかったのですが
どうすれば承認できるのか分からずしばし迷いました。
そしてPC版サイトに切り替えることでようやく
トラックバック承認の項目が見つかりました。
スマートフォン版からは操作できないのかな?
さて、自分で自分の記事にトラックバックしたら
どうなるかが大体分かったのですが
そういえばまだ他にも使っていない機能があります。
他のも試してみようかな……。
2020年02月29日
自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
の続きです。
↓以前トラックバックを試したブログ
トラックバックやってみました
冬といえば……
☆ブログテーマ:自分の趣味について
最近私はトラックバックするとかしないとか言うようになりましたが
まだトラックバックが何なのか完全に分かっているわけではありません。
トラックバックする・しないという言い方が
合っているのかどうかも分かりません。
とりあえず実験中です。
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
の記事のトラックバックURLをコピペし、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
の記事を投稿するときに、記事の設定を開いて
コピーしたURLを貼り付け、投稿しました。
これで一応、トラックバック完了のはずです。
の続きです。
↓以前トラックバックを試したブログ
トラックバックやってみました
冬といえば……
☆ブログテーマ:自分の趣味について
最近私はトラックバックするとかしないとか言うようになりましたが
まだトラックバックが何なのか完全に分かっているわけではありません。
トラックバックする・しないという言い方が
合っているのかどうかも分かりません。
とりあえず実験中です。
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(1)」
の記事のトラックバックURLをコピペし、
「自分のブログでトラックバックはできるのか? 試してみました(2)」
の記事を投稿するときに、記事の設定を開いて
コピーしたURLを貼り付け、投稿しました。
これで一応、トラックバック完了のはずです。