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2020年05月13日

小説投稿サイトでエッセイの投稿を始めました。

「カクヨム」にエッセイを投稿しました。
初回なので「だいたいこういう感じです」という
自己紹介的なイメージで投稿しました。
いや、自己紹介はしていないのですが……。

たくさんのエッセイを投稿してエッセイ集にする予定です。
あとこのエッセイでは、ですます調ではなく
「だ・である」口調で書いていきます。

タイトルは「うだつの上がらないエッセイ集(たまに自由研究)」で、
マイペースにテキトーに、気だるい感じでやっていきます。
よろしくお願いします。↓
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896019060/episodes/1177354054896019253

posted by 四月一日 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(15) | 雑記

2020年05月07日

写真販売サイト「ピクスタ」で活動中

数ヶ月前から写真販売サイト「ピクスタ」に作品を出しているのですが
なかなか審査に通りません。
ひと月に30枚登録できるのですが、
先月審査に通ったのは30枚中なんと8枚(*_*)

写真が不鮮明との理由で落とされたようです。
素人目には、バッチリピントが合っているものを
選んで出しているのですが……(・_・`;)

けど、登録したばかりの時はほとんど0だったアクセスが
作品数が増えるごとに上がってきたのは嬉しいです。

↓私の作品ページはこちらです
mamimujina


あと、ピクスタに
「誤った情報つきの写真を売らないでください」
みたいな注意書きがあったことを今更思い出しつつ焦っています。

ナシの写真を「リンゴです」と言って売って、
それを誰かが信じて買って、
どこかでリンゴの写真として使ってしまったら
売った側は詐欺になる、みたいな話だと思うのですが……。

私は生き物に詳しくないのに
生き物写真を出しているのでヒヤヒヤします。
「◯◯です」と言って出している写真もよく見ると
違うような気がしてきて「本当に◯◯だろうか……」と自信なくなります。

生き物の名前は調べているのですが、
生き物って「同じような姿をしているけど違う種類」
ということがよくあるので……怖いですね。

↓そんな私の作品ページはこちらです。
mamimujina

posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年04月23日

第一段階の「世の中お金じゃない」は自己洗脳では?

私の勝手な仮説だけど、
「世の中お金じゃない」と言う人には2タイプいると思う。


1つ目は金銭的に余裕を持ち
お金のことを十分真剣に考えながら
「世の中お金 "だけ" じゃない」「お金の先の世界がある」
という俯瞰的な考えも合わせ持っている人。

2つ目は「貧しくても幸せなのだ」と思いこむために
「世の中お金じゃない」と言っている人。


1つ目のタイプの人は
まわりの人をお金で困らせないようにしようとし、
突然やってきた楽しいことや
急な出費にも対応できるように常に豊かであろうとするはずだ。

2つ目のタイプの人は
お金から目をそらし、基本的に貧しいメンタルで
まわりの人がやろうとしていることを金銭的な理由で阻止し
お金がないせいで叶えられなかったことが多いにも関わらず
できなかったことの数々を諦めて「お金がなくたって幸せ」と言う人だ。


私は世の中お金じゃないと思ってきた。
でも私の「世の中お金じゃない」は悟りとは違うのだと気づいた。
これが気づきなのか誤解なのかは知らないが……。

お金のことを本気で考えていない者が言う
「世の中お金じゃない」なんて
自分の力足りずでお金がないことをごまかし
現状を納得させるための自己洗脳なのではないか?

「貧しくても税金払って国に住めることが幸せ」というのは
何か誰かに洗脳されている気がする。


「そうそう、貧しくても君たちは結婚も恋愛も自由にできて幸せだよ。
だから子孫と一緒にみーんなで税金払ってね」
と、裏で笑われている気がしてならない。

取られた金を軍事費とか武器開発とか
誰かの機嫌を取るためのくだらない裏事情のために
使われている気がしてならない。


だから私は「世の中お金じゃない」洗脳から
抜け出さなくてはならないと考えた。

まずは「世の中お金」だ。

そのステージをクリアした人が、
その先の世界を見られるんじゃなかろうか。


クリアしていない人は金銭的に逼迫しているため
自分やまわりの人の好きなことを妨害する。
お金がかかることを止めさせようとする。
そして好きなことすらできない事実を認めず幸せだと言い張る。

そんな人が言う「世の中お金じゃない」はまやかしだ。

「やましいヤツではない」と思われたいがために
お金にこだわらないようにし、お金がなくても幸せだと言っているのだ。
お金にこだわりお金を欲することは見苦しいと思っているのだ。


だがそんなメンタルでは真の「世の中お金じゃない」に
いつまで経ってもたどり着かないのではないか。
そこで私は最近意図的に金が欲しいと口に出している。

私は金持ちになりたい。時間もたっぷり欲しい。
どうやったらそうなるのか検討もつかないが、
とにかく時間のある金持ちになりたい。

それを言うとまわりの人から小馬鹿にされるが
今に見ていろと思っている。


いざという時に夢を手放さなくて済むように

いつまでも夢を追いかけられるように

生活に押しつぶされないように

もっと余裕ができたら、まわりの人の夢まで手助けできるように

私はお金が欲しいのだ。


私は物心ついた頃から、
「この世界はなんて嫌な場所だろう」と思ってきた。

やりたいことすらさせて自由にもらえない。
好きなことをしていれば「そんなことより勉強しろ」と言われる。
健康のことはやたらと心配されるが、
それは働き手としての出力を心配されているだけだ。


もし好きなことをさせてもらえたとしても
そこには「理由」や「存在意義」が要る。

私がやりたいのは「好きなことを仕事に変える」ことじゃなく
「好きなことを好きにやる」ことだったが
そんなもの認められない。

今こうやって好きに文章を書き、
好きなことに時間を費やしたって何にもならない。


メルヘン脳だった頃はドラマやアニメの展開みたいに
「好きなことをしていればいつか誰かの目に止まる」と思っていたが
現実を知ってそんなのないと分かった。

誰かが自分の才能を発掘していい感じに導いてくれるなんて
「いつか王子様が迎えに来てくれる」みたいな寝ぼけた話だ。
無償で未知の人間を導いて育ててくれるような暇人などどこにもいない。

誰かの目に止まってチャンスをつかむ人がいるとしても
そんなの一部の天才くらいのものだろう。
凡人はどうすりゃいいのか。

「お前などいらない」と言われようとも頭を下げて食いつくしかない。
そして本当に心の赴くままに好き放題するには「何か」が必要だ……。
それが「お金と自由な時間」なのだ。


この世で好き放題できなくて何が幸せだ。
テキトーに流されて生きる限り
好きなこともできずにそれ以外ばっかり求められるのだ。

そしてまわりの人にもテキトーに励まされるのだ。
「思うようにいかないのが人生だよ」なんて。
じゃあ私は何のために生み出されたんだ。
ただの歯車か。

歯車仲間を増やして何が楽しい。
「あー、君も歯車だねー」なんて嬉しそうになぐさめてきて何が楽しい。


何が私に好きなことを好きなようにさせてくれるのか?
そういうことを言ったら「他力本願だ」と言う。
無条件に好きなことを好きなだけできる世界が当たり前じゃないのか?

そして自由と幸せを手に入れるための唯一の方法がお金だから
お金を手に入れることを考えているのに
「見苦しいよ」と言ってくるのはなぜなのか。

自由と幸せを追い求めることは見苦しいことなのか?


テレビではいつも金銭的に困っている人や
困ったけど頑張って這い上がった人が映し出されている。
這い上がれば拍手喝采、それ以外は見向きもされない、それが世界か?

好きなこととか自由とか、そんなのは二の次三の次?
「困っている人が大勢存在していて当然」「それでも頑張るのが人生」
なんて世の中おかしいんじゃないか。


今も世界じゃ食べ物が買えない人や病気の人が苦しんでいるんだろう。
なのに「世の中お金じゃないよ(笑)」「お金にこだわるのは見苦しいよ」
なんて言葉が存在することはどうせ間違っている。

「金、金」と言う私の言葉だって十分間違っているが
世界の言うことも間違っているんだから別に聞かなくていい。
みんな間違っているのだ。誰の言うことも聞く必要ない。


私はいじめられっ子だったし、前述の通り人間社会に対して
「嫌なことばかりやらされて好きなことなんてさせてもらえない」
と捉えている。

1時間や2時間好きなことをできて喜ぶとか、
本来そうじゃないだろうと思うのだ。
人は24時間365日自由であるべきだ。
物理的にありえないけど。


正直人は苦手だ。

ほとんどの人は「社会のシステムが正しい」
あるいは「嫌でも従わなければならない」と思っていて
そのような前提で話し、間違っている人がいれば矯正しようとするからだ。
才能を発掘して導いてくれるどころか自由な思考をつぶしにかかってくる。


そんなわけで私は人間社会が苦手で感謝も思い入れもない。
現時点で私の好きなことは人助けではないし
人が喜ぶ姿を見るのが嬉しいとか、人と関わりたいとか思わないから
お金が手に入ったところで困っている人のために使ったりはしないだろう。

自分が楽しみたいだけ。
だから私は間違いなく間違っている。
器が狭いのだ。


けどもっとみんな好きなことができて自由で余裕があって
それが当たり前になった頃には、ごく自然に
困っている人に手を差し伸べる世界になっているのではないだろうか?

飢え死にする一歩手前、病死する一歩手前の人をサポートするんじゃなく
たまたま今日パンが食べられなかった人にパンをあげる程度の
すぐ解決できる軽い問題しかない世界になっているのではないだろうか。


自分の好きなこと、やりたいことを我慢して人助けしようったって
どうせ私は人助けに喜びを感じるような聖人ではない。
人助けが自分の幸せに繋がりモチベーションを保てる聖人なら
ずっと人助けしていれば幸せなのかもしれないが
そんな聖人なんてごくわずかだろう。

じゃあもうこの程度の人格で聖人ぶるのはやめよう。
「世の中お金じゃない」と言って聖人ぶったって誰も助からない。
けど聖人ぶるのをやめて自分の好きなことをやれば
自分だけは救われるかもしれない。
そして、一人でも多くの人間が自分を救えば、結果的にみんなが救われる。


だから第一段階の「世の中お金じゃない」洗脳に屈してはいけない。
自分の好きなことを山ほどできるだけのお金を求めよう。
「世の中お金じゃない」洗脳を中途半端に信じて
お金もないのに好きなことだけしようとしたら後で地獄になる。

この世界にはお金が必要だ。
お金でパンが買える。
お金で夢が買える。

いつかそれを超えてお金以上の喜びを感じるためにも
今は「金持ちになりたい」で良いじゃないか。





最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければこちらのブログもご覧ください。

 ↓ ↓ ↓

ギャグ漫画みたいに読めるスピリチュアル本!?
「笑えるスピリチュアル」という本についてご紹介しています。
タイトル通りこの本ではスピリチュアルについて
分かりやすく面白く書かれています。
読めば目からウロコかも!?


【過労死について考える本】人のために頑張りすぎてしまう人
ストレス社会と言われ、
自殺する人が後を絶たず過労死する人もいる現代日本。
「世界はもっと広くて自由なんだ」「死ぬまで頑張らなくたっていいんだ」
そんな、うっかりすると忘れそうだけれど本来当たり前の
「自由」「権利」について思い出させてくれる本のご紹介です。


宇宙と繋がって幸せになるための本
幸せになるためのスピリチュアルな考え方について
分かりやすく書かれている本のご紹介です。


楽しく読めて、「宇宙のオキテ」が分かる本
「借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口癖」
という本について書いています。
夢を追い求めた結果失敗してしまい借金地獄……
そんな主人公がそこから「宇宙さん」と繋がり借金を返していく話です。
なんと実話。
スピリチュアルではよく夢を叶えるとか行動とか聞くけれど
なぜ主人公は夢を叶えられず一回失敗したのか?
どうして借金2000万円から逆転できたのか?
そこから彼が気づいたこととは何なのか?
そんな話がスピリチュアルな視点から分かりやすく面白く書かれた本です。


マンガで読める「ドSの宇宙さん」
「マンガでわかる! 借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ」という本について書いています。
私はこの本のことを「借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口癖」のお話をマンガにしたものだと思っていたのですが、読んでみたら続編みたいなものでした。
こちらでは女性が主人公でお馴染みの宇宙さんやコイケさんも登場します。


【スピリチュアルな本】本当に好きなことを仕事にする
やっぱり人生で一番幸せなことって
「好きなことを仕事にする」ことですよね。
お金を得るためには働く必要がありますが
その仕事が嫌だったら働いている時間はいつも不幸、
そして毎日不幸な時間が多いのだから負のスパイラルです。
でも好きなことをすればするほどお金が入るのなら
毎日ワクワクハッピー、お金の心配もなくなってノンストレスです。
そんな生き方を学ぶためこの本を読ませていただきました。


【スピリチュアルな本】制限や競争から抜けて、自由な魂に還る
この世界とは一体何なのか?
シンプルだけれどこちらはちょっと
スピリチュアル上級者の方向けの話かもしれないです。


ある日突然占い師になった!? 実話を描いたコミックエッセイ
引きこもりだった主人公が占い師の人に才能を見抜かれ
突如スカウトされて占い師になる……という
ネガティブアンラッキー人間の自分からすると信じられない
実話エッセイについて書いています。


初心者でも分かりやすい、12星座あるあるのマンガ
人にはそれぞれ得意・不得意があるのだから
一口に得意なこととか好きなこととか言ってもみんな違うんですよね。
そんな「個性」を占いの方向から探るのもアリかも?
みんなの個性を発揮して力を合わせれば百人力です。


夢のある「才能」の本
「自分の才能の見つけ方」という本のご紹介です。
才能の見つけ方、磨き方などちょっと珍しい話が聞けます。
「今更才能なんて……もう間に合わないし、そもそも才能がない」
と思い込んでいる方にこそオススメです。


引き寄せの法則が分かるマンガ
引き寄せの法則を使って生きるとはどういうことか……
そんな考え方・捉え方について
マンガで分かりやすく教えてくれる本についてのご紹介です。


金運アップに! お財布用のふとんはいかがですか?
「お財布をお布団で寝かす」という金運アップ法と
それ専用のお布団について書いています。
いろんな金運アップ法があるんですね!


簡単操作でオリジナルのパワーストーンアクセサリーが作れます
クリック(タップ)だけの簡単な操作で
ブレスレット・ストラップなどのオリジナルアクセサリーを
オーダーメイドデザインすることができる
パワーストーン通販について紹介しています。


大切な写真をお守りにしませんか
お好きな写真とメッセージが入ったお守りを作れる
オリジナルお守りサービス
「新おまもり 融通”ゆうずう”さん」について書いています。




posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年04月22日

気が休まらない理由

私は陰口を言う人が苦手で、
「◯◯する人は嫌い」と決め付けるような発言をする人を見ると
「そんなに決め付けなくてもいいじゃん。
◯◯する人でも良い人いるかもしれないのに、許容範囲狭いなぁ」
と思ってきた。

けれど気づくと私は「苦手なこと」が
どう苦手なのかすら説明できなくなっていた。

これもちょっとおかしいんじゃないか。
それなら「あの人嫌い・この人嫌い」と言える人の方が
自分の気持ちに素直で芯があるではないか。


ということで
「私がなんとなく苦手なタイプ」の
何が苦手なのか理由を考えてみた。

すると私の苦手なタイプは
ちょっとでも「間違っている・自分と違う」と思うことは
全部言わなきゃ気が済まない人だと分かった。


何でもとにかく自分の意見を言う人、
ちょっとでも納得いかないと突っ込んでくる人……
そういう人にビクビクしているためか
最近「そっとしておいてくれる人」の優しさが身にしみる。

何か失敗した、やってしまった、ネガティブなことを言ってしまった。
そんなときにそこをすかさず突っ込まない優しさ。


思えば私も私の苦手な人と一緒で、
人が話したくなさそうなところに無意識に突っ込んだり
キツい言葉で批判したりする部分があったと思う。

自分の苦手なタイプが分かったことだし、
以後、苦手なタイプと同じにならないよう気をつけようと思った。


よく聞く話だがやっぱり
自分の苦手なタイプって自分と同じタイプなのかもしれない。





posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年04月17日

生き物を駆除するより人間を減らすべきでは(なんて言うのは簡単だけど)

地球を守れるのは人間だけ、とか
人間は万物の霊長とか言いますが
正直、現時点で地球を保つために必要なのは
人間より生き物たちではないでしょうか。

生き物は、菌も寄生虫もみんな生態系を保つ役割を持っていて
それで世界が成り立っていると聞きました。
生き物の糞、体、生み出すもの、全部自然に返るものなんですね。
でも人間が作り出すものは自然のサイクルに戻れないかもしれません。

「生態系を崩す外来種を駆除しよう」とか言っていますが
人間より生態系に悪影響を与える生き物がいるのでしょうか。
ニホン◯◯がセイヨウ◯◯に変わったところで、
地球にとっては問題ないのかもしれません。

そもそも人間が国から国へと様々な生き物を持ち込み、
家畜化や品種改良などし、移動させています。
そして自分たちだけの判断である種の生き物を大量に増やしたりします。
元を辿れば多くの生き物が在来種ではないようです。

「外来種が生態系を壊している」とか
「この生き物が増えすぎたから」とか
それは責任転嫁ではないでしょうか。

増えた生き物は地球にとって必要なメンバーなのかも。

ある種が栄え、ある種は滅び、
それを繰り返しても生命は全滅していません。
自分たち人類のことすら全滅させかねないのは人間だけで、
外来種が世界を滅ぼすことはないと思われます。

だから、生き物を駆除するより人間を減らすべきじゃないでしょうか。

減らすといっても今すぐ殺すとかいう物騒な話ではありません。
結婚や子育てをしたくない人でも、社会的にはそうするべきなのかという
使命感、義務感、圧力を感じている人は多そうな気がします。
その圧力をかけるのをやめれば自然に減ると思います。

テレビや映画など見ていても、「結婚=幸せ」とか
結婚すること前提、結婚はしないといけないものみたいな
人を型にはめるような価値観がちりばめられています。
「人口を増やすことだけが人類の幸せではない」
といった発信も増やせば、結婚したい人としたくない人の割合が
良いくらいで収まるのではないでしょうか。
もちろん「結婚=子ども」と結びつける必要もないと思いますが。

さて、人を減らすとなると人手が……。ということですが、
人間界のシステムって
何かを作るために手続き、手続きのための書類を用意、
その書類を受け取るための手続き、そのための移動……って
右へ左へいろんなことが増えすぎています。
電話、移動、書類、契約書、ルール、防衛、罰則……。
そんなことの数々に人手がかかっているのではないでしょうか。

ややこしくなった手続きやルールの数々を
シンプル化していただけたらなと思います。
無駄な作業を省けば人手もそんなにいらないのではないでしょうか。

なーんて、言うだけなら簡単だし
「こうすればこうなるよ!」なんて
知っているかのように何とでも言えますが
そのためにどうするとか、実際やれば問題が……とか
なかなか思った通りにはいかないんでしょうね。

でも何人もの人の手で確認していたことも
今や機械に任せた方が正確になったりと、
技術が進歩しているのではないでしょうか。

自然や生き物と、文明や技術って相反するもののようにも思えますが
人間界を発展させるため、そして発展によって得てきた技術を
今度は地球や生き物たちのために生かしてほしいです。
特定の生き物だけを可愛がるのでなく、見た目や利益で選ぶのでもなく、
地球で生きるすべての命のために。

結果的にそれが人類の真の幸せにも繋がる気がします。




posted by 四月一日 at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年04月04日

牛や豚や鶏が毎日死ぬ世界 人間と人間以外の命にそんなに違いってある?

私はいつも暗いことばかり言っています。

いや、自分では暗いと思っていないけれど、ネガティブの定義とか
どういうキャラが「ネガティブキャラ」扱いされるかとか
見ているとそうなのかなーと……。


「この世界では毎日、生き物が人間に殺されるんだよね」
「あーあ、生きてるだけでしんどい」

要約すると、私はずっとこのようなニュアンスの言動をし
そのような精神状態でいます。


でも口で言うほどしんどいとは思っていません。

自分がこの世界のシステムを作り上げてしまった責任者であれば
「なんてことをしてしまったんだ!」と嘆くかもしれませんが、
私がこの世界を作ったという自覚はないし
(スピリチュアル的に言えば世界は自分で作っているようです)
私が生まれる前からシステムはずっと一緒、
そして動物の世界も弱肉強食だからです。
(これもスピリチュアル的に言えばちょっと違うようですが)


私がいわゆるネガティブな発言をする度
人と喧嘩になったりイラつかれたり、また微妙な空気になるのを感じます。
自分としては事実を事実のままに言っているだけなのですが。

「動物が死ぬのが嫌なら動物食うなよ!」
みたいなことを言われたこともあります。
それはごもっともですね。


ところで現在、人間の世界で起こっていることについて
ニュースであれこれ言っていますね。
ニュースだけでなく一般の人もしょっちゅう
この「事実」について話をしています。

ん? 私がこの世界の「事実」について話していたときは
「そんな暗い話ばかりするな」という空気を感じたんですけどねー……。
私の言い方がまずいだけかな。

今は「事実」を無視していたら、そっちの方がおかしい人みたい。


それにしても相変わらず人間の話ばっかりですね。
毎日人間に殺される動物の数の方が多いだろうに。


現在多くの人が気にしているあの「話題」……

何かものすごく役に立つ情報とかなら、口に出す意味もあるでしょうが
「不安だね」を100回連呼したって何も変わりませんね。
「動物が死ぬのが嫌なら動物食うなよ!」的な正論で言えば
みんな「現実」を変えるためにお医者さんや発明家や専門家になるか、
有益な情報を持っている人にインタビューしてそれを発信するべきですね。

……しかし、何か変えるべきとか有益な情報を優先して流すべきとか、
私はそういう話をしたいのでもありません。


動物が人間に殺される話をしたときは
「そんな暗い話ばっかりするなよ。言って何になる?」
「聞いててイライラする。このネガティブ人間め」
といった空気を感じたのに、それが人間のこととなった途端
「そうだよね、そうだよね」と共感しあうこと。
やっぱり人間中心の世界だなーって思います。

そりゃ、この「世界」は鳥にとっては鳥のもの、
花にとっては花の世界でしょうけど。
他の生き物はみんな他の生き物と付き合いがあるように見えるのに
人間だけ閉ざされた「世界」にいますね。

人が「世界、世界」と言うとき
それは人間や人間の町、国、経済の話です。


生き物が死ぬ話をすれば
「だから何?」「もっと明るいこと考えたら?」と返されて

人間が死ぬ話は
「大変だよね」「頑張ろう」「うんうん、そうだよね」だなんて

なんだか不公平。
生き物が人間に殺されるのは当たり前で、
人間が生き物に殺されるのは非常事態でしょうか。


でも人間なんだから当たり前ですね。

私も「尊い動物の代わりにあなたがお肉になりますか?」と聞かれたら
「嫌です」と答えるような偽善者ですし。


とりあえず、私も苦しいことや平和が乱されること、
不安なことは苦手なので

荒ぶる魂が静まることを願っています。
滅ぼされた者、名もなき犠牲者、悲しい思いや怨念が癒されますように。

虫や花や微生物、動物、星……
みんなが仲良く生きられる「世界」になりますように。


posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2020年04月02日

今日見た夢が鮮明だったから & その後思ったこと

今朝目覚めてまどろみの中で
「今日の夢の記憶はやけにハッキリしているなぁ」と思いました。

深夜にふっと目を覚ましたときは覚えていたのに
朝目覚めると記憶がないとか
目覚めた瞬間は思い出せるのに、あっという間に記憶が消えてゆくとか
そういうこともあるのですが……。

しかし今日も起き上がると夢の記憶は淡くなりました。
まどろんでいる時や寝転がっている時と
体を起こしている時って感覚が違いますね。
でも記憶は残っているので書き留めておこうかと思います。





夢の中で私は海にいました。
深いところに潜っているのではなく、
水の上から顔を出しています。
波打ち際に近く、海水浴場のようです。

私の左側には海が広がっており、そこから波がきています。
前には太陽、右には砂浜。
もちろん動けば位置関係は変わるけれど、
そのイメージが強く残っています。


海の中ではたくさんの人が遊んでいます。
やっぱり海水浴場みたい。
そこにいる人は全員、小学生くらいの子どもです。
子どもだけで遊んでいます。

そのうち日が暮れだしました。
空は赤色。
子どもたちは「そろそろ帰ろうか」と海から上がっていきます。


そこで私はなくし物に気づきます。
タイマーを持っていません。あれがないと……。

それはオレンジ色の小さなタイマーで、
私が現実の世界で何年も前に捨てたものです。
あれがないといけない、と思いました。

海で遊ぶ前にトイレで着替えてきました。
そこに置き忘れてきたんだと思います。
私は観光地のような街へ向かい、
私が着替えた「白い扉のトイレ」を探しました。


ところが道に迷ったのか
白い扉のトイレにたどり着きません。
おかしいな、ここを通ったはずなのに……。
もう少し向こうだったかな?

進むと茶色い木の扉の、立派なトイレならありました。
あれっ、ここ? じゃないよなぁ……。
なんだか自分の記憶に自信がなくなり、
「白い扉のトイレ」の記憶が薄れていきます。


その後私は鳥になって空を飛び、
なくし物を探しました。
風が強いのかバランスが悪いのか、
後ろに流されそうになりますが
なんとか前に進みました。

そして気づくと現実の自分の部屋に帰ってきていました。
黒い棚の扉を開けると、探していたものと同じものがありました。
オレンジ色の小さなタイマーです。

あれっ、なくした物と同じものがもう一つ家にあったのか……。
そこで夢は終わりました。





夢について書き記していると、
以前夢の中で見た光景や、空想の中で見た景色が重なってきて
どれが今日の夢だったか分からなくなってきました。
普段は思い出さないのに、
夢を見た時の感覚に繋ぐと、たくさん浮かんでくるのだから不思議です。

家のまわりを歩きつつ、見晴らしのいい場所から夜景や花火を見たり……。
建物の中を通り抜けたり……。
自転車で森に囲まれたような道を走ったり……。
山の中の公園や神社のようなところを通ったり……。
暗い道で蛍をたくさん見かけたり……。
家のまわりが遊園地や広い公園になっていたり……。
夜空が急にスクリーンのようになって、
様々な天体が飛び交うのが見えたり……。


空を飛ぶ夢はよく見ます。
ぐいっと引っ張られるように後ろに行ってしまったり、
流されて思ったような方向に進まなかったり、
それでも飛ぶのは楽しいです。

探し物がオレンジ色のタイマーだったことは
部屋の中で見つけてから分かったのか、
探し始めた時からしっかり覚えていたのか、分かりません。


この、夢の中の感覚や光景を絵に描きたいなぁ……
なんて前から思っているのですが、なかなか難しいものですね。





ここからは、夢を見た「後」に思ったことなので
私の解釈で、本物の夢の世界の感覚とはズレているかもしれません。


私の夢の中にはあまり「意味」がありません。
夢ってみんなそういうものかもしれないし、
意味は自分で付けることもできるのかもしれないけれど
私は意味のない「夢の世界」が好きです。

湖を見たいと思ったら湖に向かって歩いていく。
泳ぎたければ海の中で泳いでいる。
飛びたくなったら飛ぶ。
帰りたくなったらどこかへ帰る。

そこに「思考」は特にありません。
物をつかむ、にぎる、赤ちゃんのような好奇心と
直感だけではないでしょうか。


現実に帰れば、何かをしようと思った時
「それをどのくらいやるのか? 時間は?」と考えます。

思いつきでちょこっと遊ぶくらいなら
「たまにはそういうのも良いかもね」と、夢のように自由ですが
それを続けるとなると
「それに意味はあるのか? 何の役に立つのか? お金は?」と考えます。


休憩する時、美味しいものを食べたり楽しいことをしたりする時でさえ
「頑張ったから休憩してもいいよね」
「たまには美味しいものや楽しいことでリフレッシュも必要」と
誰にともなく説明しないと気が済みません。

まるで、ずっと気分次第で過ごすのは悪いことみたいに。


……私の「やりたいこと」が何だったのか、今分かりました。
「気まぐれ」です。


泳ぎたくなったら泳ぐ。飛びたくなったら飛ぶ。
そこに理由や方法はいりません。

役に立つとか立たないとかもありません。
みんないるだけ。あるだけ。
そうしたいからするだけです。


私は夢の世界が好きです。

夢の世界で生きたいです。


posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月26日

今後のポケモンのタイトル予想……






ポケモンソフトのタイトルについての話です。

初代のポケモンは赤と緑でカラー、
次からは金銀クリスタル・ルビー・サファイア・エメラルド
ダイヤモンド・パール・プラチナで宝石や貴金属、
その後ブラック・ホワイトで色に戻り、
その次どうなるんだろうと思ったらアルファベットのxyになりましたね。
リメイク版のルビー・サファイアにはオメガとアルファが入りました。

最近ではサン・ムーンと剣盾(ソード・シールド)で
対義語的な方向に進み始めていますね。
今までのタイトルは、そのソフトの
伝説ポケモンのイメージに合った言葉という感じでしたが
最近は伝説ポケモンを表す言葉そのものになっているみたいですね。
剣盾はやっていないので分からないのですが。

(と思ったらディアルガ・パルキア・ギラティナは
 ダイヤモンド・パール・プラチナっぽい響きですね。今気づきました。)


タイトルは伝説ポケモンやストーリーに大きく関わってきますよね。
(タイトル、ストーリー、伝説ポケモン……
 何が一番最初に決められているんでしょうか。)

さて今後のタイトルはどうなるんでしょう。
やはり対義語的なものでしょうか。


対義語というと一番に思いつくのは……
「上下」

ポケットモンスター上下
なんか嫌かも……。

(上下関係みたいで)


ポケットモンスター「夢と現実」
それもやだ……

けれど横文字で「ドリーム・リアル」とかにされると
意外としっくりくるかも?
寝ている時間と起きている時間を司るポケモンとか……
夢には空想・ファンタジー・希望的な意味もありますね。
昼夜だとサンムーンとイメージかぶりそうですが
夢と現実なら微妙に違うかも。


あと対義語といえば凹凸とか天と地とか……。

ポケットモンスターでデコボコは有り得ないか……。
天と地ならスカイ&アース?
スカイは天というより空、アースは地というより地球っぽいですが
なんとなくありそうかも。

あとは山と谷とか、いける気がします。
「春夏→秋冬」とか「ホット&クール」とかも……?
点と線でドット&ラインとか。

なんでもアリですね。


色や宝石だと紫とか琥珀とかまだありますが
やっぱり分かりやすく対になっているものが選ばれますかね。

と思ったら急に3パターン同時発売とか
路線の違うネーミングになる可能性もありますね。

今後も意表を突くようなアイデアで進まれることを期待しています。


ちなみにポケモン博士やジムリーダーなどの名前は
植物にまつわるものだそうですね。










最後まで読んでくださってありがとうございます。
こちらもゲーム関連のブログです。
ご興味がありましたら見ていってください。

 ↓ ↓ ↓

「けけトロニカ・こわいうた・ミニマルおんがく・うたたねのゆめ・けけララバイ【どうぶつの森の怖いBGM】」
どうぶつの森のBGMの中で怖いと言われている曲や
個人的に怖かった曲について書きました。


「小型ゲーム機『ポケットピカチュウ』の思い出」
ピカチュウと遊ぶことができる小型ゲーム機
「ポケットピカチュウ」について書きました。
ピカチュウと一緒に歩けたりプレゼントを贈れたり、
スロットゲームで遊べるなど楽しい要素が多かったです。


「【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!」
初代ポケモンにまつわる怖い都市伝説について書きました。
都市伝説も怖いですがそもそも本家シオンタウンもすごく怖いです。
あと、ポケモンシリーズに毎回のように盛り込まれるホラー要素も……。


「GBA ポケットモンスター サファイアの思い出」
GBAのポケモンソフト「サファイア」の思い出について書きました。
最近ではリメイク版のアルファサファイアでも遊んでいます。


「【CD】ファミコン&ディスクシステムの音楽」
ファミコンの音楽が収録されたCDについてのブログです。
ファミコンの音やBGMを聴くとワクワクしますね!


「故障したたまごっちで遊んだ話」
憧れの携帯ゲーム機「たまごっち」を手に入れたものの
壊れていて育てることができなかった…… という思い出話(?)です。


「けろけろけろっぴの育成ゲーム『ケロペット』」
ポケットピカチュウやたまごっちと似たタイプの
育成ゲーム「ケロペット」に関するブログです。
サンリオのキャラクター「けろっぴ」たちを育てるゲームなんですが、
子ども向けの可愛いゲームにしては結構難易度が高かったらしいです。


「『魚つりゲーム』と言われて思い浮かぶものは……」
一部の世代の人には懐かしい?
「お魚つりゲーム」に関するお話です。










posted by 四月一日 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2020年03月23日

また同じパターンを繰り返すのかと







 最近、小説投稿サイト「カクヨム」に作品を掲載中です。

 以前は他の小説投稿サイトで活動していたのですが、そこで活動した中で未だに後悔していることがあります。それは、物語ではないどうでもいい愚痴をたくさん投稿してしまったことです。(小説投稿サイトでは小説だけでなくエッセイやノンフィクションも投稿できます。)

 元々私は物語づくりに憧れがありましたが、創作力に自信はなく、最後まで書き上げた作品は数えるほどです。それでも一つ一つの「作品」を大事にしたいので、自分なりに力を入れたもののみ投稿したいし、テキトーな出任せの文章を書いて投稿することは避けたいと思っていました。

 ただ……文章に限ったことではないのですが、完璧にしようとするとちっとも進まなくなります。そこそこでいいやと思えば始められるのですが、やるからには全力でやりたいと思っているうちに歩みが止まり、やろうとしたこともやる気も自然消滅してしまいます。

 それで以前いた小説投稿サイトでは、「とにかく更新してみよう。そのうち書く力も身に付くさ」と、どうでもいい愚痴やつぶやきをエッセイとして投稿し続けたのでした。

 そして書いているうちにどんどんエスカレートしてネガティブになり、毎度つまらない愚痴ばかり投稿し、初期に力を入れて書いた数少ない作品は埋もれていきました。

 私にとって大切なのは物語だったのに……。
 自分の手で、自分のアカウントをゴミ置き場に変えてしまいました。

 それでカクヨムに来たときは、今度こそくだらない文章を投稿するのはやめよう、物語のみを投稿しようと決めていました。

 なのに今、筆が進みません。
 いや、掲載中の物語も以前いた小説投稿サイトから持ってきたものなので、もうあの時から筆が止まっているのかもしれません。こうやってグダグダと文を書くのはいくらでもできるのですが……。

 物語を作ろうとしても知識も想像力も足りないし、ひたすら自信がありません。まだまだ勉強が足りないようです。
 しかしそんなことを言っていたって賢くなるわけでもないし、キリがありません。そしてこのままでは書くことが億劫になるばかりです。

 そこで同じ過ちを繰り返そうかと考えています。
 カクヨムでまた、くだらないつぶやきを書き散らそうかと。

 でもなぁ……せっかく今は物語のみ掲載しているんだしなぁ……。
 汚すのは簡単ですが後戻りは難しいです。それで一旦思いとどまりました。

 とりあえず愚痴を書き散らすくらいなら、とりあえず物語を書いてみようか……。間違っていたってリアルじゃなくたって、事実と違ったっていいじゃないか。だって創作なんだから。……そういうふうにも思います。
 どうしようかと考え中です。










最後まで読んでいただきありがとうございました。
こちらが自分の作品(の紹介ブログ)です。
へたっぴですが、もしご興味がありましたら見ていってください。

 ↓ ↓ ↓

「雑草が主人公の短編ファンタジー『月色の夏』をカクヨムに投稿しました」
空き地に生える雑草たちと空き地を訪れる鳩の物語です。
一話完結の短い話で、一番最後に書いた作品でもあるので
自分の文章の中では最も読みやすいと思います。


「詩集『良くも悪くも、星の回転は止まらない』をカクヨムに投稿しました」
詩を20編集めたもので、それぞれの詩が1つの作品となっています。
紹介ブログには1つ1つの詩の紹介文とリンクを貼ってあります。
詩にストーリー的な繋がりはないので、
気になるものを1編だけ覗くとか、自由に読んでいただけると嬉しいです。


「ロボットが登場するSF風短編『からくりの鼻唄』をカクヨムに投稿しました」
ロボットと人が共に暮らすレトロフューチャーな世界が舞台の
短編小説「からくりの鼻唄」のご紹介です。
物語は全9話です。


「ひねくれた主人公の一人語り。『悪魔』をカクヨムに投稿しました」
基本的に主人公の一人語りで展開する暗い話です。
人が持っている漠然とした「生きる辛さ」とか、
生きている以上どうしようもない悩みとか
そういったものとマイペースに向かい合っていく話だと思います。
全7話です。



ピクスタで写真作品も販売中です。

 ↓ ↓ ↓

https://creator.pixta.jp/@prof1506140/photos




posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(16) | 雑記

2020年03月22日

デジャブってきました(創作について)

 以前は動画サイトでよく音楽を漁ったものでした。
 惹かれるものは知らないゲームやアニメの曲が多かったですが、曲だけで十分素晴らしいので曲にのみハマっていました。

 しかし最近の歌を歌番組で聴いていると、どれも同じように聞こえるのです。

 これは「昔の方が良かった」症候群?
 本当に一昔前の曲調の方が好きだったとか?
 それとも感動する心自体が薄れてきたのでしょうか。

 以前は高音が好きで、曲のサビで高音がくるとゾクッとして聞き惚れることがよくありました。しかし今歌を聞いていると、メロディーの起伏が激しく高音も頻繁に出るのに、それをあまり「メロディー」と感じません。今主流のテンポに乗れていないのでしょうか。

 そういえば身近な誰かがそんなことを言っていた気がします。
 私は無意識に誰かの受け売りで自分の好みや感想を決めているのでしょうか。

 しかし音楽だけでなくマンガや映画も、以前よりはどれも同じように感じるようになりました。どれもどこかで見たような。
 そして人の意見や性格も。

 批判するつもりなどまったくありません。
 何もかも下手な私が何かを批判するなど「何様だろう」という感じです。
 そりゃ、同じ部分や似た部分だって世界には多くありますよね。同じ人間なんだから。

 ということは、もちろん私もありふれた存在なわけです。
 私が渾身の創作をしたところでどこかで見たようなものができあがるし、そもそも上手な人には敵いません。
 もうとっくに表現し尽くされているのに……そしてもっと上手な人がいるのに……私なんかがやる意味あるのかなと思ってしまいます。

 やる意味あるかどうかじゃなく、やりたいならやるしかないんですけどね。
「私じゃなくても良い」ことなんて創作に限らずすべてです。退き続けたら居場所がありません。

 そこで個性とか斬新さって何だろうとしばらく考えていました。

 思えば私は昔、失言をしては怒られてばかりいました。
 それで最近は頭の中で線引きをしています。
「ここまでは言ってもいいだろう」
「これ以上言うのはやめた方がいいだろう」と。

 成長してはみ出した木を剪定するように、言葉を刈り取っています。

 それで思いました。
 ひょっとして、最近世界がありきたりに見えるのは「みんなが遠慮して触れないようにしている何かがあるからではないか」と。

 いや、避けているのは自分かもしれません。
 嫌な思いをしたジャンルやウェブページには近づかないようにしていますから。

 別に過激な批判や悪口を聞きたいわけではないし、暴力や闘争を見たいわけではないはずです。そうじゃなく、触れるべきではないと思いこんでいるようなものの中に、もっと斬新なものが眠っているかもしれません。

 真新しい何かを探しつつ……
 今日もありきたりな行動パターンを繰り返しています。





小説投稿サイト「カクヨム」や写真販売サイト「ピクスタ」で公開中の
自分の作品については、こちらのページにまとめています。

 ↓ ↓ ↓

「自分の作品《カクヨム・ピクスタ》に関する情報(5件)」

posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(17) | 雑記
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