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2021年01月05日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,1

「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,1



一、



私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのまゝの事実を書いてみようと思います。

それは私自身にとって忘れがたない貴い記録であると同時に、恐らくは読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料になるに違いない。



殊にこの頃の様に日本もだんだん国際的に顔が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する。いろんな主義や思想やらが入って来る、男は勿論女もどしどしハイカラになる、というような時勢になってくると、今までは余り類例のなかった私たちの如き夫婦関係も追い追い諸方に生じるだろうと思われますから。



考えて見ると、私たち夫婦は既にその成り立ちから変わっていました。私が初めて現在の妻に会ったのは、ちょうど足掛け八年前のことになります。もっとも何月の何日だったか、委しいことは事は覚えていませんが、といかくその時分、彼女は浅草の雷門の近くに在るカフェエ・ダイヤモンドという店の、給仕女をしていたのです。



彼女の歳はやっと数え年の十五でした。だから私が知った時はまだそのカフェエへ奉公に来たばかりの、ほんの新米だったので、一人前の女給ではなく、それの見習い、まあ言ってみれば、ウエイトレスの卵に過ぎなかったのです。



引用書籍
谷崎潤一郎「痴人の愛」
角川文庫刊

次回に続く。


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