2021年03月06日
「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,72
「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,72
待合室になっている次の間のソファに腰掛けて、稽古場の有様を見物しながら、二人の婦人がさも感心した様にこんなことをしゃべっています。
一人の方は二十五六の、唇の薄く大きい、支那金魚の感じがする丸顔の出目の婦人で、髪の毛を割らずに、額の生え際から頭のてっぺんへはりねずみの臀部の如く次第に高く膨らがして、髱(たぼ=女性の結髪の一つで、後方に張り出した部分。) の所へ非常に大きな白鼈甲の簪を挿して、埃及(エジプト)模様の塩瀬(しおぜ)の丸帯に翡翠の帯どめをしているのですが、シュレムスカヤ夫人の境遇に同情を寄せ、頻りに彼女を褒めちぎっているのはこの婦人の方なのでした。
それに相槌を打っているもう一人の婦人は、汗のため厚化粧の白粉がぶちになって、ところどころに小皺のある、荒れた地肌が出ているのから察すると、恐らく四十近いのでしょう。
わざとか生まれつきか束髪に結った赤い髪の毛がぼうぼうと縮れた、痩せたひょろ長い体つきの、身なりは派手にしていますけれど、ちょっと看護師上がりのような顔立ちの女でした。
この婦人連を取り巻いて、つつましやかに自分の番を待ち受けている人々もあり、中には既に一通りの練習を積んだらしく、てんでに腕を組み合わせて、稽古場の隅を踊り廻っているのもあります。
幹事の浜田は夫人の代理と言う格なのか、自分でそれを気取っているのか、そんな連中の相手になって踊ってやったり、蓄音機のレコードを取り換えたりして、独りで目まぐるしく活躍しています。
一体女は別として、男でダンスを習いに来ようという者は、どういう社会の人間なのかと思ってみると、不思議なことにしゃれた服を着ているのは浜田ぐらいで、後は大概安月給取りのような、野暮くさい紺の三つ組みを着た、気の利かなそうなのが多いのでした。
もっとも歳は皆私より若そうで、三十台と思われる紳士はたった一人しかありません。
引用書籍
谷崎潤一郎「痴人の愛」
角川文庫刊
次回に続く。
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