2021年03月06日
「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,73
「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,73
その男はモーニングを纏(まと)って、金縁の分の厚い眼鏡をかけて、時勢遅れの奇妙に長い八の字髯を生やしていて、一番飲み込みが悪いらしく、幾度となく夫人に”No good"とどやしつけられ、鞭でピシリと喰わされます。
と、そのたびごとにニヤニヤ間の抜けた薄ら笑いをしながら、又初めから「ワン、トゥー、スリー」をやり直します。
ああいう男が、いい歳をしてどういうつもりでダンスをやる気になったものか?
いや、考えると自分もやはりあの男と同じ仲間じゃないのだろうか?
それでなくとも晴れがましい場所へ出た事の無い私は、この婦人たちに目の前で、あの西洋人にどやしつけられる刹那を想うと、
以下にナオミのお付き合いとはいいながら、何だかこう、見ているうちに冷や汗が湧いてくるようで、自分の晩の廻って来るのが、恐ろしいようになるのでした。
「やあ、いらっしゃい」
と、浜田はニ三番踊り続けて、ハンケチでにきびだらけの額の汗を拭きながら、その時傍へやって来ました。
「や、この間は失礼しました」
と今日はいささか得意そうに、あらためて私に挨拶をして、ナオミの方を向きながら、
「この暑いのによく来てくれたね、君、すまないが扇子を持ってたら貸してくれないか、何しろどうも、アッシスタントも中々楽な仕事じゃないよ」
ナオミは帯の間から扇子を出して渡してあげて、
「でも浜さんはなかなか上手ね、アッシスタントの資格があるわ。いつから稽古し出したのよ」
引用書籍
谷崎潤一郎「痴人の愛」
角川文庫刊
次回に続く。
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