2018年08月03日
ユタ州でのホームステイ 中学1年 夏
夏になると、アメリカが恋しくなる
仕事の関係で夏休み意外に長期で休みを取れないから、
旅行はいつも夏だったからかもしれない
一番初めにアメリカに行ったのは 中学1年の夏 ユタ州でのホームステイだった
英語も習い始めたのが中1の4月 まだ英語らしい英語がわかならかったときだった
ことのはじまりは、父親が「アメリカにホームステイすることができるけど、行きたいか?」
という問いにあまり深く考えずに「うん」と答えたところから始まる。
その言葉を聞いて両親が積み立てを始めた。
そのころまだアメリカに子供をホームステイさせる家はそれほどなかった
周りにも海外旅行へいったことのある友達は、数えるほどしかなかった
でも、ある意味、あの夏の体験が今の自分に大きく影響を与えている部分があるので
投資としては成功したと言えるだろう。
行先はユタ州。モルモン教の本山がある州。州民の6割はモルモン教徒らしい
ホストファミリーもモルモン教徒だった
右も左もわからない12歳だった私は、なんの先入観もないうちに彼らと出会い
今でもモルモン教徒に対する変なとらえ方はしていない
宗教を寛容にとらえることができる自分も、このときの経験が大きいかもしれない
彼らは普通のアメリカ人だったと思う
ただ、カフェインを取らない、アルコールを飲まないなどいくつかの制約があった
私はコカ・コーラや紅茶を飲むことはできたけれど、彼らはそれを口にはしなかった
そんなことを知らなかった私は、日本から緑茶をみやげとして持って行ったけれど
丁重にお断りされた。
英語がわからなかったわりには、たぶんそういう風に説明されたんだと思う。
辞書という単語も知らなかった私は、和英辞書をレッドブックと呼び、英和辞書をグリーンブックと言っていた。なぜならそれが表紙の色だったから。
でもその中学生が使う辞書を使って、意思疎通を毎日のようにしていた
絵をかいたり、数字を書いたり、身振り手振りでなんとかなるものだと思った
食事は驚いたことが1つだけあった。
ある日ホストファーザーが「ライスが食べたいか?」と聞いてきたので「食べたい」と答えると
炊いたご飯に牛乳、砂糖、シナモンをかけて私に渡してきた
OMG。。。。。シリアルに限りなく近い食べ方をしていた
アメリカ人にかかると、コメはシリアルなんだと物のとらえ方の多様性を感じた
私はいっそご飯に生卵をかけて食べたかった。
もう1つ驚いたことがある。
モルモン教徒のまじめな印象とはかけ離れている出来事
ホストブラザー(これがその時はイケメンだと思っていた)がトイレットペーパーをもって一緒に来いというので、ホストシスター2人と私を含む4人で誰かの家の庭に連れて行かれた
そこで、ホストブラザーが、今からこの庭に雪を降らせる・・・というようなことをいいはじめ
トイレットペーパーを丁寧にならべ庭の芝生の上を真っ白にした。庭に植えてある木にも巻き付け
クリスマスツリーだと言っては楽しそうにいたずらをしていた
青々とした芝生に、その家の庭だけ、白い雪が降っているようになっていた。
いたずらのスケールも大胆だなと思った
数日後、その家の高校生(ホストブラザーの友達)が仕返しにやってきた
庭を水浸されていたような気がするが、仕返しの内容はあまり覚えていない
さらに電話の線が異常に長いことが印象に残っている
家の中には電話が1台しかなかった
でもそのコードが長いので、自分の部屋に電話を持ち込んで話をすることができたのだ
ホストブラザーは彼女と長時間話をしていた
中学生ながら、プライバシーを大事にするアメリカ人の家族を見て
大人っぽいと思っていた。
冷蔵庫が2つあって一つは大きい冷凍庫だった
ピザや肉が凍らせてあって、週に1度の買い物で済む理由がよくわかった
あのころ缶のコカ・コーラが250ミリリットルだった日本に比べ、350ミリリットルの缶ばかりのアメリカを見て、なんでもビッグなんだな〜と思っていた
靴を脱がないで家の中をあるく
家の中には絨毯が敷き詰められている
トイレにも絨毯が敷かれ
びっくりした
夜は12時を過ぎてもステートフェアで遊びほうけていたり
車の荷台にねころがって星を見ながらドライブしたり
家の中にトイレが3か所あったり、地下室にも部屋があったり
ネズミを退治するためのライフルが家の中にあったり
セントラルヒーティングで家の中はどこもかしこも涼しかったのを覚えている
34日間のホームステイだったが、この時の体験が、高校時代の留学へ
高校時代の留学が大学時代の留学へとすべてのはじまりはこの34日間の体験からはじまった
息子を小5でカナダのサマーキャンプへ小6で日本人が一人もいないキャンプへ参加させたが
英語のあまりわからなかった彼も、ふた夏のサバイバル生活で、生き残ることができた自信は今の彼を作っている一つの基礎となっていると思う。
現在はYoutubeで F×ck とか Sh×tとか使う動画を見て、ときどき汚い言葉を使っては
親の顔色をうかがっている
おいおいそんな言葉は家の外ではつかわないでくれよ〜と心配している母を横目に、
「キャンプでそういう言葉をつかったら「No,No,Yoshi」って言われたんだ〜」とときどき思い出すようだ
大人の私でも40年前の体験をつい昨日のような気持ちで思い出すことがある
きっと息子もそういう瞬間がときどきあるんだと思う
夏になるとアメリカ熱にかかっちゃうこまった中年のおばさん
乾いた空気、どこまでも続く地平線、満点の星空
まあとりあえずお金を貯めて、次の機会を待つとしよう・・・・
仕事の関係で夏休み意外に長期で休みを取れないから、
旅行はいつも夏だったからかもしれない
一番初めにアメリカに行ったのは 中学1年の夏 ユタ州でのホームステイだった
英語も習い始めたのが中1の4月 まだ英語らしい英語がわかならかったときだった
ことのはじまりは、父親が「アメリカにホームステイすることができるけど、行きたいか?」
という問いにあまり深く考えずに「うん」と答えたところから始まる。
その言葉を聞いて両親が積み立てを始めた。
そのころまだアメリカに子供をホームステイさせる家はそれほどなかった
周りにも海外旅行へいったことのある友達は、数えるほどしかなかった
でも、ある意味、あの夏の体験が今の自分に大きく影響を与えている部分があるので
投資としては成功したと言えるだろう。
行先はユタ州。モルモン教の本山がある州。州民の6割はモルモン教徒らしい
ホストファミリーもモルモン教徒だった
右も左もわからない12歳だった私は、なんの先入観もないうちに彼らと出会い
今でもモルモン教徒に対する変なとらえ方はしていない
宗教を寛容にとらえることができる自分も、このときの経験が大きいかもしれない
彼らは普通のアメリカ人だったと思う
ただ、カフェインを取らない、アルコールを飲まないなどいくつかの制約があった
私はコカ・コーラや紅茶を飲むことはできたけれど、彼らはそれを口にはしなかった
そんなことを知らなかった私は、日本から緑茶をみやげとして持って行ったけれど
丁重にお断りされた。
英語がわからなかったわりには、たぶんそういう風に説明されたんだと思う。
辞書という単語も知らなかった私は、和英辞書をレッドブックと呼び、英和辞書をグリーンブックと言っていた。なぜならそれが表紙の色だったから。
でもその中学生が使う辞書を使って、意思疎通を毎日のようにしていた
絵をかいたり、数字を書いたり、身振り手振りでなんとかなるものだと思った
食事は驚いたことが1つだけあった。
ある日ホストファーザーが「ライスが食べたいか?」と聞いてきたので「食べたい」と答えると
炊いたご飯に牛乳、砂糖、シナモンをかけて私に渡してきた
OMG。。。。。シリアルに限りなく近い食べ方をしていた
アメリカ人にかかると、コメはシリアルなんだと物のとらえ方の多様性を感じた
私はいっそご飯に生卵をかけて食べたかった。
もう1つ驚いたことがある。
モルモン教徒のまじめな印象とはかけ離れている出来事
ホストブラザー(これがその時はイケメンだと思っていた)がトイレットペーパーをもって一緒に来いというので、ホストシスター2人と私を含む4人で誰かの家の庭に連れて行かれた
そこで、ホストブラザーが、今からこの庭に雪を降らせる・・・というようなことをいいはじめ
トイレットペーパーを丁寧にならべ庭の芝生の上を真っ白にした。庭に植えてある木にも巻き付け
クリスマスツリーだと言っては楽しそうにいたずらをしていた
青々とした芝生に、その家の庭だけ、白い雪が降っているようになっていた。
いたずらのスケールも大胆だなと思った
数日後、その家の高校生(ホストブラザーの友達)が仕返しにやってきた
庭を水浸されていたような気がするが、仕返しの内容はあまり覚えていない
さらに電話の線が異常に長いことが印象に残っている
家の中には電話が1台しかなかった
でもそのコードが長いので、自分の部屋に電話を持ち込んで話をすることができたのだ
ホストブラザーは彼女と長時間話をしていた
中学生ながら、プライバシーを大事にするアメリカ人の家族を見て
大人っぽいと思っていた。
冷蔵庫が2つあって一つは大きい冷凍庫だった
ピザや肉が凍らせてあって、週に1度の買い物で済む理由がよくわかった
あのころ缶のコカ・コーラが250ミリリットルだった日本に比べ、350ミリリットルの缶ばかりのアメリカを見て、なんでもビッグなんだな〜と思っていた
靴を脱がないで家の中をあるく
家の中には絨毯が敷き詰められている
トイレにも絨毯が敷かれ
びっくりした
夜は12時を過ぎてもステートフェアで遊びほうけていたり
車の荷台にねころがって星を見ながらドライブしたり
家の中にトイレが3か所あったり、地下室にも部屋があったり
ネズミを退治するためのライフルが家の中にあったり
セントラルヒーティングで家の中はどこもかしこも涼しかったのを覚えている
34日間のホームステイだったが、この時の体験が、高校時代の留学へ
高校時代の留学が大学時代の留学へとすべてのはじまりはこの34日間の体験からはじまった
息子を小5でカナダのサマーキャンプへ小6で日本人が一人もいないキャンプへ参加させたが
英語のあまりわからなかった彼も、ふた夏のサバイバル生活で、生き残ることができた自信は今の彼を作っている一つの基礎となっていると思う。
現在はYoutubeで F×ck とか Sh×tとか使う動画を見て、ときどき汚い言葉を使っては
親の顔色をうかがっている
おいおいそんな言葉は家の外ではつかわないでくれよ〜と心配している母を横目に、
「キャンプでそういう言葉をつかったら「No,No,Yoshi」って言われたんだ〜」とときどき思い出すようだ
大人の私でも40年前の体験をつい昨日のような気持ちで思い出すことがある
きっと息子もそういう瞬間がときどきあるんだと思う
夏になるとアメリカ熱にかかっちゃうこまった中年のおばさん
乾いた空気、どこまでも続く地平線、満点の星空
まあとりあえずお金を貯めて、次の機会を待つとしよう・・・・
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