2018年10月26日
Taos Pueblo
Acoma Pueblo
Santa Crala、
Taos Pueblo
の3つの居留地を巡ったのは、Montana州でCrow Indian reservationを見学して、ネイティブアメリカンの歌とダンスに魅せられた翌年だった
Oklahoma州のTalsaで3日間のホームステイをした
白人のお宅にホームステイしているのかと思いきや、16分の1でネイティブアメリカンの血が入っているという家族だった。3人兄弟がいるが、長男はブロンドの白人顔、次男はブルーネットの白人顔、そして三男が黒髪のネイティブアメリカン顔の本物の兄弟だった
滞在していた家庭は、ミネソタ州でお世話になっていた家庭や友達の家よりも裕福そうに見えた
ダブルシンクだし、プールが庭にある。あれーネイティブアメリカンは豊かなんだっけ????
失業率が高く、アルコール依存症率が高く、自殺率も高い、いわゆる3高だと聞いていたのに、ここは普通の白人宅よりもグレードのよい家に住んでいる
理由を聞いてみたら、Oklahoma州のネイティブアメリカンたちは比較的裕福なんだそうだ
なぜならば、彼らの土地から石油が出てくるから
でも石油がなくなってしまったら、他の地域の?人たちの苦しみを味わうことになるんだろうか
また、Oklahomaの白人のほとんどが、ネイティブアメリカ人の血が入っているとのこと。歴史的になんだったのか忘れてしまったが、他の州の白人たちとは異なり、混血率は高いそうだ
だから白人のなりをして、インディアンのダンスを踊れる人の姿も見られるそうだ。あいにく、時期が悪くてフェスティバルの時期ではなかったので見ることはできなかったが、ときどき、見た白人顔なのに、インティアンの衣装を着た男性が、リズムに合わせて伝統的な舞を踊っているのを見たことがあるので、妙に納得がいった。
さて、3日間のホームステイの後、車で Iー40を西に走らせ、New Mexico州で3つのリザベーションめぐりをした。
Taos Puebloは観光地化されていて、安心して見学をすることができた。アドべ(土を固めて乾燥させた様式の家)様式のまさにニューメキシコを代表するネイティブアメリカンの居留地。英語も上手に話すし、外国人観光客にも慣れていた
Taosの町時代も、土壁の家が立ち並び、町を歩いているだけでとてもよい気分になれた
もともとメキシコ料理も大好きだったので、ピリ辛のタコスを食べ、ビールを堪能し、ちょっとお高い滞在費だったが、よい滞在だった
Santa Clara Puebloは、たまたま8月12日に祭りをやっていたので、直前に決めて立ち寄った居留地だ
田舎にあって、インターステートからは外れているから、そこへわざわざ訪れないと見ることはできない
しかし当日の11時過ぎにそこへ訪れると、広場にはたくさんの見学客がにぎわい、すでに、カメラの許可証はすべて売り切れていた。
だから写真をとることができなかった
しかし、未だに忘れられないことがある
夏の暑い日の昼過ぎに、長老の家の前に老若男女が輪になってたち、祈りをささげてから、踊りだした
いままでの踊りのときは、ドラムの音が鳴り響き、複数の人の歌が聞こえていたが、一人が歌のようなストーリーのような歌を歌い、それに合わせて円の形で動きながら踊っていた。20分ぐらい踊っていたときだったろうか、中から、長老が家のドアを開けて、「カーカーカー」とカラスの鳴き声みたいな声を出し、またドアを閉めてしまった
ダンサーたちはまた1から踊り始めたように見えた
また20分ぐらい静かに踊りっていたとき、
ドアが開いて「カーカー」と鳴き声が聞こえた
そしてまたダンサーたちは踊り始めた
私の目には、暑い中ずっと踊らされているダンサーがかわいそうで、長老が意地悪に見えたが、
3度目にドアが開いて、「言葉みたいなもの」を発し、ダンサーたちは全員長老宅に入っていった
何かの儀式 豊作なのか、雨ごいなのか、であるようで、神聖な気分が漂っていたし、空気が張りつめていたのを覚えている。咳払いもできないような雰囲気だったから
だから、カメラの許可証が必要だったわけだ。パシャパシャと写真を取ったら、音に邪魔されるだろうし、雰囲気が台無しになるから
長老を中心としたプエブロのヒエラルキーをみたように思った
そして本物のネイティブアメリカンの儀式を見たように思った
Santa Crala、
Taos Pueblo
の3つの居留地を巡ったのは、Montana州でCrow Indian reservationを見学して、ネイティブアメリカンの歌とダンスに魅せられた翌年だった
Oklahoma州のTalsaで3日間のホームステイをした
白人のお宅にホームステイしているのかと思いきや、16分の1でネイティブアメリカンの血が入っているという家族だった。3人兄弟がいるが、長男はブロンドの白人顔、次男はブルーネットの白人顔、そして三男が黒髪のネイティブアメリカン顔の本物の兄弟だった
滞在していた家庭は、ミネソタ州でお世話になっていた家庭や友達の家よりも裕福そうに見えた
ダブルシンクだし、プールが庭にある。あれーネイティブアメリカンは豊かなんだっけ????
失業率が高く、アルコール依存症率が高く、自殺率も高い、いわゆる3高だと聞いていたのに、ここは普通の白人宅よりもグレードのよい家に住んでいる
理由を聞いてみたら、Oklahoma州のネイティブアメリカンたちは比較的裕福なんだそうだ
なぜならば、彼らの土地から石油が出てくるから
でも石油がなくなってしまったら、他の地域の?人たちの苦しみを味わうことになるんだろうか
また、Oklahomaの白人のほとんどが、ネイティブアメリカ人の血が入っているとのこと。歴史的になんだったのか忘れてしまったが、他の州の白人たちとは異なり、混血率は高いそうだ
だから白人のなりをして、インディアンのダンスを踊れる人の姿も見られるそうだ。あいにく、時期が悪くてフェスティバルの時期ではなかったので見ることはできなかったが、ときどき、見た白人顔なのに、インティアンの衣装を着た男性が、リズムに合わせて伝統的な舞を踊っているのを見たことがあるので、妙に納得がいった。
さて、3日間のホームステイの後、車で Iー40を西に走らせ、New Mexico州で3つのリザベーションめぐりをした。
Taos Puebloは観光地化されていて、安心して見学をすることができた。アドべ(土を固めて乾燥させた様式の家)様式のまさにニューメキシコを代表するネイティブアメリカンの居留地。英語も上手に話すし、外国人観光客にも慣れていた
Taosの町時代も、土壁の家が立ち並び、町を歩いているだけでとてもよい気分になれた
もともとメキシコ料理も大好きだったので、ピリ辛のタコスを食べ、ビールを堪能し、ちょっとお高い滞在費だったが、よい滞在だった
Santa Clara Puebloは、たまたま8月12日に祭りをやっていたので、直前に決めて立ち寄った居留地だ
田舎にあって、インターステートからは外れているから、そこへわざわざ訪れないと見ることはできない
しかし当日の11時過ぎにそこへ訪れると、広場にはたくさんの見学客がにぎわい、すでに、カメラの許可証はすべて売り切れていた。
だから写真をとることができなかった
しかし、未だに忘れられないことがある
夏の暑い日の昼過ぎに、長老の家の前に老若男女が輪になってたち、祈りをささげてから、踊りだした
いままでの踊りのときは、ドラムの音が鳴り響き、複数の人の歌が聞こえていたが、一人が歌のようなストーリーのような歌を歌い、それに合わせて円の形で動きながら踊っていた。20分ぐらい踊っていたときだったろうか、中から、長老が家のドアを開けて、「カーカーカー」とカラスの鳴き声みたいな声を出し、またドアを閉めてしまった
ダンサーたちはまた1から踊り始めたように見えた
また20分ぐらい静かに踊りっていたとき、
ドアが開いて「カーカー」と鳴き声が聞こえた
そしてまたダンサーたちは踊り始めた
私の目には、暑い中ずっと踊らされているダンサーがかわいそうで、長老が意地悪に見えたが、
3度目にドアが開いて、「言葉みたいなもの」を発し、ダンサーたちは全員長老宅に入っていった
何かの儀式 豊作なのか、雨ごいなのか、であるようで、神聖な気分が漂っていたし、空気が張りつめていたのを覚えている。咳払いもできないような雰囲気だったから
だから、カメラの許可証が必要だったわけだ。パシャパシャと写真を取ったら、音に邪魔されるだろうし、雰囲気が台無しになるから
長老を中心としたプエブロのヒエラルキーをみたように思った
そして本物のネイティブアメリカンの儀式を見たように思った
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