2018年10月20日
アメリカでの車の運転 怖かった思い出
確か1993年〜だったと思うんだけど、
その前年にモンタナ州のCrow Indian reservation を訪れてすっかりネイティブアメリカンの文化に魅せられた私は、文化人類学が好きな友達と一緒に数年間かけていろいろな居留地を車で訪れることにした
初めはナバホインディアンの住んでいるアリゾナ州あたりを旅した
ウィンドウズロックから入り、Hopiインディアンの居留地まで車で移動した
彼女は高校時代にアメリカに留学していて、そのときに車の免許をアメリカで取っていた
そして同じ大学に交換留学していたときに、私も免許を取った
しかし、私は車の運転には本当に自信がなかった
だから、絶対に車の往来の激しくない場所しか運転しなかった
しかし、Interstateは車のスピードが半端なく早い
センマイトラックに四方を囲まれていやがらせ(私はそうだと思ってる)をされたこともある
Hopiの居留地に夜日が暮れてから車ではいったのだが、そのときは後ろから車があおってきて本当にこわかった
一番テンパったのは、ニューメキシコ州の田舎道を走っていたとき、激しい雨が降ってきて、バケツをひっくり返したような雨で、ワイパーでは前が見えないといった中で運転しなければならなかったこと。
あの時はかろうじて見ることができるセンターラインと右側の白い線を何とか見ながら、道から外れないように運転していた
ノースカロライナでは、右折したかったとき、道から出てくる車と危うくぶつかりそうになったり、ウィスコンシン州では、トラックが突然センターラインを越えてきて、車に突進してきたときには、生きた心地がしなかった。本当に車の運転は苦手だ
文化人類学好きの彼女は車の運転が好きだったので、彼女に運転はほぼ任せていた。でも疲れてくるので時々私が運転した。スーツケースを運ぶのを自分がやったり、別のところでなんとか運転しない分を埋め合わせしようとしていた
つい最近も一緒にノースカロライナ州を一緒に旅した
ワイナリーを訪れたり、アシュビルまで足を延ばした
本当に気の合う友達だ
コロラド州を旅したときは、一緒に3時間の乗馬をして、馬で素敵な風景の場所を散策し、軽めのランチを参加者みんなで食べたり、ロッキー山脈を越えたこともあった。富士山よりも高い場所に道路があってそこを車で走った。そのときは、道に鹿がいたり、自然を堪能しながら、夏なのにキーンと冷えた空気を胸いっぱいに吸いながら、無事に下山できることを祈っていた
遠くから救急車の音がずっとしていた。きっと空気の薄いところで動き回ってしまったからだろう、体調悪くなった人が出たようだった。でも、救急車は有料だから、こんな山奥まで救急車を要請するとは、相当お金がかかるだろうなといったことを考えていたことを覚えている。結構どうでもいいことを覚えていたりするもんなんだな〜
テキサス州のアマリロ近辺を走っているとき、夕食を取るために近くのレストランへ寄ったことがある。
そのときは、ダンスのコンテストでもあったようで、レストランの客がみんな衣装を着ていて、驚いたことがある。ある場所は、とにかく窓を開けて走ることができなかった。それは、牛のふんのにおいが風に乗ってひどかったから。
そういえば、カリフォルニアのある町は、にんにく工場があるようで、町の中を通り過ぎるだけでも、にんにくのにおいがすごかったことがあった
グランドキャニオンでは、一方通行のところでUターンをして、警察官に車を止められた。警官に車を止められたら、素早く動くことは禁止されている。武器を取り出すと思われるからだ。それは知っていたので、ゆっくりと窓を開け、免許証と車の証明書を見せろと言われたとき、いちいち口に出して説明した。「証明書はダッシュボードの中です。取り出します。免許書はカバンの中です。今出します」など。でも、まあUターンだけだったので、見逃してくれた。生きた心地がしなかったなぁ〜
でも、結構何度もアメリカ旅行で運転しているので、少しずつ慣れてきたように思う
今度行くときには、自分も運転できそう。だって向こうではおじいちゃんやおばあちゃんが運転してるから私ができないはずがない。
今は文化人類学が好きな彼女と、ハワイ好きの通訳をしている友達と一緒に世界旅行にいく計画をたてている2030年だったかな?
でもそのころはもう60を超えているからどうなるかな?
お金も貯めておかないと。貯まるのかな????
忙しい毎日だけど、先に目標があると頑張れるかも
その前年にモンタナ州のCrow Indian reservation を訪れてすっかりネイティブアメリカンの文化に魅せられた私は、文化人類学が好きな友達と一緒に数年間かけていろいろな居留地を車で訪れることにした
初めはナバホインディアンの住んでいるアリゾナ州あたりを旅した
ウィンドウズロックから入り、Hopiインディアンの居留地まで車で移動した
彼女は高校時代にアメリカに留学していて、そのときに車の免許をアメリカで取っていた
そして同じ大学に交換留学していたときに、私も免許を取った
しかし、私は車の運転には本当に自信がなかった
だから、絶対に車の往来の激しくない場所しか運転しなかった
しかし、Interstateは車のスピードが半端なく早い
センマイトラックに四方を囲まれていやがらせ(私はそうだと思ってる)をされたこともある
Hopiの居留地に夜日が暮れてから車ではいったのだが、そのときは後ろから車があおってきて本当にこわかった
一番テンパったのは、ニューメキシコ州の田舎道を走っていたとき、激しい雨が降ってきて、バケツをひっくり返したような雨で、ワイパーでは前が見えないといった中で運転しなければならなかったこと。
あの時はかろうじて見ることができるセンターラインと右側の白い線を何とか見ながら、道から外れないように運転していた
ノースカロライナでは、右折したかったとき、道から出てくる車と危うくぶつかりそうになったり、ウィスコンシン州では、トラックが突然センターラインを越えてきて、車に突進してきたときには、生きた心地がしなかった。本当に車の運転は苦手だ
文化人類学好きの彼女は車の運転が好きだったので、彼女に運転はほぼ任せていた。でも疲れてくるので時々私が運転した。スーツケースを運ぶのを自分がやったり、別のところでなんとか運転しない分を埋め合わせしようとしていた
つい最近も一緒にノースカロライナ州を一緒に旅した
ワイナリーを訪れたり、アシュビルまで足を延ばした
本当に気の合う友達だ
コロラド州を旅したときは、一緒に3時間の乗馬をして、馬で素敵な風景の場所を散策し、軽めのランチを参加者みんなで食べたり、ロッキー山脈を越えたこともあった。富士山よりも高い場所に道路があってそこを車で走った。そのときは、道に鹿がいたり、自然を堪能しながら、夏なのにキーンと冷えた空気を胸いっぱいに吸いながら、無事に下山できることを祈っていた
遠くから救急車の音がずっとしていた。きっと空気の薄いところで動き回ってしまったからだろう、体調悪くなった人が出たようだった。でも、救急車は有料だから、こんな山奥まで救急車を要請するとは、相当お金がかかるだろうなといったことを考えていたことを覚えている。結構どうでもいいことを覚えていたりするもんなんだな〜
テキサス州のアマリロ近辺を走っているとき、夕食を取るために近くのレストランへ寄ったことがある。
そのときは、ダンスのコンテストでもあったようで、レストランの客がみんな衣装を着ていて、驚いたことがある。ある場所は、とにかく窓を開けて走ることができなかった。それは、牛のふんのにおいが風に乗ってひどかったから。
そういえば、カリフォルニアのある町は、にんにく工場があるようで、町の中を通り過ぎるだけでも、にんにくのにおいがすごかったことがあった
グランドキャニオンでは、一方通行のところでUターンをして、警察官に車を止められた。警官に車を止められたら、素早く動くことは禁止されている。武器を取り出すと思われるからだ。それは知っていたので、ゆっくりと窓を開け、免許証と車の証明書を見せろと言われたとき、いちいち口に出して説明した。「証明書はダッシュボードの中です。取り出します。免許書はカバンの中です。今出します」など。でも、まあUターンだけだったので、見逃してくれた。生きた心地がしなかったなぁ〜
でも、結構何度もアメリカ旅行で運転しているので、少しずつ慣れてきたように思う
今度行くときには、自分も運転できそう。だって向こうではおじいちゃんやおばあちゃんが運転してるから私ができないはずがない。
今は文化人類学が好きな彼女と、ハワイ好きの通訳をしている友達と一緒に世界旅行にいく計画をたてている2030年だったかな?
でもそのころはもう60を超えているからどうなるかな?
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忙しい毎日だけど、先に目標があると頑張れるかも
タグ:車の運転
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