2019年09月28日
アメリカでのボランティア経験 ウエストバージニア その2
寝袋を持って、同じ高校に通っている人たちが乗っているバンに乗り込む。
いつもはカソリック教会に属している高校3年生の友達と一緒に遊んでいることが多かった
でもこのキャンプは、1〜2つ年下のプロテスタント教会に通っている友達と一緒に行くことになったようだ
そもそも誰が行くのかも把握していなかった。ただ一週間、ウエストバージニアでボランティアをするキャンプに参加するんだとしか理解していなかった。
彼らは10年生が中心のグループだったと思う。フットボール選手やチアリーディングをしている人たちで、学校でも花形の生徒たちだった。だからだろうか、日本からの留学生の私にも優しく仲間に入れて接してくれた。スポーツだけやってたり、勉強だけじゃなくて、ちゃんとボランティア活動のような社会貢献についてもアメリカは大事にしているんだなと思った。子どものころからそういう体験をしているから、大人になっても気軽にボランティアをするようになるんだろうなと思う。
さてミネソタ州からシカゴ経由でオハイオ州へ、そしてケンタッキー州へ入ったところで、教会の集会場で一泊した。長い間車に揺られて移動していたので、すぐに寝てしまった。床の上に寝袋で寝た。これが初めての寝袋体験だった。床は硬くて初めは眠れるか心配だったけど、疲れていたためすぐに落ちた。
道中一番印象に残っているのは、シカゴの街を通り抜けた時のことだ。ハイウェーを通っているから町の中をドライブしたわけではなかったが、走り抜けているときに大きな家やプール、公園、ビル、など、1時間以上たっても街が終わらないことに感動した。なぜなら、人口2000人、メインストリートは車で2分で走り抜けることができる小さい町に1年間暮らしていたからだ。飛行機で夜にシカゴオヘア空港に着陸したときも、街がキラキラとネオンで光っていて、大きい町だとおもったけど、本当に大きい街だった。
さて話は戻って、ケンタッキー州で夕飯にピザを食べるためにレストランに入った。ウエイトレスがテーブルに来て話しかけてきたとき、私は「???」と違和感を覚えた。あれー英語が聞き取れないよ〜
本当にところどころ何を言っているのかわからないことがあった。発音も少し違うし、イントネーションも若干違うような・・・・。ピザを食べながら隣に座っている友達に、「なんか何を言っているかわからない」と伝えると、「彼らは少し訛りがある」と教えてくれた。「アメリカなのに英語が違うんだ〜」初めて知った瞬間だった。新鮮な驚き、アメリカが広いことはわかったけど、言葉も違うんだ。実感として腑に落ちた感じを覚えている。
2日目の夕方、山の中の道をくねくねと登っていき、ところどころ石油をくみ上げるポンプを目にしながら、細い道を進んで行った。しばらくするとベースとなる公立高校の建物へ到着した。小さな町の小さな公立高校の建物で、全米からそのプロテスタント教会の人たちが集まって、キャンプをしながら、ボランティアをするという企画らしい。
一緒にバンで旅してきた友達とは分かれ、それぞれが別々のグループに配属された。自分も10名からなるグループに入った。リーダーは太っちょの男の人、大学生の女の人、カンザス州から来た高校生など、それぞれ別々の場所からこのボランティアに参加するためにはるばるやってきた人たちだった。自己紹介をしたけど、ちゃんとやっていけるかこの時は少し不安になった。でも基本教会が母体のボランティア集団なので、愛があふれている感じがした。
その日の夕食は、その高校のカフェテリアで食べた。そして、自分の寝る部屋を教えられて、寝袋をしいて寝た。おしゃべりをしている人もいたけれど、緊張していて寝たふりでもしているほうが気が楽だった。そうしているうちに、部屋の電気を消しにくるスタッフが「もう寝てください」と言って電気を消していった。そこはまじめなキリスト教徒たちは、明日に備えてすぐに眠りについた。
朝はみんなシャワーを浴びたり朝食を食べたりして、最後にその日のサンドイッチを作り、茶色の紙袋に入れて集合場所に集まった。サンドイッチと言ってもアメリカの定番のハムとチーズをパンで挟んだもの、ジャムとピーナッツバターを挟んだもの、そしてバナナとナプキンを持たされただけだった。それから毎日5日間、ほぼ同じメニューを食べたような気がする。確か3日後ぐらい、さすがのキリスト教徒たちも、「このお昼のメニューは飽きたな〜」とつぶやいたのを聞いて、本音はそうだよね〜と安心した。
いつもはカソリック教会に属している高校3年生の友達と一緒に遊んでいることが多かった
でもこのキャンプは、1〜2つ年下のプロテスタント教会に通っている友達と一緒に行くことになったようだ
そもそも誰が行くのかも把握していなかった。ただ一週間、ウエストバージニアでボランティアをするキャンプに参加するんだとしか理解していなかった。
彼らは10年生が中心のグループだったと思う。フットボール選手やチアリーディングをしている人たちで、学校でも花形の生徒たちだった。だからだろうか、日本からの留学生の私にも優しく仲間に入れて接してくれた。スポーツだけやってたり、勉強だけじゃなくて、ちゃんとボランティア活動のような社会貢献についてもアメリカは大事にしているんだなと思った。子どものころからそういう体験をしているから、大人になっても気軽にボランティアをするようになるんだろうなと思う。
さてミネソタ州からシカゴ経由でオハイオ州へ、そしてケンタッキー州へ入ったところで、教会の集会場で一泊した。長い間車に揺られて移動していたので、すぐに寝てしまった。床の上に寝袋で寝た。これが初めての寝袋体験だった。床は硬くて初めは眠れるか心配だったけど、疲れていたためすぐに落ちた。
道中一番印象に残っているのは、シカゴの街を通り抜けた時のことだ。ハイウェーを通っているから町の中をドライブしたわけではなかったが、走り抜けているときに大きな家やプール、公園、ビル、など、1時間以上たっても街が終わらないことに感動した。なぜなら、人口2000人、メインストリートは車で2分で走り抜けることができる小さい町に1年間暮らしていたからだ。飛行機で夜にシカゴオヘア空港に着陸したときも、街がキラキラとネオンで光っていて、大きい町だとおもったけど、本当に大きい街だった。
さて話は戻って、ケンタッキー州で夕飯にピザを食べるためにレストランに入った。ウエイトレスがテーブルに来て話しかけてきたとき、私は「???」と違和感を覚えた。あれー英語が聞き取れないよ〜
本当にところどころ何を言っているのかわからないことがあった。発音も少し違うし、イントネーションも若干違うような・・・・。ピザを食べながら隣に座っている友達に、「なんか何を言っているかわからない」と伝えると、「彼らは少し訛りがある」と教えてくれた。「アメリカなのに英語が違うんだ〜」初めて知った瞬間だった。新鮮な驚き、アメリカが広いことはわかったけど、言葉も違うんだ。実感として腑に落ちた感じを覚えている。
2日目の夕方、山の中の道をくねくねと登っていき、ところどころ石油をくみ上げるポンプを目にしながら、細い道を進んで行った。しばらくするとベースとなる公立高校の建物へ到着した。小さな町の小さな公立高校の建物で、全米からそのプロテスタント教会の人たちが集まって、キャンプをしながら、ボランティアをするという企画らしい。
一緒にバンで旅してきた友達とは分かれ、それぞれが別々のグループに配属された。自分も10名からなるグループに入った。リーダーは太っちょの男の人、大学生の女の人、カンザス州から来た高校生など、それぞれ別々の場所からこのボランティアに参加するためにはるばるやってきた人たちだった。自己紹介をしたけど、ちゃんとやっていけるかこの時は少し不安になった。でも基本教会が母体のボランティア集団なので、愛があふれている感じがした。
その日の夕食は、その高校のカフェテリアで食べた。そして、自分の寝る部屋を教えられて、寝袋をしいて寝た。おしゃべりをしている人もいたけれど、緊張していて寝たふりでもしているほうが気が楽だった。そうしているうちに、部屋の電気を消しにくるスタッフが「もう寝てください」と言って電気を消していった。そこはまじめなキリスト教徒たちは、明日に備えてすぐに眠りについた。
朝はみんなシャワーを浴びたり朝食を食べたりして、最後にその日のサンドイッチを作り、茶色の紙袋に入れて集合場所に集まった。サンドイッチと言ってもアメリカの定番のハムとチーズをパンで挟んだもの、ジャムとピーナッツバターを挟んだもの、そしてバナナとナプキンを持たされただけだった。それから毎日5日間、ほぼ同じメニューを食べたような気がする。確か3日後ぐらい、さすがのキリスト教徒たちも、「このお昼のメニューは飽きたな〜」とつぶやいたのを聞いて、本音はそうだよね〜と安心した。
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