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2018年08月05日

一夫多妻とモルモン教、そして男尊女卑

Polygamy 一夫多妻

Utah州のモルモン教のおうちにホームステイしたことがあるのであまり悪くは言いたくはないが
Zionのエリア(ユタ州の南のエリア:砂漠地帯で国立公園などがある町がほとんどないようなエリア)に
一夫多妻を信仰しているモルモン教徒たちが21世紀にも存在している。

もともとモルモン教自体アメリカにおいても異端で、新興宗教に分類される。つい50年ぐらい前までは一夫多妻が認められていたが、連邦政府がそれを禁止したためにモルモン教においても一夫多妻制を禁止することにした。しかし、町から離れた人里に暮らすコミュニティーではいまだに一夫多妻を継続し、アメリカ社会から隔離した状態の中で生活している人々が少数ながらいる。

おそらくアメリカ政府やユタ州の警察など把握はしていると思うが、あまりにも現実社会から離れて、信仰を実践しているために、見てみぬふりをしているケースもあるようだ。

バイブルにはよく神に男は従い、男に女が従うという言葉がでてくる。これはイスラム教も大事にしている中心となる考え方だ。女性は神の言葉に忠実に従い、また自分の夫に従順であることを求められる。モルモン教徒の一夫多妻制をとっている社会のなかでは、怒ることは罪とみなされたり、夫や神父(プロフェットと呼ばれていたが)に質問をしてはいけないといった、私からすると男の優位性を保つこと、女性の人権が全く無視されている状況にただただ呆れてしまう。

自分たち(男性の視点)に有意な考えを教育し、(公立の学校へは通わず、コミュニティー内で中2まで教育する)自分たちの優位性を保った文化の継承を大事にする。これは宗教なのか、カルトなのかもうほとんど理解不能だ。

ただ小さいころからそういったことを教えられ外界との接点をもたなければ(テレビも見ないし、ラジオも聞くことができない)比較することができず、来る終末思想の中で救われないと思いこんでしまったら、そこにある文化に適応して疑問さえ感じないことは容易に想像できる。

アーミッシュは一夫一婦制で、聖書に基づいて生活を送ることで、神へ奉仕し神への忠誠を実行を通して表現している。神が一番偉く、次に男性、そして最後に女性となっている。そしてそれを信じているがために、女性は夫に従い、尽くすということを女性の在り方として捉えている。女性は家の中の仕事、子育てが神への奉仕である。そして、怒りを抱えていることは罪で、相手を赦すことが、唯一神から自分が赦されると信じているので、夫にDVで嫌な目に合わせられても、娘が父親からレイプされたとしても、相手を赦すことが、自分が救われることだと説得させられて、そのコミュニティーの中で取り扱われることは少ない。

宗教を中心にしたコミュニティーとして、アーミッシュやモルモン教(の中でもかなり亜種のタイプ、カルトより)があるが、スコットランドには「フィンドホーン」という自給自足のコミュニティーがある。ここは誰もがコミュニティーに自分のできることで貢献して、誰もが何らかの仕事をして滞在が許される。出入りも自由でどちらかというと、自給自足を体験しにくるケースや学びにくるケース、スピリチュアルな経験を求めて人が集まってくる。ここには宗教的な色合いはなく、健康的なイメージがあるが、一生生活できるわけではないので、ちょいと上記の2つとは異なる。

60年代のヒッピーに惹かれたり、ユートピア思想に惹かれたり、アーミッシュの相互扶助のあるコミュニティーに惹かれる自分は否定できない。民主主義があまり好きではないのかもしれない。でも男尊女卑の部分になると、妙に反応してしまう自分がいる。おとなしく男に従って守ってもらえばいいものを、どうも自立してしまったようで、自分の考えもあるし、自分の感情を否定したり、抑えたりすることが苦手だ。

男でもどうしょうもないやつもいるし、女でも救いようのないやつもいる。それを一律に性別でくくってしまう聖書はすでに21世紀に対応していないのではないかとさえ思ってしまう。
そもそも、なぜカトリック教徒は自分の生活の中での事実と聖書の教えのなかの矛盾点に違和感を覚えないのか。それとも本当に男に従うべきだと思っているのだろうか。いやそれは考えられない。矛盾点には目をつぶっているか、別の解釈をしているのかもしれないと思う。

聖書がキリスト教の重要な部分を担っているから、アーミッシュはそれを実践し神に忠実であろうとしている。誰もが昔はアーミッシュのような生活をしていたわけだから。でも、それから離れて社会の中で社会の価値観を優先して生活している他のカソリック、プロテスタントの人々は、聖書や教会を大事にはしているけれど、祈るけれども忠実に実践しているわけではない。それでも、アメリカ人の多くは聖書の中のできる部分については実践しようとする。人に親切にするとか、困っている人に手を差し伸べるなどは、日本人以上によく
実践している。行為を通して神に忠実であろうとしているのだと思う。反対に、日本人は神に忠実であろうとして親切な行為をするわけではない。それが尊い行いだから、ただするのだ。他人に「どうしょうもない奴だ」と思われないか、いわば他人の目を意識しての行動かもしれない。他者からみて良い人であろうとするためだ。

行動は同じだったとしても、動機が大きくことなる。
アメリカ人は自分を使って神の施しを自らが実践する、神の考えを現実のものにするという意識があり
日本人は自分の価値観からの実践や他者の目や社会的評判から行動が行われるのではないかと私は考えている。

日本人には理解しがたい宗教を理解できると、アメリカ人についての理解が深まると言えるだろう。
それにしても、男に従うということに反応してしまうのはなんでなんだろう・・・・
posted by seeker at 22:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと
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