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2021年04月29日

ポール・ディラック_【2021/04/29_原稿投稿】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「ディラック」の原稿を投稿します。ケンブリッジの天才です。作業していて気付いたのですがディラックは20世紀初頭に生まれています。19世紀の天才であるアインシュタインやローレンツ、エーレンフェストからみて本当に頼もしい若者だったのでしょう。そんな視点も含めてご覧になってみて下さい。リンクは現時点での纏めブログの情報です。また、ブログ宣伝でツイッター使います。4/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【12016】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。


【以下が投稿原稿です】



イギリスのディラックは
とても謙虚で無口な人でした。
ノーベル賞が決まった際には、
有名になる事を恐れて受賞辞退を
考えていた様です。そんな人なのですが、
20世紀初頭の天才達がひしめく中で
ファインマンハイゼンベルク 、
シュレディンガー等と量子力学を確立します。
特にシュレディンガーとは
同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックを語るにあたり少し、その家族について言及します。ディラックが10代後半の時期にスイスから家族は国籍を移しています。そしてディラックの性格形成を語る上で家庭環境は大きな要素だったようです。まず1924年にディラックの兄が自ら命を断っています。色々考えた末だったのでしょうか。ディラック自身も、その父と会話し辛い場面が多々あったようです。そして無口な人になっていったようです。しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。


ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分かり易い表現でブラの部分が
行列に相当してケットの部分がベクトル量に相当する定式化です。作用した結果のブラ・ケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学生時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。


お花の定期便【Bloomee LIFE】

そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格から周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才でラックをアインシュタインやキューリ夫人が尊重して「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような気がするのです。そして、そんなディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/17_初稿投稿
2021/04/29_改定投稿


詳しくはコチラへ→【テキストポン】


【舞台別のご紹介へ】
【イギリスのご紹介へ】
【ケンブリッジのご紹介へ】

小柴昌俊_【2021/04/29_原稿投稿】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「小柴昌俊」の原稿を投稿します。カミオカンデを使いニュートリーノを観測してノーベル賞を得ました。多く後輩を育てました。のんきに、ご覧下さい。バーナーの情報を含めてhttp.www://nowkouji226.comへの投稿原稿を残します。

また、ブログ宣伝でツイッターとの連携します。4アカ計で考えて4/16(金)朝の時点でフォロワーは【11689】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味したいのです。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に現状の一万垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。


【以下が投稿原稿です】



物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。2020/11/12の夜に老衰の為、都内の病院でお亡くなりになりました。享年94歳の大往生です。


小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つニュートリノを観測にかける事に成功しました。その結果をもとに今ではニュートリノ天文学という新しい分野を確立しました。ニュートリーノは星の進化過程で発生します。驚いたのですが、ニュートリーノを観測にかけたのは、小柴昌俊が東京大学を定年退官する一月前の観測でした。強運を指摘された小柴氏は「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備をしているのか、していないのかで差がつく」(のですよ)、と反論しました。





東京大学宇宙線研究所に所属している梶田隆章は小柴昌俊の弟子にあたりますが、ニュートリーノに質量がある事を示しノーベル賞を受けています。また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。朝永振一郎から可愛がられた若かりし時代を経て梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。





小柴昌俊は俊岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに3000トンの水を使った、巨大装置、カミオカンデを建設し、天体からのニュートリノを観測しました。その装置ではニュートリーノが飛来する方向、観測した時刻、エネルギー分布を明確に検出します。実際に観測をしました。カミオカンデの主目的はニュートリーノではありませんでしたが、ニュートリーノも観測したい、という2段作戦で成功を得たのです。小柴昌俊はそうした結果を使いニュートリーノ物理学を進めたのです。何より彼は大変な努力家でした。そんな男が大きな仕事を成し遂げた後、静かな眠りに落ちたのですね。大きなお悔やみを申し上げます。合掌。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/12_初稿投稿
2021/04/17_改定投稿


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