観心寺(かんしんじ)は、大阪府河内長野市寺元にある高野山真言宗の遺跡本山の寺院。山号は檜尾山。本尊は如意輪観音。新西国三十三箇所客番札所。大阪みどりの百選に選定されている。また日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつでもある。
金堂(国宝)
境内
金堂(国宝)
南北朝時代、正平年間(1346年 - 1370年)の建立。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺き。和様と禅宗様の要素が混淆した折衷様仏堂の代表例である。朱塗の柱に白い漆喰壁の外観は和様の要素であるが、扉は禅宗様の桟唐戸を用いる。堂正面は七間のうち中央五間を桟唐戸、両端の各一間を和様の連子窓とする。和様では頭貫(かしらぬき)以外の貫(柱を貫通する水平材)を用いず、長押(柱の外側から打ち付ける水平材)を多用するが、この堂では頭貫以外に飛貫(ひぬき)、足固貫を用いている。堂内は手前二間通りを外陣とする。その奥は中央の五間×四間を内陣、その両脇一間通りを脇陣、背後の梁間一間分を後陣とする。内陣はその奥の三間×一間を内々陣として須弥壇(しゅみだん)を構え、厨子内に本尊如意輪観音像を安置する。須弥壇の手前左右には曼荼羅壁を設け、それぞれに両界曼荼羅を描く。
文化財
当寺には多くの文化財があり、仏像などは寺内の霊宝館に多数展示されている。また境内が国の史跡に指定されている。
木造如意輪観音坐像
国宝。観心寺の本尊で、金堂内陣の厨子内に安置される。秘仏で、毎年4月17・18日の2日間のみ開扉される。平安時代前期・9世紀の作。像高108.8cm。六臂(手が6本)の密教彫像。長らく秘仏であったため、保存がよく、表面の彩色や文様もよく残っている。右脚を立て膝とし、6本の手のち、右第一手は頬に当てて思惟相とし、第二手は胸前で如意宝珠を捧持し、第三手は垂下して数珠を持つ。左の第一手はまっすぐ下方に伸ばし、第二手は掌を正面に向けて胸の高さで蓮茎を持ち、第三手は伸ばした指先で法輪を支える。カヤ材の一木造で、頭・体の主要部を一材から木取りしたうえで、左膝外側部、各腕などに別材を矧ぎ付けている。各腕は臂釧(ひせん、上腕部に巻いた装飾)のあたりで矧いでいるとみられる。国宝指定名称は「木造」となっているが、乾漆技法が併用されており、各所に木屎漆(こくそうるし、麦漆に木粉などを混ぜたもの)を厚く盛り上げて、肌の柔らかい感触を表現しており、密教彫像特有の神秘性と官能性を表出する。面相部や、左肩から右腰に掛かる条帛(じょうはく)、下半身にまとった裳などの衣文は乾漆技法で成形されている。条帛、裳、台座の蓮弁などには繧繝彩色と截金を用いた造像当初の彩色が残っている。特に裳の装飾は文様帯を4段に分けて地色や文様を違えた入念なものである。頭上の宝冠は木製透彫で、造像当初のものではないが、平安時代後期の作とみられる。
国宝
金堂 附:棟札(1枚)
木造如意輪観音坐像 - 解説は前出。
観心寺縁起資財帳
国の史跡
観心寺境内
大阪府指定有形文化財
観心寺(建造物)6棟
大門
鎮守社拝殿 附:棟札(1枚)
御影堂(大師堂)
本願堂(開山堂)
槙本院中門
槙本院持仏堂
所在地
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475
交通アクセス
南海高野線および近鉄長野線 河内長野駅3番乗り場から南海バス小深線「金剛山ロープウェイ前行き(408,411系統)」,小吹台団地線「小吹台行き(410系統)」のいずれかに乗車し、「観心寺」バス停下車すぐ
2022年11月04日
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