金剛頂寺(こんごうちょうじ)は、高知県室戸市元乙に位置する真言宗豊山派の寺院。龍頭山(りゅうずざん)、光明院(こうみょういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第二十六番札所。
室戸市周辺では西寺とよばれ]。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺(にしでら)の空
概要
当寺は標高165 m辺りの三角山の中腹にあり、室戸岬を臨め眼下に太平洋が広がる行当岬上部の景勝地にある。北東の鬼門に約7 km離れた池山池に池山神社、南西の裏鬼門に約1.5 km離れた崎山地区に法満宮を配して創建された。当寺から南に下がった海岸は行当岬の東側にあたり、硯が産出されたことから硯が浦とも呼ばれる。
『拾遺往生伝』によると、当寺11世住職・蓮薹(れんたい)は、承徳2年(1098年)6月7日、高野山からの帰り道で「南無弘法大師遍照金剛菩薩」と云えりとあって、大師宝号を初めて唱えたとされている]。
歴史
寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され、その後の16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。
鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。
文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、1899年(明治32年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。
アクセス
鉄道
土佐くろしお鉄道ごめんなはり線 – 奈半利駅 (18.1 km)
バス
高知東部交通 「元橋」下車 (1.2 km)
道路
国道55号 元橋 (2.3 km)
駐車場:20台、大型3台(納経所にて駐車料:普通車200円、マイクロバス400円、大型バス1,000円)
所在地 高知県室戸市元乙523
位置 北緯33度18分26秒 東経134度07分22.3秒
山号 龍頭山
院号 光明院
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)大同2年(807年)
開基 (伝)嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 龍頭山 光明院 金剛頂寺
別称 西寺(にしでら)
札所等 四国八十八箇所26番
文化財 銅造観世音菩薩立像・木造阿弥陀如来坐像・
板彫真言八祖像・銅鐘・金銅旅壇具・
金銅密教法具(国の重要文化財)
2024年03月15日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12471421
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック