江戸時代には土佐藩の藩庁が二の丸御殿に置かれた。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門等が現存する。城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。四国八十八景27番。
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概要
高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高45m)上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川をそれぞれ外堀として利用されていた。
戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう/おおたかさやま-)または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。最初の築造時期は南北朝時代。土佐の戦国大名として台頭した長宗我部元親は1588年(天正16年)、岡豊城(おこうじょう)からここへ本拠地を移そうとしたが低湿地の山麓は工事が難航し、代わりに港(浦戸湾)に臨む浦戸城を選んだ。
長宗我部氏は関ヶ原の戦いで敗れた西軍に与して改易され、代わりに翌1601年(慶長6年)、山内一豊が土佐国を与えられて土佐藩を立てた。一豊は大高坂山で築城に取り掛かり、1603年(慶長8年)に本丸や二の丸は完成したが、城全体の完工は1611年(慶長16年)、一豊の没後で二代目藩主の忠義の代になっていた。3層6階の天守は、一豊が加増・転封前に居城としていた掛川城(静岡県)を模したといわれる。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。
江戸時代初期の建物は1727年(享保12年)の大火でほとんどが焼失し、1753年(宝暦3年)まで四半世紀かけて再建され、現存天守は1749年(寛延2年)造と推測されている。
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られていて、又天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城である。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れて天守、本丸御殿、追手門など15棟の建造物が現存し、全て国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
城全域は高知公園として無料で開放されているが、天守および本丸御殿(別名「懐徳館」)への入館は有料となっている。城の周辺には高知市役所、高知県庁、高知地方裁判所、高知地方検察庁といった行政・司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっている(県庁舎のみ実質的には公園内にある)。
また、城内には一豊と妻の千代(見性院)、板垣退助の銅像が立つ。予算の関係で二の丸御殿、三の丸御殿、鉄門等と言ったこれ以上の木造復元計画はない。
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文化財
重要文化財
重要文化財指定は以下の15棟。
天守
本丸御殿・懐徳館[かいとくかん]
納戸蔵
黒鉄門
西多聞
東多聞
詰門
廊下門
追手門
天守東南矢狭間塀
天守西北矢狭間塀
黒鉄門西北矢狭間塀
黒鉄門東南矢狭間塀
追手門西南矢狭間塀
追手門東北矢狭間塀
アクセス
路面電車(とさでん交通伊野線)高知城前停留場下車、徒歩約5分
JR四国土讃線高知駅から
徒歩約25分
バス約10分
入明駅から
500メートル
駐車場
高知公園駐車場(年中無休、7時30分〜18時30分)65台(有料)
県庁前地下駐車場(8時〜22時)222台(有料)
他、付近に多数所在
開館時間・料金
二ノ丸以下は終日立ち入り可能。
高知城天守・ 懐徳館(本丸御殿)開館時間
通常:9時 - 17時(入場は16時30分まで)
休館日:12月26日〜1月1日
料金
18歳以上:420円、18歳未満:無料
団体(20名以上):330円
利用情報
日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所
本丸御殿入口(開館時のみ押印可)
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別名 鷹城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再、現存)
築城主 大高坂氏?
築城年 南北朝時代(14世紀頃)
主な改修者 長宗我部元親、山内一豊、山内豊敷
主な城主 山内氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 現存天守、御殿、櫓、門
石垣、堀、鐘撞堂
指定文化財 重要文化財(天守など15棟)
国の史跡
位置 北緯33度33分38.53秒 東経133度31分53.54秒