金倉寺(こんぞうじ)は、香川県善通寺市金蔵寺町にある天台寺門宗の寺院。鶏足山(けいそくざん)宝幢院(ほうどういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第七十六番札所。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:まことにも神仏僧を開くれば 真言加持(かじ)の不思議なりけり
納経印:当寺本尊、七ヶ所参り弁財天
本堂
概要
入唐8家で、讃岐5大師であり、延暦寺第5代座主を868年より24年間務め、天台寺門派の宗祖である円珍(智証大師)の生誕地として知られ、また、乃木希典が明治31年(1898年)から3年間当寺の客殿を仮住まいにしており、客殿には乃木ゆかりの品々が展示され、境内には銅像もある。
歴史
宝亀5年(774年)景行天皇の子孫の和気道善(円珍の祖父)が金輪如意(如意輪観音)を祀って一堂を建立し自在王堂と呼ばれていた。仁寿元年(851年)道善の子である和気宅成の上奏により、自在王堂を官寺とし道善寺と名付けた。その後、宅成の子である円珍が承和13年(846年)に入唐、天安2年(858年)帰朝した後、故郷の当寺に訪れて長安の青龍寺に倣した伽藍を造営、薬師如来を彫像して本尊とした。861年伽藍の造営を終え、落慶の斎会に円珍が再訪する。延長6年(928年)醍醐天皇の勅命により金倉郷(かなくらごう)から名前をとり現在の「金倉寺」、山号は釈迦十大弟子の迦葉尊者が入定した山名の「鶏足山」と改め隆盛をきわめた。
その後、幾多の兵火により重要文化財の自画像と本尊などの宝物以外は焼失、慶長11年(1606年)それまで無住寺になっていたが、近くの真言寺院に後見してもらい一時期真言宗になるが、窮状を知った高松藩主の松平頼重により、天台宗に戻り再興、慶安4年(1651年)には、智証大師御影堂を始め、諸堂や客殿、庫裏にいたるまで再建し現在に至る。
大正14年(1925年)、龍川村の地主が差し押さえた農地の競売をめぐり小作争議が激化。金倉寺の伽藍に地主、小作人、警官が集まり仲裁が行われた。
円珍の銅像
山門(仁王門)
交通
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 土讃線 – 金蔵寺駅 (0.5 km)
駅名の読みは同じだが字が異なる。
道路
一般道:香川県道25号善通寺多度津線・香川県道33号高松善通寺線 金倉寺交差点 (0.3 km)
自動車道:高松自動車道 善通寺IC (2.0 km)
所在地 香川県善通寺市金蔵寺町字本村1160番地
位置 北緯34度15分0.35秒 東経133度46分51.65秒
山号 鶏足山
院号 宝幢院
宗派 天台寺門宗
寺格 別格本山
本尊 薬師如来
創建年 (伝)宝亀5年(774年)
開基 (伝)和気道善
正式名 鶏足山 宝幢院 金倉寺
札所等 四国八十八箇所76番
2024年03月04日
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