アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2023年04月11日

永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の仏教寺院

永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の仏教寺院。總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。寺紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)。

1280px-Eihei-ji_Temple_Chokushimon,_Eiheiji-cho_2013.jpg
永平寺の勅使門(唐門)

歴史
道元の求法
曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。父は村上源氏の流れをくむ名門久我家の久我通親であるとするのが通説だが、これには異説もある。

幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺(天台宗総本山)に上り、仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)・仏性(ぶっしょう、仏としての性質)を持っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。

比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)に建仁寺へ入り、栄西の直弟子である明全に師事した。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには宋で学ぶしかないと道元は考えた。師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。

道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。なお、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ死去した。

日本へ戻った道元は初め建仁寺に住し、のちには深草(現在は京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。

1920px-Eiheiji37nt3200.jpg
仏殿

文化財
国宝
普勧坐禅儀(附 普勧坐禅儀撰述記)
重要文化財
高祖嗣書 1幅 紙本墨書 南宋時代
明全戒牒 1巻 金銀絵料紙墨書 鎌倉時代
正法眼蔵仏性第三 1冊 紙本墨書 孤雲懐弉筆 鎌倉時代
後円融院宸翰 1幅 南北朝時代
梵鐘 鎌倉時代 嘉暦2年(1327年)
永平寺(建造物)19棟
仏殿
法堂
山門
中雀門
僧堂
大庫院
大光明蔵
監院寮
廻廊 5棟(山門東方、山門西方、中雀門東方、中雀門西方、仏殿東方)
承陽殿本殿及び拝殿
承陽門
経蔵
松平家廟所門
舎利殿及び祠堂殿
勅使門

Eiheiji31n4592.jpg
一文字廊と仏殿

Eiheiji_Butsuden_(Eiheiji_Town,_Fukui_Prefecture).jpg
仏殿

交通
公共交通機関
えちぜん鉄道勝山永平寺線 永平寺口駅から京福バス「永平寺」行乗車、終点下車。
福井駅から京福リムジンバス「永平寺門前」行乗車、終点下車。
山中温泉から直通バス「永平寺おでかけ号」(全便予約制)。
道路
最寄りの高速道路は中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)。最寄りのインターチェンジは、福井北JCT・IC方面からは永平寺参道IC、大野IC方面からは永平寺IC。諏訪間交差点から国道364号にて約5km。
中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)は福井北JCTで北陸自動車道に直結。
福井市北東部方面から国道416号等を経由して向かう場合、福井北ICが北陸道方面のみの出入口となるため、中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)を利用する際は隣の松岡ICを利用することになる。
福井市南東部方面から向かう場合は、国道158号(バイパスを通らないルート)、国道364号(かつて福井県道路公社が管理していた永平寺有料道路)を通るルートもある。このルート上には北陸自動車道福井ICがある。
江戸時代は福井城下から途中の上中地区の追分まで勝山街道を通って、追分からは越坂峠を越えて永平寺に向かう道が一般的な参道であった。この道沿いには今も多くの道標や石仏が数多く残されている。また福井県道165号京善原目線や中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)は古来の参道の追分から永平寺町京善までの区間にほぼ沿っている。
町営駐車場
有料の町営駐車場が3箇所ある。第1駐車場と第2駐車場は門前からあまり離れていないが、第3駐車場は国道364号から永平寺川を橋で渡った先にあり、未舗装である。

1920px-Eiheiji17nt3200.jpg
中雀門東方回廊

所在地 福井県吉田郡永平寺町志比5-15
位置 北緯36度3分11秒 東経136度21分20秒
山号 吉祥山
宗派 曹洞宗
寺格 大本山
本尊 釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来
創建年 寛元2年(1244年)
開山 道元
開基 波多野義重
文化財 普勧坐禅儀(国宝)
梵鐘、道元禅師嗣書、山門、中雀門ほか(重要文化財)
posted by Kazu at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福井県

2023年04月10日

護国之寺(ごこくしじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院

護国之寺(ごこくしじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。

Obusa-Gokokushiji01.jpeg
楼門(岐阜市指定有形文化財)

概要
山号は雄総山(ゆうそうさん)。

本尊は十一面千手観世音菩薩。

美濃三十三観音霊場第十七番札所。美濃四国札所八十八番。美濃七福神(布袋尊)。国宝の金銅獅子唐草文鉢をはじめ、数多くの岐阜県、岐阜市指定重要文化財がある。

Obusa-Gokokushiji04.jpeg
本堂

御朱印
岐阜市のまちづくり団体ひとひとの会によって企画され、2019年(令和元年)11月現在岐阜県内の13箇所[1]において行われている「金の御朱印」企画に参加しており、毎月最終金曜日(プレミアムフライデー)限定で通常の御朱印とは異なる金をあしらった御朱印が発行されている。

文化財
国宝
金銅獅子唐草文鉢
奈良時代作の仏鉢。径27.5cm、高さ14.5cm。銅製打ち出しで、表面には鍍金(金メッキ)が施され、外面には4頭の獅子と宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)が線刻されている。東大寺奈良の大仏落慶法要の際使用された御供物を入れる鉢といわれている。1915年(大正4年)3月26日に旧国宝(現行法における重要文化財)に指定され、1955年(昭和30年)2月2日に文化財保護法に基づく国宝に指定された。
岐阜県指定重要文化財
護国之寺宝篋印塔
紙本著色鷹図六曲屏風(岐阜市歴史博物館寄託)
塑造仏頭及び残欠

護国之寺_(岐阜市)-桜門gokokushiji001.jpg
桜門

護国之寺_(岐阜市)-桜門の金剛力士像gokokushiji003.jpg
桜門の金剛力士像

所在地
岐阜県岐阜市長良雄総194-1
交通アクセス
岐阜バス
「おぶさ」バス停が最寄りである。下車後徒歩で約1分。
JR岐阜駅バスターミナル:12番のりば「おぶさ」行きに乗車。
名鉄岐阜のりば:4番のりば「おぶさ」行きに乗車。
posted by Kazu at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 岐阜県

2023年04月09日

清浄光寺(しょうじょうこうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山の寺院

清浄光寺(しょうじょうこうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山の寺院。藤沢山無量光院清浄光寺と号す。近世になって遊行寺(ゆぎょうじ)と通称され、明治時代より法主(ほっす)・藤沢上人と遊行上人が同一上人であるために通称の遊行寺の方が知られている。藤沢道場ともいう。

遊行寺.jpg

歴史
開山・中近世
俣野(現在の藤沢市西俣野、横浜市戸塚区俣野町、東俣野町)の領主だった俣野氏の一族である俣野五郎景平が開基。景平の弟である遊行上人第四代呑海は、三代智得の死後にその跡を継いで時宗総本山であった当麻道場(無量光寺)に入山しようとするが、呑海が遊行を続けている間に北条高時の命令により当麻にいた真光が止住するようになっていたため、正中2年(1325年)に俣野領内の藤沢にあったという廃寺極楽寺を清浄光院として再興したのが開山と言われる。当時は現在より400m(メートル)ほど北の、光徳と呼ばれる場所にあった。以後、この寺を藤沢道場と呼びここに独住するようになった遊行上人を藤沢上人と称するようになる。伝承では、現在の西俣野の北部の道場ヶ原にも呑海上人の関係する寺があったと言伝えられている(古遊行寺)。その後、伝承によると領地六万貫を足利尊氏より寄進されたとされている。藤沢四郎太郎によるという説もある。次第に当麻道場をしのぐ影響力を持つようになり、藤沢は門前町として発展するようになった。

延文元年(1356年)八代渡船が梵鐘を鋳造した。梵鐘には「清浄光院」と陽刻がされていてこの時までは清浄光院と名乗っていたことが分かる。その後に清浄光寺と改称。応永年間に2度焼失し、より広い堂宇が再興された。

永享7年(1435年)足利持氏、仏殿120坪を寄進。

焼失による休止期
永正10年(1513年)伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦道寸、太田資康との戦いにより全山焼失。清浄光寺は三浦道寸と通じていたために、後北条氏と敵対関係に陥った。そのため後北条氏の玉縄城主に旧領の返還を求めたが、復興が許されなかった。

永正10年(1513年)1月29日本尊の阿弥陀仏は駿河国府中の長善寺に移されたが、永正17年(1520年)に二十四代遊行上人他阿不外によって甲斐国の一蓮寺(現在は甲府市太田町に所在するが、旧地は甲府市丸の内の一条小山に所在)に置かれた。

その後、二十五代遊行上人他阿仏天が一連寺から敦賀井川の新善光寺に本尊を移す。

元亀2年(1571年)には甲斐国の武田信玄から藤沢200貫、俣野の内100貫の土地が寄進されたが、後北条氏攻略が失敗したため実現しなかった。

再興
三十二世遊行上人他阿普光は、天正19年(1591年)に常陸国の佐竹義宣に招かれ、水戸に水戸藤沢道場(後の神応寺)を建立し、時宗の本拠とする。

普光は甲府一蓮寺の天順を清浄光寺貫首とし、天順は慶長12年(1607年)に清浄光寺を再興させた。これは後北条氏時代の焼失から、94年後のことであった。

寛永8年(1631年)に江戸幕府寺社奉行から諸宗本山へ出された命により、清浄光寺から「時宗藤沢遊行寺末寺帳」を提出、幕府から時宗274寺の総本山と認められる。

寛文5年(1665年)敦賀井川の新善光寺から清浄光寺へ本尊が戻る。

清浄光寺は、浅草日輪寺、甲府一蓮寺、山形光明寺、京都法国寺、大浜称名寺の5寺の住職任命権を持ったが、貞享4年(1687年)頃から各諸派の独立を求める動きに、それらが本山と名乗ることを許し、上位の総本山という位置づけとなった。

徳川綱吉の生類憐れみの令では、江戸市中の金魚の保護所となった。

元文2年(1737年)10月15日浅草の日輪寺塔頭宝珠院より現在の本尊:阿弥陀如来坐像を移す。

OIP.jpeg

文化財
国宝
所在する国宝は、以下のとおり。

絹本著色一遍上人絵伝 12巻 - 1952年(昭和27年)3月29日指定。
鎌倉時代の絵巻物。絹本著色で全12巻。別称に「一遍聖絵」。正安元年(1299年)作。の代表作。一遍上人絵伝は時宗の開祖である一遍(一遍智真)が訪れた各地の風景が描写されているもので、清浄光寺は一遍弟の聖戒により編纂され、円伊による筆で一遍没後十年にあたる正安元年に完成している。
一遍の遊行した各地の風景・風俗が実景に基づいて記されており、歴史・風俗資料としても貴重なものである。もと時宗十二派の一つと数えられていた「六条派」の歓喜光寺(京都市山科区)に伝来したもので、歓喜光寺との共同所有を経て、現在は清浄光寺が単独所有(京都国立博物館及び奈良国立博物館に寄託)。

重要文化財(国指定)
所在する重要文化財は、以下のとおり。

絹本著色後醍醐天皇御像(後醍醐天皇の肖像画、文観房弘真開眼)
1900年(明治33年)4月7日指定。
絹本著色一向上人像
1959年(昭和34年)6月27日指定。
時衆過去帳 2帖
1954年(昭和29年)3月20日指定。
六時居讃・安食問答 2帖
同上

Go-Daigo.jpg
後醍醐天皇像

登録有形文化財(国登録)
本堂
惣門
手水舎
鐘楼
回向堂
百間廊下
御番方
小書院
宇賀神社
石垣及び築地塀

交通
鉄道
藤沢駅(東海道線 (JR東日本)・小田急江ノ島線・江ノ島電鉄)
道路
国道467号

所在地 神奈川県藤沢市西富一丁目8番1号
位置 北緯35度20分54.65秒 東経139度29分19.12秒
山号 藤沢山
院号 無量光院
宗旨 時宗
宗派 時宗遊行派
寺格 総本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 正中2年(1325年、呑海による開山年)
開山 他阿呑海
開基 俣野五郎景平
中興年 慶長12年(1607年)
中興 天順
正式名 藤沢山 無量光院 清浄光寺
別称 遊行寺、藤沢道場
札所等 東国花の寺百ヶ寺神奈川15番札所
posted by Kazu at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 神奈川県

2023年04月08日

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(式内大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。かつては「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されていた。

2165129_orig.jpg

祭神
現在の祭神は次の通り。

主祭神
天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)
豊玉比売命(とよたまひめのみこと) - 天津日高彦火火出見尊の后神。
相殿神
帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后。
品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神)
中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) - 応神天皇皇后。
相殿神4柱は八幡神を合祀した関係による。

20170506-153637_nPOSVbLO7H.jpeg

歴史
創始は社伝によると遠く神代とも、あるいは「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山陵がある。

欽明天皇5年(544年)に八幡神が垂迹したのもこの旧社地とされる。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたという。継体天皇の代のことであるという。」との記載がある。なお、白井宗因が記した『神社啓蒙』では登場人物が「陳大王」と記されており、娘の名前が八幡であるとされている。

八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。

1920px-Kagoshima-jingu,_honden.jpg

祭事
初午祭の様子(2012年撮影)
鹿児島神宮で行われる年間祭事は次の通り。

七種祭(1月7日)
初午祭(旧暦1月18日:近年は近日の日曜日)
藤祭(旧暦3月10日)
御田植祭(旧暦5月5日)
例祭(旧暦8月15日)
七夕祭
御浜下り祭(10月第3日曜日)

1920px-Kagoshima-jingu,_otorii.jpg

文化財
重要文化財(国指定)
鹿児島神宮 3棟(附 棟札1枚)(建造物) - 宝暦5年(1755年)、島津重年の寄進により工事に着手。翌年、島津重豪の代に竣工した。2022年(令和4年)2月9日指定。
本殿及び拝殿
勅使殿
摂社四所神社本殿
紺糸威鎧 兜、大袖付(工芸品)
島津家家老の樺山幸久の奉納。1953年(昭和28年)3月31日指定。
色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定。
色々威胴丸 兜、大袖付(工芸品)
永禄元年(1558年)の島津貴久の奉納。東京国立博物館保管。1953年(昭和28年)3月31日指定。
刀 無銘(伝則重)(工芸品)
戦後の進駐軍の接収で所在不明となったが、2022年(令和4年)に特徴の一致する刀がオーストラリアで見つかった[18]。1918年(大正7年)4月8日指定。
刀 銘相州住秋広 明徳三(工芸品)
明徳3年(1392年)の作。27代島津斉興の奉納。戦後の進駐軍の接収で所在不明となったが、オークションへの出品で発見されて2003年(平成15年)に神社が買い戻した。現在は鹿児島県歴史資料センター黎明館保管。1927年(昭和2年)4月25日指定。

現地情報
所在地
鹿児島県霧島市隼人町内2496

交通アクセス
鉄道:九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線・肥薩線 隼人駅(徒歩約20分)
posted by Kazu at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿児島県

2023年04月07日

太山寺(たいさんじ)は、兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺院

太山寺(たいさんじ)は、兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺院。山号は三身山(さんしんざん)。本尊は薬師如来。開基(創立者)は藤原宇合と伝える。本堂には新西国三十三箇所第25番札所本尊の十一面観音も祀られている。

1280px-Taisanji30s3200.jpg
境内風景、手水舎、阿弥陀堂(奥)

歴史
「播州太山寺縁起」によれば、元正天皇の勅願寺として霊亀2年(716年)に発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立したとされる。

開山(初代住職)は勧請開山として藤原鎌足の長男・定恵(「定慧」「貞恵」とも書く)としている。創建時の建物は弘安8年(1285年)の火災で焼失しており、現存する建物はそれ以降に再建されたものである。

開山とされる定恵は、藤原鎌足の長男で(次男は藤原不比等)、若くして出家し、遣唐使とともに唐に渡った。生涯について謎の多い人物で、没年についても『日本書紀』『藤氏家伝』は天智天皇4年(665年)、『元亨釈書』は和銅7年(714年)とするなど定かでない。太山寺の境内および周辺からは定恵の時代までさかのぼる遺跡、出土品等は確認されておらず、実際の創建は平安時代に降るとみられている。

南北朝時代の建武元年(1334年)には大塔宮護良親王の令旨を受けて南朝方勢力として行動している。支院41ヶ坊、末寺8ヶ寺・末社6ヶ社に僧兵を有していた往時の繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝で、重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ19件を数える。また安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されている。なお現在塔頭は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の5ヶ坊のみとなっている。

太山寺境内の内外は原生林が残る深森になっている。周辺の55.9haは「太山寺風致地区」として保護され、ひょうごの森百選にも選ばれており、春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。

1280px-Taisanji36s3200.jpg
仁王門

境内
本堂(国宝)
鎌倉時代、正安2年(1300年)頃の建立。入母屋造、銅板葺き。桁行(間口)7間、梁間(奥行)6間(ここで言う「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する。以下同じ)。実寸は柱真々間正面20.82m・側面17.76mである。弘安8年(1285年)の火災後、13世紀末頃の建立とみられる。本尊の薬師如来のほかに、新西国三十三箇所第25番札所本尊の十一面観音も祀る。人の空間である外陣と仏の空間である内陣を結界(本建物では格子戸)で分ける、中世密教仏堂の典型である。内部は板敷で、手前の梁間3間分を外陣とする。後方は桁行5間、梁間2間分を内陣、その左右と背面の1間通りを脇陣及び後陣とする。内陣の後寄りに桁行3間の須弥壇を設け、その中央の間に厨子を置き、内部に本尊薬師如来像を安置する。厨子には弘安元年(1278年)の墨書がある。組物は出三斗、中備を間斗束(けんとづか)とする。柱間装置は正面7間をすべて蔀戸(しとみど)とし、側面は前から1間目を幣軸(扉回りに取り付ける枠状の部材)付きの板戸、2間目を蔀戸、3間目を格子戸引違い、5間目を板戸とする。背面は中央間のみ板戸とし、他を土壁とする。以上のように、建物前方の外陣部を開放的な扱いとするのに対し、内陣部は開口の少ない閉鎖的な構えである。柱には隅延び[2]があり、これによって軒反りを形成している。建築様式は蔀を多用するなど和様を基調としているが、頭貫の木鼻などに禅宗様の要素がみられる。本建物で特異な点は、組物の肘木に和様のものと禅宗様のものが混在している点で、建物の東半分の肘木は木口を直線的に構成した和様、西半分の肘木は曲線で構成した禅宗様になっている。

1280px-Taisanji25s3872.jpg
本堂

800px-Taisanji17s3200.jpg
本堂内部(外陣の入側柱列)

文化財
国宝
本堂
重要文化財
仁王門

所在地
〒651-2108 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224

交通アクセス
神戸市営地下鉄西神・山手線 学園都市駅 徒歩25分

神姫バス14系統 (明石駅-伊川谷駅-太山寺-名谷駅) 下車すぐ

JR神戸線 明石駅から…「太山寺」行きまたは「名谷駅」行きで35分
神戸市営地下鉄西神・山手線 伊川谷駅から…「太山寺」行きまたは「名谷駅」行きで7分
神戸市営地下鉄西神・山手線 名谷駅から…「明石駅」」行きで18分

拝観料・拝観時間
拝観料:300円(元日は無料)
拝観時間:8:30 - 17:00(12月 - 2月は16:30)
posted by Kazu at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 兵庫県

2023年04月06日

浄土寺(じょうどじ)は、広島県尾道市東久保町にある真言宗泉涌寺派大本山の寺院

浄土寺(じょうどじ)は、広島県尾道市東久保町にある真言宗泉涌寺派大本山の寺院。山号は転法輪山(てんぽうりんざん)。院号は大乗院。本尊は十一面観音で、中国三十三観音霊場第九番札所である。

1920px-Onomichi_Jodoji_05.jpeg

歴史
推古天皇24年(616年)、聖徳太子が開いたとも伝えられる。この寺が文書等にあらわれるのは鎌倉時代中ごろからのことで、鎌倉時代の初めには堂塔を守る人さえないという惨状だったが、徳治元年(1306年)に真言律宗系の僧で叡尊の弟子・定証によって中興された。その後、正中2年(1325年)に焼失したが、尾道の有徳人道蓮・道性夫妻によって復興された。現存する国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂はこの時再興された建物である。

南北朝時代に入ると、各勢力が浄土寺を味方につけようと外護に努めた。元弘の乱の際後醍醐天皇は、住職に綸旨を下して祈祷を命じるとともに、因島の地頭職を寄進した。足利尊氏は建武3年(1336年)2月、九州に落ち延びる際、浄土寺本堂で戦勢挽回を祈願し、幾つかの地頭職を寄進。更に九州での戦いに勝利再起した同5月5日に再び浄土寺本堂に参籠して、1万巻の観音経を読経し、足利直義や道謙法師と共に観音経にちなんだ33首の和歌を詠じて戦勝を祈願している。尊氏はその後、備後国の利生塔を浄土寺境内(元尾道市立筒湯小学校校庭)に建立し、寺では今も足利氏の家紋「二つ引門」を寺紋として使い続けている。今川了俊も九州へ下る際、数か月浄土寺に滞在し、軍備を整えたという。

室町時代も下ると、足利氏と関係の深かった浄土寺の寺運も衰えていった。近世に入ると落ち着きを取り戻し、泉涌寺派に属しながら尾道在住の豪商から外護を受けるようになり、庶民の信仰を中心とする寺院へ変貌していく。当地の豪商らによって、元禄3年(1690年)、方丈(重要文化財)、正徳年間には護摩堂・経堂、享保4年(1719年)、食堂(現在の庫裏及び客殿、重要文化財)が建立された。

5283437584_3a653e728d_b.jpg

境内
山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらの中世仏教建築群に対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿など、僧の生活空間である近世建築群があり、庭園や茶室(露滴庵)もある。近世以前の寺院景観を良好に残す境内地は、本堂とともに国宝に指定されている。

文化財
国宝
本堂(附:厨子、棟札2枚、境内図2枚) - 嘉暦2年(1327年)の建立。入母屋造本瓦葺き。和様を基調として大仏様、禅宗様の細部を取り入れた、中世折衷様仏堂建築の代表作。なお、平成6年(1994年)7月、境内地全域が「建造物と一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」(文化財保護法第2条参照)として本堂とともに国宝に指定されている。
多宝塔 - 嘉暦3年(1328年)建立の和様の多宝塔。中国地方における古塔の一つとして、また鎌倉時代末期にさかのぼる建立年代の明らかな多宝塔として貴重。

CIMG5534.jpg

CIMG5538.jpg

所在地
広島県尾道市東久保町20-28
posted by Kazu at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島県

2023年04月05日

弥谷寺(いやだにじ)は、香川県三豊市三野町にある真言宗大本山の寺格を持つ仏教寺院

弥谷寺(いやだにじ)は、香川県三豊市三野町にある真言宗大本山の寺格を持つ仏教寺院。弥谷山(標高382m)の中腹225m辺りに本堂があり、その背後の岩盤には創建時に千手佛が納められた岩穴が残り、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数えられたといわれる。四国八十八箇所霊場の第七十一番札所。本尊は千手観音。

本尊真言:おん ばさら たらま きりく

ご詠歌:悪人と行き連れなむも弥谷寺(いやだにじ) ただかりそめもよき友ぞよき

納経印:本尊印、奥之院御学問所、七ヶ所参り大黒天

b3777928634ca9e35c0ac108a21c08b1.jpg

歴史
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀り、寺院を創建したとされる。当初は中国、四国の八国が眺められたことにちなみ蓮華山八国寺と称したという。また、空海(弘法大師)は7 - 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという。

807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し獅子之岩屋にて護摩を修し千座満願のとき蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、山号を剣五山、仏の住む山である弥山から仏の谷という意味とされる弥谷に改めたと伝わる。

re-iyadaniji15.jpg

室町時代には天霧城主・香川氏の庇護を受け、東院・西院・中尊院と6坊を備えて大寺になっていたが、天正期に兵火により荒廃し(剣御山弥谷寺略縁起によると、【天正年中、香川氏没落の時、兵火当山に移りて】とあるがこの山を確実に攻めたとされるのは三好軍で、その後にも香川氏は没落せず長曾我部から養子を跡継ぎとして迎え隆盛しているのでこの記述の解釈が不明)、現在の中尊院のみが存続、のち丸亀藩主京極氏の帰依により1600年(慶長5年)復興された。

また、縁起によると「此岩窟大師四十二歳ノ契天下泰平五穀豊壌或ハ四十二歳厄除衆生ヲ救為千座之護摩修行シ跡伝ワレリ」とあり、これを聞いた後の住持が大師堂再建の折に弘法大師42歳の姿を刻み、奥之院本尊として厄除大師を祀ったといわれ、その後(焼失・盗難を恐れたなど諸説あり)、岩屋の中に石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像を建立し、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、石造と木造の2体の厄除大師像が祀られている。また、澄禅の『四国遍路日記』(承応2年・1653年)には、木像がお祀りされていると記述され、寂本の『四国遍禮霊場記』(元禄2年・1689年)には、「いにしヘは木像にてありけるを石にて改め作り奉る」と記されている。2014年、大師堂厨子内に安置されているその秘仏木造厄除大師像が元禄2年以来320年ぶりに、同時に江戸期以来300年ぶりに本堂に安置されていた木造伝持の大師像、また、金銅四天王五鈷鈴(重文)も公開された。

a9598_0004559658_1.jpeg

文化財
重要文化財
金銅五鈷鈴 - 唐時代、弘法大師が唐より請来したとされる。明治34年3月27日指定、

国の史跡
曼荼羅寺道(三豊市・善通寺市) - 「讃岐遍路道 根香寺道」に弥谷寺へ向かう石段下分岐から蛇谷池の堤までの0.9kmが追加指定され、「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 根香寺道」になる。平成26年10月6日追加指定。

香川県指定有形文化財
仏説観仏三昧海経 巻第二 - 平成19年3月30日指定

香川県指定史跡
弥谷寺信仰遺跡:「賽(さい)の河原」「獅子窟」「比丘尼谷の磨崖仏」「比丘尼谷の墓地大小無数の五輪塔」、 昭和43年6月指定

Iyadanizi11.jpg
金剛拳菩薩

800px-Iyadanizi_03.jpg
多宝塔

1280px-Iyadanizi_02.jpg
弥陀三尊磨崖仏

交通アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - みの駅 (3.3km)
バス
三豊市コミュニティバス 三野線「ふれあいパークみの」下車 (0.5km)
道路
一般道:香川県道48号善通寺詫間線 三野町大見 (1.3km)
自動車道:高松自動車道 三豊鳥坂IC (4.7km)、さぬき豊中IC (10.3km)

所在地 香川県三豊市三野町大見乙70
位置 北緯34度13分47秒 東経133度43分27.34秒
山号 剣五山
宗派 真言宗善通寺派
寺格 大本山
本尊 千手観世音菩薩
創建年 (伝)奈良時代
開基 (伝)行基、聖武天皇(勅願)
正式名 剣五山 千手院 弥谷寺
別称 弘法大師御学問所
札所等 四国八十八箇所71番
文化財 金銅四天王五鈷鈴(国の重要文化財)
仏説観仏三昧海経(県文化財)
弥谷寺信仰遺跡(県史跡)
posted by Kazu at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 香川県

2023年04月04日

瀬底土帝君(せそことていくん、しーくてぃーてぃんく)は、沖縄県国頭郡本部町瀬底島にある農耕神を祀った祠

瀬底土帝君(せそことていくん、しーくてぃーてぃんく)は、沖縄県国頭郡本部町瀬底島にある農耕神を祀った祠。1997年(平成9年)12月3日に国の重要文化財に指定された。

1280px-拝殿です.jpg
瀬底土帝君の拝殿

概要
土帝君は、中国古来の土地関係の神の一種で、一般には土地神と呼ばれる。瀬底の土帝君像は2体の脇士を伴った男神1体の像であるが、当初の像は第二次世界大戦中に盗難に遭い紛失した。現在は、1957年(昭和32年)に瀬底土帝君の所有者である上間家が購入した同様の像が祀られている。

土帝君は沖縄各地に祀られているが、その中でも瀬底土帝君は最大規模を保つ礼拝施設である。建設年代は不明だが、本殿および拝殿の軸部、石組の状態から、上間家二世健堅親雲上(きんきんぺーちん、またはけんけんぺーちん)が木像を請じて帰朝した時期、18世紀中頃の造営と考えられている。本殿や拝殿の屋根は元は茅葺であったと推定されるが、その後本瓦葺に変わり、壁面は珊瑚石の巨石を用いて建てられている。正面の石垣は1965年(昭和40年)頃に一部を積み直しセメントで補強したほかは大きな改変はなく、全体として保存状態も良いため、土帝君信仰に関する建造物の形態をよく保つ代表的な遺構として高く評価されている。

20160201-2.jpeg

歴史
沖縄における農神土帝君の信仰については、琉球の正史『球陽』第九に、大嶺親方弘良が1689年(尚貞30年)に神像を持ち帰り、自領の旧小禄村大嶺に祀ったのが始まりと記されているその後、父の尚円王と母の北谷平安山村の金満との間に内密の子として生まれた山内親方が清国に渡った際、それに随行した健堅親雲上が1723年に、農神土帝君の木像を請じて祀ったのが瀬底土帝君の始まりとされている。

信仰
瀬底における土帝君信仰は、農業の神、大漁の神、商売繁盛の神として信仰され、その集落ごとの生産意版として結び付けられている。

瀬底土帝君の祭祀は、「土帝君正月」(てぃーてぃんくそーぐゎち)と呼ばれ、中国の土地神の誕生日と言われている毎年旧暦2月2日に催されるが、地域によっては旧暦8月15日に催す場合もある。祭祀は、共通の始祖を持ち、父系血縁によって結びついた集団「門中」が参加して行われていたが、大正時代からは村人(区長や有志)も参加するようになった。

posted by Kazu at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 沖縄県

2023年04月03日

宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、福岡県福津市にある神社

宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、福岡県福津市にある神社。年に2度、「光の道」とよばれる境内石段から玄界灘まで真っすぐ伸びる参道の延長線上に夕日が沈むことで知られる。

0-IMG_8343-2048x1351.jpg

概要
社伝によると、創建は約1700年前にさかのぼり、息長足比売命(神功皇后)が、渡韓のおりに宮地岳の頂に祭壇を設け天神地祇を祀り、祈願し船出したのが始まりと伝わる。その後、息長足比売命(神功皇后)の功績をたたえ主祭神として祀り、随従の勝村大神、勝頼大神も併せ祀り、三柱の神を「宮地嶽三柱大神」として祀っている。

現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。

全国にある宮地嶽神社の総本社である[3]。毎年220万人以上の参拝客が訪れ、特に正月三が日には100万人以上の人々が訪れている。開運商売繁昌の神社として知られている。宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多く、日本一大きいと称される大注連縄と大太鼓・大鈴も有名である。境外の表参道には多くの土産店が立ち並んでおり、商売繁昌にちなんで招き猫やダルマを販売している店が多い。また「松ヶ枝餅」が売られている。餅の表面には宮地嶽神社の神紋・三階松紋がある。

境内正面の石段は「男坂」と呼ばれ、また、石段から西向きに伸びる境外表参道は、門前町を通り宮地浜に至り相島を望むことができ、約800mに渡る直線道路となっている。9月の秋季大祭においては、この参道を御神幸行列が牛車で往復する。また、この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、「光の道」として知られる。なお、石段である「男坂」のすぐ脇にも境内と参道を繋ぐ坂道があり、こちらは「女坂」と呼ばれ、各種車両や前述の牛車、参拝客などの通行に利用されている。

2010年に屋根の一部が補修され柔らかい金色の荘厳な屋根となったが、チタン製屋根が採用されており、最新技術を伝統建築に採用された代表例となっている。

miyaji21-1024x576.jpg

祭神
下記、三柱の神を「宮地嶽三柱大神」として祀る。

息長足比売命(神功皇后)
勝村大神
勝頼大神

光の道・夕日の祭
2月下旬、10月下旬の年に2度、男坂の石段から宮地浜まで真っ直ぐに伸びる参道の延長線上に夕日の沈み、「光の道」と呼ばれている。この夕日と参道が一直線に並ぶ光景は、2016年2月に放映された嵐が出演する日本航空のCMをきっかけに有名になり、「光の道」とよばれるようになった。この時期に「夕日のまつり」が開催され、参道の階段は観覧席として使用される為、閉鎖される。参道の階段の上段は、祈願特別席として有料で事前予約制、中段以下は無料の整理券配布により観覧できる。

Sunset_and_sando_of_Miyajidake_Shrine_3.jpg

Miyajitake_jinja_-_panoramio_(20).jpg
本殿

交通
JR鹿児島本線 福間駅から徒歩約25分(2km)、もしくは同駅から西鉄バス津屋崎橋方面行き乗車、宮地嶽神社前バス停下車 徒歩5分。
自動車
九州自動車道古賀インターチェンジから7.5q。駐車場あり(700台)
かつては西日本鉄道宮地岳線(現:貝塚線)宮地岳駅が最寄駅であったが、2007年(平成19年)に廃止された。

毎年、大晦日深夜から正月三が日は参拝による渋滞が発生する。また、JR福間駅 - 宮地岳宮前バス停間には西鉄バス宗像による多数の直行臨時バスが運行される。

所在地 福岡県福津市宮司元町7-1
位置 北緯33度46分47.2秒 東経130度29分9.9秒
主祭神 神功皇后
社格等 県社・別表神社
創建 (伝)神功皇后の時代
例祭 9月21日 - 9月23日(御神幸祭)
posted by Kazu at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡県

2023年04月02日

安積歴史博物館(あさかれきしはくぶつかん)は、福島県郡山市に所在する福島県立安積高等学校の敷地内に存在する歴史的建造物

安積歴史博物館(あさかれきしはくぶつかん)は、福島県郡山市に所在する福島県立安積高等学校の敷地内に存在する歴史的建造物(国の重要文化財 旧福島県尋常中学校本館)を利用した博物館である。1984年に安積高校の創立百周年記念事業により博物館として整備、一般公開され現在に至る。東日本大震災による被害のため休館中であったが、2013年10月5日より、土日祝日に限り仮オープン。同11月20日、公益財団法人となる。2014年9月6日には、グランドオープンし、通常営業に復する。

安積記念博物館-1024x640.jpg

歴史
1884年(明治17年) 9月11日「福島中学校」として開校
1889年(明治22年) 「福島県尋常中学校」として現在地に移転。現存の本館が建造される。
1901年(明治34年) 「福島県立安積中学校」と校名改称
1948年(昭和23年) 新学制により「福島県立安積高等学校」となる
1961年(昭和36年) 福島県文化財申請。
1973年(昭和48年) 3月までほぼ旧状を踏襲して福島県立安積高校校舎として使用
1973年(昭和48年) 3月、福島県の指定文化財指定
1977年(昭和52年) 6月、国の重要文化財に指定[1]
1978年(昭和53年) 7月、明治時代に建築された当初の姿に復元するため文化庁の指導により半解体修理工事
1980年(昭和55年) 6月、解体工事完了。9月、解体事業一切終了
1984年(昭和59年) 9月、創立百周年記念式典挙行。安積歴史博物館と呼称
2008年(平成20年) 経済産業省、近代化産業遺産認定
2009年(平成21年) NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で秋山真之と正岡子規が通った神田共立学校という設定でここでロケが行われた。
2011年(平成23年) 3月11日「東日本大震災」発生。内部の漆喰壁が多量に崩れ落ちる。
2013年(平成25年) 10月5日仮オープン。
2013年(平成25年) 11月20日運営主体の財団法人安積歴史博物館が公益財団法人安積歴史博物館となる。
2014年(平成26年) 9月6日グランドオープン。

zoom-03-2.jpg

その他
市内大槻町上ノ山(北緯37度22分41秒 東経140度17分52秒)に旧福島県尋常中学校の建物として利用されていた「ハリハツクスの家」が保存されている。

利用情報
開館日
火曜日 - 日曜日
開館時間
午前10時 - 午後5時
特記事項
概ね10人以上のグループは事前予約が必要
館内禁煙

20181004134212-largejpg.jpg

所在地
〒963-8851 福島県郡山市開成五丁目25番63号

交通アクセス
東北自動車道 - 郡山インターチェンジから5.5Km
東北新幹線 - JR郡山駅から3.5Km
バス - JR郡山駅9番バス乗り場より市役所経由大槻、市役所経由静団地、または11番バス乗り場よりコスモス循環池の台先回りで「安積高校」下車すぐ
posted by Kazu at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県
検索
<< 2025年01月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史 トラブルに負けない強い肌に導く美容液【HANATSUYU】 無理なく始めるおうち妊活♪プレメントシリンジリング誕生 お腹周りに自信!骨盤ガードル「キュリーナ」 オルビス アクアニスト
カテゴリーアーカイブ
最新記事
はくだけ整体ショーツNEO+
写真ギャラリー
サロン専売品・正規新品をお取扱い|各メーカー・ディーラー協賛|【TRICCA】 暖かさも、デザインも北欧で愛されてNo.1 風なしオイルヒーター【mill】
最新コメント
カワイイも機能性も叶える!momoful【色っぽナイトブラ】
タグクラウド
国の重要文化財・佐竹寺(さたけじ) 国の重要文化財・土井家住宅(どいけじゅうたく) 国の重要文化財・地蔵院(じぞういん) 国の重要文化財・天徳寺(てんとくじ) 国の重要文化財・太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん しゃようかん) 国の重要文化財・清水寺(きよみずでら) 国の重要文化財・済生館(さいせいかん) 国の重要文化財・焼火神社(たくひじんじゃ、たくびじんじゃ) 国の重要文化財・石場家住宅(いしばけじゅうたく) 国の重要文化財・筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう) 国の重要文化財・金剛證寺(こんごうしょうじ) 国の重要文化財・鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ) 国宝・勝興寺(しょうこうじ) 国宝・善水寺(ぜんすいじ) 国宝・大善寺(だいぜんじ) 国宝・太山寺(たいさんじ) 国宝・浄土寺(じょうどじ) 日本の仏閣・円通寺(えんつうじ) 日本の仏閣・切幡寺(きりはたじ) 日本の仏閣・北山本門寺(きたやまほんもんじ) 日本の仏閣・喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ) 日本の仏閣・四天王寺(してんのうじ) 日本の仏閣・地蔵院(じぞういん) 日本の仏閣・大法寺(だいほうじ) 日本の仏閣・安国寺(あんこくじ) 日本の仏閣・安楽寺(あんらくじ) 日本の仏閣・崇福寺(そうふくじ) 日本の仏閣・常福寺(じょうふくじ) 日本の仏閣・昌光律寺(しょうこうりつじ) 日本の仏閣・極楽寺(ごくらくじ) 日本の仏閣・正楽寺(しょうらくじ) 日本の仏閣・称念寺(しょうねんじ) 日本の仏閣・等澍院(とうじゅいん) 日本の仏閣・西蓮寺(さいれんじ) 日本の仏閣・観興寺(かんこうじ) 日本の仏閣・観音寺(かんのんじ) 日本の仏閣・金倉寺(こんぞうじ) 日本の仏閣・鉄舟寺(てっしゅうじ) 日本の仏閣・長谷寺(ちょうこくじ) 日本の仏閣・阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ) 日本の仏閣・青蓮寺(しょうれんじ) 日本の仏閣・願成寺(がんじょうじ) 日本の仏閣・高蔵寺(こうぞうじ) 日本の仏閣・黒石寺(こくせきじ) 日本の神社・武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ) 日本の神社・水神社(すいじんじゃ) 日本の神社・江沼神社(えぬまじんじゃ) 日本の神社・生目神社(いきめじんじゃ) 本棟造(ほんむねづくり) 石川県・尾崎神社(おざきじんじゃ)
【千年サジー】果汁100%の千年サジーで置き換えダイエットに決着を。 MANOMA(マノマ)「親の見守りセット」 全身のスキンケアができる.美容液に浸るようなバスエッセンス【BOJOLIE】 人生の大切な瞬間を紙面に刻む【夢の記念日】
ファン
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。