2017年11月13日
アレクセイ・ビチェンコ選手の可愛さが炸裂したNHK杯。気になるビチェンコ選手について調べてみた件
NHKウイークリーステラ 全国版 2017年11月17日号
今回開催されたNHK杯
男子シングルでは
セルゲイ・ヴォロノフ選手(30歳)1位
アダムリッポン選手 (28歳)2位
アレクセイ・ビチェンコ選手(29歳)3位
ということでベテラン選手が
表彰台独占というのが話題となり
日本のみならず、このことは海外でも
報じられていました。
今まで、シニアに上がってから
1位になったことが無かったのが
意外だったヴォロノフ選手のことは
先日のブログでも書きましたが
個人的に気になったのは
ビチェンコ選手です。
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男子シングルでNHK杯に出場していた
友野一希選手や佐藤洸彬選手が椅子に座って
談笑しているとき、ビチェンコ選手がやってきて
ダブルピースしてみたり
表彰台での記念撮影で
ヴォロノフ選手の頭の後ろで
ピースしてちょっとした
フォトボムを仕掛けてみたり
演技後に舌出し「てへぺろ」状態になってみたり
ビチェンコ選手の可愛さが炸裂したNHK杯でした。
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そして、ビチェンコ選手について
イスラエル代表で年齢29歳
ということくらいしか
知らなかった私は、気になったので
ビチェンコ選手について調べてみました。
プロフィール
オレクシイ・ユーリエヴィチ・ビチェンコ(英語: Alexei Bychenko、ヘブライ語: אולקסי ביצ'נקו[1]、ウクライナ語: Олексій Юрійович Биченко、1988年2月5日 - )は、ウクライナ・キエフ出身、イスラエルのフィギュアスケート選手(男子シングル)。
2014年ソチオリンピックイスラエル代表。2016年欧州選手権2位。
wikipediaによると名前が
「アレクセイ」でなく「オレクセイ」になってますね。
NHK杯、公式サイトでは「アレクセイ」でした。
スペルがAlexeiだから、ローマ字読みだと
「アレクセイ」だけど発音は「オレクセイ」の方が近いんでしょうね。
こういうの個人的には統一して欲しいんですよね。
テレ朝、フジテレビ、NHKで名前の呼び方や
表記が違うとややこしいんですよね。
特に中国人選手とか……。
まぁ、それは置いといて
ビチェンコ選手についてですが
経歴
2009-2010シーズンを最後に、試合への出場機会を求めイスラエルに移籍し、練習拠点をアメリカのハッケンサックに変更した[2]。
2011-2012シーズン、初出場した欧州選手権では22位。世界選手権では29位。
2013-2014シーズン、ソチオリンピックの最終予選であるネーベルホルン杯で、イスラエルの出場枠を獲得。オリンピックでは21位に入った。
2014-2015シーズン、グランプリシリーズに出場。タリントロフィーで国際大会初優勝。欧州選手権では4位入賞。
2015-2016シーズン、欧州選手権ではSP4位、FS4位ながら総合で2位となり銀メダルを獲得した。イスラエルの選手が欧州選手権でメダルを獲得するのは全カテゴリーを通じて初めてのことである。
2016-2017シーズン、ロステレコム杯では銅メダルを獲得した。イスラエルの男子選手のグランプリシリーズでのメダル獲得は、ロマン・セロフ以来15年ぶりのことである。世界選手権では10位に入り、翌年の平昌オリンピックにおけるイスラエルの男子シングル出場枠を2とした。
試合への出場機会を求めイスラエルに移籍ということで
もともと、イスラエル人なのでは無く
あくまでフィギュアスケートのために
イスラエル国籍を取得したようですね。
キャノン・フィギュアスケートウェブで
より詳細が掲載されていました。
アレクセイ・ビチェンコ
ビチェンコ選手より前にイスラエル男子選手って
名前知らないなぁと思ったらイスラエル男子初の
欧州選手権、銀メダル獲得なんですね。
そして、もともとビチェンコ選手はウクライナ出身だったけど
ウクライナでは国から十分な支援を受けられないから
練習環境が整っている場所に移ると同時に
イスラエルの市民権を得たんですね。
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ウクライナといえば体操のオレグ・ベルニャエフ選手を思い出します。
リオ・オリンピックでは
内村航平選手と壮絶な金メダル争いを繰り広げ
惜しくも銀メダルとなりましたが、試合後の記者会見で
記者から「(内村航平選手は)審判に好かれているのでは?」
(暗に審判からの「えこひいき」で得点を盛ってもらって
金メダルを獲得したのでは?といじわるな質問)
という問いかけに対して、オレグ・ベルニャエフ選手は
「審判は公平にジャッジしているし、そんな質問は無駄だ」
そう言い放ち、スポーツマンシップあふれる言動に
多くの人が感銘を受けました。
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そんなオレグ・ベルニャエフ選手。
祖国のウクライナでの練習環境は
穴の空いたマット。ヒビの入った平均台など
お世辞にも良い練習環境とは言えず、かなり劣悪な状態で
練習をしており、国からの支援もほとんど無かったそうです。
そしてフィギュアスケート界だとロシア代表のアンナ・ポゴリラヤ選手
ポゴリラヤ選手は親御さんがウクライナ人なので
本人さえ、その気になれば女子選手の競争が
世界で一番厳しいと言っても過言では無い、ロシア代表より
代表になりやすいであろう
ウクライナ選手になることも可能なのに
何故か、かたくなにロシア代表の道を選んでいました。
ポゴリラヤ選手本人は「世界一になるにはロシアで勝ち抜かないと」
みたいなことを言ってたと思いますが、恐らく
国からの支援がウクライナよりも
ロシアの方が手厚いのでしょう。そして、
仮に五輪でメダルを取れば
さらに、国からもらえる報奨金が大きい
というのも、ポゴリラヤ選手が
あえてウクライナより
競争の厳しいロシア代表を
選んだ一因なのでしょう。
ちょっと、話がそれましたが
とにかくウクライナでは支援がほぼ無いから
ビチェンコ選手もイスラエル代表になったんですね。
26歳で初出場となった念願のソチ五輪は、21位。ここで引退かと思われましたが、さらなる成長を自分に課して、現役続行を決意します。そして諦めない熟練戦士は、2014年12月のタリン杯で初めて国際大会での金メダルを手にします。今季は2016年1月のトルン杯で優勝し、勢いをつけると、欧州選手権で自己ベストを大幅に更新する242.56点で、銀メダルを手にしました。8日後に28歳の誕生日を控えた、27歳最後の試合でした。
ビチェンコは会見で、こう語りました。
「もう言葉が見つかりません。とにかく特別なこと。本当はもっと早くこの表彰台に乗りたかった。でも乗れないままスケート人生が終わったのではなく、遅かったとしてもこの日を迎えられて良かった」
苦労して、ようやく練習環境が整ったところに行って
フィギュアスケート選手としてはベテランと言われる年齢で
今回、NHK杯の表彰台に乗れたこと。
特に今回は自分と同年代の選手との表彰台と言うことで
ビチェンコ選手にとっても、かなり嬉しかったでしょうね。
平昌五輪でもビチェンコ選手の活躍を期待したいと思います。
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