2011年10月02日
私の記憶に残る選手たち4.ラトレル・スプリーウェル
ポン吉です。
ブログのPING送信がうまくいかず、
人気ブログランキング先では更新してないことになってました。
下書きで保存するとうまくいかないようで、
今後長い文章を書く時には
操作ミスに気をつけなければならないようです・・・
さて、本日は記憶に残るシリーズ vol4です。
今回の主役は、ラトレル・スプリーウェル
やっぱりスプリーといえば、この野性味ですよね!
私は残念ながらウォリアーズ時代のスプリーウェルを見たことはありません。
だけど存在は知っておりました。
なぜかといえば、
皆さんご存知ヘッドコーチ首絞め事件があったからです。
1997年12月1日のチーム練習で、
当時のヘッドコーチ・カーリシモとスプリーウェルは口論になり、
何度も出て行けというカーリシモに耐えかねたスプリーウェルは、
「殺すぞ」と脅しながらカーリシモに首締めをくれてしまったのです。
チームメートに引き離され、その場を後にしたしばらくのちに
まだ怒り収まらないスプリーウェルは
カーリシモを再びボコるためにコートに戻ったとのこと。
本能が理性を凌駕するようなタイプだけに、
致し方ないのでしょうかw
当然この事件は瞬く間に知れ渡り、
スプリーウェルは無期限の出場停止処分に。
(結局82試合出場停止の処分に)
NBA史上最も重いとされた処分の後、
スプリーウェルは二度とウォリアーズでプレイすることはありませんでした。
翌1998-99シーズンは、ロックアウトが発動する事態となり、
この年の1月にスプリーウェルはニューヨーク・ニックスにトレードされ1年以上公式戦から離れた後に復帰することとなりました。
ニックスはパトリック・ユーイングやアラン・ヒューストン、
マーカス・キャンビー、ラリー・ジョンソンを擁する中堅どころのチームでした。
50試合に短縮されたシーズンをなんとか8位でプレイオフ進出。
しかし、ここからニックスは「ミラクルニックス」と評される奇跡を成し遂げるのです。
1位通過のヒートを3勝2敗で退けると、(8位が勝ち進むアップセットは史上2度目)
ホークス、ペイサースを退け、
NBA史上初、8位シードのチームがNBAファイナルに進む
というミラクルをやってのけました。
この期間、シックスマンとして出場することが多かったスプリーですが
ユーイング離脱後はSFとして先発出場することも。
キャンビーを先発させたことで機動力が上がり、
タフなディフェンスからの速攻で得点を重ねるチームスタイルが確立されました。
ファイナルではデイビッド・ロビンソン、ティム・ダンカンの
「ツインタワー」要するスパーズと対決。
スパーズはファイナルまでプレイオフ11連勝でという奇跡をやっておりました。
下馬評では圧倒的スパーズ有利でしたが、
初戦でニックスはまたもやミラクルを起こし勝利!
その後は4連敗でしたが、
スプリーウェルはダンカンの上からダンクを決めようとトライし、
会場を沸かせました。
ただ、ダンカンのブロックはハンパなかったです。
ファイナル最後の試合のスプリーウェルです。
http://www.youtube.com/watch?v=mEWtEzaVH8s
翌年もカンファレンスファイナルまで進み、
前年と同じくペイサーズと対戦。
スプリーウェルは足の小指を骨折しながらプレーを続け、
得点を量産しました。
BSの実況の人が
「本当に折れてるんですかね?」と何度も疑っていたのが面白かったです。
結局ペイサーズに屈し、
その後ファイナルに到達することはありませんでした。
ガーネット、キャセールと組んだウルブス時代を最後に
その後NBAでプレーすることはありませんでした。
なんとウォリアーズ時代にオールNBA1stチームに選出されたこともあるそうで、
若くからその才能を評価されていたスプリーウェルですが、
トラブルメーカーのイメージを払拭することなく事実上引退しました。
キャリアを重ねるごとにジャンプシュートの精度が増し、
プレーヤとしての価値を高めた彼ですが
ボースハンドのスピードあふれるダンク、
それだけで観客を沸かせることができたスプリーウェルこそが、
私にとっては何よりも価値があったと思います。
ちなみにペイサーズファンのポン吉ですので、
何度も煮え湯を飲まされましたw
ブログのPING送信がうまくいかず、
人気ブログランキング先では更新してないことになってました。
下書きで保存するとうまくいかないようで、
今後長い文章を書く時には
操作ミスに気をつけなければならないようです・・・
さて、本日は記憶に残るシリーズ vol4です。
今回の主役は、ラトレル・スプリーウェル
やっぱりスプリーといえば、この野性味ですよね!
私は残念ながらウォリアーズ時代のスプリーウェルを見たことはありません。
だけど存在は知っておりました。
なぜかといえば、
皆さんご存知ヘッドコーチ首絞め事件があったからです。
1997年12月1日のチーム練習で、
当時のヘッドコーチ・カーリシモとスプリーウェルは口論になり、
何度も出て行けというカーリシモに耐えかねたスプリーウェルは、
「殺すぞ」と脅しながらカーリシモに首締めをくれてしまったのです。
チームメートに引き離され、その場を後にしたしばらくのちに
まだ怒り収まらないスプリーウェルは
カーリシモを再びボコるためにコートに戻ったとのこと。
本能が理性を凌駕するようなタイプだけに、
致し方ないのでしょうかw
当然この事件は瞬く間に知れ渡り、
スプリーウェルは無期限の出場停止処分に。
(結局82試合出場停止の処分に)
NBA史上最も重いとされた処分の後、
スプリーウェルは二度とウォリアーズでプレイすることはありませんでした。
翌1998-99シーズンは、ロックアウトが発動する事態となり、
この年の1月にスプリーウェルはニューヨーク・ニックスにトレードされ1年以上公式戦から離れた後に復帰することとなりました。
ニックスはパトリック・ユーイングやアラン・ヒューストン、
マーカス・キャンビー、ラリー・ジョンソンを擁する中堅どころのチームでした。
50試合に短縮されたシーズンをなんとか8位でプレイオフ進出。
しかし、ここからニックスは「ミラクルニックス」と評される奇跡を成し遂げるのです。
1位通過のヒートを3勝2敗で退けると、(8位が勝ち進むアップセットは史上2度目)
ホークス、ペイサースを退け、
NBA史上初、8位シードのチームがNBAファイナルに進む
というミラクルをやってのけました。
この期間、シックスマンとして出場することが多かったスプリーですが
ユーイング離脱後はSFとして先発出場することも。
キャンビーを先発させたことで機動力が上がり、
タフなディフェンスからの速攻で得点を重ねるチームスタイルが確立されました。
ファイナルではデイビッド・ロビンソン、ティム・ダンカンの
「ツインタワー」要するスパーズと対決。
スパーズはファイナルまでプレイオフ11連勝でという奇跡をやっておりました。
下馬評では圧倒的スパーズ有利でしたが、
初戦でニックスはまたもやミラクルを起こし勝利!
その後は4連敗でしたが、
スプリーウェルはダンカンの上からダンクを決めようとトライし、
会場を沸かせました。
ただ、ダンカンのブロックはハンパなかったです。
ファイナル最後の試合のスプリーウェルです。
http://www.youtube.com/watch?v=mEWtEzaVH8s
翌年もカンファレンスファイナルまで進み、
前年と同じくペイサーズと対戦。
スプリーウェルは足の小指を骨折しながらプレーを続け、
得点を量産しました。
BSの実況の人が
「本当に折れてるんですかね?」と何度も疑っていたのが面白かったです。
結局ペイサーズに屈し、
その後ファイナルに到達することはありませんでした。
ガーネット、キャセールと組んだウルブス時代を最後に
その後NBAでプレーすることはありませんでした。
なんとウォリアーズ時代にオールNBA1stチームに選出されたこともあるそうで、
若くからその才能を評価されていたスプリーウェルですが、
トラブルメーカーのイメージを払拭することなく事実上引退しました。
キャリアを重ねるごとにジャンプシュートの精度が増し、
プレーヤとしての価値を高めた彼ですが
ボースハンドのスピードあふれるダンク、
それだけで観客を沸かせることができたスプリーウェルこそが、
私にとっては何よりも価値があったと思います。
ちなみにペイサーズファンのポン吉ですので、
何度も煮え湯を飲まされましたw
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