2014年12月31日
NBAオールスター Dirk Nowitzki
こんにちは!
先日、ピストンズがジョシュ・スミスを解雇しましたね。。
彼の年俸は10ミリオンであり、日本円にすると10億円という巨額なものでした
通常、そのような額をもらっている選手がシーズン途中に解雇されることはなのですが、ピストンズはどうやらチーム事情の面から解雇に至ったようです
元々、スミスはボールを一人で保持したがる選手なので、どうしてもチームがスミスのワンマンチームになってしまいます
ピストンズもインサイドにモンローとドラモンドというリーグ屈指のツインタワーがいるにもかかわらず、下位に低迷していました。。。
チームの代表は、その原因にスミスを挙げ、このままだとスミスと心中してしまうことになると考えたみたいです。。
放出以降、ピストンズは三連勝と好調であり、代表の判断は正しかったといえます。
ただ、シーズン途中の放出であったため、スミスの給料はピストンズが払わなければならず、その負担は大きいようです
NBAでは、頻繁にトレードの話が出てきますが、選手を獲るときは慎重にならないといけないみたいですね
さて、今日からはダーク・ノビツキーについてお話ししていきます!
彼は現在もダラス・マーベリクスでプレイしており、通算得点は歴代8位につけている名選手です
そんな彼のキャリアを振り返っていきたいと思います
@ドイツ生まれの怪物
ノビツキーは、ドイツのヴュルツブルクという街で生まれました。
父親がハンドボールのドイツ代表、母親もバスケットボールのドイツ代表というスポーツ一家に生まれ、DNAは相当なものを持っていました
少年時代は、ハンドボールとテニスに打ち込みますが、その頃から身長が高く、周りと比べても飛びぬけていたたため身長が生かせるスポーツを新たに探し求めていました
周りに大きな身長のことでバカにされたのがきっかけとなり、ノビツキーはバスケットボールに転向します
それが13歳のときでした
これはNBA選手の中ではかなり遅いほうです。。。
その経験不足を埋めるほどの運動神経がノビツキーには備わっていたことになります
A地元の英雄から世界の舞台へ
バスケを始めて2年目でノビツキーは、当時のドイツのスター選手であったゲシュワイザーの目に留まります
そして、ゲシュワイザーからノビツキーは週2〜3回の特訓を受けるようになります
トレーニングを始めて2年経ったころ、ノビツキーの転機となることが起きます
ゲシュワイザーから以下のような質問を受けるのです
「君は世界の最高峰に挑戦するか、それとも地元の英雄のままでいるか、今ここで決めなければならない。もし君が後者を選ぶなら、もはやそれを阻む者は誰も居ないので、我々のトレーニングは終わりだ。もし最高の舞台でプレイしたいのであれば、我々は毎日特訓をしなければならない」
ノビツキーはこの質問に対し、2日間真剣に悩んだ末、世界で戦っていくことを選択します!
その後、週2〜3回だった特訓が毎日になり、激しさを増していくようになったのです
BDJKヴュルツブルク時代
このチームに入って一年目、ノビツキーは恵まれた身長ゆえにセンターとして起用される中、あまり結果を残せない日々が続きました。。
学校の成績も降下し、バスケよりも勉強に集中しなければならない一年となってしまいました
続く二年目、才能を一気に開花させ、ドイツ代表コーチから、「ドイツではこの10年、あるいは15年で最高のバスケットボール選手」と言われるほどに成長しました
そして、三年目学校を卒業したノビツキーは軍役とバスケと二足の草鞋を履く中で、平均28点越えを達成し、ドイツバスケット誌選出の年間最優秀選手に選ばれました
その活躍は海外にも広く伝えられ、スペインリーグからお誘いが舞い込んできました
さらには、ナイキ主催のイベントで当時のスターであったチャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンらと対戦し、バークレーの上からダンクを決め、バークレーを驚かせました
当時のノビツキーはすでに211pの身長があり、体格的にも十分NBAで通用するだろうと言われていました
その後、ナイキ・フープサミットにおいて、全米ジュニア選抜VS世界ジュニア選抜の試合にノビツキーも出場し、33点14リバウンドの活躍でラシャード・ルイスやアル・ハリントンらの全米チームを破ります
この活躍により、NBAのスカウト陣は俄然ノビツキーに注目を集めることになるのです!!
今回はこの辺にしておいて、次回はいよいよNBA入りし活躍していく様子をお話ししていきたいと思います
ではまた!!
よければ、下のリンクをクリックしてください!!
NBAランキングへ
先日、ピストンズがジョシュ・スミスを解雇しましたね。。
彼の年俸は10ミリオンであり、日本円にすると10億円という巨額なものでした
通常、そのような額をもらっている選手がシーズン途中に解雇されることはなのですが、ピストンズはどうやらチーム事情の面から解雇に至ったようです
元々、スミスはボールを一人で保持したがる選手なので、どうしてもチームがスミスのワンマンチームになってしまいます
ピストンズもインサイドにモンローとドラモンドというリーグ屈指のツインタワーがいるにもかかわらず、下位に低迷していました。。。
チームの代表は、その原因にスミスを挙げ、このままだとスミスと心中してしまうことになると考えたみたいです。。
放出以降、ピストンズは三連勝と好調であり、代表の判断は正しかったといえます。
ただ、シーズン途中の放出であったため、スミスの給料はピストンズが払わなければならず、その負担は大きいようです
NBAでは、頻繁にトレードの話が出てきますが、選手を獲るときは慎重にならないといけないみたいですね
さて、今日からはダーク・ノビツキーについてお話ししていきます!
彼は現在もダラス・マーベリクスでプレイしており、通算得点は歴代8位につけている名選手です
そんな彼のキャリアを振り返っていきたいと思います
@ドイツ生まれの怪物
ノビツキーは、ドイツのヴュルツブルクという街で生まれました。
父親がハンドボールのドイツ代表、母親もバスケットボールのドイツ代表というスポーツ一家に生まれ、DNAは相当なものを持っていました
少年時代は、ハンドボールとテニスに打ち込みますが、その頃から身長が高く、周りと比べても飛びぬけていたたため身長が生かせるスポーツを新たに探し求めていました
周りに大きな身長のことでバカにされたのがきっかけとなり、ノビツキーはバスケットボールに転向します
それが13歳のときでした
これはNBA選手の中ではかなり遅いほうです。。。
その経験不足を埋めるほどの運動神経がノビツキーには備わっていたことになります
A地元の英雄から世界の舞台へ
バスケを始めて2年目でノビツキーは、当時のドイツのスター選手であったゲシュワイザーの目に留まります
そして、ゲシュワイザーからノビツキーは週2〜3回の特訓を受けるようになります
トレーニングを始めて2年経ったころ、ノビツキーの転機となることが起きます
ゲシュワイザーから以下のような質問を受けるのです
「君は世界の最高峰に挑戦するか、それとも地元の英雄のままでいるか、今ここで決めなければならない。もし君が後者を選ぶなら、もはやそれを阻む者は誰も居ないので、我々のトレーニングは終わりだ。もし最高の舞台でプレイしたいのであれば、我々は毎日特訓をしなければならない」
ノビツキーはこの質問に対し、2日間真剣に悩んだ末、世界で戦っていくことを選択します!
その後、週2〜3回だった特訓が毎日になり、激しさを増していくようになったのです
BDJKヴュルツブルク時代
このチームに入って一年目、ノビツキーは恵まれた身長ゆえにセンターとして起用される中、あまり結果を残せない日々が続きました。。
学校の成績も降下し、バスケよりも勉強に集中しなければならない一年となってしまいました
続く二年目、才能を一気に開花させ、ドイツ代表コーチから、「ドイツではこの10年、あるいは15年で最高のバスケットボール選手」と言われるほどに成長しました
そして、三年目学校を卒業したノビツキーは軍役とバスケと二足の草鞋を履く中で、平均28点越えを達成し、ドイツバスケット誌選出の年間最優秀選手に選ばれました
その活躍は海外にも広く伝えられ、スペインリーグからお誘いが舞い込んできました
さらには、ナイキ主催のイベントで当時のスターであったチャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンらと対戦し、バークレーの上からダンクを決め、バークレーを驚かせました
当時のノビツキーはすでに211pの身長があり、体格的にも十分NBAで通用するだろうと言われていました
その後、ナイキ・フープサミットにおいて、全米ジュニア選抜VS世界ジュニア選抜の試合にノビツキーも出場し、33点14リバウンドの活躍でラシャード・ルイスやアル・ハリントンらの全米チームを破ります
この活躍により、NBAのスカウト陣は俄然ノビツキーに注目を集めることになるのです!!
今回はこの辺にしておいて、次回はいよいよNBA入りし活躍していく様子をお話ししていきたいと思います
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