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房総の古城(3)宮本城


宮本城は南房総市富浦町の花倶楽部の南東にある標高188mの山です。

里見2代目当主の成義は、稲村城を造った後、1491年に支城として宮本城を築城しました。成義が稲村城に居住し嫡子義豊を宮本城に置いた。天文の内訌で義豊は実堯を討ち稲村城に入り、宮本城には家臣の宮本宮内・鎌田孫六らを置いたという。

4代義豊は義堯と犬掛の合戦で戦うが敗れて義豊はじめ宮本・鎌田らは討ち死にし、それ以後は稲村城と宮本城は廃城にされたようです。5代目義堯の時、小田原北条との第二次国府台合戦に敗れると、勝利した北条軍は上総国に侵入し里見の本城久留里城や佐貫城もたびたび脅かします。

宮本城は北側の防御が強固でありこの頃に北条軍に備えて改修したのかもしれません。本丸に続く尾根に土橋・堀切・曲輪の跡が残っています。宮本城から尾根伝いに東へ2Km行くと滝田城、西側3Kmには岡本城がある。この線を安房国の防衛線としたのでしょうか。


宮本城本丸の南側にホルトノキがあります。たいへん珍しい樹で樹齢300年、根周り5.1mの巨木で千葉県最大だそうです。森の中に悠然と根を張るホルトノキには霊気を感じるほどです。ホルトはポルトガルのことで戦国時代に日本に入ったらしい。市の指定文化財になっています。




宮本城。城山ともいう。北のふもとには谷底の様な川が流れており昔はもっと深かったという。



土橋。人が1人通れる尾根道で両側は切り立っている。土橋を落とせば渡れない。右の道は後から出来た農業用の車道。



本丸跡。わりに広く、少し盛ったような所がある。湿った草が茂っていて歩きにくい。マムシがいるので注意。



本丸跡から遠方に大房岬が見える。左から西浜・堂坂・浅間山・大久保・静山・吹上げ・巻上げ・松原・藤四郎台が見える。大房の手前の大きな山が床城、その手前の山が手城。右端に岡本城が少し見える。



ホルトノキ。迫力がある。根周り5.1m・樹高19m・枝張り20mと書いてある。クネクネ曲がった枝にシダが生えて森の主のようです。


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