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船で行った(35)ポンペイ

房総の時間:ポンペイです。

ポンペイはイタリアのナポリ近くの古代ローマ都市であった。ローマ人の保養地として栄え人口は約2万人の大きな都市だった。西暦79年にベスビオ山が噴火し火山灰と火砕流で地中に埋もれた。市民の多くは火山からの有毒ガスで逃げる間もなく亡くなったらしい。そのため当時の生活がそのまま地中に残されていた。18世紀から始まった発掘でパンやワインの商店が使用中のまま出土している。



行政関係の建物らい。白い石柱群が立派だった。


町からベスビオ山が見える。噴火で山の上半分が無くなった。



石畳みの通路。中央は馬車で両脇は人だった。



パン焼きの臼。パン工場だったらしい。




町がそっくり発掘されている。まだ全体の20%程らしい。建物から人が出てきそうだった。



船で行った(34)ピラミッド

房総の時間:子供の頃漫画で見ていたピラミッドに初めて来た。旅行でなくて船に乗って来たというのがいいのです。仕事で来るというのは現地と密着度が全く違う。リアルで本当に来た実感があります。でもこの和泉丸は客船の気分でした。



クフ王のピラミッドは最大。底辺230m、高さ146m、で2.5トンの石を280万個積んでいるとか。各辺の誤差も少なく建設には30年かかったという。重機も無い時代どうやって運び積み上げたのだろうか。



撮影用のラクダ。写真を撮って10歩くらい歩くだけだった。ナンバンと一緒に。乗り降りの際、前足を先に折るので転落しそうになる。




スフィンクスとピラミッド。自分ではいい写真だと思っていた。




町も建物も古い石造り。砂漠の黄砂で視界が悪かったがだいたいこんな感じらしい。



船で行った(33)カイロ市内

房総の時間:昭和50年、和泉丸はアレキサンドリアに入港。荷役で4−5日着岸したので仕事を早く済ませて乗組員半分ずつピラミッド&カイロツアーに行った。




昭和50年。カイロのサルタンモスクから遠方にかすかに3基のピラミッドが見えた。



昭和50年。カイロのサルタンモスクから尖塔とドームを見る。独特な建築様式だ。



昭和50年。窓の透かし模様からモスクを見る。これはお気に入りの写真。



昭和50年。カイロ市内のモスク。これは時代が違うのか尖塔の形が違いより尖っている。変色して青い空が分からない。



船で行った(32)インド・コチン

房総の時間:また外地へ行きます。今回も古い風景でインドのコチンです。

コチンはインドの南端にあるケララ州の街です。入江が多く港に適した街です。当時はまだ自動車は少なく馬車や人力車でした。街並みもかなり古いもので昔から貿易で商人がいたようです。

ここにセントフランシス教会があり初めて世界一周航路を開いたバスコダガマの墓があります。教会はあまり修理されてなく昔そのままでした。内部はその割にきれいで礼拝堂は実際に使われていました。昔から船乗りの礼拝が多いと言っていた。

船乗り用の休憩室や茶房があるのが印象的で素朴だが誠意を感じました。
このレトロな教会は訪れる船乗りに安らぎと郷愁感をもたせる不思議な処でした。





昭和48年・セントフランシス教会。案内の人達でとてもよくしてくれた。船乗りに対して敬意をもっている教会だった。


昭和48年・バスコダガマの墓。ここに先駆者のバスコダガマが眠っている。中世から残る大きな分厚い台帳(芳名帳)に署名し募金もした。1700年初頭で日本人らしい名前があったが詳細は不明。


昭和48年・コチンはブラックタイガーの産地。網で海老を取っていた。ここから集めてきた海老を冷凍し輸出する。暑いので船に積む頃には解凍してくる。再冷凍して−25℃まで下げるのは結構たいへんだった。しかしうまい海老だった。


船で行った(31)紫色の海

房総の時間:船から見る紫色の海。

昭和61年・冷凍船きじま丸。
初夏の北大西洋は静かだった。水平線が丸く見える。ブラジル・サンパウロでオレンジを積み西ドイツ・ブレーメン港に向かう航路。紫色の美しい海を滑るように走っていた。いつも見ている海だったが紫色がとても印象に残った。何かを暗示するような穏やかな海だった。

しかしこれが最後の航海となった。この翌年船会社は円高不況のため経営を断念する。



音符ファッショネーション:ジェーンモーガン



船で行った(30)金環食

房総の時間:金環食です。船から見る風景に今話題の金環食を追加します。


昭和51年和泉丸・インド洋にて。
インド洋航海中に運よく金環食が有りました。60年に1度とか聞いてデッキで撮りました。工夫して200mmレンズに溶接の面をかぶせてどうにか撮れました。金環食の写真は当時は珍しかったようです。

今年は日本で見られるそうです。衛星の計測で月のデータが正確になり今回の金環食で太陽の直径が正確に測れるとか。金環食が目視できるのは太平洋側のようです。



音符朝日のようにさわやかに



船で行った(29)神武丸の業務A

房総の時間:神武丸乗組員の業務のスナップです。


昭和60年神武丸・ゲイラードカット通過中
三等機関士がブリッジに立っている。開削記念碑が見える。




昭和60年神武丸
ゲイラードカットのせまい水路を通過中。ブリッジで舵をとっているのはベテランの機関部操機手。側にコーターマスターが付いているが相当緊張している。甲機両用はたいへんな業務だった。




昭和60年神武丸
二等航海士(セコンドオフサー)ミラフローレス水門を出てほっとした所でパチリ。これはいいスナップ。自分もエンジニアでなくてオフサーがよかった。やっぱりかっこいいんだよな。船乗りらしいし。時々そう思った。(機関部に悪いかな・・・すいません




昭和60年神武丸・日立神奈川造船所
ドック側と打ち合わせ中にミカンの差しれがあって食べているところ。ドックは忙しい。短い日数で修繕・検査を一気に行う。夜は飲みに行く。寝る時間はほとんど無し。若さだけが取り柄でした。



音符フライミーツーザムーン


船で行った(28)神武丸の業務@

房総の時間:神武丸の作業です。


昭和60年 自動車運搬船 神武丸 カリブ海 甲板作業
ラインローラーの手入れ。甲板部機関部の共同作業。実証船は甲板部機関部両用制度でもあり船員の負担は大きくなった。商船が新しい時代に入ったがいつも陽気で前向きな乗組員が立派だった。しかし円高は益々進み、当時1ドル160円が経営の限界とされたがそれに近づいていた。




昭和60年 自動車運搬船 神武丸 パナマ運河 
水門のゲートを移動するときは電車に引かれて移動する。船尾で二等航海士と甲板手がワイヤの張り具合を注意している。ちょうど次のゲートに移るところ。スタンバイ中は船首に一等航海士、船橋にキャプテンと三等航海士、船尾に二等航海士が立ち無線機で情報を共有する。




昭和60年 自動車運搬船 神武丸 パナマ運河
夜間の運河通過は特に緊張する。二等航海士が走る。ブリッジから緊急の指示が入り急いでキャプスタンの操作をしている。とっさの場合船員は敏捷に動く。これは船員の特徴。




昭和60年 自動車運搬船 神武丸 ボストン港 一等機関士
主機関の整備作業が終わり試運転を行う。主機関は三菱長崎ズルザー7RND76M・16,800軸馬力。一等機関士は機関部作業の陣頭に立つ。いつも油で汚れていたが機械は快調で無事故だった。自信を持って頑張っていました。チーフエンジニアに心配を掛けないことが一等機関士の面目。
(マイペースでいつも心配かけてたかも・・・すいません



音符我が心のジョージア





船で行った(27)船内スナップ

房総の時間:



昭和48年・材木チップ運搬船・新本州丸。サクラメント港で救命ボート訓練。長い航海のあとで笑顔が見える。周囲には広大な農園が広がっていた。



昭和59年・自動車運搬船・神泉丸。元旦風景。料理を食べて酒を飲んでみなさん楽しそう。懐かしい方々です。元旦だけは朝から酒を飲めます(当直を除いて)



昭和59年・自動車運搬船・神泉丸。元旦の風景。キャプテンの訓示や乾杯が終わって自由に飲んでます。席にいない人は当直中。船は古くても結構楽しかった。



昭和46年・材木チップ運搬船・新本州丸。 サクラメント港 陸上コンベヤが船側に連結されている。船体はモヤイで固定されているが荷役(積荷)の終了が近い。出航スタンバイ2時間前くらいか。



音符酒とバラの日々


船で行った(26)冬の北太平洋

房総の時間:冬の北太平洋です。

冬の北太平洋は時化ます。白波と強風、黒ずんだ雲で毎日うっとうしくなります。甲板部も機関部もきついですが一番大変なのが厨房です。乗組員の3度の食事を作りますが物が動いたり体が傾いたりして危険です。

煮え立った大きな鍋が動いたら止まらない。もしかぶったりしたら命取りになります。ベテランでも足が滑ったりします。本当にご苦労様でした。ちなみに商船は食事は会社持ち。サロンレストランは英国流の一流の内容です。




昭和48年岡田商船・新本州丸、冬の北太平洋を行く新本州丸。船が跳ね返るように揺れた。当直から上ると部屋のロッカーも引き出しも飛び出して全部床に散らばっていた。就寝中にベッドから落っこちるときもあった。


昭和46年岡田商船・新本州丸、アラスカのジュノー港。川を上った入江にあった。春のアラスカは青空が無限に澄んで絵のようだった。日本では見られない印象的な風景だった。


昭和46年岡田商船・新本州丸、初夏の北太平洋は穏やかな海となる。島はアリューシャン列島のアダック島だったように思う。アリューシャンにここまで接近したのは珍しかった。大圏航路は北へ上るほど航海距離が短くなる。日本軍守備隊がいたキスカ島はすぐ西側になる。その西には日本軍が玉砕したアッツ島がある。


昭和46年岡田商船・新本州丸、アラスカ・ヘインズ。材木チップ積み込み中。大雪の中ツマミの買い出しに行った。街まで40Kmくらいあった。S氏のスナップ。


昭和46年岡田商船・新本州丸、アラスカ・ヘインズ。大量の雪が珍しく雪遊びした。故郷ではまず見られない光景だった。若造の頃は日々が幸せでした。


音符シル:スターダスト


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