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房総の古城(1)稲村城


館山市の稲村城跡と南房総の岡本城跡が共に国史跡に指定されました。これは「里見氏稲村城を保存する会」(愛澤代表)の功績によるものです。以前、稲村城跡を通る道路の建設が計画されていたが根強い保存運動で破壊を回避しました。これが国史跡の指定につながったのです。

いつもお世話になっていますので少しでも応援できるよう房総の城跡をブログアップします。稲村城から始めます。(内容が間違っていたらごめんなさい)

館山市稲の国道128号線の南側の山が稲村城の本丸になります。1400年代後半から1534年まで安房国主里見義通・義豊の居城でした。本丸は標高64mで北側からは館野・北条・三芳の広い田園が見渡せます。遠くに堂山や大房岬も見えます。

本丸周辺には遺構が多く残っています。高く積まれた土塁、斜面を垂直に切り落とした切岸、尾根筋を切り開いた堀切、カギ形の虎口、本丸と中郭部(二の丸)をつなぐ細い尾根道、防御用の腰曲輪、敵の侵入を防ぐ空堀の水往来などが今でも見られます。

中郭部(二の丸)にも切り立った斜面や曲輪があります。稲村城は本丸・二の丸を見ると小さいですがこれらを東−南−西側からグルリと外郭部の山が囲んでいます。城の北側はすぐに国道ですが当時は滝川が堀になっており全体ではかなり大きかったようです。

普段の城主の住居は本丸南東のふもとで「西の柵」辺りだったといわれます。ここは風が当たらず日当たりの良い最高の場所です。

稲村城の落城(天文の内訌)に関するいい伝えがあります。
@二の丸南の田んぼに水神の森がありここは天文の内訌で敗れた国主里見義豊が没した所。
A本丸尾根道の脇に正木様と呼ばれる社があるが重臣正木氏を祀った。現在でも子孫が供養している。
B本丸北西にある滝川の深みは鎌田淵と呼ばれている。義豊の家臣鎌田氏が敵兵2人を抱きかかえて飛び込んだ所。まだ他にもあると思います。



中央の山が稲村城の本丸。後方の左右に伸びた山は城の外郭部になる。

本丸から北側の眺望。府中・延命山・江田・園・広瀬・腰越と見渡せる。左遠方には三芳の滝田城が見える。また富浦の堂山や大房も見える。

曲輪からの眺望。下は西の柵、遠方は大井・加茂坂方面。

水往来(みずおれ)と呼ばれる空堀。今は城に登る道になっている。

本丸南側の中郭部(二の丸)。周囲が切り立っている。


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