こんな馬鹿げたことが30年は行われたということが教訓だろう。
Yahooより、
雲仙・普賢岳大火砕流から30年 遺族ら鎮魂の祈り 島原で追悼式
6/3(木) 11:19配信
毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/e95379ea9655d89a19b9b6faf99096ae276bbf79
記事より、
43人が犠牲になった1991年6月3日の雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から30年を迎えた3日、同県島原市の「犠牲者追悼之碑」前で、市主催の犠牲者追悼式が5年ぶりに開かれた。遺族56人と地元の消防団員や古川隆三郎市長、中村法道知事ら計約150人が出席し、鎮魂の祈りをささげた。大火砕流が発生した午後4時8分には防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民が黙とうする。
犠牲者追悼之碑は、噴火で家を失った被災者らが集団移転した仁田団地内にある。式典は節目の5年ごとに島原復興アリーナなどで数百人規模で開催してきたが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のため参加人数を制限した上で、屋外で実施することになった。
追悼式では全員で犠牲者に黙とうをささげた後、犠牲になった消防団員の大町安男さん(当時37歳)の妻、寿美(すみ)さん(64)=島原市=が遺族を代表し「いつもそばにいてくれた人が突然帰らぬ人となったあの日のことが頭から離れることはない。長い月日がたち、遺族の世代も移り変わっていくが、親から子、子から孫へ噴火災害の脅威を新しい世代へ伝え、災害の歴史を風化させることのないよう努める」とあいさつした。
古川市長は式辞で「災害当時、住民同士が助け合いながら苦難を乗り越えた教訓を振り返り、地域住民が主体となった実行力のある自主防災組織を再編し、防災体制をさらに強化することが、犠牲となられた皆様方への供養であると信じている」と述べた。
大火砕流では、警戒にあたっていた地元消防団員12人が犠牲になった。
噴火活動で生まれた山頂付近の溶岩ドーム(平成新山、1483メートル)は東側に年に約6センチずつずれ落ちており、地震などで崩落する危険性が指摘されている。周辺の952ヘクタールは警戒区域に指定され、立ち入りが禁止されている。
43人が犠牲になった6月3日の大火砕流は東に約4キロ離れたふもとの居住地域まで流れた。93年6月23日にも大火砕流で1人が亡くなった。
タグ:雲仙・普賢岳
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