では、自衛隊機が飛べば主権はあるというのか?その場合は、自らも徴兵されることも覚悟が必要なのだ。平和ボケを平和ボケ教育で強化するからこのような話になるのだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130428-00000069-mai-pol
<主権回復式典>沖縄「がってぃんならん」
毎日新聞 4月28日(日)22時8分配信
「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」で、腕を組んで「沖縄を返せ」を歌う参加者たち=沖縄県宜野湾市で2013年4月28日、野田武撮影
政府が東京で主権回復を記念する式典を開催した28日、沖縄では、式典への抗議集会に1万人(主催者発表)が駆けつけた。本土独立後も20年、米国統治が続き、復帰から41年たった今なお、全国の米軍専用施設の74%があり、米兵の事件事故が絶えない。「政府の式典は私たちへの侮辱」「沖縄には主権はない」「がってぃんならん(合点がいかない)」。会場に、政府や本土への不信と悲しみが渦巻いた。【平川哲也、井本義親】
【出席を見送った首長も】主権回復式典:天皇陛下のお言葉なく
沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の海浜公園屋外劇場であった「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」は、席につけない立ち見の参加者の輪が二重三重にできた。
「政府式典は、沖縄戦と、米軍による統治を強いられた私たちへの侮辱ですよ」。集会に参加した名護(なご)市の自営業、具志堅勝子さん(74)は言った。
1945年の沖縄戦終結時は小学生。校舎を米軍に接収され、地面をノート代わりに学んだ。本土に復帰した時は喜びもあったが、その後も基地問題は変わらず「だまされた」。名護市は日米両政府が米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾市)の移設先にしている。「基地を押しつけるばかりで私たちには主権もない」。具志堅さんは語気を強めた。
「政治家は歴史を学ぶべきだ」。舞台に立った名護市の稲嶺進市長の演説に、那覇市の大田朝成(ちょうせい)さん(85)はうなずいた。
16歳で旧海軍予科練に志願して沖縄を離れた。戦後間もなく帰郷する船から見た夜の古里は、米軍施設だけが光っていた。「もう少しの我慢で米軍は出て行く」と考えていたが、サンフランシスコ講和条約発効で沖縄は切り離された。そして今年、政府は沖縄分離の日に式典を開いた。「歴史の受け止め方の違いも気付かない。政府は沖縄の怒りをあおり独立させたいのではないでしょうか」といぶかった。
会場には若い世代の姿も。宜野湾市の高校1年、田原初(うい)さん(15)が3月まで通った中学は、米軍垂直離着陸輸送機オスプレイが配備された普天間飛行場の近くだった。「屈辱の日」はテレビで初めて知ったといい「中学では米軍機が飛ぶと爆音で授業が中断することもあった。そんな沖縄に主権はないと思う」と話した。
そもそも、主権の意味を全く履き違えている。
屈辱と通常思わないことは、屈辱ではないだろう。
テレビで初めて知った、というのは最悪のテレビで言っていたから=思考停止。
自分で調べてみて、主権回復の意味を確かめる努力も、沖縄の教育は教えなかったようだ。
自分で調べることができない教育は、振り回す側からは圧倒的有利だからだ。
北朝鮮のミサイル問題も誰が解決してくれると思っているのか?
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