2008年11月15日
キリバス共和国旅行記 その4
さて、マジュロからマーシャル航空のプロペラ機で2時間くらいだったでしょうか、
連載4回目でやっとキリバス共和国の首都があるタラワ島に着きました。(^^;
(この路線、今でもあるのかわかりません)
タラワは太平洋戦争で日本軍守備隊が全滅した場所であり、年配の人だと名前だけでも知っている人は多いようですが、若い人はほとんど知らないのではないでしょうか。
タラワの風景などについてはこちら↓のブログが参考になります。
dxpediさんの旅行ブログ
http://www.tsumura.net/T30QQ.html
私が行ったときも、日本は援助国でしたので対日感情はよかったです。
高齢の島民の方が私たちを見て、「日本人か?」と日本語で話しかけてこられ、
「私の名前は太郎です」と自己紹介したあと、日本の童謡を歌いだしたのには驚きました。
日本が占領中に日本語教育をしていたらしいです。でも虐待したとかという話はききませんでした。
それは日本側の現地政策だけでなく、彼らの性格も温厚だったためかもしれませんが。
連載4回目でやっとキリバス共和国の首都があるタラワ島に着きました。(^^;
(この路線、今でもあるのかわかりません)
タラワは太平洋戦争で日本軍守備隊が全滅した場所であり、年配の人だと名前だけでも知っている人は多いようですが、若い人はほとんど知らないのではないでしょうか。
タラワの風景などについてはこちら↓のブログが参考になります。
dxpediさんの旅行ブログ
http://www.tsumura.net/T30QQ.html
私が行ったときも、日本は援助国でしたので対日感情はよかったです。
高齢の島民の方が私たちを見て、「日本人か?」と日本語で話しかけてこられ、
「私の名前は太郎です」と自己紹介したあと、日本の童謡を歌いだしたのには驚きました。
日本が占領中に日本語教育をしていたらしいです。でも虐待したとかという話はききませんでした。
それは日本側の現地政策だけでなく、彼らの性格も温厚だったためかもしれませんが。
私が行った当時でも、実は日本のある団体がカツオ一本釣り船員養成のための学校を開設していました。
キリバスはこれといった産業がないので、カツオ一本釣り船員の人気は高いと聞きました。
私がキリバスへ行く前にNHKのドキュメンタリーで、この学校のことを放送していたのを覚えています。
現地では先生の家に招待されいろいろとお話を伺うこともできました。
(ほとんど覚えていませんが^^;)
もうひとつ商船(コンテナ船とかタンカーとかですね)系の学校もありましたが、こちらはヨーロッパの支援だったと思います。(けっこう無愛想だったような)
私たちは日系の方でキリバスの高校に留学していた方とも現地でお会いしましたが、キリバス商工会議所会頭にまでなっていたんですね。(たぶんこの方だろうと思いますが)
「日系キリバス人として見た対日関係」
彼から聞いた面白い話しですが、「当初島の生水飲んだら下痢ばかりしていたが(当たり前)、今では大丈夫になった。」そうです。
そこまでなるのはある意味同化しているんだなあ、私にはそこまで根性ないなあと思ったものです。
私たちは生水を飲まないように、ミネラルウォーターや、ジュース、ビールなど飲んでいましたが、うっかりその辺の店で氷入りの飲料を飲んでビンゴになってしまった人もいました。
ちなみにミネラルウォーターや、ジュース、ビールは海外から100%輸入でしたので、船が来ないとそれらは当然手に入りません。そうなると何を飲んでいたと思いますか?
続く・・・・w
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