2018年02月02日
障害者雇用で働くまでの話
さっきの話の続きを少しします。
結局、休職期間を経て12月末で会社を退職しました。
年明けに社宅を退去し、完全に実家に帰ったのですが、やっぱり実家はよいと思いました。
今回のように突発的な体調不良に襲われると、本当に辛いことになります。
広汎性発達障害の場合、特定のストレスに弱い面があるので、うつ病などの二次障害を引き起こしやすいのです。
それでは、今後は私が障害者雇用で働くまでの話をしていきます。
私は高校を卒業したあと、実家を離れて、神奈川県にキャンパスがある大学に進学しました。
初めての一人暮らしで期待していた面もありましたが、食事や身の回りのことがちゃんとできるか
本当に悩んでいました。
一人暮らしを始めた当初は、ホームシックとなり夜は泣いていたことを覚えています。
ただ、3ヵ月もすればすっかりなれて、キャンパスライフを楽しんでいました。
しかし、お金の面できつかったのでアルバイトを経験しました。
最初は大学生の定番の家庭教師でした。
家庭教師のバイトは問題なく続けられましたね。
ただ仕事の依頼が少なかったので、稼げお金は少なかったです。
家庭教師を辞めたあと、食品工場のアルバイトをしましたが、これには大変に苦戦しました。
食品工場だとひたすら流れ作業をしたり、同じような単調な作業を繰り返すのですが
何かよくわからないけれど、じっとしていられないし、集中できませんでした。
作業工程を社員から指示されるのですが、何を言っているのかわからないという具合です。
何度もミスを繰り返しては社員に叱られを繰り返し、だんだん精神的に追い詰められていきました。
本当に嫌気が差したので、バイトをバックレてしまいました。
当然のごとく、携帯には着信の嵐です。
それはそれで怖かったのですが、嫌なバイトから解放された安堵感がこみ上げてきて
スッキリしたのを覚えています。
その後、いろいろなバイトをしましたがどこも長続きせず、仕事も覚えられませんでした。
精神的に辛くなったら、バックレを繰り返し、それだけで大学4年間が終わっていました。
まだ、自分が広汎性発達障害だと夢にも思っていなかったので、単に適性がないとしか思いませんでした。
ちなみに自分は、大学卒業後は就職せず、大学院入試を受けて大学院生となりました。
おそらく、潜在的に自分は社会人に向かないとか、働きたくないという気持ちもあったと思います。
ただ、経済的な事情があり、神奈川には残らず、地元の国立大学の大学院に合格し、入学することにしました。
大学卒業前の1月には、アパートを引き払って実家に帰っていましたが、何か具合が悪く
不安感に襲われるようになりました。
そう、バイトでうまくいかなかったときと同じような感覚と精神状態です。
流石に自分で何か精神的な病気ではないかと思い、地元の精神科クリニックを受診しました。
それが人生初めての精神科受診でした。
医師からは、小さい頃の様子、学校での成績、大学での一人暮らしやバイトのこと
具体的にどんな状況が辛かったのが詳細に聞かれました。
その医師は、私の性格的な面が原因の神経症だと診断しました。
その日から、あとで発達障害と診断されるまで、数年間の通院が始まりました。
結局、休職期間を経て12月末で会社を退職しました。
年明けに社宅を退去し、完全に実家に帰ったのですが、やっぱり実家はよいと思いました。
今回のように突発的な体調不良に襲われると、本当に辛いことになります。
広汎性発達障害の場合、特定のストレスに弱い面があるので、うつ病などの二次障害を引き起こしやすいのです。
それでは、今後は私が障害者雇用で働くまでの話をしていきます。
私は高校を卒業したあと、実家を離れて、神奈川県にキャンパスがある大学に進学しました。
初めての一人暮らしで期待していた面もありましたが、食事や身の回りのことがちゃんとできるか
本当に悩んでいました。
一人暮らしを始めた当初は、ホームシックとなり夜は泣いていたことを覚えています。
ただ、3ヵ月もすればすっかりなれて、キャンパスライフを楽しんでいました。
しかし、お金の面できつかったのでアルバイトを経験しました。
最初は大学生の定番の家庭教師でした。
家庭教師のバイトは問題なく続けられましたね。
ただ仕事の依頼が少なかったので、稼げお金は少なかったです。
家庭教師を辞めたあと、食品工場のアルバイトをしましたが、これには大変に苦戦しました。
食品工場だとひたすら流れ作業をしたり、同じような単調な作業を繰り返すのですが
何かよくわからないけれど、じっとしていられないし、集中できませんでした。
作業工程を社員から指示されるのですが、何を言っているのかわからないという具合です。
何度もミスを繰り返しては社員に叱られを繰り返し、だんだん精神的に追い詰められていきました。
本当に嫌気が差したので、バイトをバックレてしまいました。
当然のごとく、携帯には着信の嵐です。
それはそれで怖かったのですが、嫌なバイトから解放された安堵感がこみ上げてきて
スッキリしたのを覚えています。
その後、いろいろなバイトをしましたがどこも長続きせず、仕事も覚えられませんでした。
精神的に辛くなったら、バックレを繰り返し、それだけで大学4年間が終わっていました。
まだ、自分が広汎性発達障害だと夢にも思っていなかったので、単に適性がないとしか思いませんでした。
ちなみに自分は、大学卒業後は就職せず、大学院入試を受けて大学院生となりました。
おそらく、潜在的に自分は社会人に向かないとか、働きたくないという気持ちもあったと思います。
ただ、経済的な事情があり、神奈川には残らず、地元の国立大学の大学院に合格し、入学することにしました。
大学卒業前の1月には、アパートを引き払って実家に帰っていましたが、何か具合が悪く
不安感に襲われるようになりました。
そう、バイトでうまくいかなかったときと同じような感覚と精神状態です。
流石に自分で何か精神的な病気ではないかと思い、地元の精神科クリニックを受診しました。
それが人生初めての精神科受診でした。
医師からは、小さい頃の様子、学校での成績、大学での一人暮らしやバイトのこと
具体的にどんな状況が辛かったのが詳細に聞かれました。
その医師は、私の性格的な面が原因の神経症だと診断しました。
その日から、あとで発達障害と診断されるまで、数年間の通院が始まりました。
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