学習障害に対して末永く把握の無い社会や、学校での不満等、たまってるものがあるかも知れない。
一生懸命学習障害にかんしてひたすら吟味して、専門家以上の知識を身につけた親御さんも居るかも知れない。
その事は勿論良い事である。
知識をもって子供と接触する事が出きる為、どう対応すれば良いのか、このケースの場合は何がいけないのか、等と理解できる事があるかも知れない。
周りに対しても同じようにして欲しいとおもうかも知れない。
しかしながら、今1度、立ち留まって考慮して欲しい事がある。
学習障害をもっていようがいまいが、子育てと云うのはたいへんで在り、どの子供も親にとってかけがえのない子であると云う事である。
自身の子供は学習障害をもってるから、他人の子とはちがうんだ、もっと目をかけて欲しい、周りがこういった具合にしてくれない、等の不 満は少し行きすぎなところがあるかも知れない。
学習障害にかんしてもっと把握して欲しいと、声高々に叫ぶ親達が、例を挙げると視覚障害者等他の障害にかんして全く無知であるケースの場合も少なくないのである。
たまたま我が子に学習障害があったからそれにかんして知識が増大しただけで在り、周りに全く同じように求めるのは無理な事である。
また、専門家以上の知識を身につけたがゆえに、自身の子供を客観視しすぎてしまうケースの場合がある。
自身の子供は調査対象ではなく、愛情をもって接触するかけがいのない我が子であるためす。
何より肝心なのは愛情であるためす。
親と子供のつながりであるためす。
子供が苦しんでいる時、そっと手を差し出してあげる、それだけで子供は落ち着くのである。
いくら知識があってもこれができなければ子供は救われないのである。
大事な事は愛情である、と云うのは、いつの時代もどんな子供に対しても同じ事であるのである。
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