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2019年05月12日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花  <60 二人の孫>

二人の孫

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俊也と真梨のあいだに子供が生まれた。僕の初孫だった。自分が孫というものを持つこと自体が不思議な気がした。絵梨と名付けられた。俊也によく似た美しい女の子だ。その後真梨が妊娠することは無かった。俊也も僕たちも特にそれを不満に思ってはいなかった。一番不満に思っていたのは真梨自身だった。真梨は一人っ子なので寂しかったのだと思う。

俊也夫婦は絵梨が4歳になった時に一人の男の子を養子にした。名前は純一。純一は大阪の聡一が結婚してから他の女性との間に生まれた子供でまだ1歳になっていなかった。その母親は交通事故で亡くなっていた。本来は聡一夫婦が引き取るべき子供だった。しかし聡一の妻は神経質で心が弱いということだった。

純一は僕と似た立場だった。聡から相談があったとき僕は放っておくことができなかった。僕も母が父の愛人で中学生の時に母を亡くしている。僕の場合はその時には父も無くなっていたので祖父母に育てられた。もし、聡と新幹線でしありあわなかったら今頃どうなっていたかわからない身の上だ。僕の気持ちを梨花もよく理解してくれた。

最初は僕たち夫婦の養子にするつもりだったが真梨が自分の養子にしたいといってきかなかった。普段あまり人に突っかかるようなことのない真梨が自分の息子だと言い張って聞かなかった。たぶん縁というものなのだろうと思った。俊也にとっては甥だ。真梨にとってもまたいとこにあたる。無理な話ではなかった。

純一は特別養子として引き取られてきた。自分が養子と知らないまま育った。僕たちも、いつの間にか純一が養子だということを忘れていた。絵梨も一人っ子の立場が寂しかったと見える。

純一は最初は表情のない赤ん坊だったが一年もたてば、絵梨と二人でキャッキャと笑う子供になっていた。二人のほほえましい様子を見ていると心が和んだ。

世の中をひがんで生きていた僕は、今孫たちにおじいちゃんと呼ばれている。梨花はおばあちゃんだ。二人とも孫たちのことになると顔が緩みっぱなしになる。いい年寄りになったもんだ。


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2019年05月11日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <59 娘の結婚>

娘の結婚

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親の願いとは裏腹に真梨と俊也の距離は一向に近づかなかった。真梨は子供過ぎて俊也を引き付けることができないように見えた。俊也は俊也で田原家から離れたい気持ちが強そうだった。


そんな二人が突然結婚したいといってきた。僕はなぜか妙に腹がたった。二人の間に何があった?しかも俊也は真梨を呼び捨てにしている。どう見ても、二人はもう大人の関係になっている。恋に落ちてくれたらいいとは思っていたが、いきなり、男と女としての二人を見るのはいい気持ちがしなかった。

普通交際期間とかいうものがあるんじゃないのか?交際している二人を見て親も心の準備をするんじゃないのか?なんで急に結婚を決心したんだ?結婚話が出たときには親には相談をしないのか?希望通りの展開なのに不意打ちを食らってむしゃくしゃした。

そこは梨花はさばけていた。梨花にしてみれば自分たちもそうだった。それどころか親に言ったときには真梨がおなかにいたじゃないかということらしい。自分の昔のことを思い出していた。

梨花の盛大な笑い声でやっと不機嫌な気分から解放された。僕としても反対する理由はなかった。いや、むしろめでたい話だった。急に言われるから腹が立つのだ。

俊也をこちらの婿として迎えたいという話もまとまった。もちろん聡を説得するのは骨が折れた。聡は誠実に俊也を愛して育てた。それでも何とか了承してくれた。了承したのちはまるで娘を嫁にやる父親のようだった。僕は心の中で聡に礼を言った。

俊也は入り婿として真梨と結婚した。梨花は真梨の結婚式の準備に夢中になった。特に衣装の打ち合わせは余程楽しかったようで何度も写真を見せられた。梨花は真梨の衣装を自分のもののように感じるらしかった。

この時になって初めて梨花が婚礼衣装に憧れていたことを悟った。僕たちが結婚する時、梨花は結婚式には全く関心がないといった。でも、関心がないのではなかった。

あの頃の僕は経済力もなかったし、何よりも親戚というものがなかった。梨花は僕の気持ちを考えて結婚式には関心がないといったのだ。僕は梨花と真梨のために真梨の婚礼衣装は買い取って家に保管した。きっと梨花は自分のもののようにそれらを見て楽しむだろう。

真梨は留年したが結婚してから意外な頑張りで学校を卒業した。しかも、幼児教室という新しい事業をゆっくりと成功にむけて動かしていた。僕と同じ目立たずそっと立ち上げていくやり方だ。こういう時、俊也はよく動いたしアイデアも豊富だった。最初に就職した会社でよく勉強したのだろう。


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2019年05月09日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <57 父の恩返し>

父の恩返し
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ママが亡くなって半年ぐらいたったころ大阪の田原興産は倒産の危機に見舞われた。取引関係のあった大手デベロッパーが倒産したからだ。マンションの耐震強度に関する不正が週刊誌に載ってしまったのだった。田原興産は連鎖倒産に巻き込まれようとしていた。

銀行は、その大手デベロッパーとの取引関係をみて田原興産への融資を惜しまなかった。しかし、その大手の資金繰りが困難になると、たちまち田原興産の資金繰りも行き詰るようになった。その大手の雲行きが怪しいと睨むや否や、銀行が融資金の返済を迫るようになった。

田原興産は半年後の資金繰りのめどが立たない状態にまで追い詰められた。銀行にとっても田原興産に倒れられるのは痛手だ。なんとか融資できる条件を必死に模索中だ。聡も資金提供者が見つかれば自分は退く心づもりをしていた。

そういう状況が浅田隆一の耳にも入ったらしい。僕の会社へ浅田隆一本人が出向いてきた。僕はこの時に初めて、浅田隆一とママ、田原梨恵子の関係を詳しく聞いた。もう、誰も知らない昔の話だった。

ママと浅田隆一は幼馴染で、ママが高校生の頃から交際していたらしい。親も認める仲でいずれは結婚すると思われていた。ところがママが二十歳になったころ、浅田隆一に縁談が持ち上がった。

そのころ、参議院議員だった浅田隆一の父親の政治的な関係の縁談だった。浅田家としてその縁談を断れなかった。浅田隆一とママとの恋は終わった。

そののちにママが妊娠していることが発覚した。ママは自殺未遂をした。この時に田原興産の社員だった甘木久雄が婿に立候補した。周囲からは財産目当てといわれたそうだ。久雄は山陰の名士の長男で早くに母親をなくしていた。継母に育てられ体よく実家を追い出されていた。

現実には久雄は田原家の入り婿として優しい夫として父として誠実に働いた。莉恵子との仲もむずましいもので、当事田原興産の会長であった田原聡介の信頼も厚かった。残念なことに40代の若さでガンで亡くなってしまったそうだ。梨花はこの久雄の長女として育てられた。

「私は久雄君には恩がある。梨花が私の子供やということを承知で莉恵子さんと結婚したんや。それで梨花を本当に大事に育ててくれた。梨花は自分が久雄君の子やと確信して育った。久雄君がそれだけ梨花をきちんと愛してくれたということや。久雄君への恩を返すためにも何があっても聡君を守りたい。もうこの年や。あっちへ行ってから大手をふって久雄君にあいさつしたい。君、協力してくれ。」老政治家は若輩者の僕に頭をさげた。

「私の資産をつこうてもらえんか?大阪のビルと、こっちの家、それと長野に旅館を持ってる。これを抵当に入れるなり売却するなりして資金手当てしてやってくれんか?私は実務経験がないんで自分一人では動くことができんのや。私の親族の耳に入ったら反対するに決まってる。自分らの取り分が減るんやからな。内密で進めないかんことや。せやから君がなんとか手当してやってくれんか?もともと、私の資産は梨花が相続するもんや。今からでもよかったら認知する。遺言書も書く。」老政治家は覚悟を決めていたようだ。

梨花は自分の資産を田原興産へ提供しようとしていた。老政治家は「こういう場合は親や兄弟は裸になったらいかんのや。そんなことしたら共倒れになってしまうやないか。梨花や真梨の暮らしを守ってくれ。」と老骨に鞭を打つように僕の会社にやってきたのだ。この話は梨花には聞かせられない話だった。

老政治家は自分の娘を守ってもらったお礼に久雄氏の一人息子である聡を守ろうとしていた。僕は田原興産は当面の資金繰りが付けば、後は業務の縮小で逃げ切ることができるだろうと思っていた。

この申し入れはありがたく受けることにした。ただ、どういう方法で聡にこれを説明するかだ。聡は梨花の出生の事情を全く知らないのだろうか?

聡には浅田隆一が地元のよしみで担保を出してくれると説明した。昔、田原興産が浅田隆一氏を助けたことがある。浅田隆一氏が今あるのは、そのおかげだという説明をした。

聡は、とりあえずは浅田氏の好意を受けて後のことは後で考えるといった。この状況では当たり前だろう。2か月後には不渡りを出すかもしれない局面だった。浅田氏に会社を渡してもいいという気持ちもあったようだ。

梨花は、浅田隆一に礼をいうために彼の家に出向いた。なぜ、そこまでしてくれるのか、今一つ納得できない気持ちはあったらしい。これも昔の田原興産への恩返しという説明に終始した。僕には浅田隆一が聡を護れたことで、とても満足しているのが分かった。

この老政治家との付き合いは、このあと8年にも及んだ。真梨への誕生日プレゼントが届くようになって、梨花と真莉の連名でこの人へ誕生日プレゼントを贈るようになった。僕は、その時必ず家族写真を贈るように梨花に提案した。

この人が心筋梗塞で倒れたとき梨花と僕と真梨でお見舞いに行った。甥の妻という人が付き添っていた。意識があったが余り長く話せないようだった。

その人は梨花の手を取って何かを言おうとしていたが言葉が出なかった。僕は手を強く握って、耳のそばで「必ず守ります。」といった。一瞬目を開いて僕たちを見てまた目をつぶった。その人はその夜、亡くなった。

僕の父は、ひっそりと見舞いに来た若い愛人と幼い息子を見てどんなにか苦しかっただろうと、また思い出した。真梨を守るために長生きしようと心に決めた。


続く


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家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <58 俊也と真梨>

俊也と真梨
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真梨は大学へ通うようになっていた。東京では名の知れた私立大学だった。難しいと思っていた大学へ入ってくれて親としては少し自慢がましい気持ちもあった。これには家庭教師として3年間頑張ってくれた俊也の努力も無視できなかった。意外にも児童心理学に興味を持って一生懸命勉強した。

俊也は4歳の時に依子さんの連れ子として田原家に入った。聡の養子になって田原家の長男として暮らした。しかし依子さんは田原家に気を使って常に俊也を二の次にした

俊也はなんとなく大阪の家に居づらさを感じていたのか大学は東京しか見ていなかった。連れ子として、いつも何か気兼ねしながら育った子供だった。それでも、ママや聡に愛されて将来有望な青年に育っていた。依子さんによく似て目鼻立ちのはっきりした青年だった。

皆、俊也は大学院へ行って経営者としての勉強をすると思っていたが、大学を4年で卒業するとすぐに外資系のコンサルタント会社に就職してしまった。昨今、仕事のキツさと給料の良さで話題に上るアメリカの企業だった。日本でも、この会社から転身した若い経営者がたくさんいて皆成功を収めていた。

真梨が大学に入学したころから俊也はあまり家に来なくなった。もう十分に役目は果たしたということなのだろう。僕は俊也を真梨の婿として大いに期待していた。

しかし、俊也は真梨にはあまり興味がなさそうだった。真梨はといえば恋愛などはまだまだ眼中にない子供のようなものだった。俊也が真梨を物足りなく感じるのは理解できた。微妙にすれ違い始めてきた二人に寂しい気がしていた。

ある夜、真梨は深夜1時を過ぎても戻ってこなかった。真梨は酒を飲まないので、いつもは遅くなっても11時頃には帰ってきていた。時々は男友達に誘われてデートみたいなこともするようだが真梨はあまり楽しくなさそうだった。僕は、真梨はまだ子供で夜遅くなれば家が恋しくなるんだろうと本気で思っていた。

その真梨が日付が変わっても帰ってこないのだから気が気ではない。心配といら立ちが交互にやってきて、じっとしていられなかった。梨花も心配していたが友人に確認するにしても、この夜中だ、電話をかけるのがはばかられた。

2時ごろになって真梨の呑気そうな「ただいま~。」という声が聞こえた。声の調子から何事もなかったと感じてほっとした。真梨がリビングに入ってきて驚いたのは俊也が一緒に来たことだった。怒りが爆発した。「どこをほっつき歩いていた!」と俊也の襟首をつかんだ。俊也は、あきらめたような情けないような、ふてくされたような顔で無抵抗に立っていた。

その時真梨が「パパ違う!お兄ちゃんはトカゲから真梨を守ってくれたの!家まで連れて帰ってきてくれたのよ!」と大きな声を出した。

僕は突然昔のことを思いだした。そうだ、この男はいつも理不尽に怒られていた。今度も自分が怒られて、ことを治めようとしていると感じた。

真梨の話では、女友達に誘われて軽い気持ちで行った会合がガラの悪い連中が集まる会合だったらしい。真梨は騙されて強い酒を飲まされたようだ。その席に俊也もいて真梨を見つけて連れだしてくれたということだった。

女学生が友達をだまして悪い会合へ引っ張り込むなど、僕たちの時代には考えられないようなことだった。それでも酒を飲まされただけで済んだのは俊也のおかげだった。俊也が真梨を見つけてくれなかったら、真梨はとんでもない目にあっていたかもしれない。

僕は俊也と真莉から聞いた友達の名前を親友の新聞記者に教えた。彼も今は偉くなって、こんなしょうもないネタには載ってくれないと思っていた。しかし、名門大学の学生の犯罪はすでに話題になっていたらしい。直ぐに調査にかかってくれた。

結果的には大きな事件になって新聞や週刊誌の大きな記事になった。テレビでもとらえられたが我が家ではそのテレビは見なかった。真梨が深く傷つくような内容が派手に報じられていた。もしも俊也がいなかったらと思うと今でもぞっとする。

真梨はこの事件をきっかけに学校に行けなくなった。何度か俊也に真梨を連れ出してもらった。あわよくば二人が恋に落ちてくれればいいと思っていた。梨花も同じだった。何かと俊也を呼び出しては真梨との接点を作った。しかし、この作戦はあまり効果がなかった。

親から見れば真梨は頭も性格も容姿もいい娘だった。多くの人に愛されて育って人を愛する方法を知っていた。幸福な家庭を築くすべを知っているはずだった。俊也のように子供の時から気兼ねしながら育った男を幸福にできる資質を持っているはずだ。

僕は時々自分と俊也を重ねてしまうときがある。4歳の時、一人ぼっちで田原の家に預けられた少年は母と同居するようになってからも母の愛情を独占することは無かった。彼の母親はいつも俊也を二の次にした。幸薄そうに見える俊也を幸福な家庭人にしてやりたかった。

しかし俊也は田原の家を抜けたいというのが本音のようだ。真梨のお守りにも少し疲れているように見える。


続く


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2019年05月07日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <56 ママの最期>

ママの最期

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その年の冬は、ずいぶん寒かった。大阪のママは2月の初めに体調を崩した。78歳になっていた。
若いうちに婿を取って梨花が中学生の時には、その夫を亡くしていた。
それ以来、子供たちの祖父と二人で事業を切り盛りして何とか家の資産を守り切った。

それも今は長男の聡に渡して文字通り悠々自適の毎日だった。
孫をからかったりからかわれたりしながら日々を送っていた。僕の人生を大きく変えた人だった。
コケティッシュな温かさで強引に僕をこの家族との付き合いに引きずり入れてくれた人だった。

今回の風邪で肺炎を起こしてしまった。入院をしても一向に回復しなかった。
そして2月の終わりに静かに息を引き取った。短い闘病だった。
急なことで家族のショックは大きかったが本人にとっては救いだったのかもしれない。
世話焼きだが世話になるのは苦手な人だった。闘病生活には人一倍気を使ったことだろう。
幸福なおばあちゃんの静かな死だった。

通夜は自宅でしめやかに行われた。ママの兄弟、その子供や孫、世話になった社員も集まった。
30人ぐらいだった。

僧侶の読経が始まる前に家の中がちょっと騒がしくなった。大事な弔問客があったようだ。
その人は僕も顔を知っている政治家だった。大阪出身なのは知っていた。
今も与党の重鎮として、ある程度の力はあるようだった。

親戚中が総立ちになって玄関で頭をさげた。聡が慌てて挨拶に出た。
梨花は仏間を離れなかったので僕もその場を離れずに座っていた。

その人は仏間へ入るや否や、ママの枕元に駆け寄った。梨花が深々と頭をさげた。
その人がママの遺体に手を合わせた後、梨花がママの顔にかかっている白い布を外した。
その人は、一瞬両手で顔を覆ってしばらくじっとしていたが、気を取り直して「穏やかな顔やな。安らかやったんやな。」とつぶやいた。

「妹から連絡がありまして。まさか莉恵子さんに先越されるとは思ってもみませんでした。
私の葬儀に来てくれるかどうか心配してたぐらいやったのに。」といった。
テレビで見るのとは全く違う、何か見たことがある感じのする穏やかな老人だった。

目が合ったので目礼した。梨花が「主人です。普段は東京に住んでます。」と紹介した。
その人は「聡君とよう似てるなあ。梨恵ちゃんには聞いてたけども。子供さんは?」と聞かれたので「女の子が一人、来年成人します。」と答えた。答えながらも、何か見たことがあるような気がしていた。

梨花が「真梨、真梨、ごあいさつしなさい。」と真梨を呼んだ。
真梨は丁寧にお辞儀をしたので、その人も丁寧にお辞儀を返してくれた。
「梨花さん、たいした躾やな。きちんとしたいい娘さんや。」といった。

その時、何気なく見たその人の耳の付け根に小さな穴が見えた。
ピアスの跡のような針の穴程の小さな凹みだ。僕は、はっとした。
梨花にも同じところに小さなくぼみがある。そういえば目元が梨花や真梨と似ている。

僕が、あまりじっと横顔を見つめるので、その人は少し不思議そうな顔をした。
そして老目鏡をかけて梨花を呼んで何か耳打ちをした。

その人は「私、子供がおらんのですよ。莉恵子さんがうらやましい。」といった。
僧侶の読経が終わっても、その人は帰らなかった。

そして、「真梨ちゃん、私が振袖贈ってもいいかな?莉恵子さんの代わりに」と聞いた。
梨花が僕の顔を見たので、僕が「ええ、ありがとうございます。」と答えた。
「真梨ちゃん、誕生日いつやな?」と聞かれて、真梨が「10月3日です。」と答えた。

帰り際に、聡や梨花に「困ったことができたらなんでも言うてきてや。
できるだけのことはさしてもらうから。」といった。
梨花が「浅田先生もお気をお付けください。ホントに今年は寒いですから。」と声をかけると「ほんまに今年は寒いな。寂しい冬になってしもた。」と答えた。

そのあと人目につかない場所で僕に強く握手をして、自宅の電話番号を書いた名刺をくれた。
僕の目を見て「君、目がいいんやなあ。梨花を頼みます。」といった。
その人はタクシーでホテルに帰っていった。葬儀には参列しなかった。

梨花と2人きりの時に「さっき浅田隆一氏になんて言われたの?」と聞くと、「タクシー手配してって頼まれただけ。」と答えた。「あの人とママってどういう関係?」と聞いたら「幼馴染み。駅前の商業ビルはあの人の実家の跡地やったの。ママとは小さい時からの知り合いやって。多分ママのこと愛してくれてはったと思う。」と言った。

僕は心の中で「愛してるも何も、あの人は君の父親なんだよ、梨花。」といったが口には出さなかった。
父親が一人娘を愛する気持ちが僕には痛いほど分かっていた。ママがあの人と僕を引き合わせたと思った。

東京へ帰ってから1か月ぐらいして真梨に見事な反物と帯が届いた。有名デパートから直送されてきた。
履物も小物もすべて揃えてあった。
あまりにも、高価なものだったので、梨花は少し驚いてお礼の電話をした。

その電話を受けたときの浅田隆一の声は、横で聞いていても聞こえるぐらいの大声だった。
始めて娘から電話をもらって興奮が押さえきれなかったようだった。

そして子供がいないし妻とも死に別れている。時々プレゼントを贈らせてほしいといわれたそうだ。
梨花は「お寂しいんやねえ。こっちからもお誕生日プレゼント送った方がいいねえ。」といった。
ママが父と娘の糸をつないだに違いなかった。

その時期に僕の会社に信用調査が入った。皆、真梨の縁談かと色めき立ったが、僕はその調査が僕自身の身上調査だと気が付いていた。僕はふっと、老政治家から監視されているような気がした。
僕だったら、そうする。

続く


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2019年05月06日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <55 妄想>

妄想

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真梨が修学旅行でいない夜、僕たちは久しぶりに食事に出た。帰りにはバーによって少し飲んだ。
梨花は滅多に夜の街に出ることがない。
僕があまりそういう場所を好きではないので、結局は梨花もそういう場所へ出る機会を無くしていた。

「真ちゃん 私、年とるのが怖い。」

「なんで?」

「だって、私はいつまでも、真ちゃんとこうしていたいもん。」

「いつまでも、こうして暮らせばいいんじゃないの?」

「でも、年取ったらこんな風にはしてくれへんようになるでしょ?ひょっとしたら、若い女の人とこうなるかもしれんやんか。今日のバーの女の人も真ちゃんに興味深々やったよね。わかってるんでしょ?」

「うん、あの子は普段は僕の隣に座ってくるんだよ。色々世話を焼きたがるんだ。
時々、若さにあてられそうになる。」僕はやきもちを焼く梨花をからかった。

「やっぱり、無理もないよね。若いい人は私が見てもきれいでうらやましい。
真ちゃん、若い人となんかなるのやめて。お願い、私、生きてられへんかもしれん。」

「珍しいね。久しぶりに梨花の口説き文句を聞いたね。」

「なんか、久しぶりにああいう場所へ行ったら、自分が野暮ったいおばさんやって思い知らされて辛い。」

「僕の大事な奥様を裏切ったりしないよ。いつだったか、あの騒動でこりたよ。忘れた?
僕は寂しい孤独な育ちだよ。妾の子は寂しいし妾はかわいそうだよ。本妻だって苦しむ。その子供も苦しむ。全部じかに見てきたんだよ。
僕は、梨花や真梨のいる家でデレデレのしょうがないオヤジで暮らしたいんだよ。
ねえ、なんであの店に連れて行ったかわかる?」

「お酒飲みたかったから?」

「見せびらかしにつれて行ったんだよ。僕の好みの女はこういう女なんだってね。」

梨花は急に真顔で「真ちゃん、いつの間にそんな上手に女の人口説けるようになったん?」と聞いた。

「ねえ、年を取ったら、手をつないで映画を見に行こう。はぐれないように手をつないで雑踏の中を歩くんだよ。ねえ、年取ったら月に一度は二人で映画を見に行こう。」

僕は、若い時のことを思い出していた。駅の雑踏の中で手をつないで歩く老夫婦を見たとき、自分の両親はこんな風になることはなかったんだと寂しかった。年を取ったら梨花と手をつないで雑踏の中を歩こうとおもった。

もし、新幹線で聡に合わなかったら?僕は、あの温かい家族に出会わなかっただろう。

もし、僕にいやなスキャンダルがなければ?梨花は僕の部屋に来なかっただろう。

もし、聡に不快な相談を受けなかったら?梨花は、あんなにも情熱的に告白してくれることはなかっただろう。

一瞬 めんどうで鬱陶しい出来事が僕の運命を動かした。

多分、僕は梨花をみとってから、木が朽ちるように生涯を終えるのだろう。この妄想は なぜか、僕を妙に甘美な満足感へと導いた。


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THE FIRST STORY 真一と梨花 <54  修復>

修復

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夕飯を買いに行こうと真梨を誘った。一人で出ていけば帰ってくるのかと心配させてしまうからだ。
真梨は大きな声で「牛丼買いにいきた〜い。」といった。
そういえば真梨が生まれた直後も梨花を休ませるために牛丼を買って帰った。なつかしい食べ物だった。

梨花がコーヒーを飲もうとしたので「胃が荒れてるときにそんなもの飲んだら駄目じゃないか!」というと梨花が笑った。「何がいい?何が食べられる?」と聞くと牛丼がいいと答えた。

真梨のリクエストで牛丼とシュークリームを買って帰った。不思議な取り合わせだったが梨花は喜んだ。
近所の洋菓子店のシュークリームは梨花の好物だった。

真梨が眠ってから、また2人の間に緊張した空気が流れた。
梨花が「真ちゃんあの人のとこへ行ってたん?」と聞いたので「いや、彼女とはあれ以来会ってない。僕が合おうとしないから家に直接乗り込んだんだ。
話をつけるために店に行ったときには、もうクビになってた。妊娠は嘘だったんだ。」というと梨花はポカンとなった。

「考えて見ろよ。たった一度で妊娠するぐらいなら今頃この家はものすごい子だくさんだ。僕の精度はそんなに良くないよ。」といった。

「真ちゃんの赤ちゃん育てる自信はあったんよ。でも、もしかしたら真ちゃんがその人と暮らすって言ったらどうしようって不安で不安でご飯食べられへんかったのよ。」と言って泣いてしまった。

梨花は「たった一ぺんのことで大騒ぎするつもりはなかったんよ。でも、あの人、なんか言ったら年齢的にも、年齢的にもって凄い年の話ばっかりするのよ。そんなこと言われたら私勝てっこないやない。
もう絶対嫌なんよ。真ちゃんが他の女の人と抱き合うこと考えたら気が狂いそうになる。
お願い。絶対嫌なんよ。」とまた泣きじゃくってしまった。
僕は、二度とそういうことをしないと誓う以外のことはできなかった。

梨花は「大阪では真ちゃんのこと休火山やって言うてたんよ。噴火させたらもう止まらへんって。
私、何のことかわからへんかったけど、この間の夜わかった。始めて真ちゃんが本気で怒った顔見たの。
真ちゃんものすごく怖かった。怖かったら別れたらいいんやけど、それも、でけへんのよ。
だから、もうあんなに怖い目に合わせんといて。お願いやから。」 といった。
その話になると、僕は居ても立っても居られないほど辛かった。
「あの事が自己嫌悪で帰ってこられなかった。子供に心配をかけて最低の父親だ。もう許してほしい。」謝る以外のことはできなかった。

その日は何となく気まずい雰囲気で寝室に入った。僕はいつまでも寝付けなかった。
梨花も何度も寝返りを打った。夜も2時を過ぎたころに梨花が僕のベッドに潜りこんできた。

久しぶりに梨花の肩を抱いて思わず大きなため息をついて「キツかった。」と口走ってしまった。
梨花が「真ちゃん、お風呂やないんやから。もうちょっとロマンチックな声出してほしかった。」と言った。涙声だった。

梨花は少しやせていた。
僕が「精子って一匹、二匹って数えるの?」と聞くと「だって、一羽二羽もおかしいでしょ。鳥やないねんから。」と答えた
。僕が「体調とか気分とかいろいろあると思うけど断るときには優しく断ってほしいんだ。梨花に冷たくされたら心が折れる。」というと「心が折れるのはこっちやないの!」と僕の胸をぴしゃぴしゃとたたいて足をバタバタさせた。僕は梨花にたたかれて思わず涙ぐんでしまった。

「休火山のくせに泣き虫の真ちゃんが大好きよ。」と梨花が言った。僕は、だらしなくへらへらと笑った。
他の人には絶対に見せられない泣き虫真一の姿だった。やっと眠りについた時には3時を過ぎていた。

翌日は出勤の前に父の仏様に合掌した。真梨を無事に会社まで送り届けてくれたのは父に違いなかった。

夕方、梨花の好きな松寿司の折を買って帰った。梨花は大阪風の寄せ鍋を作って待っていた。
家族3人で飢えた子供のようにたらふく食べた。

その後も時々、真っ最中に「あの人にもこんなことしたの?」と不意打ちを食らうこともあった。
そういう時は途中撤退は許されない。ただひたすら「君が一番。君が最高。君しかいない」と唱え続けてコトを進めるだけだった。

そんな日々が半年ぐらい続いた。
「あの時濡れてたからいいと思ったんだ。」と半年も過ぎてから弁解をした。
梨花は「真ちゃんにされたら、どんな時でも、そうなってしまう。私は真ちゃんのために生まれたんやもん。」といった。久しぶりに梨花に口説き文句を言われて、へらへらと笑った。

僕は外では抜け目のない商売人になっていたが、それは生活の手段だった。
家ではデレデレの甘いおやじだった。
梨花におだてられて、いい気になってへらへらと笑う自分が好きだった。


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2019年05月05日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <53 娘の来訪>

娘の来訪

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家を出てから、ずっと会社の近くのビジネスホテルに泊まっていた。10日目に真梨が会社に来た。
まだ小学校の4年生だった。
受け付けた社員も突然の来訪に驚いて近所の喫茶店からジュースの出前を取ってくれた。

慌てて応接室に行くと真梨が物珍しそうにキョロキョロしながら座っていた。
「どうしたの?ママがどうかした?」と尋ねると「どうしてパパ帰ってこないの?ママ死んじゃうよ。」と言われた。

「ママ元気ないの?寝てるの?ご飯ちゃんと食べてる?」と立て続けに聴くと「ママはいつもニコニコしてる。ご飯はいつもごちそうだよ。でもママはご飯食べないの。いつもビタミン剤とか飲んでる。
ほっといたらママ死んじゃうよ。」と言った。

心臓がぎゅっと縮んだ。子供は母親の笑顔がごまかしだと気づいている。
心配して父親を連れ戻しに来たのだった。

10日間も一体何をしているのだろう?
「さっさと帰らなきゃ。こんなことしている場合じゃない。」と思った。10日もかけて子供の力を借りてやっと我に返った。

真梨を連れて家に帰った。真梨がインターフォンを押すと梨花の明るい声が返ってきた。
「お帰り〜。」と言ってドアを開けた。
明るい声で「遅かったね~。心配するやないの。」と賑やかな関西弁が玄関に響いた。

玄関ドアを開けて初めて僕が居るのに気づいた梨花はいつも通りの声で「お帰り」といった。
僕は「真梨が会社まで迎えに来てくれた。」と手短に言った。
梨花は目を丸くして真梨を見て「黙って行ったの?行き方、ようわかったねえ。」というのが精いっぱいだった。

僕のカバンを受取ったとたんに梨花は玄関先で座り込んでしまった。
「久しぶりに真ちゃんの顔見たら尻もちついてしもたわ。」と大笑いしようとしたが声がかすれて笑い声にならなかった。荒れた肌の上に刷いた濃い頬紅の下から紫色の隈が透けて見えた。

二階から「さっさと仲直りしてね〜。子供に世話掛けないでね〜。」と真梨の大声が聞こえた。
僕が36歳になってやっと手に入れた家族の喧騒だった。つまらない女のために手放すわけにはいかなかった。

とにかく梨花をソファーに座らせてひざ掛けをかけた。僕は梨花に「休んでくれ。」と頼んだ。


続く


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2019年05月04日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <52 詐欺>

詐欺

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梨花と喧嘩をした翌日、妊娠の話に決着をつけるために女が働くクラブへ出向いた。
もし本当だったら、やはり援助し続けるしかないだろう。また自己嫌悪につかまってしまった。

なぜ自分が一番嫌いなことを繰り返したんだ。
若いころ真由美という人妻と関係を持った捨て鉢な気分がよみがえっていた。

店へ行くと、ちょうど、その店のオーナーも来ていた。女に事情を聴いているようだった。
僕の顔を見て「申し訳ございません。奥さまに失礼なことをしたそうで。ずいぶんご気分を害されたでしょうね。」と頭をさげられた。
家で大きな揉め事になったことは僕の疲れ切った顔を見たら誰でもわかったと思う。

「美香さんはもう出勤しておられますか?」と、ことさら丁寧な口調で尋ねた。
オーナーは「はい、先ほどまでおりましたがクビにいたしました。」と答えた。

「いや、私としては事実を確認しないことには、どのように対処していいものか判断いたしかねます。
美香さんと話したいのですが。」と言うと「そんな必要ございませんですよ。
本当にお恥ずかしい話なんですが、嘘だったんですよ。
嘘をついて奥様からお金をせしめようとしたんですよ。
社長様ご本人では、ごまかしかねるので、わざと奥様に直接お話ししたようです。
良家の奥様なら騙しやすいと思ったそうです。本当に、私どもの教育不足です。
嘘をついてお金を取るなんて詐欺でございますからクビにいたしました。」という話だった。
僕は、余りのあほらしさに腰が砕けそうになった。

オーナーは平謝りに謝ってくれた。
その時に店のオーナーから「奥様大した方でございますね。本物の良家の奥様ですよ。
つまらない詐欺女なんか相手にもなりません。」と言って、その時の梨花の返事を教えてくれた。

梨花は「生まれてきた子供は私の子供だから私が引き取る。慰謝料も何もかもすべてきちんとするが、子供は私の子供だから養育費は払わない。引き取って育てる。田原真一の精子は一匹残らず全て自分のものだからその子供も自分の子供だ。誰にも渡さない。きちんと愛情をかけて育てるから心配するな。」と答えたそうだ。

僕は顔から火が出た。恥ずかしさにうなりながら店を出たのだった。
このことを早く聞いていれば昨夜のようなことにはならなかったかもしれない。
ひたすら土下座をすれば治まっていたかもしれない。

今更何を思ってもしょうがないことだった。
一度ふるった暴力が、なかったことにはならなかった。


続く


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2019年05月03日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <51 霹靂>

霹靂

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「真ちゃん 自分が何したかわかってる?」と聞かれて梨花の顔を見た。
閉じた瞼の下から涙がにじみ出て見たこともないような悲しい顔をしていた。

腹立ちまぎれの高揚が一気に冷めた。梨花に丁寧に毛布をかけて、すごすごと服を着るしかなかった。
余りにもみじめで、その場にいるのが苦しかった。
「頭を冷やしてくる。」と言って家を出て、その夜は会社に泊まった。

その日の昼間、僕の留守中に会社で使っているクラブのホステスが家に押しかけていた。
僕の子供を妊娠したので、できることなら離婚してほしい、ダメなら養育費と慰謝料を出してほしいと梨花に直談判したのだ。

あんな世慣れた小娘にしてやられたという自己嫌悪でいらだっていた。
そんな小娘が僕の家庭に踏み込んできたのかと思うと歯がみをしたい気持ちになった。
何よりも僕をいらだたせたのは梨花があの小娘の言い分に動揺して僕との話し合いを拒絶したことだった。

梨花は喧嘩になっても絶対に僕を拒絶することは無かった。
結構言いたいことも言ってある程度納得すれば後はさっぱりした気性だった。
僕を丸め込んだことで満足して、僕も丸め込まれるのが嫌ではなかった。
僕たちは大きな喧嘩もしないし仲直りも早かった。
喧嘩さえも拒否するような態度をとられたのは初めてだった。

カッとなってマグマが一気に噴火してしまった。嫌がる梨花の膝を力づくでこじ開けた。
梨花は抵抗する気力もなくしていた。
絶対に家庭に向けてはいけない暴力を最も陰険で野蛮な方法で暴発させてしまった。

みじめな自己嫌悪から立ち直ることができなかった。その日から家へ帰れなくなった。
会社に近いビジネスホテルに泊まって悶々とする日々が続いた。

その女はいつも決まって僕達の相手をする女だった。この女がパトロンを物色しているのは分かっていた。
僕がそんなことには無縁だということは店の者も同行した社員もわかっていることだった。
僕は若い女の関心を引けるタイプではなかった。地味で面白みのない中年だったのだ。

その女と関係を持った日は前日からの疲れで風邪気味だった。
几帳面な僕は朝昼晩ときちんと風邪薬を飲んでいた。
接待ということもあって行くだけ行って早々に引き上げる予定だった。
ところが、なかなか席を立つタイミングがつかめなかった。

そんな僕を見かねた女が席を立つタイミングを作ってくれた。僕は女に礼を言ってタクシーに乗った。
その時女も一緒に乗り込んできた。付き合いでほんの少しだけ飲んだ酒が回っていた。
気が緩んでいた。そのまま女の部屋へ直行してしまった。軽い気持ちだった。

僕はもともと身持の硬い方だった。自分が妾の子だということもあって女遊びが嫌いだった。
しかし、その女は遊び慣れている感じがしていた。だからこその、この段取りの良さだと思った。
あとくされがなさそうな気がした。一度くらい女の段取りにのってもいいさとタカをくくっていた。
女を断る作業そのものが面倒だった。それが3カ月ぐらい前の出来事だった。


続く


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