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ラースと、その彼女




イギリスを舞台にした映画で、主人公がダッチワイフを本当の人間であり、彼女と思い込んでいる男性。

彼はダッチワイフである自分の彼女を本当に生きた人間として扱う。彼はダッチワイフと会話できるというかしているつもりになるし、キスだってする。

他人から見たら狂気だよね。この事実をはじめて知ったのは兄とその嫁。

彼らは主人公のラースが精神的におかしいと感じて病院にいったり、教会に通わせたり色々頑張るんだ。

ラースは当たり前のようにダッチワイフを様々な場所に連れて行く、もちろん町の人間にも頭のおかしな奴と認定されるんだけど、1つ違うのはラースの純粋さなんだよね。

みんな彼をどこかおかしいと思いながらも彼の人柄に引かれて、彼の前ではちゃんとダッチワイフを人間として扱うようになるんだ。

そうこうしている内に彼は会社の同僚の女にも恋心を抱き始める。

彼の精神の奥底で現実と彼の夢がせめぎあいをはじめる。

だんだん彼の現実の精神がダッチワイフをダッチワイフと捉えてしまう部分が出てくるんだ。

果たしてラースの取る行動とは、そして物語の完結とは!!といった具合かな

映画のカメラの撮り方が俯瞰というか、一人称の撮りかたでは無くて、神の目線なんだ。ラースの心理描写も他人から見たラースの感情という形になっている。

上手く説明できないんだけど、起きた現象を引いた目線で語っている映画だね。

前半の部分のラースの気持ち悪さというか、ダッチワイフを本当の彼女と思い込んでいる彼の異常さはすごい上手く表現されている。彼自身の表情と周りのリアクションで。

ちょっと気持ち悪いと思うくらいw

映画の作りもすごい丁寧だし、イギリス映画独特の曇った映像もいい。全員のファッションセンスのダサイ感じがイギリスを上手く表現しているしねw

この作品は人の温かさやラースの心理の変化で感動を誘う部分がある。最後のほうはダッチワイフに表情があるように見えるんだw 本当だよ。ダッチワイフの悲しげな表情をみるだけでも価値があるよ。いや、もちろん実際には表情の変化はないけどね。そう見えるんだ。

ただ、周りの人が優しくしている理由をラースの純粋さがあるからという形で描写されているんだけど、そこは違うな〜と思う。

どちらかというかみんなはラースとダッチワイフに優しくする事で、どっか救われているんだ。人に優しくすると自分もうれしい。というのがあるけれど、自分がうれしくないりたいから、人に優しくするというように見えた。

彼らが優しいのは、ラースの純粋さもあるけれど、むしろ彼らが救われたいと思っているからなんだ。

人が優しくするのは、自分自身も救われたいからという部分が描けているともっと良かったような気がする。

映画としてはすごい面白いし、感動するよ。

自分にとってはラストのオチがあんまり納得できない部分もあるのだけれど、それは個人の問題、映画自体は完成度が高い。

まずダッチワイフを本当の彼女と思いこんでいる男の物語を映画にしただけでもすばらしよw

是非一度ごらんあれ。

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