2018年07月09日
梅の巻 第18帖
自分で自分のしていることわかるまいがな、Θがさしているのざから、人間の頭ではわからん、仕組通りに使われて身魂の掃除の程度に使われて、使い分けられているのぢゃぞ、早う人間心捨ててしもうてΘの申す通りに従いて下されよ、それがおぬしの得(徳?)と申すものぢゃぞ、一家の為ぞ、国の為ぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御為ざぞ。今までになかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦いで、戦(いくさ)で世の立て替えするつもりであったが、あまりに曇りひどいから、戦ばかりでは、隅々までは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦ばかりでないぞ、家の中キチンと食べ物大切がカイ(始め、開、甲斐)の御用と申してあろうがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌(ふんどし)いらんと申してあろう。
十二月四日、一二Θ。
自分で自分のしていることが分からないくらいが良いのかもしれませんね。身魂の掃除の必要な程度が、小さければ小さいなりの、大きければ大きいなりの仕組が使い分けられているそうです。
その苦労に立ち向かうことが身魂の掃除になるようです。一家のため、国のため、世界の民のため、天地の御ためだそうです。
始めは戦争で立て替えをするつもりだったそうです。しかし、あまりに人民の心が汚れているので、世界の隅々まで掃除するために、戦争以外の方法も使うそうです。その一つが「カイの御用」。つまり、一人ひとりの心の掃除から。まずは、「家の中キチン」と「食べ物大切」がその手始めということです。
今度の岩戸は開けっぱなしというのは、当面、期限を切らずその間に各自「改心せよ」ということでしょう。戦いのために気を引き締める「ふんどし」もいりません。心の戦いです。
岩戸が閉まることは、最終最後の「最後の審判」を意味していると思われます。
十二月四日、一二Θ。
自分で自分のしていることが分からないくらいが良いのかもしれませんね。身魂の掃除の必要な程度が、小さければ小さいなりの、大きければ大きいなりの仕組が使い分けられているそうです。
その苦労に立ち向かうことが身魂の掃除になるようです。一家のため、国のため、世界の民のため、天地の御ためだそうです。
始めは戦争で立て替えをするつもりだったそうです。しかし、あまりに人民の心が汚れているので、世界の隅々まで掃除するために、戦争以外の方法も使うそうです。その一つが「カイの御用」。つまり、一人ひとりの心の掃除から。まずは、「家の中キチン」と「食べ物大切」がその手始めということです。
今度の岩戸は開けっぱなしというのは、当面、期限を切らずその間に各自「改心せよ」ということでしょう。戦いのために気を引き締める「ふんどし」もいりません。心の戦いです。
岩戸が閉まることは、最終最後の「最後の審判」を意味していると思われます。
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