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2018年05月07日

地震の巻 第5帖

全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性を持ち、同じ質を持ち、神そのものの現われの一部である。過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成り立っている。部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜が生ずる。本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ。影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きかけ得る真は、真実の真ではない。悪はすべてを自らつくり得、生み得るものと信じている。善はすべてが神から流れ来たり、自らは何ものをもつくり得ぬものと信じている。故に、悪には本来の力は無く、影にすぎない。善は無限の力を受けるが故に、ますます弥栄する。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるものではない。何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。地上人的に制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来たす場合もあるが、それはいずれもが弥栄である。これを死後の生活にうつされた場合もまた同様であって、そこには地獄的なものはあり得ない。川上で濁しても川下では澄んでいると同様である。要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、さらに超大歓喜に向かって弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。しかし、天国や極楽があると思念することは、すでに無き地獄を自らつくり出し、生み出す因(もと)である。本来なきものをつくり出し、一を二に分ける。だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念するところに地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。一あり二と分け、離れてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生まれる。すなわち、一は二にして、二は三である。生前であり、生後であり、死後であり、なおそれらのすべてはΘである。Θは渦右巻き小.jpgでありΘであり、✓と集約される。故に、これらのすべては無にして有である。人の生後、すなわち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄するところに尽きざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、さらに三の段階へと弥栄浄化する。浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。故に、神の中に神としてすべてが弥栄ゆるのである。悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。歓喜に審判なく、神に戒律はない。戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。このことは自らを切断することである。裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、すべてはこれ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。行為は結果である。思念は原因である。原因は結果となり、結果はただ、結果のみとして終わらず、新しい原因を生む。生前の霊人は、生後の地上人を生む。地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、さらに原因となりて生前の霊人を生む。Θは渦右巻き小.jpgとなりて廻り、極まるところなくして弥栄える。以上述べたところによって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。されば、常に歓喜に向かってのみ進むのである。これはただ、霊人や地上人のみではない。あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。故に地上世界の悉くは生前世界にあり、かつ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一である。生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。地上におけるすべては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像のごとく感覚されるものである。しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。


posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震の巻
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