2018年11月11日
「化儀抄はクソ」と言った某幹部の登壇を見て
本日は御報恩御講でした、今月の拝読御書は「兄弟抄」。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる。」の御金言は顕正会時代にもよく耳にしていましたね。
さて、その中で三障四魔についてですが、顕正会では「三障」は基礎驚愕書や折伏理論書に書かれているものの四魔については折伏理論書では天子魔について軽く触れただけで他は書かれていませんね。基礎教学書になると天子魔すら削除されています。
では「四魔」とは何でしょうか?
四魔とは「煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔」の4つの魔ですね。
「日蓮正宗入門」によりますと
「煩悩魔」とは煩悩が心を悩乱させ、仏道修行者が菩提を得ようとする智慧の命を奪う魔をいい、「陰魔」とは五陰魔ともいい、人間の肉体と精神を構成する五陰(色・受・想・行・識)の調和を乱す病気など、仏道修行に障害をなす魔のことで、「死魔」とは仏道修行者が死によって修行を続けることができなることや、身近な人の死などで正法への疑いを起こさせる魔をいいます。
「天子魔」とは欲界の第六天の他化自在天に居住する魔王(第六天の魔王)のことで、権力者などの身に入り、修行者を惑わせて仏道を妨害する魔です。この魔は一切の障魔の根源となります。(p160)
とあります。なるほど顕正会にとって当たり障りの無いのは「天子魔」でしょうね。
この中でも特に「死魔」についてはまさしくH氏が総幹部会で登壇した「突然死」云々で日蓮正宗を誹謗している以上、都合の悪い部分だと思います。
そもそも大聖人様はいつこの信心をしていく事で長生きする等と仰せでしょうか?むしろいつ死を迎えるか分からないからこそ強盛に信心を保てと仰せなのではないでしょうか。
ところで南条時光殿の実弟の「七郎五郎」という方も若くして突然死を迎えているのを御存知でしょうか?
南条時光殿が熱原法難に於いて身を挺して信徒達を守った事で迫害を受けている最中、この「七郎五郎」という方は弘安3年6月15日に時光殿と共に身延に参詣し、16歳にして初めて大聖人様にお目通り申し上げています。
大聖人様におかれても「あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひし」(御書P1496)と称賛されましたがその3ヵ月後に急逝されているのです。
↑(暁鐘出版 御在世の信徒たち)より
これを見るに、H氏の登壇にあるような「突然死」云々は日蓮正宗が間違っているという証明にはなり得ないのです。もし突然死が間違っているのなら「死魔」を否定し、南条時光殿を否定し、南条時光殿が信仰する大聖人様を否定する事となるのです。
ところで新しい新聞を見てひときわ憤りを感じるのはI理事の登壇でした。
お寺に夜の7時に行ったとの事ですがアポとってから行ってるんでしょうかね? 普段着で現れたとの事ですが別に珍しい事ではありません、袈裟・衣とは日蓮正宗の御僧侶の正装です。食事をしたり掃除をしたりする時など汚れないように普段着の格好をするのはしごく当然の話です。
バカここに極めたりと思うのが「権威付けをする為に袈裟衣に着替えた」等とほざいている所ですね、謗法の大無礼者であってもきちんと正装で対応されたという事でしょうが、何が権威付けか、バカも休み休み言えと言いたいものです。
また宗門の御遺命破壊を認めたとか言っていますが、正本堂が御遺命の戒壇であるような発言を認めたという事だと思います、多分御尊師は当然の事ながら昭和47年の訓諭を仰っているはずです。よって確かに創価学会の誑惑の中で正本堂が御遺命の戒壇と捉えられる発言が過去にあったとしても、訓諭に於いて日達上人が「御遺命の戒壇では無い」として終わっている以上、御遺命破壊など無いのは明らかなのです。
その破折をこの大馬鹿者は隠している事は明々白々なのです。
さらに事もあろうか御尊師様に対して「お前が還俗をかけていたら還俗決定だぞ」と無礼千万な事をほざくこの大謗法者にはまさに怒髪天を突くような憤りを感じます。
袈裟衣を特権階級だと思ってる。とかいうこの謗法者。あまりハッキリとは申せませんがこの男は御書を持っている可能性が高いのです、知っているハズですが御書には僧と檀那の違いが多々書かれています。
http://toyoda.tv/sozoku.htm
特にこの謗法者は20代の若き御僧侶という事で舐めてかかったのでしょうね。日興上人は「若輩たりと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。」と仰せになっています、これは出家したばかりの御小僧さんであっても在家で地位のある年功者よりも上であるという事なのです。 ましてや20代とはいえ執事様とはきちんと教師としての資格を得た御尊師様なのです。
日達上人の臨終云々の事に関してはもう言うまでも無いでしょうが、御宗門には日達上人に最も近い寺族や孫などがいらっしゃる中で「縁戚が言っていた」とか恥ずかしげもなくよく言えたもんだと謗法のたわけ者の悩乱者には首をかしげるしかありません。
そして宗門の公式HP云々の件ですが、古来より事の戒壇とは戒壇の大御本尊様在す所であるのはいささかも変わりはありません。
https://kenshokai-hashaku.com/post-112/
https://kenshokai-hashaku.com/post-118/
https://kenshokai-hashaku.com/post-124/
このトチロ〜さんのブログに解説がありますね。
そして件の宗門HPとは
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/honzon/honzon_j.htm
の事だと思いますがこれは「文底秘沈抄」によるので事相の戒壇の説明となります。また現時に於ける安置の場所だとも書かれていませんね
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/gosho/113.htm
では三大秘法稟承事で、ここには「本門戒壇の大御本尊の在す所は、まさに現時における事の戒壇」としっかり書かれていますね。やはり事の戒壇とは戒壇の大御本尊様が在す所こそ事の戒壇となります。
そもそも第43世日相上人がここにあるように
「富士山戒壇の御本尊御在所は事の戒なり」「在々處々本尊安置の處は理の戒壇なり」
と日寛上人の御指南を書写されている以上、やはり戒壇の大御本尊様在す所、事の戒壇なのです。
またこのHPに於いても「本門寺の事の戒壇を建立せよとの御遺命を、一日片時かたときも忘れることなく、大法広布に精進していくことが肝要なのです。」と書かれている事から、日蓮正宗に於いては御遺命を捨てて等いないという事がハッキリと分かると思います。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる。」の御金言は顕正会時代にもよく耳にしていましたね。
さて、その中で三障四魔についてですが、顕正会では「三障」は基礎驚愕書や折伏理論書に書かれているものの四魔については折伏理論書では天子魔について軽く触れただけで他は書かれていませんね。基礎教学書になると天子魔すら削除されています。
では「四魔」とは何でしょうか?
四魔とは「煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔」の4つの魔ですね。
「日蓮正宗入門」によりますと
「煩悩魔」とは煩悩が心を悩乱させ、仏道修行者が菩提を得ようとする智慧の命を奪う魔をいい、「陰魔」とは五陰魔ともいい、人間の肉体と精神を構成する五陰(色・受・想・行・識)の調和を乱す病気など、仏道修行に障害をなす魔のことで、「死魔」とは仏道修行者が死によって修行を続けることができなることや、身近な人の死などで正法への疑いを起こさせる魔をいいます。
「天子魔」とは欲界の第六天の他化自在天に居住する魔王(第六天の魔王)のことで、権力者などの身に入り、修行者を惑わせて仏道を妨害する魔です。この魔は一切の障魔の根源となります。(p160)
とあります。なるほど顕正会にとって当たり障りの無いのは「天子魔」でしょうね。
この中でも特に「死魔」についてはまさしくH氏が総幹部会で登壇した「突然死」云々で日蓮正宗を誹謗している以上、都合の悪い部分だと思います。
そもそも大聖人様はいつこの信心をしていく事で長生きする等と仰せでしょうか?むしろいつ死を迎えるか分からないからこそ強盛に信心を保てと仰せなのではないでしょうか。
ところで南条時光殿の実弟の「七郎五郎」という方も若くして突然死を迎えているのを御存知でしょうか?
南条時光殿が熱原法難に於いて身を挺して信徒達を守った事で迫害を受けている最中、この「七郎五郎」という方は弘安3年6月15日に時光殿と共に身延に参詣し、16歳にして初めて大聖人様にお目通り申し上げています。
大聖人様におかれても「あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひし」(御書P1496)と称賛されましたがその3ヵ月後に急逝されているのです。
↑(暁鐘出版 御在世の信徒たち)より
これを見るに、H氏の登壇にあるような「突然死」云々は日蓮正宗が間違っているという証明にはなり得ないのです。もし突然死が間違っているのなら「死魔」を否定し、南条時光殿を否定し、南条時光殿が信仰する大聖人様を否定する事となるのです。
ところで新しい新聞を見てひときわ憤りを感じるのはI理事の登壇でした。
お寺に夜の7時に行ったとの事ですがアポとってから行ってるんでしょうかね? 普段着で現れたとの事ですが別に珍しい事ではありません、袈裟・衣とは日蓮正宗の御僧侶の正装です。食事をしたり掃除をしたりする時など汚れないように普段着の格好をするのはしごく当然の話です。
バカここに極めたりと思うのが「権威付けをする為に袈裟衣に着替えた」等とほざいている所ですね、謗法の大無礼者であってもきちんと正装で対応されたという事でしょうが、何が権威付けか、バカも休み休み言えと言いたいものです。
また宗門の御遺命破壊を認めたとか言っていますが、正本堂が御遺命の戒壇であるような発言を認めたという事だと思います、多分御尊師は当然の事ながら昭和47年の訓諭を仰っているはずです。よって確かに創価学会の誑惑の中で正本堂が御遺命の戒壇と捉えられる発言が過去にあったとしても、訓諭に於いて日達上人が「御遺命の戒壇では無い」として終わっている以上、御遺命破壊など無いのは明らかなのです。
その破折をこの大馬鹿者は隠している事は明々白々なのです。
さらに事もあろうか御尊師様に対して「お前が還俗をかけていたら還俗決定だぞ」と無礼千万な事をほざくこの大謗法者にはまさに怒髪天を突くような憤りを感じます。
袈裟衣を特権階級だと思ってる。とかいうこの謗法者。あまりハッキリとは申せませんがこの男は御書を持っている可能性が高いのです、知っているハズですが御書には僧と檀那の違いが多々書かれています。
http://toyoda.tv/sozoku.htm
特にこの謗法者は20代の若き御僧侶という事で舐めてかかったのでしょうね。日興上人は「若輩たりと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。」と仰せになっています、これは出家したばかりの御小僧さんであっても在家で地位のある年功者よりも上であるという事なのです。 ましてや20代とはいえ執事様とはきちんと教師としての資格を得た御尊師様なのです。
日達上人の臨終云々の事に関してはもう言うまでも無いでしょうが、御宗門には日達上人に最も近い寺族や孫などがいらっしゃる中で「縁戚が言っていた」とか恥ずかしげもなくよく言えたもんだと謗法のたわけ者の悩乱者には首をかしげるしかありません。
そして宗門の公式HP云々の件ですが、古来より事の戒壇とは戒壇の大御本尊様在す所であるのはいささかも変わりはありません。
https://kenshokai-hashaku.com/post-112/
https://kenshokai-hashaku.com/post-118/
https://kenshokai-hashaku.com/post-124/
このトチロ〜さんのブログに解説がありますね。
そして件の宗門HPとは
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/honzon/honzon_j.htm
の事だと思いますがこれは「文底秘沈抄」によるので事相の戒壇の説明となります。また現時に於ける安置の場所だとも書かれていませんね
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/gosho/113.htm
では三大秘法稟承事で、ここには「本門戒壇の大御本尊の在す所は、まさに現時における事の戒壇」としっかり書かれていますね。やはり事の戒壇とは戒壇の大御本尊様が在す所こそ事の戒壇となります。
そもそも第43世日相上人がここにあるように
「富士山戒壇の御本尊御在所は事の戒なり」「在々處々本尊安置の處は理の戒壇なり」
と日寛上人の御指南を書写されている以上、やはり戒壇の大御本尊様在す所、事の戒壇なのです。
またこのHPに於いても「本門寺の事の戒壇を建立せよとの御遺命を、一日片時かたときも忘れることなく、大法広布に精進していくことが肝要なのです。」と書かれている事から、日蓮正宗に於いては御遺命を捨てて等いないという事がハッキリと分かると思います。
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