2017年12月17日
顕正会員との対話。不敬の御開扉?
今日、ときわ台の東京会館近くの公園で顕正会員の方への折伏を試みようと思いましたが寒さのせいか誰も座っていない。
とりあえず温かい飲み物を飲みながらベンチに座っていると外国人のお兄さんが女子部の方に連れてかれていきました。「あぁ入信勤行だな・・」と思ったら外国人のお兄さんは一人で戻ってきました。
そしたらそのお兄さんは自分に声をかけ「お兄さんここ何の施設?怪しいから逃げてきちゃったよー」と言うので説明してたら女子部の人が追ってきたので女子部二名と話しました。
話すと「御開扉は2万円かかるんでしょ!」とか「浅井先生は御開扉受けてなんかない!」とかデタラメ言ってきたので話していきましたが途中で「もういいです!」と逃げようとしたので私が「日蓮正宗は破折しなくていいんですか?これだけ世の中に謗法がはびこって、破折しないでどうやって広宣流布なんてするんですか!」と言うと会館に通報しにいきました。
私は外国人のお兄さんに「今のうちに逃げた方がいいですよ」と言うと「お兄さんも逃げた方がいいんじゃない?面倒な事になりそうだよ」と気遣ってくださいましたが私は「大丈夫、僕は正々堂々と話するから!」と
言い外国人のお兄さんは私に礼を言い去って行きました。
そして「さあいつでも来い!」と構えていると会館衛護が来て弱々しく一言、「声かけないでください」と言うので私が「公園の敷地内で布教するのは自由ですよね」と言いましたが逃げるように会館に去っていきました。
何とも情けない話です。
ちなみに外国人のお兄さん曰く「観光だ」と言われろくに説明もされず連れてかれたみたいです。
とりあえず一人邪教に染まらずに良かったですが・・
私が現役だったとしてもろくに仏法の話もせずに入信させるなど折伏ではないだろう!と思ってしまいます。
それにしても御開扉が2万だとか、私はビックリして「誰から聞いたんですか?」と問うと「元学会の人」とか・・
このようなデタラメを聞いた人が集会の登壇で活動報告として登壇しているんでしょう。
日達上人から日顕上人の相承も成されていない、と言うので「じゃあ日目上人から日道上人の相承は説明できますか?」と言うと黙ってしまうし
思うのは何故法華講員から逃げるのか?対論できないならできる人を連れてくればいいのではないですか?
相手をしなくていい等といつ大聖人様が仰せになりましたか?
また浅井会長が御開扉を受けていない等と確信を持って言い切るとは・・
浅井会長が御開扉を受けた文証はいくらでもあります
昭和39年1月
浅井甚兵衛 講演
本日このめでたい正月五日に登山のおまねきを賜りました。
只今、三千達成の御報告を本門戒旦の大御本尊様に申し上げました。(拍手)(冨士 昭和39年1月号)
昭和39年8月
渇仰の思いであった御開扉は第六十六世日達上人猊下の大導師のもとに午后一時三十分から奉安殿で行われ、講頭先生(※甚兵衛)を中心とした一同は熱い感涙にむせんだ。(冨士 昭和39年8月号)
【証拠@】
「気にかかっておりました台風二十三号もなんら障礙もなく、本日ここに妙信講の全講員無事に戒壇の大御本尊に御内拝を遂げ奉ったこと、誠におめでとうございました」
(『富士』昭和46年9月号8ページ)
これは浅井会長が御開扉を受けたことの有り難さを祝っているもの。
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【証拠A】
妙信講は法華講連合会への参加を拒んだことにより、登山停止を受けている。
しかし、後のそれが許され、御開扉を受けている。以下はその事の特集記事
冨士 昭和46年9月号 「総本山御登山 特別報道」
「総本山御登山特別報道」より抜粋
九千突破の中に迎えた期を画する妙信講の総登山は、絶好の天候にめぐまれた八月二十八日(土)勇躍の講員二千百名が参加して盛大に挙行された。
この総登山は、昨年十月の六年ぶりの総登山以来、一万達成までは再ぴ戒壇の大御本尊へのお目通りは叶わぬものと、ひたすら大法弘通に選進する中に、はからずも貌下よりお許しを給わったもので、講員一同の感激は一通りではなかった。
(冨士 昭和46年9月号)
【証拠B】
講頭講演 冒頭部分(浅井甚兵衛氏)
只今御開扉を給わった本門戒壇の大御本尊は、宗祖日蓮大聖人出世の本懐、仏法の極理、最大深秘の大御本尊でありまして、事の広宣流布の時至らば国立の大戒壇堂に御安置さるべき大御本尊であります。日本民族をはじめ世界の人類が救済される誠に尊極無上の大御本尊であります。今私共は、宿縁深厚にして時至らざるに内拝を賜ることは、幸いこれに過ぐるものはありません。
(冨士 昭和46年9月号)
【証拠C】
「以来、妙信講は総本山の御会式に参詣も叶わず、正月登山も出来ずにおります。およそ御開扉を断絶される事は、正宗信徒として『死ね』と云うことであります。」
試練と忍従
(『顕正会「試練と忍従」の歴史』36ページ下段)
「私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。」
(『顕正会「試練と忍従」の歴史』 30ページ下段)
「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』 255ページ)
→ 戒壇の大御本尊が正本堂に御遷座された翌年の昭和48年に、妙信講が正本堂にて御開扉を願い出たことを証明するもの。
現在の顕正会は
「宗門は正本堂を御遺命の戒壇であると断言した」 と主張し、最近では正本堂のことを 「偽戒壇」 と呼んでいますが、
妙信講(顕正会)はその正本堂においてさえ御開扉を願い出ている。
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日寛上人時代にも 御開扉 御内拝 が存在していた証拠
● 「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義・富要十巻131頁)
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「上野殿が、熱原の大法難の事後処理で、心ならずも長い間身延の大聖人のもとに参詣することができなかったとき、大聖人様はお手紙で
『参詣遥かに中絶せり、急々に来臨を企つべし、是にて待ち入って候べし』
と仰せられた。
いま顕正会も、御遺命守護の御奉公のゆえに登山を妨害されてすでに歳久しい。
しかしこの重大な御奉公を命かけて成し遂げたとき、必ず大聖人様の御意に叶って登山が叶うことを、私は確信しております。
その時こそ、全顕正会員ともに手を携え、晴れて、涙の中に、戒壇の大御本尊様にお目通りをさせて頂こうではありませんか。(大拍手)」
(『「学会・宗門」抗争の根本原因』 451ページ)顕正新聞 平成3年7月5日
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と、これだけの文証があるのです。
浅井会長は自ら御開扉を受けて、願いを出しておきながら「不敬の御開扉」などと言い僧宝を謗る謗法行為。
これで大聖人様の御遺命を守る仏弟子の団体などと言えますか?
とりあえず温かい飲み物を飲みながらベンチに座っていると外国人のお兄さんが女子部の方に連れてかれていきました。「あぁ入信勤行だな・・」と思ったら外国人のお兄さんは一人で戻ってきました。
そしたらそのお兄さんは自分に声をかけ「お兄さんここ何の施設?怪しいから逃げてきちゃったよー」と言うので説明してたら女子部の人が追ってきたので女子部二名と話しました。
話すと「御開扉は2万円かかるんでしょ!」とか「浅井先生は御開扉受けてなんかない!」とかデタラメ言ってきたので話していきましたが途中で「もういいです!」と逃げようとしたので私が「日蓮正宗は破折しなくていいんですか?これだけ世の中に謗法がはびこって、破折しないでどうやって広宣流布なんてするんですか!」と言うと会館に通報しにいきました。
私は外国人のお兄さんに「今のうちに逃げた方がいいですよ」と言うと「お兄さんも逃げた方がいいんじゃない?面倒な事になりそうだよ」と気遣ってくださいましたが私は「大丈夫、僕は正々堂々と話するから!」と
言い外国人のお兄さんは私に礼を言い去って行きました。
そして「さあいつでも来い!」と構えていると会館衛護が来て弱々しく一言、「声かけないでください」と言うので私が「公園の敷地内で布教するのは自由ですよね」と言いましたが逃げるように会館に去っていきました。
何とも情けない話です。
ちなみに外国人のお兄さん曰く「観光だ」と言われろくに説明もされず連れてかれたみたいです。
とりあえず一人邪教に染まらずに良かったですが・・
私が現役だったとしてもろくに仏法の話もせずに入信させるなど折伏ではないだろう!と思ってしまいます。
それにしても御開扉が2万だとか、私はビックリして「誰から聞いたんですか?」と問うと「元学会の人」とか・・
このようなデタラメを聞いた人が集会の登壇で活動報告として登壇しているんでしょう。
日達上人から日顕上人の相承も成されていない、と言うので「じゃあ日目上人から日道上人の相承は説明できますか?」と言うと黙ってしまうし
思うのは何故法華講員から逃げるのか?対論できないならできる人を連れてくればいいのではないですか?
相手をしなくていい等といつ大聖人様が仰せになりましたか?
また浅井会長が御開扉を受けていない等と確信を持って言い切るとは・・
浅井会長が御開扉を受けた文証はいくらでもあります
昭和39年1月
浅井甚兵衛 講演
本日このめでたい正月五日に登山のおまねきを賜りました。
只今、三千達成の御報告を本門戒旦の大御本尊様に申し上げました。(拍手)(冨士 昭和39年1月号)
昭和39年8月
渇仰の思いであった御開扉は第六十六世日達上人猊下の大導師のもとに午后一時三十分から奉安殿で行われ、講頭先生(※甚兵衛)を中心とした一同は熱い感涙にむせんだ。(冨士 昭和39年8月号)
【証拠@】
「気にかかっておりました台風二十三号もなんら障礙もなく、本日ここに妙信講の全講員無事に戒壇の大御本尊に御内拝を遂げ奉ったこと、誠におめでとうございました」
(『富士』昭和46年9月号8ページ)
これは浅井会長が御開扉を受けたことの有り難さを祝っているもの。
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【証拠A】
妙信講は法華講連合会への参加を拒んだことにより、登山停止を受けている。
しかし、後のそれが許され、御開扉を受けている。以下はその事の特集記事
冨士 昭和46年9月号 「総本山御登山 特別報道」
「総本山御登山特別報道」より抜粋
九千突破の中に迎えた期を画する妙信講の総登山は、絶好の天候にめぐまれた八月二十八日(土)勇躍の講員二千百名が参加して盛大に挙行された。
この総登山は、昨年十月の六年ぶりの総登山以来、一万達成までは再ぴ戒壇の大御本尊へのお目通りは叶わぬものと、ひたすら大法弘通に選進する中に、はからずも貌下よりお許しを給わったもので、講員一同の感激は一通りではなかった。
(冨士 昭和46年9月号)
【証拠B】
講頭講演 冒頭部分(浅井甚兵衛氏)
只今御開扉を給わった本門戒壇の大御本尊は、宗祖日蓮大聖人出世の本懐、仏法の極理、最大深秘の大御本尊でありまして、事の広宣流布の時至らば国立の大戒壇堂に御安置さるべき大御本尊であります。日本民族をはじめ世界の人類が救済される誠に尊極無上の大御本尊であります。今私共は、宿縁深厚にして時至らざるに内拝を賜ることは、幸いこれに過ぐるものはありません。
(冨士 昭和46年9月号)
【証拠C】
「以来、妙信講は総本山の御会式に参詣も叶わず、正月登山も出来ずにおります。およそ御開扉を断絶される事は、正宗信徒として『死ね』と云うことであります。」
試練と忍従
(『顕正会「試練と忍従」の歴史』36ページ下段)
「私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。」
(『顕正会「試練と忍従」の歴史』 30ページ下段)
「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』 255ページ)
→ 戒壇の大御本尊が正本堂に御遷座された翌年の昭和48年に、妙信講が正本堂にて御開扉を願い出たことを証明するもの。
現在の顕正会は
「宗門は正本堂を御遺命の戒壇であると断言した」 と主張し、最近では正本堂のことを 「偽戒壇」 と呼んでいますが、
妙信講(顕正会)はその正本堂においてさえ御開扉を願い出ている。
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日寛上人時代にも 御開扉 御内拝 が存在していた証拠
● 「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義・富要十巻131頁)
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「上野殿が、熱原の大法難の事後処理で、心ならずも長い間身延の大聖人のもとに参詣することができなかったとき、大聖人様はお手紙で
『参詣遥かに中絶せり、急々に来臨を企つべし、是にて待ち入って候べし』
と仰せられた。
いま顕正会も、御遺命守護の御奉公のゆえに登山を妨害されてすでに歳久しい。
しかしこの重大な御奉公を命かけて成し遂げたとき、必ず大聖人様の御意に叶って登山が叶うことを、私は確信しております。
その時こそ、全顕正会員ともに手を携え、晴れて、涙の中に、戒壇の大御本尊様にお目通りをさせて頂こうではありませんか。(大拍手)」
(『「学会・宗門」抗争の根本原因』 451ページ)顕正新聞 平成3年7月5日
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と、これだけの文証があるのです。
浅井会長は自ら御開扉を受けて、願いを出しておきながら「不敬の御開扉」などと言い僧宝を謗る謗法行為。
これで大聖人様の御遺命を守る仏弟子の団体などと言えますか?
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