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2013年03月29日

祖母の葬式での後日談

3月中に祖母の葬式へ行った話を書きました。
そのときに何気に気になったのは、7年前の祖父の葬式であったオジサンのこと。
今回は来ていないようで、どうしたのかなと思っていたのですが・・・



そのオジサン、自分が小さい頃によく面倒を見てもらった方です。
小学生ぐらいまでは遊びにいっていたのですが、大きくなるにつれ、ゲスな自分も多感な時期になり、
なんとなく照れくさくてあまり会いにいかなかったのですが、7年前に会ったときは久々に話をしました。
そのときも話題になったのは、太って貫禄がついたことでした。
「どこかの会社の課長さんかと思ったぞ」と言われたぐらいですから(笑



オジサン自身の話をきくと、定年退職をした後も別な職場で仕事を続けているようで、
笑い方なども自分が3歳〜6歳のときのイメージのままで、体も健康なようです。
そのときは無職だったので、今後に対する色々なアドバイスなどもしてくれました。



そんなオジサンと、祖母の葬式でまた会えると思っていたのですが、自分がいる間、その姿を確認することは出来ませんでした。
まあ、自分がいない間に来ているかもしれないし、何か用事があって来られないのかなと軽く考えていたのですが、葬式が終わった後に母に聞いてみると驚きの事実が。



何とそのオジサン、今はすっかりボケてしまったようです・・・・・・
定年後も働くぐらいパワフルだったので、自分は信じられませんでした。



ボケたといっても足腰は動くので、面倒を見ている家族は『徘徊』に悩まされているとのこと。
この徘徊、言葉は多くの方が聞いたことがあると思いますが、実際にそうなった人間の面倒をみるとなると大変です。
自分も老人の徘徊とは違いますが、似たような経験はあります。



徘徊の大変なところは、面倒を見ている家族が気を抜けないところ。
常に目を光らせて注意していたとしても、いつのまにかフラッと外に出てしまうのです。
ボケているのでどこに行ったか予想できないから、探すのも大変。
外に出ないように注意しても、相手が理解できないから意味がありません。
家の中の柱に本人をヒモでくくりつけることなんて出来ないし・・・
だから辛くても目を離さず見ている事しか出来ないのですよね。



今のところは、オジサンの息子家族が面倒をみてくれているとのことですが、
自分は時の流れの残酷さに驚きました。
当たり前のことなのでしょうが、身近な人がそうなるのは辛いですね。
それ以外にも親戚の間で話題に上るのは、健康に関することでした。
自分の母や父も60代で、周りの方々も70代〜80代。
体のアチコチにガタがきているようで、その手の話でもちきりでした。



親戚の話を聞いて痛感したのは健康の大切さです。
死ぬまで健康で有り続ければ、自分や家族にとって何よりの財産になるのだと。
不摂生しまくりの自分ですが、まだ人生50年ぐらいは残っているので、ボケないように、足腰がダメにならないように体を動かそうかなと思いました。
お金はないけど、健康なら自分の頑張りで今からでも貯蓄できますから。
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