2019年08月31日
三国志展へ
国立博物館の三国志展へ行ってきました…なんとか間に合いました、閉館前という意味と会期中という意味の2角意味で。
私はこのブログの記事傾向からわかるように、一応程度には歴史知識があります、なのでこの手の展覧会は変な予備知識だけ結構有るので見方はなんとなくわかります、一般的な見方とは全く違う方向から見てしまうのですが、色々と性がありまして。
そもそも三国志自体の史料は今後そんなに増えることはほぼ無いため、ここでは最新の考古学の性格が反映されており、特に最新の出土物と、三国志の受容史的な部分を中心にした展覧会となっています。
なので関係者の墓などから出てきたものが主体であり、当時の有力者たちの副葬品などが中心となります。史料には見られない太平道(黄巾の乱のあれ)でも五斗米道でもない第3の原始道教集団が考古学的に確認できることや、当時の建物等のミニチュア、錆びた武器やミニチュアの船など、三国時代の文物からなるべく余りわからない三国時代を再現しようと言う試み。
最後は三国時代の終焉、呉の滅亡、この呉の滅亡を示す小さな石碑が呉の首都付近で発見され、その短い文章で時代そのものの終焉を示し、展覧会は終了する事になります。
混雑はそこそこしてました、閉館滑り込みの割には人いましたし。
一応かなりいろんなところへ行っているのですが、書いている暇がなくずーっとブログ放置状態、新島新潟仙台など色々行ってはいるのですが…。
私はこのブログの記事傾向からわかるように、一応程度には歴史知識があります、なのでこの手の展覧会は変な予備知識だけ結構有るので見方はなんとなくわかります、一般的な見方とは全く違う方向から見てしまうのですが、色々と性がありまして。
そもそも三国志自体の史料は今後そんなに増えることはほぼ無いため、ここでは最新の考古学の性格が反映されており、特に最新の出土物と、三国志の受容史的な部分を中心にした展覧会となっています。
なので関係者の墓などから出てきたものが主体であり、当時の有力者たちの副葬品などが中心となります。史料には見られない太平道(黄巾の乱のあれ)でも五斗米道でもない第3の原始道教集団が考古学的に確認できることや、当時の建物等のミニチュア、錆びた武器やミニチュアの船など、三国時代の文物からなるべく余りわからない三国時代を再現しようと言う試み。
最後は三国時代の終焉、呉の滅亡、この呉の滅亡を示す小さな石碑が呉の首都付近で発見され、その短い文章で時代そのものの終焉を示し、展覧会は終了する事になります。
混雑はそこそこしてました、閉館滑り込みの割には人いましたし。
一応かなりいろんなところへ行っているのですが、書いている暇がなくずーっとブログ放置状態、新島新潟仙台など色々行ってはいるのですが…。
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