八百屋お七の日
3月29日は「八百屋お七の日」。
1683年3月29日、18歳の八百屋の娘お七が放火の罪で3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑にされた。
お七の家は天和の大火で焼け、親とともに正仙院に避難。
寺での避難生活のうちに、生田庄之介と恋仲に。
家が立て直され、お七一家は寺を引き払うが、お七は庄之介が忘れられず、彼への思いは募るばかり。
お七はもう一度家が燃えれば彼と一緒にまた過ごせると考え、家に火を放った。
火はすぐに消し止められ小火にとどまったが、お七は放火の罪で捉えられ、火あぶりの刑にされた。
というのが「天和笑委集」に載っている話だぞう。
実際はお七の実態はよくわかっていない。
実在に疑問を呈している専門家もいるぐらい。
なぜこの話が知られるようになったかというと、井原西鶴の浮世草子「好色五人女」で恋草からげし八百屋物語として取り上げられたからです。
それから歌舞伎、文楽などで題材に使われるようになりました。
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