新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年08月29日
「反面教師」から子育てを学ぶ!親の願いは自分のコピーにはなって欲しくない!
「ばばあ2」
何処の親でも、自分の悪い所は子供に受け継いで欲しくないと願うのが親心です。どうしたら、受け継がないのでしょう。
前回の題材はあえて「子は親の鏡」で記事を書きました。それは、今回の「反面教師」に育てるための序章になるのではないかと思いました。では、反面教師として育っている子供達はどのような子供なのでしょう。語源から調べていきます。
1.「反面教師」の意味
よく耳にしますが、どのような意味なのか皆さんはご存じでしょうか?実際の意味について調べてみました。
反面教師(はんめんきょうし)とは、反省の材料となるような人や事例を指す。中国共産党中央委員会主席の毛沢東により発案された言葉で、中国語の原語では「反面教员」である。
日本の似たような諺に「人のふり見て我がふり直せ」というものがあるが、毛沢東の原典ではさらに詳細な意図が語られている。「絶対に真似したくない」と思わせる教育方法を指すこともある。
引用 Wikipedia
2.「反面教師」の実用例
引用 天安門Wikipedia
下記の言葉は実際に毛沢東が演説で使用した言葉です。
概要[編集]
組織内などに劣悪な者や間違った者がいたならば、余程の酷い状態でない限り、敢えてこれを矯正したり除外するのではなく、組織内に留め、地位や権限を与えない閑職にさせて、他の構成員にその醜態を見せ付ける事で類似した者の増殖を防ぐ、という目的で利用することを指す。1957年に行われた演説で最初に使われたとされている。
毛沢東は間違った組織を反面教師を用いた上で正しい方向に導いていくということについても説いた。毛沢東が言うには間違った組織というのは少数の間違った人物が中心となって構成されていることから組織全体が間違った状態になっており、大多数はこのことから間違った行いをするようになっているというわけである。この場合には中心にいる少数の間違った人物を孤立させた上で、その他大多数に対しては正しい教育を施すということで大部分の構成員は正しい状態へと導かれて行く。そして中心にいた間違った人物のことを反面教師と判断するようになることから組織は発展するというわけである。毛沢東は当時に広く行われていた間違った指導者を排除するということで組織を正しい方向に導くという政策を批判した。毛沢東が言うには間違った指導者であったからこそ、それが反面教師となった場合に大きな効果が期待できるというわけである。
引用 Wikipedia
日本では四字熟語であり、そんなに古くからある言葉ではなかったのです。そして、事の始まりは中国の毛沢東の演説が語源の始まりでした。内容を調べてみると意外でしたね、当たり前に使っていました。
3.「反面教師」から子育てを学ぶ
では、どのようにすれば自分の悪い面は受け継がないのでしょう。そこで前回の「子は親の鏡」がキーワードになるのです。
子供は親を見て育つのです。そして、子供は敏感に感情を察知するのです。では自分の悪い面を見せなかったらどうなのでしょうか?
・親がネガティブな言葉を発したり、親同士が喧嘩したり、汚い言葉を使うと空気が悪くなると子供は敏感に察知するのです。子供は親の言葉を素直に受け入れるのです。しかし、子供は悲しい気持ちなったりした場合は意識を変えようとするそうです。
・親の言葉や行動は子供の脳にどんどん吸収されていきます。親を「反面教師」にするには子供自身の努力と相当の意識を必要とします。
・特に重要なのは親の言うことは聞かなくても「行動」は真似をするのです。両親が本を読むのが習慣なら、子供もいずれ本を読むようになります。両親が勉強家であればその姿を見て子供も勉強の大切さを知ります。
・辛いときでも顔に出さず笑っている親の子供は辛くても笑顔でいるそうです。
上記の様に子供は勝手に「反面教師」になるのではなく、「子供自身の努力」「子供自身の決意」がそうせるようです。
4.「反面教師」に親が学ぶ
価値観は人それぞれで、自分では考えもつかない言動を言ったり、行動を起こしたりする人がいます。そのような場合は、自分がそうならないように「反面教師」として教えてくれる人だと思うことが重要なようです。
自分自身を精神的に成長させてくれるのが「反面教師」なのです。ですから親自身が逃げずに相手と向き合い、自分自身を磨くことが子供にとって学ぶべき親になるのです。
余談ですが、「反面教師」を調べていてわかった事は人(子供)を育てる基本は「自分が人の見本になれるかどうか」が重要で、自分に出来ない事を子供に求めるのではなく、まずは自分自身を育てる事が優秀な子供の育て方だそうです。
まとめ
・反面教師の意味は中国の毛沢東が言った言葉で日本の「人のふり見て我がふり直せ」と同じ意味
・反面教師は四字熟語であり、古くからある言葉ではない
・反面教師から子育てを親は学びネガティブな言葉や行動をおこさない
・反面教師に子供は育つのではなく、子供が決意して決める
・反面教師に見習う親が優秀な子をそだてる
上記の様に「反面教師」は親が育てていると勘違いしていたのですが、親の嫌な面をみてこどもが決意してなるのが「反面教師」なのです。親の行動が子供をそうさせるのです。
親は子供に努力もせずにお金を出すだけでは、子供は努力しません。いくら道具がそろっても子供は努力しないのです。親が出来ない努力を子供に要求しても、子供には届かず、努力しない親の子供は努力しないのです。耳の痛い話ですが事実なのです。
合わせて「子は親の鏡」もご参考にしてください。
当店 金券ショップ犬山HP
2018年08月27日
「子は親の鏡」事実は?同じような行動を見ては「ハッ!」とする!
「ばばあ2」
「子供は親の鏡」と言われるのですが、以前もブログで塾の面接は子供の学力ではなく、親の面接で決める先生がいらっしゃることをお話ししました。
その先生は「親を見れば子供が解るからです。」と言われました。どちらも同じことの表れなのですが、果たして「子は親の鏡」なのでしょうか?今回調べてみました。
1.「子は親の鏡」遺伝的要素
子供は父母から半分ずつもらって生まれてくるので、全てが父母と一緒とは言えません。一番近いのは兄弟姉妹ではないでしょうか。しかし、父母から貰って、努力しても変える事が出来ないものは何でしょうか。
それは「顔」「体質」「背格好」などは努力でも変える事は出来ません。
美容整形などで顔も変える事が出来たとしても「体質」や「背格好」はどうしようもありません。一生付き合っていくしかないのです。
特に影響を受けやすいのは「運動能力」「芸術面」などの才能は受けやすいようです。ただし、影響と言うことは遺伝的な要素ではなく、環境がそうさせているようです。
音楽の好きなお母さんなら子供も好きになるのでしょう。但し、音痴かそうでないかは別の様です。
2.「子や親の鏡」行動の場合
子供は親の習慣をよく見ています。
・遅刻や欠席をする両親→習慣性の問題で子供も遅刻や欠席をします。きっと親が遅刻をしても平気でいると子供もそれでいいのだと勘違いをするのではないでしょうか。
・挨拶をしない両親→子供も挨拶をする習慣がないようです。両親が挨拶をしないので子供もしなくても良いと思うのでしょう。
・子供に体罰をする両親→子供は何故、叱られてのか理由が解らない場合は、悪い事をして叱られたのではないと解釈し、今度は親が子供に体罰を受けるようになってしまうのです。
・両親が常に守ってあげる→子供は強い子になります。
3.「子は親の鏡」精神面の場合
・両親がイライラして子供を叱る→子供も怒りっぽくなりイライラした子供になりがちです。親の精神状態や接し方が子供に影響を与えるようです。
・なんでも分かち合う両親→子供が優しくなりお友達などにも分かち合う優しい子供になります。
・人を見下す両親→子供も無意識に口から出てしまうようです。そして人の価値を学歴や家柄、親の職業で差別する子供になってしますようです。
4.「子は親の鏡」こどわざ
●子は親を映す鏡
読み(ひらがな)
こは おやをうつす かがみ。
意味
子供のふるまいを、見れば、その親が、どんな親であるかを知ることができる。
解説
親の考え方や言動(げんどう)が、そのまま、鏡のように、子供に映しだされる、 ということから生まれたようです。 毎日の生活をともにし、血もつながっていれば、当然のことと思われることわざです。 子供の考え方やその行動は、親が何を大切にし、どのような生活をしているかが、 そのまま、子供に影響を与えてしまい、その結果、親に似るということだと思われます。
重要語の意味
子=子ども。親に対する語。生まれてきた人。 親=子どもに対する語。子どもを産んだ男女。父と母、子を養う人。 映す=「うつす」と読み、@物の光が別のところからきて、そこに当たって、 形や色などを表す。A他からの影響によって、他のものの性質を表す。反映する。 鏡=「かがみ」と読み、光の反射を用いて、自分の顔や姿などを映す道具。 ふるまい=動作や体のしぐさのしかた。 言動=「げんどう」と読み、口から発せられる言葉と、行動。
引用 ことわざ・子は親を映す鏡
その他 アメリカの・ロサンゼルス出身のドロシー・ロー・ノルト博士も親子関係を40年研究し続けられたそうです。「こころのチキンスープ アイの奇跡の物語」にも書かれています。どこの国でも永遠のテーマなのかもしれません。
まとめ
・「子は親の鏡」遺伝的要素は変える事が出来ないので努力をしても改善はできない
・「子は親の鏡」行動の場合は親の行動をみて子供が真似ているのと同じ
・「子は親の鏡」精神面の場合も親がイライラしたり、差別したりするとそれが正しいと子供は勘違いする
・「子は親の鏡」は昔からのことわざでもあるように、親に対しての戒めの言葉かもしれません。
以上のように基本的な生活習慣は性格形成につながるようです。良い習慣は良い性格をそだて、悪い習慣は悪い性格をそだてるともいわれます。
親自身の在り方や生活スタイルが家庭での教育の重要なカギを握っているようです。まずは子供の行動を見て自分の行動を振り返ることが大事なのかもしれません。
その他 カテゴリー「子育て」もご参考にしてください。
節約・金券情報などは下記ホームページをご覧ください
詳細 金券ショップ犬山HP
2018年08月24日
高校球児、甲子園に行くがその後は普通の人!親の期待につぶされ逃走!
「ばばあ2」
前回でもご紹介しました、甥達は子供の頃から野球一筋の人生を歩んできたのです。野球だけが出来れば良い生活を送ってきたのです。
兄は途中で他のスポーツに変わり、弟はそのまま野球を続けるのです。
1.小学生の高学年からはリトルリーグへ
義姉の息子で次男の方はピッチャーで、コントロールも良かったので、リトルリーグのチームに誘われて入るのです。
やはり、ここも親子で頑張らなければならないのですが、試合の時は祖父母も差し入れ等を交互でしなければなりません。
少年野球のお茶当番よりもハードで、金銭的にも負担がかかります。遠征費や監督、コーチへのお礼もしなければなりません。
2.中学生の時が特に重要
中学生でどれだけ頑張ったかにより、進学する高校も違ってきます。ある程度リトルリーグの試合で上位に行くチームは、それだけ有名校の目に留まり、当然のように推薦で私立高校へ行く事が出来ます。
あいにく、近隣の学校から推薦がもらえなかったり、強豪校ばかりの県では、あえて他府県の甲子園に出る事が出来そうな県の野球部へ行きます。
3.高校は寮生活が当たり前
上記でご説明しましたが、他府県の学校へ行く子供が多いのもありますが、監督やコーチの管理下で野球をします。その場合は当然生徒は自宅から通うのではなく、団体行動の競技の場合寮生活をするのです。
父母会もあり、月1回は父母会に参加しなければなりません。他府県の場合は交通費もかかります。授業料はタダでも寮費と食費と体力づくりの為の学校推奨のプロテインも購入しなければなりません。
当然のように親の負担が増すばかりなのです。
初回は71%OFF!子供の成長期応援サプリ。>>詳しくはこちら
4.運よく甲子園へ出場
高校球児のあこがれの的「甲子園球場」ばばあは野球などのスポーツ観戦には全く興味が無いのですが「高校野球」だけは別物です。
1試合にすべての情熱をかける、その姿には感動しかありません。ばばあの息子たちが子供の頃の夏休みは必ずと言ってよいほど、「高校野球」を見に行ったものです。
その「甲子園球場」へ甥の学校が行く事になりました。レギュラーではないのですが、2年生から選ばれベンチ入りしたのでした。
喜びもありますが、親の金銭的負担は大変なものです。選ばれた喜び半分、顔も青ざめるのです。
バスを1台チャーターし、親や身内の負担で1台分の人数を集めなければなりません。身内総出で行かなければならないのです。
バスは学校から来た生徒達を乗せたバスと選手の家族が手配したバスと、大阪あたりのサービスエリアで合流し、甲子園に向かうのです。
現地では学校側からの指示に従う事になります。そしてアルプススタンドへ入る順番待ちをするのです。2列に整列させられ、前の試合を見る事は出来ません。その長く感じる事と言ったら半端ではありません。
次に思うことは勝ってほしいが、また身内でお金を用立てなければならないやら、複雑な気分になるのです。運良く、甥の学校は1回戦は勝ってしまいました。家族全員青ざめましたね。そして2回戦では敗退しましたが、正直選手の家族は安堵の表情でした。
5.卒業まじかに野球部のある企業を紹介される
甥は学校からの推薦で野球部のある企業への就職を紹介されるのですが、やはり友達のいない場所での野球漬けの毎日は耐えられなくなるのです。
1年ばかりして会社を辞めて地元に戻って来ました。高校側も野球だけの人生では将来的な不安がつきまとうのは当たり前で、野球部の人員には将来困らないような資格を取らせておくようです。甥はその資格を利用し電気関係の企業に就職をします。
しかし、義姉のプライドが許さなかったようで「電柱に登っている姿はみじめに感じる。」などと言われ、会社を辞める事になるのです。
その後、どこへ行っても義姉にダメ出しをくらい、本人は生きていくすべを見失うのです。とうとう親元から沖縄まで逃げ出してしまいました。追う母親に逃げる息子、義姉の心理はばばあには理解できません。
甥は30歳になりますが、未だに人生の目標を定めきれずにいるのです。
まとめ
・リトルリーグは親も祖父母までにも負担がかる
・中学の時が重要で何処の県の高校に入るかで「甲子園」に行く確率が変わる
・高校は全寮制で学校推奨のプロテインなどを購入し、食事以外も管理される
・「甲子園」は勝ち進んでも地獄、学校側の資金源と寄付の多い学校でないと親の負担
・学校側は野球部員は卒業後に困らないような資格を取らせておく
・どの企業へ行っても親のダメ出しで続かない、ついに沖縄まで逃げる息子
日本の学校は従う生徒を作るには良いのかもしれませんが、インプットした技術をアウトプットする事を教わらないので、子供達も迷走するのでしょう。
義姉も早くに子供を外に出した分、手元に起きたいのは分かりますが、甥の事を考えると縛るだけの人生になってしまいそうです。しかし沖縄まで逃げた甥は行動力もあり、きっと自分の道を探し求める事と思います。
2018年08月22日
スポーツで極めるのは楽じゃない!スポーツ推薦の甥達のその後…兄の場合
「ばばあ2」
ばばあの義姉の息子たちは小学生の時から野球をやっていて兄弟そろってとても上手であった。
義兄も監督などをしていたせいもあり、野球漬けの毎日だったのです。
1.土日はとにかく野球
小学校に入ってからは天気の良いときは必ず野球の練習があるので、遊ぶ暇もない生活を送っていたようです。当然のように勉強には力が入りませんでした。
体格の良い甥の兄の方は、もともととても甘やかされて育って来たので、スポーツを通して精神力の鍛錬と太りすぎを直すのには良いのではないかと思っていたのです。
学年が進むにつれ体は大きくなるばかりで、一向に痩せる気配もありませんでした。とにかく野球が好きで一生懸命に練習をしていたのですが、体の大きさがハンディーになってしまったのです。
初回は71%OFF!子供の成長期応援サプリ。>>詳しくはこちら
2.高校受験はスポーツ推薦
実力はあったのですが、本人の意思とは反し、スカウトされるのは野球ではなく、レスリングや相撲、ラクビーなどでした。
結果、公立ですが全寮制のスポーツ科のある学校へ行くのです。しかし、野球の夢はあきらめきれないのです。スポーツ科があっても野球が強いわけでもないので、ラクビーのスカウトを受けることになります。
部活動をラクビーに変わるのです。そしてもともとの体格を生かし、直ぐにレギュラーになれるのです。
[トレファク引越]引越・買取・処分を一括見積
3.ラクビーで大学は推薦入学
ラクビーと言えばみんな大きな人ばかりで、甥は体格に恵まれていたのでラクビー推薦をもらえたのです。しかし、早くからラクビーをしていた人達に比べると少々遅れをとっていたようです。
スポーツの場合、推薦で授業料が必要なくても寮費や体を作るために、監督やコーチからプロテインやサプリメントを飲むように勧められるのです。その費用は半端な金額ではありませんでした。
毎日、朝から晩まで授業を受けるのではなくラクビーだけの日々で、テストも「ラクビー部・名前」で提出するだけで単位はもらえるそうですが、普通の生活からはかけ離れていたのです。
スポーツ、芸術はお金がかかるとは聞いてはいましたが、一般家庭では学校側の求める身体造りをする費用が一番大変なのでした。
4.大学3年で退学をする
このまま続けても何処まで出来るのか自信がない事、体が資本なので一生続けられない事などを理由に大学を去るのです。普通に授業料を払い、一般の学生の様にテストで単位を取っていけば残る事も出来たのです。
しかし甥はスポーツ推薦で入ったので、学力がそこまでともなっていなかったのです。退学をするしか方法がなかったようです。
5.高校の恩師の紹介で実業団へ
高校の恩師の紹介で実業団のラクビー部に入るのですが、本人に続ける自信がなく、ほどなく会社も退職するのです。
その後、スポーツだけを極めていたのでどのように人生の選択をしていったらよいのかわからず、いまだ迷走を続けるのです。
まとめ
・土日は野球漬け日々で勉強は遅れ気味
・高校受験はスポーツ推薦で入学、しかし希望の部に入らず
・ラクビー部のスカウトを受けラクビーを続ける
・大学もスポーツ推薦で入学するが先の事を考え2年で学校を退学
・スポーツだけの学生時代で、どのように生きていくのか先が見えず迷走の日々
少しスポーツがうまく出来ても、スポーツや芸術などで身を立てて行けるのはごく一部で、それまでに親の援助は計り知れないほど多額にかかるのです。
あくまでも、趣味の一環で済ますのならば良いでしょうが、身を立てる人は氷山の一角よりも厳しいようです。
2018年08月21日
体操教室へ期間限定で行っては見たもののやる気なしの子供達!
「ばばあ2」
ばばあの子供達が未満児から入っていた保育園は、お寺の経営で以前は幼稚園でしたが、息子たちが入る数年前から保育園に変わりました。
そこでの内容のご紹介と子供達の習い事で体操教室について少々お話いたします。
1.保育園でも内容は幼稚園
体操の先生が来て、体操の時間やお寺の本堂でのお茶の時間、字の勉強、ピアニカ等の時間がありました。遊ぶだけの保育園とは違うようでした。
お寺の保育園なのでお寺の行事も園児たちが参加することも多いです。花まつりなどは大きな像が来て甘茶を頂くのです。しかし、特に力を入れていたのは体操の時間でした。
2.マット運動や跳び箱
ばばあの自宅は城下町の中にあり、子供の遊ぶ場所などは一切なかったので、運動をすることなどはありませんでした。商売をしていらっしゃるお子さんが多く来ていたので、保育園の配慮でもあったようです。
ばばあが子供の頃は布団の上ででんぐり返しなどをしてよく叱られたものです。しかし、息子たちの世代はできない子供が多かったようです。
跳び箱運動も1.2段も飛べないようです。子供たちの運動能力の低下は確実に起きているようでした。
3.次男の友達のお母さんは体育教師だった
次男の友達のお母さんは、元は体育の教師だったので、退職後に新体操のコーチをしていらっしゃいました。新体操の指導の前に幼児の体操教室を開いていたので、誘われて入る事になったのです。
月謝は殆どただ同然でしたが、やはり親の手助けが必要で、遊具の準備や運動教室の終了後までは一緒に見学をしなければなりません。
仕事を持っていたばばあは中々子供たちと一緒に体育館にいる事が出来なかったのです。核家族ではなく同居だったので、仕事後に家事が待っていたのです。
少年野球の時と同じで、親子がともにならないとスポーツ系は難しいのかもしれません。
4.本人達はやる気なし
保育園の延長のような体操教室に本人達は全く興味を示すことはなかったですね。あくまでも体力づくりが理由でしたが、興味が無い物は続かないとつくづく感じました。
まとめ
・保育園の中には幼稚園と同じような内容のところもある
・最近の子供はでんぐり返しなどが出来ない
・スポーツ系の習い事は親子が一緒でないと続かない
・本人達の興味が無いものも続かない
親としては良かれと各種習い事をさせるのですが、本人達の興味が無いものは続かないですね。特にスポーツ系の習い事は親子が一緒に参加しないと続けるのは難しいです。
その後、少年野球に入るのですが、あわせてお読みください。そして習い事選びの参考にして頂ければと思います。
参考ブログ 少年野球を辞めた理由は?子も親も負担が大きい!
少年野球を辞めた理由は?子も親も負担が大きい!
「ばばあ2」
ばばあの息子たちは近所の友人の勧めで長男は小学2年から、次男は小学1年から始めました。自宅近くに遊ぶところもなく、室内で遊ぶしかなかったのです。
体力づくりの為に始めたのですが、ばばあの頃のスポーツ少年団の少年野球とは全く違っています。
1.土日の朝から16時まで
小学1年生の子供にとっては体力的にくたくたになり、帰るとすぐに夕食を食べずに寝てしまいます。宿題どころでありませんでした。何故か子供がいつも疲れた顔をしていた。
小さい子供には負担にしかなりませんでした。
2.親子で参加が当たり前
お父さん達はチームの監督やコーチ、審判などをやらなければなりません。確かに親子で出来る人たちは良いのですが、ばばあの家は土日だからと父親が休むことはありません。
ばばあも土日に仕事が入ることが多く、子供と共に参加は出来ないのです。その場合は子供の立場も不利になり、選手として選ばれることがありません。
練習を休むのも一苦労で、休みの連絡をするとみんなから遅れるので休まないように言われます。
3.順番で親のお茶当番が回ってくる
お茶当番は断ることが出来ず、監督やコーチの為にお茶の用意をして持参しなければなりません。お茶当番を断ることは絶対に出来ないのです。
その場合は仕事を休みにしてでも出かけなければなりませんでした。
4.試合の時には子供達を乗せて遠くまで遠征
殆どの場合はコーチや監督の車に乗せて行ってもらうのですが、人数が多いときは送らなければなりません。
ばばあは他人の子供を乗せて事故などでも起きた場合の事を考えると不安で、とても嫌で仕方ありませんでした。
5.練習試合には親の見学は必須
練習試合には親も応援に行かなければなりません。自分の子供が出なくてもテンション高く、応援しなければならないのが大変です。
参加しないと後から監督さんに「親が来ると子供が頑張るから、必ず参加してください」と言われるのです。
6.塾が忙しくなり辞めることに
長男はもともと動くことが嫌いで、野球もやりたくはなかったのですが、次男に付き合う形で参加しました。しかし、塾の模擬テストなどがあるようになり、日曜日に参加できなくなったので、辞める事になりました。
次男は希望して入ったのですが、もともと自由人の彼は拘束されることを一番嫌う性格です。辞めたい理由を聞いたときの答えが「自衛隊みたいで嫌!」「楽しく野球をしたかった。」と答えました。
その言葉を聞いて強要する事でもないし、楽しく野球をしていると思っていたのとは違っていたのでした。「ばばあ」からしてみれば次男の答えにホットしました。これで野球から解放される事が一番うれしかったです。
まとめ
・低学年には少々きつい練習内容でした
・昔のスポーツ少年団をイメージしていたらまっく違う
・親子で参加しないと選手に選ばれない
・お茶当番は当たり前に回ってきて拒否できない
・子供達を乗せて遠くへ遠征は親の負担も大きい
・練習試合の親の見学は必須
・自衛隊みたいで楽しくないと辞める決意をする次男
ばばあが子供の頃はスポーツ少年団に親が参加することが珍しく、よほど大きな大会が無い限りはありませんでした。今は親の負担が多すぎると思います。
監督やコーチは今と同じでボランティアですが、強要することもありませんし、楽しく体力づくりをすることが目的でした。
今や親や祖父母の参加も当たり前で、子供が少ないのも理由の一つかもしれませんが、両親がいない子供や仕事の子供は入るとみじめな思いをするだけになるのです。
「スポーツ」一つをとってもずいぶん時代が変わりましたし、家庭環境により格差も出ているように感じました。
中国での大学留学に必要な費用と生活そして教育に対しての考え方!(7年前の場合)
「ばばあ2」
ばばあの長男は以前に中国の「△華大学」へ留学していた話をしました。では費用的にどのくらいかかるのでしょうか?中国での教育は?
皆さんは、日本との物価の違いなども考えると日本の大学よりも安く行けると思いますよね。そこで、実際はどのくらい必要だったのかご紹介いたします。
1.ビザ申請
中国でするのではなく日本の領事館に出しますので、日本の物価と考えてよいでしょう。数万は必要だった覚えがあります。
申請先までの領事館の費用も必要になりますし、健康診断も一緒に提出しなければなりません。健康診断費用は保険がききませんので、簡単な健康診断でも15,000円ほど必要でした。病院も指定され、どこでもよいわけではありません。
2.中国への渡航
渡航費用は格安チケットなどを利用する場合もありますが関西空港経由ならばお値打ちですが、関西空港までの費用が必要で、帰国の場合は新幹線の乗り継ぎなどが悪く、新幹線に間に合わない場合もあります。
セントレア空港を出発のセントレア着にしないと飛行場で1泊しなければならなくなります。セントレア発の場合はほぼ時間通りに出発しますが、セントレア着の場合でも時刻についたことなどはありません。平均して1時間〜2時間遅れになるか、1時間早くなるかで、予測が立ちにくいです。
費用はセントレアの場合は片道7万から8万は必要になります。中国国籍の場合は何故か往復で5万ほどでチケットが購入できます。この落差は何なのでしょう?
3.保険の費用
留学の場合は当然ですが、一般の保険会社に保険を入って行かなければなりません。1年間の費用としては30万近く必要になります。
一番高く感じましたね、但し、中国で病院にかかる場合はタクシー代なども出ますし、一流の病院を紹介されます。対応も日本語でされて、申請も楽にできるようです。
都会の学校ならばよいのですが、田舎の学校などは病院までの時間が大変ですね。
4.大学での必要な費用
授業料は日本の国公立大学より若干安い程度です。学生寮費が部屋により値段が違い、長男は2人部屋にしてくれたのですが、食事なしで、お風呂ではなく共同シャワーでも月に3万〜5万は必要になります。
安い部屋から埋まるので、すぐに年払いで安い部屋を安い押さえる必要があります。遅くなると高い部屋しか空いてないので1か月5万以上になってしまいます。ただし、1人部屋になります。
そして、留学生の建物は一番遠くになるので、教室の建物まではとても遠いです。学校の敷地自体が広大で、正面の門から裏門までの距離は名古屋駅から栄駅ぐらいまでの距離です。留学生は裏門の近くに寮があります。
中国人学生の寮とは建物が違います。中国の大学は学生が強制的に2年までは寮に入らなければなりません。たとえ大学の隣に自宅がある場合でも、規則で寮生活になり、近い人は週末には自宅に帰る人が多いそうです。
大学内の移動は自転車やバイクになります。
食事は大学近くのスーパーや屋台、大学内の売店であらかじめ購入しておいて食べる事が多かったようです。大学での学食は中国人の方々が食べる味なので、慣れるまで時間がかかると思います。
長男は平気でした。1食100円ぐらいでボリュウムのある食事です。大学内に清掃する方や学食を作る方が家を建て、子連れで住んでいるのは驚きました。
ある一角に何件も終戦後の日本の家のような建物があり、ロープに洗濯物がかかっていたので、長男はに尋ねると、大学の賄や清掃の仕事をしている人々でした。ですから、大学内はとても清掃は行き届いていました。
5.仕送り
仕送りは中国銀行に口座を作り、通帳は私が持ち、キャッシュカードを息子に持たせて日本の中国銀行へ入金し、中国で出金をする方法を取りました。
何故かといえば、送金よりも大学内に中国銀行があるので、手間も少なくて済みますし、確実に本人の手元に届きます。中国で為替手数料は日本で両替するよりもキャッシュカードを元にして出金した方が安くつきます。
元来、贅沢をする性格ではありませんので、お金がなければ無いなりの生活をしていたようです。
6.日本からの宅配便
郵便局から荷物を送るのですが、これが一番高くつきました。そして、一番神経を使うところです。よく送ったのは日本のチョコが付いたお菓子と雑誌です。
日本では当たり前のものでも、時としては違反になり没収や目をつけられたりします。必ず長男に確認し、物品は送りました。
7.洋服や靴など
衣類や靴は数百円の安いものから数千円までの物が大学内の売店で購入できますが、2000円ぐらい出すと、とて良質のものが購入できます。
生地もしっかりしていて、日本での6,000円〜8,000円位の商品を手に入れる事が出来るので、あえて持ち込む必要がないことがわかりました。
8.日本と中国の教育の違い
中国の場合は行きたい大学を受験するのではなく、学力により大学が決められるそうです。自分の意志で大学が決まる訳ではなく、希望の大学へは何年もかかっても行くことができません。
但し、大学での費用は国が持ってくれるので、負担はありません。学力により大学が選ばれてしまうので、とても遠くの学校へ行かなければならない人もいます。中国の大学受験のレベルに達していないなどの場合は
裕福な家庭の子供たちは中国の大学へ入学できないので日本、韓国やアメリカ、ヨーロッパなど各国に留学するそうです。
学生は授業料が無料なので、国の行事などには協力しなければなりません。選ばれた場合はマスゲームなどの練習のために授業後や夏休みなど、何カ月も練習に通うのです。
まとめ
・留学ビザ申請に指定の病院で健康診断を受診する必要があり、費用は15,000円ぐらい
・渡航費用は日本人国籍と中国人国籍により違い片道7万から8万ぐらいかかる
・保険の費用が一番高く感じる、保険では日本で入って行かなければならないので30万ぐらいかかる
・寮費は1か月食事なしで3万から5万です。年払いをしなければなりません。
・授業料は日本の国公立大学の費用より若干低い程度です。
・食費は1食100円位で済みますが、中国人の方の味で、日本の中華料理とは違います。
・仕送りは口座に日本円を入れる事により大学内の銀行で出金し為替手数料を払う方が一番安い
・荷物を送るときは費用も高いが入れるものにより、許可が出ない場合があるので下調べが必要
・必要品は日本価格位を出せば、日本より良質なものが手にはいる
・中国人の大学費用は無料だが、学力により大学を決められ、希望校へ入ることは出来ないし、2年間は強制的に寮生活をさせる。
上記のように日本とは教育事情もちがいます。日本の様に各家庭が子供の学校の費用を出すのではなく優秀な人材は国が育てる仕組みになっています。
大学にもよりけりでしょうが、特に差別的なことはありませんが、費用的にアメリカと同じで留学生価格の様に1年間では私立大学の1年分の授業料ぐらいは費用が必要になります。
ちなみにアメリカの場合は年間500万は覚悟が必要になります。
当時、長男の行った「△華大学」は首相等の出身校だったので、恵まれた環境の大学でした。
長期の休みに日本に帰ってきて、大学に戻ると建物が2つ3つと増えていることもあったようです。
特にびっくりしていたのは大学の記念式典に出身大学であることをアピールするために首相みずから来ることもあったそうです。
学生に対しての援助は日本が世界でも低い方であることは知っていましたが、未来の国の事を考えれば優秀な子供を育てるのも国の役目かもしれません。日本では考えられない事ですよね!
あくまでも長男が行っていた7年前のことですので今は若干の違いがあるでしょう。
2018年08月20日
「東大」へ行かせた伯母の子育てと意地!(40年前の出来事)
「ばばあ2」
40年近く前に母の姉の息子は一浪し「東大」へ行きました。今は伯母も亡くなり、ばばあの「いとこのE」とは疎遠になってしまいましたが、当時の子育てとしては、珍しい教育でした。今では当たり前になっています。
先見の目があったのか、一人息子の為にと必死だったのか、伯母が亡くなった今ではわかりませんが、伯母の家は、伯父の親と同居で田舎の一般家庭以下の生活水準でした。
1.幼少期
「Eちゃん」はとにかく負ける事が嫌いな子供でした。よくトランプで遊んだのですが、ばばあよりも2歳年上だったこともあり、ばばあに負けるととても悔しがって中々終わりません。
当時のトランプ遊びはもっぱら「神経衰弱」です。何度も対戦するのですが、「Eちゃん」にばばあが2回に1回は勝っていたので、それが許せなかったのでしょう。
ばばあも勝気なところがあったので、意地でも負けまいと必死でした。
2.小学生
1,2年生の頃は祖母の家へも、顔を出していたのですが、3年生になるとパタリと来なくなりました。勉強時間が減るのが嫌と言う理由でした。
まだまだ、遊びたい時期に変な「Eちゃん」と思っていましたが、中学受験を狙っていたようで、6年生になると毎月、私立中学の模擬テストを受けていました。
当時は一般家庭の子供が私立中学に行く事などは考えもありませんでしたが、ひそかに狙っていたようです。「Eちゃん」は伯母が念仏の様に唱える「東大にいくんだよ!」の言葉に洗脳され、日々努力を重ねていたのです。
3.中学生
残念ながら私立中学は滑り、地元の中学へ入るのですが当然学力は高かったので、中学の授業中に先生を困らせる質問をしたりして伯母が学校に呼び出されることが度々ありました。
当時はまだ、英語は学校で習うぐらいで、今の様に英語塾などはありませんし、伯母の家の経済状況では遠くの塾に行かせることなどは無理なので、英語を身近に感じさせるために英字新聞を毎日読ませては、英語の勉強をさせていたのでした。
当時の食事は自分の家で採れた野菜中心で伯母も働きながら息子の為にお金を工面していました。本人の欲しいと言う参考書は、休みの日に「丸善」まで購入しに出かけていました。
4.高校生
「Eちゃん」は一生懸命勉強した甲斐があり、県でも1.2番の進学校へ入学しました。しかし彼の中では高校はあくまでも一つの通過点でしかなかったのです。
入学当時から「東大」しか目になかったようでした。学校までの通学時間はとても長かったのですが、高校3年生には有名塾に入塾し「東大」目指して頑張りぬいたのです。しかし、結果は不合格でした。
5.浪人時代
経済的にも余裕が無かったのですが、彼は私立大学へ行くのではなくあくまでも「東大」にこだわっていたのでした。1年間は塾での勉強と模擬テストの連続で、自宅にいる時も自室から出る事もありませんでした。
当時の有名塾の値段は私立大学の1年間の授業料と同じで、全国模擬テストのお金、参考書、交通費などもろもろを考えると、当時では珍しいぐらい「Eちゃん」にお金をかけていたのです。
大学受験参考書・赤本、予備校テキスト買取サイト「学参プラザ」
6.東大合格
晴れて「Eちゃん」は伯母の洗脳通りに「東大」へ合格したのです。その時の親子の喜びは半端ではありませんでした。その後、自宅にある参考書などをばばあにあげるから自由に持って行ってもいいと言われたのですが、ばばあには宝の持ち腐れにしかならない参考書でした。
今のばばあなら即、買取業者に持ち込んでいたのですが、当時はまだそような知恵が無く、伯母のかたずけを手伝うぐらいでした。
7.一流商社へ
その後「Eちゃん」は一流商社に就職するのですが、本人の希望は愛知での就職と悩んでいたようでした。しかし、伯母の勧めもあり東京でそのまま就職をするのでした。
何度も伯母に東京へ来ることを勧めたのですが、伯母は亡くなる最後までほとんど行く事をしませんでした。
理由は伯母が子供の頃の怪我が元で、片目が見えなかった事と田舎者が行って息子の汚点になるのではと心配をしていたからです。
唯一進んで出かけたのは「Eちゃん」がニューヨーク勤務の時にビジネスクラスでアメリカへ呼んでくれた時だけでした。
まとめ
・幼少期から負けるのが嫌い
・小学生の時から「東大」へ行くものと洗脳されていた
・中学生の時から英語の勉強の為、英字新聞を読んでいた
・県でも有名な進学校へ通うが通学に時間がかかっても塾へ入り勉強づけの毎日
・浪人時代は塾と模擬テスト、自室から出る事はほとんどない
・東大へ合格後、母の勧めでそのまま東京の商社へ就職をする
・息子の汚点にならないように、亡くなるまで、息子の所へは殆ど行く事は無かった
一人息子と言うこともあり、昔の嫁の立場が良くは無かったことの表れかもしれません。息子を立派に育てる事こそが、片目の不自由な伯母にはすべてだったのでしょう。
後に聞いた話ですが、仕送りも大変だったので、消費者金融にお金を借りてまで仕送りをしていたそうです。「Eちゃん」も経済状況は分かっていたので、就職後に出張で来るときや奥さんに内緒で仕送りをしていたそうです。
今の時代とは少々かけ離れてはいますが、「信じる事と実行する事」が彼の未来を切り開いたのでしょう。
2018年08月19日
国公立か?私立か?国家資格が必要な場合は同じ!就職先が問題!
「ばばあ2」
ばばあの姪は今、理学療法士になる為に学校へ行っています。私立の為授業料も高いですが、とても厳しく1日でも休むとついて行けなくなるので、学校は休むことが出来ません。
そして、研修を休むと退学になると言われているそうです。受験当時に国公立の地方にするか、地元の私立にするかさんざん悩みました。その時のお話をします。
1.地方の国公立の受験
姪はセンター試験の結果が思わしくないので、希望校の受験を諦めて、地方の国公立を受験することを望みました。
しかし、その場合は受験する学科も変更しなければなりません。そうなると、大学の研究室に残るか会社に就職しても限られたた分野での研究をしている先しかありません。
受験先の地方ではあるのか、無いのかがわからず、就活には苦労しそうなことが目に見えてました。そのことを考えると断念するしかなかったのです。
2.私立の受験
私立大学の希望先はすでに合格していたので、自宅から通うことが出来、本人の希望学科へ行く事が出来ました。しかし、入学金や授業料、教科書等の高い事は天下一品!
特に医療系になると白衣なども必要になり、今まで聞いたことのない事ばかりの連続だったようです。弟夫婦も覚悟はしていたようですが、ここまでかかるとは思っていなかったようです。
しかし、地方の国公立に行けば当然生活費などの仕送りが必要になるので、自宅から通う私立大学の授業料とあまり変わらないようです。
3.医療系の場合は国家資格が必要
国家資格が無ければ就職できない場合は、学校ではなくまずは資格になります。資格が無いと就職はできません。重要なのは国家資格と技術です。
資格を取り、その後は私立の大きな大学の場合は、系列の病院を多く持っていたりしますので、殆どの場合は系列の病院で働くそうです。
4、研修先は系列病院でただ働き
研修とは名ばかりで、お金を払って働かせて頂いているようなものだそうです。昔の丁稚奉公と同じかもしれませんね。
病院により、考え方や指導の仕方も違います。系列病院に就職が決まった場合は即戦力になるので、優先的に雇ってはもらえるでしょう。
5.大学が終着点ではない
燃え尽き症候群の様に大学へ入ってしまうのが目標で、その先の事を考えずに大学選びをする学生が殆どです。当然、ばばあの次男もそうでした。
しかし大学を出たからと言って、希望する職種につける人はごくわずかです。スキルアップをする前に「こんな筈ではなかった。」と思い転職をするのが、今の若者です。
まとめ
・地方の国公立と地元の私立で悩む・授業料は高いが、仕送りの金額を考えるとあまり違いはない
・医療系は国家資格なので、どの大学よりも国家資格と技術が必要
・研修先は系列病院で技術磨きとはいいますが、お金を払ってただ働き
・大学入学が最終地点ではなく、あくまでも通過点
ばばあの長男も学校にこだわったのですが、あくまでも大学は通過点であり、その後、学んだ知識をどのように生かすかが問題なのではないでしょうか。
姪が医療系を志したのは、祖母のリハビリの大変さを目の当たりにし、自分もリハビリを必要としている人の手助けになりたいと志したそうです。
目標を持っている学生は遠くても休まず頑張って続けられるのが本当の様です。
2018年08月17日
父の単身赴任は子供にも影響がでるのでは?
「ばばあ2」
ばばあの弟は「タイの国」に単身赴任をしてもう10年以上になります。ですから姪や甥が幼稚園のときからです。
ばばあは一緒に家族で行くものと思っていたのですが、会社の関係とタイでもとても地方になるので、ある程度地盤が出来てからと言う話になったようです。
1.自宅を新築して間がない
ばばあの弟は自宅を新築して数年しかたっておらず、両親だけには出来なかった事と母親が大病を患い障害者になってしまい、義妹はタイへ行く事をためらいました。
子供達の教育状況からすれば日本の方がタイの田舎よりも良いのではないかと思ったようです。
2.共働きの家庭
義妹は仕事をしていたので、朝8時には出かけ、夜は19時近くの帰宅です。土日や祝日は休みですが、殆ど祖父母といる時間が多かったです。
幼稚園から帰ると祖父母と一緒で、夕食も祖父母と食べるのが習慣でした。田舎の為、学童保育に行っている子も少なく、学童保育に行くと近所の友達と遊ぶことが出来ないために自宅で過ごしていたようです。
ばばあの場合は自宅に置いておくよりも学童保育へ行かせた方が、生活習慣も出来ると思いギリギリの小学3年生までは入れていました。
3.休日の過ごし方は母親だけ
休日と言えば家族で出かける家庭が多い中、姪も甥も母親と買い物に出かけるか、母親の実家に行くぐらいの生活です。
周りの子供達の様に旅行などへ出かける事は殆どありませんでした。ばばあが子供の頃もそうでしたが、弟達が旅行に出かけたことは聞いたこともありません。
義妹は子供が小さくても頼るところもなく、本当に頑張ってきたと思います。
4.学校では母子家庭と勘違いされていた
姪や甥が学校で「○○ちゃんはお父さんがいないの?」とたびたび聞かれたようです。子供なので「海外にいるよ」と答えたようですが、参観日も運動会も義妹の両親が行くので、本当は母子家庭なのだろうと、思われていました。
帰国するのも年に2.3度なので、学校行事に合わせての帰国ではありません。ですから、学校での噂は「母子家庭」になっていたのでしょう。そこも甥が登校拒否の一部かもしれません。
5.年に数回しか会わない親は甘い
どうしても年に数回しか会わないし、子供の寂しさを埋めようとついつい物を買い与えてしまうようです。前回、甥の登校拒否についてお話いたしましたが、子供を叱ることもしませんし、自分が離れているからだと思っていたようです。
好きで海外生活をしているわけではありませんが、離れている負い目があったのでしょう。次男曰く、甥の部屋のパソコンや置いてあるゲームは最新のものばかりだったと言ってましたね。
6.帰国しても孤独な父に
以前は帰国に対して歓迎をされていたようですが、今では大学の費用を出してくれる人ぐらいにしか思っていないようです。
登校拒否の引きこもりだった甥も大学生活を送る事が出来るようになり、父親としての役目はお金を払う事だけの様です。
本当なら子育てをもっと楽しみたかったかもしれませんが、弟も父親のDVで苦しんだ一人として、子供には甘いようです。ただ、どのように娘や息子と接したらよいか経験がないので、解らないのも現実の様です。
まとめ
・自宅を新築してすぐの事と母が大病を患い障害者になったので、義妹は自宅にのこることに
・共働きの為、学校から帰ると祖父母しかいない寂しい生活
・休日の過ごし方は母親と買い物か、母親の実家へ行くぐらいで、旅行などは殆ど出来ない
・学校行事に父親は参加しないので「母子家庭」と言われていた
・年数回しか合わないので、子供に対しては甘い
・今では学校の授業料を払ってくれる親としか思っていない
どこの家庭でも今や海外赴任は当たり前になってきているのですが、1年、2年の場合と違い10年以上海外赴任を続けていると、子供とのコミュニケーションも取れないのが当たり前かもしれません。
親はいなくても子は育つとは言いますが、義妹はとても大変だったと思いますし、姪や甥も寂しい思いをしてきたのは間違いありません。
ちょっと掛け違いがあると子供は「登校拒否」などになったり、道を外れたり、それなりの弊害は出てくるのではないでしょうか。